第5話
そのまま待つ事、十数分。次の電車が、彼女が乗っているはずの電車がホームに入って来た。私の胸の鼓動がバクバクと高鳴り始めた。どうする。やめるなら今のうちだぞ? ほんとにやるのか。いや、ここまで来たら、もうやるしかないだろう? 私は自分の中で争う二つの心を意識しながら、駅から出てくる彼女の姿を待ち続けた。そして。何人かの乗客が出てきた後、私は遂に彼女の姿を確認した。
彼女はいつも見ているあの凛とした姿勢のままで、私の数メートル先を歩いていた。私はあえて彼女に背を向け、そして目の前にある商店のガラス窓に映る彼女の姿を見つめていた。彼女はこのまま駅前の通りをまっすぐ歩いていくのか、それともどこかで曲がるのか。ひょっとすると、少し先にある自転車置き場に向かうかもしれない。あるいはバス乗り場に向かうのかも。自転車やバスに乗ってしまったら、まあそこで後を追うのは諦めるしかない。まだ、バスに乗ってくれれば、その行き先を確認することは出来るだろう。私は今自分がしている事に後ろめたさを感じつつも、同時にその行動に何かわくわくしてきているのを自覚していた。
彼女は駅前の通りをそのまま少し歩いていった後、それほど広くない交差点で右に曲がった。幸運にも、バスにも自転車にも乗らない。このまま歩いて家まで帰る可能性が高い。私はガラス窓に映るその曲がり角をしっかりと確認した後、はやる気持ちを抑え、少し待ってから交差点に向かって歩き出した。ついつい早足になりそうになる自分の歩みを諌めながら、彼女が曲がってから数十秒後に、その曲がり角にたどり着いた。ここを曲がって、その時彼女の姿がもう見えなかったらそれまでだ。この道の先のどこかで、また進路を変えている可能性もあるからだ。そうしたら、明日またこの曲がり角から始めればいい。急ぐ必要などないのだ。私はゆっくりと交差点を右に曲がり、そして視線を道の前方に移した。
……いた。見まがうはずなどない、彼女の後姿が、私の十数メートル先に確かにあった。私は思わず右手の拳を握り、「よし」と頷いてしまった。これだけ距離があれば、彼女に気付かれる心配はないし。後はまた、彼女がどこかで曲がるようだったら、その場所を見逃さないようにすればいい。私は再び早足にならないよう気をつけながら、彼女が歩く後姿を追いかけ始めた。
すると。交差点で曲がってから、少し歩いたところで。おもむろに、彼女がくるりと後を振り向いた。まるで、自分の後にある何かを、いや、誰かを確認するかのように。私は「はっ」と思い、慌てて傍にあった電柱の影に隠れてしまった。隠れてから、これは余計な事をしたぞと悔やんだ。彼女が後を振り向いた時、一瞬彼女と目があったような気がしたのだ。そこで慌てて物陰に隠れるなんて、何か後ろめたい事をしているのだと言っているようなもんじゃないか。むしろ、そのまま平静を装い、まっすぐ歩き続けた方が良かったんじゃないのか。もしかしたら私の今の行動で、彼女は誰かが自分の後をつけて来ていると気付いたんじゃないだろうか……?
私の心臓が、はちきれんばかりにドクドクと鼓動を打っている。その音すら彼女に聞こえてしまうんじゃないかと思えた。私は、彼女が次にどんな行動に出るのかまったく予想がつかなかった。願わくば、何事もなかったかのように再び歩き始めてくれればと思ったのだが。それから数秒ののち、思い切って、電柱の影からちらっと彼女の方を伺ってみると。彼女は何か不思議そうな表情を浮かべると、またくるりと前を向き、今まで通りに歩き始めた。
私は思わず、ふう……と深いため息をついた。良かった。とりあえず、どこかへ通報するとか、私の方まで近づいてきて何か確認するとか。そんな大事には至らずに済んだようだ。さすがに今日は、それ以上彼女の後を追う気力はなかった。いや、これでいいんだ。こうやって少しずつでも、彼女の生活に近づく事が出来れば。焦る事はない。明日はこうして後を追うのはやめておこう。さすがに連日同じ事を続けるのは、不審に思われる可能性があるし。また同じ時間の電車に乗って、本を読んで。それで怪しまれていないようだったら、その次の日にあらためて行動を起こせばいい。何より、彼女と同じ空間にいて、同じ時を過ごせるという機会を失う事だけは避けたかった。私はやや後ろ髪を引かれつつも、今来た道を駅に向かって歩き始めた。
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