5月2日午後7時から8時

午後7時ちょうどから7時10分

 5月2日午後7時ちょうど。ニューラグーン大学創作ゼミ。

 今日は創作ゼミ生が進捗を指導教授であるカオスネール教授に報告する日で、この時間も、多くの生徒が自分の小説を教授に見せている。例えば

 …… 高架下を2つの影が駆けていく。

「あ、ちょっと待って下さいよ」

「おそい!」

 俺の先を走る金髪の少女は速度を上げ、俺を置き去りにしていく。

 俺は息切れしながら少女の後を追いかける。

「ハァ……ちょっとは待ってくれても……」

「なにいってんの! はやくしないとおいてくぞ!」

「えーっ!?」

 俺は彼女のペースに合わせて走りながらふと疑問に思ったことを尋ねる。

「そういえば名前なんていうんですか?」

「……? わたしの名前知らないの?」

「だって今初めて会ったばっかりじゃないですか……」

「そうだけど……」

 少し考えてから少女は言った。

「……じゃあマリーでいいよ。あなたは?」

「僕は……いや、俺はアルフって言います」

「ふぅん。アルフね……。よろしく!」

 彼女は満面の笑みを浮かべて右手を差し出してきた。

 俺はそれに応え、彼女の手を握る。

 すると突然、彼女が足を止めて振り返った。

「どうしたんですか?」

「あのさ、わたしと一緒に来る気ない?」

「どういうことですか?」

「だって、この国じゃ私とまともに遊べる友達なんかいないんだもん。

 だからさ、もっと楽しい場所に連れて行ってあげるよ」

 確かにこの国の人たちにはどこか距離を感じるし、彼女の気持ちも分からなくはない。

 でも……。

「すみません。お断りします」

「なんで?」

「僕はここから離れられない事情があるんですよ」

「そうなの?」

「はい。それにマリーさんについていくこともできないです」

「そっかぁ……」

 マリーさんは肩を落としている。

 しかしすぐに笑顔に戻り

「分かった」

 と言った。

「仕方ないか。じゃあさ、せめてまた会おうよ。いつになるか分からないけどさ」

「分かりました。必ず会いましょう」

 俺たちは再び握手を交わす。

「そうだ。今度はあなたの国の話を聞かせて下さいよ」

「うん! いいよ!」

 そして、俺は彼女と別れた。

 あれからどれくらい経っただろうか。

 今日もまたいつものようにマリーさんのことを思い出していた。

 その時だった。

 ドンッ!!

「わっ!!」

 何か重いものが背中に当たる衝撃を感じ、前のめりに転んでしまった。

「痛たた……」

 立ち上がってみるとそこには見覚えのある人物が立っていた。

「マリーさん!?」

「久しぶりだね。アルフ」

 俺は彼女のもとに駆け寄る。

「今までどこにいたんですか!?」

「ずっと隠れて暮らしてたんだよ」

「どうしてここに?」

「それはね……」

 そこまで言うと彼女は真剣な顔つきになった。

「もう時間がないの。だから聞いて」

 俺は黙ってうなずく。

「私はここから遠いところから来た人間なんだ」

「遠くってどのくらいの距離ですか?」

「それが私にも分かんないの。そんでいろいろあって追われてる」

「それで逃げてきたんですか?」

「そう。何とか追手を撒いてここまで来たの」

「じゃあ、今はどこに住んでいるんですか?」

「それも分かんないの。とりあえず身を隠して森に隠れていたんだけど……」

 彼女はうつむきながら話を続ける。

「このままじゃ捕まっちゃう。だから一緒に来て!」

 俺は一瞬迷ったが答えは決まっていた。

「もちろん行きますよ」

「ほんとう!?」

「ええ。案内して下さい」

「ありがとう!」

 俺とマリーさんは夜の街を歩いていた。

「ここなら見つからないと思う」

 そう言って彼女が連れてきてくれたのは大きな倉庫だった。

「ここは?」

「私たちが住んでいる場所だよ」

「え!?」

 ということはこの中に大勢の人がいるということか。

 俺は少し緊張しながら中に入る。

 すると中にいた人々が一斉にこちらを向く。

 彼女は大声で叫んだ。

「みんな落ち着いて! 彼は敵じゃないの!」

 マリーさんの声を聞いて男たちの警戒心も薄れていく。

 それを見てほっとした表情を浮かべる彼女の前に男が一人歩み寄ってきた。

「マリー様……?」

「あなた……エバン!?」

「ご無事でしたか……よかった……」

 2人の会話を聞く限り、彼らは知り合いらしい。

「こいつは信頼できる奴だから安心していいよ」

「そうですか……」

「ところで他の人たちは?」

「ここにいるのが全員です。食料もほとんど残っていません。

 これ以上は……」

「そうか……」

 マリーさんは難しい顔をしている。

 どうやら状況は思わしくないようだ。

「よし! これからみんなの食べ物を取りに行くよ」

「大丈夫なんですか?」

「うん。さあ行こう」

「ちょっと待った」

 倉庫を出ていこうとする2人を俺は呼び止める。

「何?」

「僕もついて行ってもいいかな? 一応、旅をしていた経験があるから役に立てるかもしれないし」

 マリーさんはじっと僕の目を見つめている。

 そしてしばらくして口を開いた。

「分かった。じゃあお願いするね」

「やった」

 正直、何もせずに見ているだけなのは居心地が悪いと思っていたところだ。

「アルフさんよろしく頼みます」

「はい」

 3人で倉庫を出る。

 外に出ると日は完全に沈んでいた。

 俺たちは闇夜の街を進む。

 しばらく歩くと前方に明かりが見えてきた。街灯だろうか。

 そんなことを考えているうちに目的地に到着した。

 そこには大きな建物があった。

 看板を見ると『食品販売店』と書かれている。

 しかし電気はついていない。

「ここですか?」

「うん」

 鍵はかかっていなかった。

「誰かいますかー?」

 マリーさんが呼びかける。

「……誰?」

 かすかに声が聞こえた。

 奥の方からだ。

 よく見ると、カウンターの奥にある部屋のドアが開いている。

 マリーさんに続いて部屋に入るとそこには5人の子供がいた。

 子供たちは不安そうな様子だ。

「こんな時間にどうしたの?」

「実は……」

 子供の一人がマリーさんの問いかけに答える。

 その答えを聞いた俺たちは愕然とした。

「お父さんとお母さんがいない?」

 その問いに残りの4人が同時にうなずく。

「どうして!?」

「分からない」

「お姉ちゃんたちも気づいてすぐに探しに行ったけど見つからなかった」

「そう……」

 マリーさんはとても悲しそうだ。

 その時だった。

 ドタドタッ!! 外から物音が聞こえる。おそらく追手だろう。

「とにかくここから逃げよう」

「でもどこに?」

「とりあえずここを出ましょう」

 俺はそう言って外に出る。

「ほら、こっちへ」

「う、うん」

 子供達は戸惑いながらも俺についてくる。

 ……小説をここまで読んだカオスネール教授はこう言った。

「最初は恋愛ものかと思ったら、ファンタジーものなのか」

「はい、そうです。ジャンルミックスというヤツです」

 誇らしげに胸を張る生徒に教授はしばらく考えて答える。

「どっちを優先するか考えてみようか」

「わかりました!」


 5月2日午後7時3分。ムーンヴィレッジ101号室。

 貴志草平がウトウトしていると、ヤカンの蒸気がプァーと吹き出した。その音にハッとして飛び起きる。昨夜は遅かったから、仕方がないか……彼は頭をポリポリ掻きながら起き上がると台所に向かった。

 そしてやかんの注ぎ口から出る湯気をぼんやり見つめていた。何かが変だ。何が?

 ……貴志には分からなかった。ただ何か違和感があったのだ。それは彼の直感のようなもの。しかしそれを説明しろと言われても難しいのだが。

(まあいいか)

 そう思った時だった。ガシャン! 背後で大きな音がした。振り返るとそこにはシンク台があり、その上には花瓶が置かれていた。貴志が

(しまった!)

 と思った瞬間に割れた花瓶の破片と共に大量の水がシンク内に広がった。床には砕けた花瓶の花々が散らばっている。彼は声も出せず、呆然と立ち尽くしていた。その時である。

(危ない!)

 突然頭に響くように聞こえた男の声……。それが誰なのか分からないまま身体が勝手に動き出し、右手で破片を手に取った。次に左手の人差し指に破片をあてがいスッと滑らせた。ツーッと流れる赤い血……。

 貴志はその傷口をジッと見つめていたが、フゥーっと息を吐くとその手を下ろした。すると、不思議なことにさっきまでの緊張感はなくなっておりホッとしていたのだ。

 その時また頭の中に男の声が響いた。

(よかった……間に合ったようだな)

 そして貴志は自分の中にもう一人の自分がいるような感覚に襲われて驚いていた。まるでもう一人の自分が存在するかのように感じていたからだ。それに不思議にも恐怖心はなかった。むしろこのもう一人の自分に身を任せていけばいいと感じているくらいなのだ。そんな気持ちになっている自分のことが不思議でもあったが。

 それから貴志は片付けをしようと水の入ったバケツを持ち、流し場に移動した時にも再び同じ男の声がした。

(大丈夫か?)

 と心配するかのような言葉に、貴志の心の中には温かい感情が生まれていた。今まで経験したことがないことだったが何故か嫌だと思わなかった。

(ああ。ありがとう)

 何故だろうか、その言葉が素直に出てしまった。

 男はその後、何も言わなくなった。貴志は首を傾げながらも黙々と後始末をした。そして最後に花瓶のかけらを袋に入れ、ゴミ箱に捨てる。それが終わると、もうあの男の声は何も聞こえなくなっていた。


 5月2日午後7時6分。アイスクリームを買い食いする少女たち。

「はい、ご注文の品です」

「ありがとうございます」

 バニラとチョコミントのアイスクリームを買った幸子は友だちのユキノと合流する。

 二人はベンチに腰掛けてアイスを食べた。

 ……美味しい。

「ねえ、ちょっと味見してよ。あたしもあんたの食べたいからさ」

「うん、いいにゃあ」

 二名の少女たちは互いのアイスクリームを舐め合うようにした。ペロリペロリ。

 そして最後に残った一口分のコーンフレークも二人で分け合って食べた。

「ああ……幸せ~♪」

 少女たちは舌を出して笑った。

「あはっ、甘いにゃ!」

「うふふ、そうだよねえ」

 少女たちはアイスクリームを食べ終えると立ち上がり、今いる小さな公園の中を一回りすることにした。

「ねえ、ブランコしようよ」

「いいにゃ」

 少女たちはブランコに乗って揺れる。

 ギイギイと鎖が軋む音が響く。

「楽しいにゃー」

「そうでしょ?」

 ギイギイ。

 やがて少女たちはブランコを降りた。

「じゃあそろそろ帰ろうか」

「うん」

 少女たちは手を繋いで歩き出す。

「楽しかったね」

「また来ようにゃ」


 5月2日7時9分。コーポ月城101号室。

 和彦はボンヤリとテレビのバライティー番組を見ている。

 今日は特筆することのない1日であった。

 このあとパンを食べて、シャワーをあびるだけ。

 いつもと同じ流れだ。

 しかし今朝のテレビはつまらない。

 こんな番組ならビデオで録画した方が良かったかもしれない。

 和彦はそんなことを思っていたが、その矢先に……

 ピンポーン!

 玄関のドアのチャイムが鳴った。

 朝早くから誰かが尋ねてきたようだ。

「はい」

『おはようございます』

 モニターを確認すると宅配便のお兄さんである。

 伝票を見て荷物を受け取った。

 送り主の名は父であるらしい。

 なんだろうと思いつつ封を開けると中にはメッセージが入ってるらしい記録媒体が入っていた。

 そして、それにはこう書かれている。

(息子へ)

「これは?」

 和彦は父からのメッセージを再生してみた。

『親バカだが息子よ。私は感動しているぞ。おまえには彼女がいたんだにゃ。お父さん嬉しいよ。おまえが彼女を作ったことが嬉しいにゃ。お父さんも若い頃は苦労した。あの時は本当に辛かったにゃ。だから今のおまえの気持ちはよくわかるつもりだ。私だってそうだったにゃ。彼女を作ろうにもモテなかった。モテたとしても相手にされなかったのだ。だが今はどうだろうか? おまえもわかっているはずだにゃ。おまえならば彼女の1人や2人、すぐに作れるだろう。自信を持て息子よ。おまえなら大丈夫だにゃ。お父さんは信じているぞ』

 プツッ。

 ここで映像が終わった。

(えっと……これってどういうことにゃ?)

 よくわからない父親からの言葉であったが、和彦には心当たりがあった。

 つい先日に告白されたことを思い出す。

 あれのことではないのかと予想を立てた。

 しかし……

 まさかとは思う。

 あの程度の出来事で父親に伝わってしまうとは思いにくいのだが……

(とりあえず母さんに相談してみようか)

 和彦は母親に通信機器で通話をする。

 5コール目で繋がった。

 和彦はすぐに事情を説明した。

 母は嬉しそうな声で喜んでくれた。

 それから少し世間話をした後、和彦は再び口を開く。

「それでね母さん。一応確認だけど父さんのアレってさ……」

 父は自分のことを親バカと言っているが果たして本当なのか聞いてみる。

 すると……

『うん? にゃに言ってるの父さん? 親バカっていうより馬鹿じゃにゃいの?』

 という返事がきた。

 やっぱり違うようである。


 5月2日7時10分。ニューラグーン警察本庁舎資料室。

 ドンッ

「あっ、すいません」

「いや、こちらこそ」

 出てきた若い制服警官とぶつかってしまいつつ、資料室に入ったタカシ。

「ああ、クソ面倒だなあ。どこらへんにあんだろう?」

 グチりながら、目的の資料を捜す。

「たくよ、なんでこんなめんどくせえことしなきゃいけないんだか」

 しばらく捜すと、目的の資料を見つける。

「あったあった、これが夏緒お嬢の言ってた事件の資料だな」

 資料の中から、ファイルを取り出し、パラパラと確認する。

「こいつかな?」

 やがて、タカシはファイリングされた中から、自分が捜していたものを発見した。

 それは事件に関わったスパイの調書だった。

「それにしても」

 と、タカシは呟く。

「さっきぶつかったヤツ、見たことなかったな。新入りかな?」

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