1-16 Nasty adults and dirty children

 おばちゃんに軽く挨拶をしてから家を出る。俺とともに部屋から出てきた翔太を見て、おばちゃんは安心したのか少し涙ぐんでいた。翔太におばちゃんを任せ、俺は俺のするべきことに集中しよう。


 外は相も変わらず白くて黒い。矛盾を孕みながら存在する景色を歩きながら切り分ける。白は段々と切り裂かれていき、黒に道を譲り始める。バイクを止めたコインパーキングに向かうまでの道中に聞いた話を小倉と共有する。


「で? 何か分かった?」

「特に。グラサン野郎の名前が分かったのと鍵が手に入ったくらいだな」

「鍵?」

「あぁ、これだ」


 翔太から貰った鍵を右手で小倉に見せる。左手は何時でも動かせるように脱力をしておく。


 小倉はその鍵を触ることもせず、ただ見て


「何処の鍵なのかな?」


 とだけ言ってそれ以降は何も言わなかった。


「俺も分からん。でも、これが何処の鍵か分かればかなり進展するはずだ」

「じゃあそれが何処の鍵か探すってことね。どうやって探すの? まさか、一軒一軒全部に鍵穴を刺していくつもり?」

「なわけ。んなことしてたらキリが無い。あんまり褒められて手段じゃないが、いい方法がある。いや、悪い方法って言った方が良いか?」

「そんなのどっちでも良い! で? その方法って?」

「これが電子キーだったら使えなかった。その点ではシリンダータイプの鍵で運が良かった」

「だから一体何?」

「これを見ろ」


 鍵の裏上部を指さし小倉に注目させる。そこには七桁の数字とアルファベットが刻印されている。


「これが何?」

「この数字は鍵番号だ。この桁数を見る限りこれは純正キーだな。少し怪しいが、まっ、いけるだろ」

「??」


 全く理解できなさそうに鍵番号を見つめ続けている小倉。いくら見たって何も分かるわけないのにジッと刻印されている鍵番号を見続けてる小倉は何処か滑稽に見えた。


「まず合鍵と純正キーは違う。ほとんどの人が持ってるのは合鍵だ。それには大体四桁の数字とアルファベットが刻印されてるはずだ。自分のを確認してみろ」

「あっ! ほんとだ!」

「合鍵は鍵屋が純正キーをコピーして作ったものだ。それに刻印されているのはブランクキーの型番だけ。そこから情報が手に入る可能性はかなり低い。合鍵は勝手に作れるし、大家や管理会社が管理できてない可能性がある。だが、純正キーなら確実に大家や管理会社は管理している。絶対にだ」

「どうしてそう言えるの?」

「純正キーを入居者に渡すことはない。純正キーは合鍵とは比べ物にならないほど情報を抱えているからな。今回はその純正キーに助けられるわけだが」

「要するにどういうこと?」

「簡単に言えばこの情報と伝手があればこの鍵が何処の鍵かが分かるってことだ」


 純正キーの鍵番号とそれを知っている人、いや管理している人に聞けばこの鍵が何処で使われているかが分かる。普通だったら使えないが、訳合ってそういう人たちと伝手がある。あんまり褒められた行為ではないが、今はそれどころじゃない。道徳を取るか人道を取るか。どっちを取るべきかなんてわざわざ考えるほどでもない。


「何でそんなこと知ってるの? そんなこと普通は知る必要ないじゃない」

「……昔、鍵を巡って事件に巻き込まれたからな。色々と知る必要があったんだ」

「鍵を巡る事件って何それ? すっごい気になるんだけど」

「そんなに面白い話でもないよ。ただ車両基地の鍵が盗まれた事件に巻き込まれただけだ」

「余計分からないんだけど?」

「説明する気もない」


 あの事件も面倒だった。最終的には車両基地の鍵を巡って汽車を使ってのカーチェイスならぬトレインチェイスが始まったからな。あの時は本当に死ぬかと思った。


「すぐにこの鍵の場所は分かるさ。移動するぞ」

「何処に?」

「管理会社」

「?」


 未だハテナ顔でスッキリしない表情を浮かべる小倉。その顔にはハッキリと説明しろと書いてあったが、一から説明する気はない。説明してもただ時間を無駄にするだけだ。実際に行動で何をしてるのか見せた方が時間も効率よく使えて、物事も進む。一石二鳥だ。


 小倉を後ろに乗せ、知り合いの管理会社へ向かう。相変わらず後ろに感じる小倉の……はビックリするほど固い感触が背中に伝わる。本当に失礼かもしれないが、こいつ実は男じゃないだろうな?


 言葉に出したら殺されかねない凶器を腹に入れたまま、バイクを走らせる。住宅街から離れて数分経つと目的地はあっという間に見えてきた。出来れば真っ暗であってほしかったビルは今も燦燦と夜の町で光っている。


「嘘だろ……」

「何さ? 目的地だったんでしょ。ならまだ人がいて良かったじゃない」

「ブラックを目の前にして良かったなんて喜べるかよ……」


 未だブラックに縛り続けられている知り合いを見て喜べるのは悪魔か雇用先の社長くらいだ。かろうじて俺は悪魔じゃない。喜びよりも心配の方が勝ってしまう。だが、頼らざるを得ないという悲しさ。今度お礼に良い仕事先を紹介しよう。じゃないと、なんだか俺が申し訳ない。


 リュックからカードキーを取り出し、従業員用の入り口セキュリティにカードキーを通す。セキュリティは音と共に解除され、俺を迎え入れてくれる。


「ほら、行くぞ」

「……何で持ってるのとか聞いた方が良い?」

「ウンザリしたいなら聞いた方が良いぞ」


 従業員用のエレベーターで三階まで向かう。エレベーターのドアが開いた先には黒が混ざりきった青色を目の下に携えた男がデスクでパソコンを叩いていた。


「お疲れ様でーす」

「…………」

「もしもーし? 生きてます?」

「…………」


 返事はない。ただのしかばねのようだ。


「テンプレで俺を殺すな!」

「うぉ! 生きてる」


 テンプレでは殺せなかったようだ。かろうじて生きていますといった風貌の鵜沢うざわは俺を見るや否や嫌な顔を浮かべた。


「んでそんな顔するんだよ? 久しぶりの再開だ。嬉しくないのかよ?」

「お前がわざわざ俺の所に来たってことは面倒ごとの始まりの合図だろうが。逆にそれ以外の用事で来たことないだろ」

「そんなことはないと思うけどな」

「じゃあ始めて会ったときはどうだ? あれもうちが管理しているマンションを半壊させての挨拶だっただろうが」

「あれは……俺が悪いわけじゃない。あそこに住み着いた馬鹿どもが悪い」

「二回目はうちの管理会社のセキュリティシステムをぶっ壊しただろ」

「……あれは、確かに俺だな。いやでも、事情はちゃんと説明しただろ?」

「ハッキングの練習をしてたからで納得する奴は誰もいねぇわ!! それもお前は事後報告だっただろうが!!」

「セキュリティの脆弱性があるって分かったから……」

「てめぇが破らなければ安全だったわ!!」


 これ以上話を続けたら過去の所業を全てばらされてしまいそうだ。小倉は今の話を聞いて本気のドン引き顔で俺を見ている。違うと言いたいところだが、実際にやらかしたことだ。否定をしたら鵜沢からその否定が飛んでくる。一旦認めておこう。一旦だ。この件は後できちんと鵜沢と話し合おう。


「悪かった。悪かったよ」

「随分素直に認めるんだな。何時もならどっちかが折れるまでこの問答を続けてたのに。この感じからすると、お前急ぎの用事でも抱えてるか?」

「正解」

「おいおい、このタイミングかよ……」

「鵜沢はその見るからに分厚い隈を見た感じ、大事な案件でも任されてたか? だとしたらすまんとしか言えないんだが」

「いや、別に大事な案件があったわけじゃない。今年いっぱいは遊んでても余裕がある。あのハゲのお遊びの写真を手に入れてすこーし揶揄ったらまぁ、これが面白いのなんの。そんな訳でしばらくは俺に仕事が回ってくることはないさ」

「まだあの社長遊んでるの? 元気過ぎないか?」

「元気すぎるから一人じゃ足りないんだろ」


 鵜沢が勤務しているこの会社の社長は結構なやり手だ。経営手腕も、業界の流れを見る目もあるため、社会人としては尊敬できる人物だ。だが、人間としてはダメな大人のお手本だ。簡単に言えば、そっちの意味でヤリ手だ。ひらがなかカタカナのほんの少しの違いで意味が分かってしまうのが虚しい。自分が精神的に成長したと実感してしまう。


「じゃあその隈は何だよ? しばらく仕事が回ってこないならその隈が出来る理由はないはずだろうが」

「いやー……それがな。俺が管理している物件の鍵が紛失しちまったんだ。参ったね。手掛かりの一つも無いんだもん。そろそろ見つけないと社長にバレて殺されるね。間違いなく」

「それは今までバレてない方がおかしいだろ」

「そこは俺。何とかカモフラージュで騙しとおした。あれはドキドキしたな」


 悪い大人が目の前にいた。それもかなりグレーというよりほぼ黒。バレたら殺されるどころじゃなく、末代まで祟られそうだ。


「じゃあその失くした鍵を探してるってことか?」

「まっ、そういうこと。そんな訳でお前の方に関わるだけの余裕がない。悪いな」

「ちなみにどこの物件?」

「……一応社内機密だぞ。普通聞くかね?」

「俺にこのカードキーを渡しといて何を今更言ってるんだ。それで何処なんだ?」


 口が開いたり閉じたりを繰り返したと思ったら、覚悟を決めたのか鵜沢は口を開いて俺にとっては聞きたくもなかった地獄を口にした。


「Rエリアにある井土が経営していた元事務所」

「……」


 どうやらその地獄は俺を呼んでいるみたいだ。掌には冷たくなったあの感触を思い出している。その場所を根城にしているのはわざとかと考えざるを得ない。だとしたら宿野部は本当に質が悪い。


「鵜沢、鍵欲しくないか?」

「そりゃ勿論欲しいさ。見つかったらようやく家に帰って寝られるんだからな。……まさか」

「そのまさか。もしかしてお前が探しているのはこの鍵じゃないか?」


 翔太から預かった鍵を鵜沢に見せる。鵜沢はすぐに俺の手から鍵をひったくり、目が取れるんじゃないかっていうくらい確認している。


「番号も……合ってる。形状も合ってる。これだ!! お前どこでこれを?」

「落ちてたらしいぞ。知り合いから預かった」

「マジか……。どこで落としたっけな? まっ、いっか。こうして手元に戻ってきたし、何の問題も無いや」


 鵜沢は鍵を赤子を抱くようにして歓喜しているが、それを取り上げる看護師のように俺は鍵を鵜沢から取り返した。


「何すんだよ!?」

「悪いな。返すとは一言も言ってない。この鍵の場所がどこかも分かったし、もう少し借りてくよ」

「待て待て。待て!! 頼む。今返してくれ。お前に渡ったら二度と帰ってこない気がする」

「無理。俺も今必要なんだ。すぐに返すさ」

「それだけは信用できん。お前はそう言って一週間後とかに返すだろ」

「うーん……どうしてもダメか?」

「ダメだ。今、返してくれ」

「――なら条件がある」

「条件?」

「ああ、これを守ってくれるなら今返してやるよ」

「……何だ?」


 渋々と言った顔で鵜沢は条件に耳を傾けてくれるようだ。といっても、そんなに難しい条件ではない。


「この鍵のコピーを作ることと元事務所でこれから起きることを無視することだ。簡単だろ?」

「……曰く付きにはするなよ?」

「もう曰く付きだろうが」

「はぁ……何でこいつに渡ったのか……。ちょっと待ってろ。今準備してくる」


 俺から鍵をまたひったくり、会社の奥の方へ鵜沢は姿を消した。コピーが出来上がるまでおおよそ十分といったところか。しばし小休憩だ。そこら中にある丸椅子を拝借し、座らせてもらう。


「鍵が何処のかも分かったし、恐らくミスプレイの場所もそこのはずだ。良かったな。今日中にカタがつきそうだ」

「なんかあっという間に進みすぎて、私の頑張りは何だったのって感じで少しムカつくけどね」

「解決するかもしれないんだ。そんくらいは飲み込んでくれ」


 くるくると丸椅子を回しながら景色で遊ぶ。しかし、その遊びも長くは続かない。三半規管がおかしくなってきたところで椅子の回転を止め、体でその慣性を受け止める。視界はグラグラと揺れ、体は酔いを訴えている。


 酔いを治めるために、沈黙が生まれないようにするため気になっていることを今のうちの小倉に聞いておく。


「なぁ、これが終わったら天音は何がしたい?」

「これが終わったら? ……特に何もないね」

「何も? 母親と仲直りとかしないのか?」

「何で君が私の母親のことを知ってるわけ……って今更か。君だもんね。する気は無いよ。あの人との関係は親子ってだけ。あの人はきっと私に何も期待しないし、私も何も期待してない。別に親と必ず仲良くしないといけない法律なんて存在しないでしょ。君が何を期待しているのかは知らないけど、あの人と仲直りは絶対に無理」


 小倉は嫌悪を浮かべ憎々し気に口から呪いを吐き出している。その呪いは誰に向かって打っているのだろうか。母親かそれとも自分自身か。


「じゃあお前が保護した女子と一緒に遊ぶとかは?」

「うーん……遠慮しておくかな」

「? 何でだよ。その子はお前が守りたかったんだろ」

「そうだよ。そうだけど、もう良いの。……何も」


 そこから先は俺には聞こえなかった。小倉も自分で慌てて口を塞いでいる。言う予定は無かったのに、思わず漏れてしまったという所だろうか。その先の言葉が何かが気になるが、きっと小倉は答えてくれない。その証拠にもう答えるつもりはないとくるりと椅子を回転させ、そっぽを向いてしまった。


 沈黙は気まずくなるから話しかけた筈なのに、話しかけても沈黙を生んでしまった。俺がもっと良い話題を振ればきっとこんな沈黙を生むことも無かった。我ながらコミュニケーションの下手さに呆れてしまう。


 俺から話しかけた手前、もう一度話しかけるという選択肢はない。いや、あるにはある。けど、気まずい。だから出来ない。沈黙に従っていると、突然小倉が回転しながら俺に聞いてきた。


「じゃあ君は? これが終わったら何がしたい?」


 その質問に今度はこっちが頭を抱える番だ。これが終わったらしなければならないことは沢山ある。この報告に進路決定等々。だが、きっと小倉が聞きたいことはそんなことではないんだろうな。俺がしたいこと。それが小倉の聞きたいことだ。


 茶を濁して逃げることは出来る。俺としてはそっちの選択肢の方が魅力的だ。本心を曝け出すことは出来るならあまりしたくない。曝け出した結果、あまりいい結果には繋がったことは一度もない。だから嫌だ。その場しのぎの回答でこれを乗り越えたい。


 けど、小倉は憎しみではあるが本心を曝け出していた。それに対して偽心で答えるのは人の道に反している。本心には本心で返さなければ人は人間にはなれない。


「……これが終わったら俺はもう一度向き合いたいな」

「何に?」

「俺がしてきたこと。俺が逃げてきたことについて。お前の手を取ってしまった以上、もう一度向き合わないと今までの葛藤が嘘になっちまう。何言ってんだお前って思うかもしれないけど、今はこれが俺のしたいことかな」


 今までの俺は考えることを避けていた。いや、逃げていたと言った方が良いな。現実を受け止めるだけで、その先に進んでいなかった。ただ見ていただけだ。それが俺に課せられた責任だと思っていた。今でもほんの少しだけそう思っている気持ちはある。


 それでも受け止めるだけでなく、その先へ一歩踏み出すことが残されたものの責務じゃないのか。俺と違って血脇は責任を投げ出すことなく、一緒に背負って前に進もうとしていた。あの時の言葉の意味が今分かった気がする。


 前に進むことが自分を許すことじゃなくていい。自分を恨みながら、苦しみながら進むことが大切なんだ。逃げるのは構わない。だが、逃げたままでは駄目だ。そのままでは両者が報われない。停滞したままでは託していったものが報われない。その思いを無駄にしない為にも苦しんで、泣いて、そしてもう一度立ち上がる。立ち上がって前を向きながら問題と向き合う。それが思いを託された俺たちがするべきことだったんだ。


 だから進む。前を向いて、意思を継いで俺はもう一度進む。だからさ、見ててくれよ。霞。


 するべきことは胸に。やりたいことは心に。それぞれ刻み込む。


 霧は未だにたゆたんでいる。だが、それでもその先はハッキリと見える。霧が晴れるまではあと少し。


「そう」

「……何も言わないのか?」

「君が決めたことになんで私がどうこう言えるのさ。良いんじゃない?――君は進むことを選ぶのね」

「ああ」

「なら頑張ってね。きっとその道は険しいわよ」

「険しい道なら通り慣れてる。今更だよ」


 小倉は泣きそうな、そして裏切られたというような顔を浮かべ下を向いてしまった。手の震えを抑えようと右手で左手首を掴んでいる。左手首から先は力がよほど入っている証拠に血色が青に近くなっていく。


「おい? なした?」

「何でも。それにしても遅いね」

「あぁ、確かに」


 鍵のコピーを作ると言ってから十分以上は経過した。何かあったのか不安が出てきた。

 俺の不安げな表情を見て気になったのか小倉はある提案をしてくれた。


「様子を見てきたら? 私は此処で待ってるから」

「良いのか?」

「見に行って悪いことなんてないわ。不安なら見てくれば良いだけでしょ」

「それもそっか。じゃあちょっくら様子見てくるわ。大人しくしてろよ」

「こんなところじゃ大人しくしか出来ないわ」


 椅子から立ち上がり、鵜沢が向かった方に向かう。鍵を作っているなら独特のにおいが発生するからそれを辿るだけだ。一体何をしているんだか。

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