1-14 Crying

 電話で聞いた町に着くまではそんなに時間はかからなかった。夜もピークを迎え目が眩むほどの栄華を放っている末広町から、街灯も消え物事一つでも立てようものなら一斉に家の明かりが点いてしまいそうなほど静寂に包まれた住宅街へと光景を移していた。


 流石にこのバイクで住宅街を突っ切るわけにもいかない。手頃なコインパーキングを見つけ、そこにバイクを止めておく。


 話を聞くだけだからそこまで駐車料金はかからないだろうが、それでも金なし高校生の俺にしたらこの出費はかなり痛い。後で実費を請求したら戻ってくるかね。益体も無いことを考えながら電話で聞いた住所まで歩いていく。


「……っとここか?」


 スマホにつっこんだ情報通りなら目的地に着いた。目の前には全体を白色に染めた一戸建てが少し左に傾いて存在している。家が少し傾いているのはこの街だと普通の光景だ。このへんの土地は湿原も近く、土台である土地が水をふんだんに吸収しスポンジのような状態になっている。その上に家を建てているのだから少し傾いてしまうのはおかしいことではない。


 此処が面白い点なんだが、この話だけ聞くとじゃあ土地は安いかと考えるだろう。だが、実際にはその逆。ここら辺一体の土地は腰が砕けるくらいには高値に設定されている。初めて聞いた時は自分の耳を疑ったが、その値段は俺が住んでいる地域の約十倍ほどだった。訳が分からなかった。


 確かに土地一つだけを見ると劣悪な環境だと思うだろう。しかし、此処がミソなんだがここら辺の住宅街の近くにはこの街唯一のショッピングモールが立地している。


 要するに土地の価格に値段を付けているわけではなく、土地についている付加価値に値段を付けているのである。これを初めて知った時は馬鹿だと思ったが、そんな馬鹿なことが実際に起きているのだ。信じたくはないが信じるしかない。


 インターホンを押すと、すぐに玄関が空き寝間着姿のおばちゃんが出てきた。


「いらっしゃい。どうぞ」

「夜遅くに本当にすいません」

「ううん、全然気にしてないわ。むしろ、こちらこそありがとうね。お昼にした話考えててくれたんだ?」

「あぁ……まあ、そうっちゃそうだし、そうじゃないとも言えるんですけど……」

「? そこにいたら寒いでしょ。はやく入りな」

「それじゃあお邪魔します」

「お邪魔します」


 おばちゃんの言葉に従って家に入らせてもらう。小倉も俺の後についてきて、玄関に入っていく。


「その子は? 彼女?」


 おばちゃんは俺の後についてきた小倉を見て当然の疑問を投げてきた。予想していた質問だ。それくらいは焦ることなく答えられる。


「全然。全く違います」

「じゃあどんな関係?」

「……何だろう? ただの友達ではないし……何だ?」

「行き当たりばったりの関係です」

「おい!?」


 確かにその言葉通りだが、事情を知らない人からしたら誤解しか生まない。もうちょっと他にあるだろ……。


「そう。……着けるものはちゃんとつけなさいよ」

「アンタもアンタでどんな誤解してるんだ!! 違う違う。そういうのじゃない!!」

「えっ!! 私たちの関係って体だけだったの……」

「何でお前も悪ノリするんだよ!?おばちゃん、違うぞ。普通の……ただの……そう先輩と後輩の関係なんだ」

「それもそれでかなり如何わしいけどね」


 冷静に考えてみればどう転んでもまともな関係には見られそうにはなかった。説明すればするだけ泥沼にはまっていくだけ。何も言わない方がまだマシな関係だと思われそうだ。


 おばちゃんは俺と小倉の雰囲気を察してか、特に何も聞かないでくれた。説明できない部分も正直あったからこの対応は俺にとってとてもありがたかった。


 おばちゃんはリビングまで俺たちを案内し、台所近くにある二つの椅子に座るように促してきた。言われた通りに椅子に座るとおばちゃんはすぐに麦茶を出してくれた。


「ごめんね、こんなのしか出せなくて」

「いえ、ありがたいです。いただきます」

「ありがとうございます」


 長時間の移動で喉がカラカラになっていたので麦茶はとてもありがたい。プラスチックコップに入った麦茶は気が付いたら無くなっていた。


「フゥー……」

「良い飲みっぷり。それにしても……こんな時間に制服のままで何してたの?」

「学校終わってからずっと動いてたんです。色々ありましてね。その色々あった中で、昼に聞いた息子さんから話を聞きたいなと」

「それが最近息子が変なのと関係してくるのかい?」

「恐らく。それで息子さんは何処に?」

「自分の部屋にいる。でも、いくら呼びかけても部屋から出てこないの。部屋からすすり泣きが聞こえたから無理矢理に部屋に入ろうとしたんだけど、どうやっても部屋に入れなくて、今はお手上げ状態」

「それは何時から?」

「一昨日頃かな。夜中に急に帰ってきたから最近の行動も含めてとっちめようと思ったんだけど、翔太しょうたの顔から血の気が引いて真っ青になってたの。いくら理由を聞いても何も言ってくれないし、帰ってくる返事はごめんだけ。もう訳が分からないわ」


 翔太というのは息子さんの名前だろう。おばちゃんは努めて冷静に振舞おうとしているが、手元が小刻みに震えていた。よほど心配なのが伝わってくる。


 ごめんと謝りながら顔を真っ青にして帰ってきた息子の姿を見て心配しない親はいない。親なら誰だって自分の子供は大切で守るべき存在であるはずだ。それを蔑ろに出来るなら、出来てしまうのなら親でいる資格はない。


 子どもが目の前で死んでいく姿は見ない方が良い。その死に際は大人の死に際よりも重い。大人より命に溢れている子どもは死ぬときの散り具合はもうやめてくれと叫んでしまうほど激しい。出来ることならもう二度と見たくない。


 俺もまだ子どもと呼ばれる年齢かもしれないが、それでも経験するべきではないことも経験している。おばちゃんにはそれを経験してほしくないと思った。


 まだ翔太が加害者なのか被害者なのかは分からない。だが、それでもこうして目の前には心配してくれている親がいる。俺たちの事情を抜きにしても一人の男として話をしたい。


 自分の柄では無いのは自分でも分かっている。こういうのは俺の役割じゃない。それこそヒーローの役割だ。モブである俺の出番はない。


 ――でも、やってみるよ。偶には馬鹿になってみるのも良い。後から思い出して赤面してしまうだろうが、それでもあの辛さを誰かに味わわせるのに比べたら俺が恥ずかしいの何て些細な問題だ。


「翔太君と話してきても良いですか? 急に来て何だお前と思うかも知れないですが、少し任せて欲しいです」

「急にかしこまって何さ。別に構わないよ。君になら任せられると思ったから家に招き入れたんだの。ごめんね。先に私が言うべきだったわ。今更だけど――翔太をお願いね」

「任されました。……昼間は冷たくしてすいませんでした」

「気にしてたの? 別に気にしなくて良かったのに。……やっぱり君は優しいね」

「優しくなんて無いですよ」


 優しいなら昼間の時点で手助けをしていたはずだ。優しいなんて柔らかい言葉は俺には似合わない。利己的とかの鋭利な言葉の方が俺には似合っている。


「翔太君の部屋は?」

「玄関近くの階段を上がってすぐ右手の部屋。でも、外から開けられないようになってるからね」

「了解。なんとかします」


 椅子から立ち上がり、翔太の部屋に向かうことにする。立ち上がった俺を追いかけるかのように小倉も立ち上がるが、それに待ったをかける。


「天音は此処で待ってろ」

「どうして? 私も話を聞きたいんだけど」

「男同士でしか話せないこともあるんだ。理解できないかもしれないが、納得してくれ」

「……関係ある情報は後で絶対に話してよ?」

「勿論」

「なら待っててあげる。ご飯の借りもあるし、此処は従ってあげるわ」

「すまんな」


 全く理解できないという顔だったが、渋々といった様子で小倉は納得してくれた。リビングに小倉とおばちゃんだけが残るが、女三人寄れば姦しいとは言うが、二人ならちょうど良いはずだ。女々しくはならないはず。


 玄関近くの階段を上がり、翔太の部屋の前に立つ。ドア付近に立つと微かに嗚咽が微かに聞こえる。関わろうと決めた気持ちにブレーキが掛かり始めるが、まだ気持ちが止まる様子はない。止まってしまう前に行ってしまえ。


 軽く右手でドアをノックする。ドアは音を立てて来客を内側の住人に知らせる。


「起きてんだろ。少し話をしないか」

「……お前。誰だ?」

「君の母さんの知り合いだ。もしかすると君の力になれるかもしれないと思ってお邪魔してる」

「なれるわけない。勝手に決めるな。帰ってくれ」


 しゃくりの混ざった涙声がドアの向こうから聞こえる。何とか平静を保とうとする努力がその声から伺える。まだ泣いているのか。


「否定の三拍子かい。こりゃあ骨が折れそうだ」

「骨なんて折らなくていい。頼むから帰ってくれ。誰も俺の力になんてなれないんだ。だから」


 その続きの言葉はドアに遮られ、俺の耳にまで届かなかった。帰れと言われて帰るならわざわざ会いには来ない。俺が此処で折れるはずがない。そんなわけがない。


「なら、一旦俺の話を聞け。相槌も返事もいらないから。ただ、聞け。」

「……」


 返事はない。わかったという合図かそれとも何も聞かないという抵抗かは分からない。だから話す。


「君がなんで泣いてるのかは知らんし、俺はそれをみっともないとは思わない。けどさ、泣くんだったら、人前で泣け。一人では泣くな。それは……ただ自分しか救われない。ただのお前のエゴだ」

「……余所から来て勝手なこと言うんじゃねぇよ!! 何も知らないお前に何が分かる!!」


 理不尽なセリフ。そして、誰もが言ってしまうセリフ。幸いなことにそのセリフに対する答えを俺は持っている。


「たとえ君の事情を知ったとしてもきっと俺は同じことを言う。だから、もう一度言ってやる。何を抱えているのかも、何が君を泣かせているのかも知らん。だが、泣くなら人前で泣け!! 一人で泣いたって何もない。ただ自分を苦しめて満足するだけだ!! そんなもん誰も救われない。だったら恥も外聞も全部放り投げて泣いてしまえ!!」

「……みっともなく泣いたって何にもならないだろ。だったら一人で泣いても人前で泣いても同じことだ」

「違う。人前で泣くことは自分の弱さを曝け出すことだ。一人で泣くことが自分にとって気持ち悪くて心地良いからそれに酔っていたくなるのも分かる。でも、それはただ弱さを見つめているだけだ。だったら弱さを受け入れるためにも人前でみっともなく無様に泣こうぜ」


 みっともなく無様に人前で泣けたらそれは自分の弱さを受け入れることが出来る証拠だ。受け入れた結果歩き出せた人間を俺は知っている。


 一人で泣いたままでは立つことも先を見ることもできない。でも、周りに人がいれば立ち上がるまで支えてくれる、先が見えるまで一緒にいてくれる。だから人は声をあげて泣くのだ。一人で泣くためなら涙さえ流れれば良いのだから声を出す必要はない。でも人は泣くと声を必ずあげる。泣くことと声をあげることはイコールで結びついている。だから人が泣くと周りの皆は支えてくれるのだ。


「俺は……俺には――まだ、無理だ」

「まっ、そうだろうな。出来るわけが無い」

「じゃあ……何で……」


 言ったのか。そう思うだろう。此処までは本当に人として強い奴ならすぐに出来る行為だ。だが、俺のような人として弱い人間にこれはハードルが高すぎる。急に自分の弱さを曝け出せと言われても無理に決まっている。


「急に人前で泣くのは無理だ。それは俺も知ってる。だけど、今の俺がドアの向こうにいる状態ならどうだ? 部屋には君ひとりだけ。そして、ドアの向こうには俺がいる。これなら人前ではないだろ?」

「……それは屁理屈じゃないか?」

「やっぱり?」


 途中から自分で言ってても苦しいなとは思っていたが、やはりそうか。俺はヒーローではなくモブだ。それを忘れていた。もし俺がヒーローだったら一切の矛盾なく相手を納得させて笑顔にすることが出来ていたはずだ。モブである俺は上手く話をすることも出来ず、笑顔にすることも出来なかった。俺らしくて嫌になる。


「悪い。君を上手く納得させられなかった。ただの耳汚しだったな」


 今の俺の話ではきっと翔太は何一つ納得しない。理解もしてくれないだろう。ダメだったか……。小倉に何て言おう。ドアに背を向けて階段を降りようとするとドアノブからカチャリと鍵が開く音がした。そして、ドアが開く音と共にドア越しではない肉声が聞こえてきた。


「アンタの前で泣くのは止めておく。気恥ずかしいけど、母さんの前で泣くことにするよ」

「そっか。良いんじゃないか」


 背中を翔太に向けたまま、会話を続ける。ドアが開いたからといって急に振り向くのはダサい。男には男なりのプライドがあるのだ。翔太から誘われるまでは立ち止まっておく。


 翔太は俺を追い抜き、俺の目の前に立った。翔太の目は真っ赤に張れ上がっており、頬には涙の痕がついている。だが、その目は悲壮に満ちていなかった。少しざらつき、かすれた声を出しながら


「俺の助けになってくれるんだろ? 話聞いてくれよ」

「喜んで」


 翔太は俺を部屋に招待してくれた。その招待の間髪入れずに答える。


 何が翔太を納得させたのかは不明だが、招待してくれるならそれに乗る以外の選択肢は俺には無かった。

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