1-12 A staring into the past

 俺が探しているって……、まさか


「お前が小倉か!?」

「名字で呼ぶな。名前で呼んで」

「……えぇ……」


 帰ろうとした矢先、俺が探している女は突然俺の目の前に表れた。本当に人生は思い通りにいかない。無意識の内に顔がピクリと痙攣してしまった。どうやら今日はまだ帰れそうにないらしい。思わず項垂れてしまった地面には霧が漂っている。霧は段々と濃くなっていっていき、俺と小倉から町の光を遮断していった。


「場所変えない?」


 小倉はそう言って何処からかヘルメットを取り出し、着用した。急にヘルメットを被る意味が理解できず、思考が停止してしまう。そんな思考でかろうじて出せた声は我ながら情けない一言だった。


「へ?」

「何してるの? 早く」


 小倉は俺のバイクに跨り、ぺしぺしと俺のバイクのサドルを叩いている。俺に運転しろって言ってるのか?勝手にバイクに乗られたのも腹が立つが、当然のように俺が運転するものだと思われているのも腹が立つ。しかし、此処で感情を全て吐露してしまうと、まず良い印象は持たれない。だから、今は我慢。全て腹の中に無理矢理しまい込む。


「……色々と言いたいことはあるが、今は黙って言う事を聞いてやる。場所を変えるのは良いが、何処かアテはあるのか?」

「うーん。この時間ならカラオケなんてどう?」

「それは良いが……良いのか?」

「何が?」

「密室で知らない男と二人きりになるんだぞ。警戒心はないのかよ」

「あるよ。あるけど、君は別にそんな勇気ないでしょ」

「それは褒めてるって事か?」

「状況によるね」


 これ以上続けると白旗を揚げてしまいそうになるから口を閉じる。何だって初対面の奴にこんなことを言われないといけないんだ。


「バイクに二人乗りしたことは?」

「ある」

「ならちゃんと守れよ」


 返事の代わりに腰にしっかりと小倉は抱き着いてきた。なら説明する必要はないな。


 しっかりと抱き着いていることを確認してバイクをカラオケまで走らせる。……残念なことに柔らかい感触でも楽しめるかなという俺の邪な気持ちは人間の感触とは思えない驚くほど固い感触に阻まれたと言っておこう。


 霧は前方を見渡せないほど濃くなってきた。ライトを付けてもその光は先まで通すことなくあらぬ方向へ乱反射してしまっている。対向車のライトも付けてはいるんだろうが、かろうじて車が走っているという事だけしか分からない。俺と対向車の距離はどのくらいあるのかが分からないから車道の左寄りを走っているものの、運転中はずっと恐怖心が付き纏っていた。だからこそ、目的地のカラオケが見えた時の安心感は半端じゃなかった。


 惰力でカラオケの駐車場内に入っていく。その力のままバイクを駐車させる。完全に停止すると先程まで前進に伝わっていた振動は収まり、バイクはただの金属の集合体に戻った。


「着いたぞ」

「ありがとね。よっと」


 小倉はバイクから降り、ヘルメットを外す。ヘルメット内に収まっていた長い黒髪が露わになり、目を奪われる。黒髪は素人目に見ても毎日手入れしてるんだなぁと思うくらいには艶が表れており、一切の枝毛は見えない。


 惜しいのは黒髪はロングのままであり、結んだりはしていない。これがポニーテールだったらなぁと思ってしまうがこれはあくまで俺の趣味。そのままでも十二分に綺麗だった。


「何?」

「……何でも」


 俺の視線に気が付いたのか小倉はジロリとこちらを見てきたが、その視線に屈して馬鹿正直に話すほど俺の気は弱くない。その視線を知らんふりをして小倉から目線を外す。バイクに鍵をかけ、動かないかロックは掛かっているかを確認し、小倉にもう一度視線を戻した。


「で? カラオケに来たのはいいけど、どうやって身分証明突破する?この時間なら学生証なんて見せたら一発で拒否られて入れないぞ」

「それは馬鹿正直に見せたらでしょ?」

「じゃあ何か方法でもあるのか?」

「あるからわざわざカラオケを指名したの。考えなしで来るわけないでしょ。全く!! ほらとりあえず中に入ろう?」

「まぁ、そういうなら……」


 とりあえず小倉についていく。しかし……見知らぬ女とカラオケに来ることになるとは。一体どうなったらこんなことになるのか。自分でもよく分からない。


 店内に入っていくと店員は受付であくびを堪えながら待機していた。小倉がズカズカと受付にまで歩いていくと、それに気が付いた店員の顔は先程までの眠たげな顔を微塵も感じさせない接客用の顔に切り替わった。そうして両者が何度か短い対話をしたと思ったら店員は小倉に部屋番号が印字されたレシートとマイクカバーが入った小さな竹籠を渡していた。


「どうぞごゆっくり」


 それだけ言うと店員はまた顔を眠たげな顔に戻し、俺たちから興味を失くしていた。


「お前何したんだ?」

「ただ魔法の言葉を唱えただけ。えっと八番は……これか」


 印字された紙を見て小倉は部屋の中へ入っていった。それに俺もついていく。部屋の中は別に特別な部屋という訳でもなく、普通のカラオケ部屋だった。


 壁際に設置された綿が少し出ているソファに座ると小倉は俺の反対側の壁に設置されているソファに座った。俺と小倉を隔てているのは中央に置かれた長方形のテーブルだけ。


 本来なら此処で一曲歌ってやりたいが、今はそんな場合ではない。カラオケに来て歌わないのは勿体ないが、それは次の機会に取っておこう。今はまずするべきことをしよう。


「まずはお前さんが小倉 天音なのか?」

「今更確認するの?」

「実はっていうパターンが一番嫌だからな」

「大丈夫。私が君の探している小倉 天音だよ。名字では呼ばれたくないから名前で呼んで。和島君」

「……初対面だよな?」

「そうだよ」

「何でお前まで俺の名前を知ってるんだ……」


 本日二度目の全く知らない奴から名前を呼ばれる恐怖。なんだってこんな恐怖を日に二度も味わわなきゃいけないんだ。軽く恐怖に泡立った背中を感じながら話を続ける。


「それにしても……どうして急に俺の前に? 俺にとっては見つかる手間が省けて助かったけどさ」

「君の目的が何かは知らないけど、私は君に用があったからね。それで君が来るのを待ってた」

「……俺の目的から話しても? わざわざ場所を移すくらいだ。お前のは後で聞いた方が良い気がする」

「それが良いかもね。私のは長くなるし」

「じゃあ俺から。俺の目的はお前を校長に引き渡すことだ。お前が一体何をしでかしたのかは知らんが、大分お冠だったぞ。それに、俺の個人的な深ーい事情もある。大人しくついてきてくれたらありがたいんだけど」

「そうすると思う?」

「だよねー」


 なんとなく分かっていたが、大人しくついてくるような女ではないことは予想がついていた。しかし、此処で諦めるわけにもいかない。平和的な方法で断られたら残りの手段は乱暴な手段しか残っていない。あんまり取りたくない手段だが、今、目の前に目的の人物がいるのだ。それをみすみす逃して留年決定なんて笑い話にもならない。


「じゃあ仕方な」

「ちょっと待った。それは今は無理って話なだけ。ちゃんと私の目的が終わったら別に校長の所まで行っても良いよ」

「お前の? まぁ、平和に済むならそれに越したことはないか」


 決まりかけた覚悟を紐解き、浮いた腰を元に戻してもう一度視線を小倉に合わせる。


「君の目的はそれだけ?」

「だけだな」

「ふーん……。変なの」

「?」

「じゃあ私の番ね。私の目的は仮面の連中を潰すこと」

「あいつらを?」

「そう。どんな手を使ってでもあいつらは私が絶対に潰す」


 小倉の瞳には燃え盛るような復讐が滾っていた。その瞳をしている奴は何度か見たことがあるが、その炎は自己の復讐のための炎だった。小倉の瞳には燃やすべきではない薪とその薪すら燃やしかねない危ない炎が併存していた。


「それと俺がどう関係してくる? 別に俺はあいつらから何かされたわけじゃ……いや、少しされたけど、それでもそれだけだ。サングラス野郎は一発ぶん殴りたいけどな」

「関係してくるよ。というか、事の発端は君のせいだよ」

「俺の?」

「君が去年色々としでかしたせいで今回の事件は起きたの。君が大人しくなったことで町の権力は泥沼化。KとSエリアは何とか権力図を維持しようと頑張ってるけど、まだ去年のダメージが抜けてないみたいね。人員が足りないせいで君が壊滅させた今は空っぽのRエリアにご新規さんが入ってきちゃった」

「そのご新規さんが仮面の奴らだと?」

「その通り。奴らの活動が始まったのは半年ほど前から。活動が始まったとはいうけど、それまでは家に居場所がない学生たちの集団だったみたい。活発的になり始めたのは一か月くらい前から。どうして急に活動的になったのかまでは分からないけど、一つ分かっているのはサングラスをかけたコスプレ野郎が関わってるという事だけ」

「随分詳しいな」

「それくらいは調べるに決まってるでしょ」


 しかし、そんな背景があったのか。もしかして、Sエリアに店を構えていたママさんがRエリアに店を移したのもそんな理由があったからか?だとすると、本当に申し訳ないことをしたな。


「大体は理解した。それで? お前は俺に何をさせたいんだ?」

「今回の事件は君が起こしたのも同然。だから、奴らを壊滅させるのを手伝って」

「断る」

「……断るのが随分早いね?」

「悪いな。俺が発端だっていうのは理解した。でも、だからこそ出来ない」

「何でなの? 君のせいなんだよ!! だったら君が責任をとって解決しなさいよ!!」


 小倉は俺のことを理解できないという顔で叫んでくる。確かに普通に考えれば俺の言動はおかしい。俺が引き起こしたのならばそれを解決するのも俺の責任だ。放り投げるのは無責任というものだ。だが、


「もうそういうことはしないと、二度としないと心に決めたんだ。俺にそんな力はない。申し訳ないが、お前の期待には答えれらない」


 思い出すのは託された言葉。俺の夢を消し去った願い。きっとその時から俺は呪われたんだろう。夢は幻に、霧に消えてしまった。あの時から俺の霧は晴れることを知らない。ずっと霧に迷い続けている。そして、その霧は俺にとって心地良い。


「ふざけないで!! じゃあ去年君が引き起こした抗争は一体何だったの? その抗争を引き起こしたのだって君じゃない!!」

「あれは……色々と事情が重なった結果起きたんだ。あの抗争だって俺は止めたかったんだ。止めたかったけど、何も出来なかったんだよ……」

「だったらなおさら!!」

「だから出来ないんだ。俺にはもう他人を背負うだけの勇気はない。人の命が失われていくのが怖い。もう人の死は見たくない……」


 目の前で人が次々に尊厳も無しに死んでいき、守ると誓ったはずの命が手から零れ落ちていく。手を触れ合えていた暖かさが恐ろしい速度で止めようがないほど冷たくなってしまう。俺が守りたかったのはこの町じゃない。たった一人の人間だ。


「いい加減にして!!」


 過去に沈んでいる俺に小倉は俺に徐々に近づいていき、俺の腕と比べて随分と細い腕で俺の胸倉を掴み、俺を無理矢理に立たせた。


「私は君のせいで父親を失った」

「……」

「君があの抗争で何を見て何を思ったのかは知らない。でも、父が死んだ原因を作った君には私を手伝う義務がある。その義務だけは果たしなさい。……この事件には私の親友が巻き込まれている。もう誰も身近な人を失いたくない。あの子ともう一度一緒に笑いあいたいの。だから……」


『助けて』


 ――俺の耳に言葉が二重に響く。あの時も聞いた救いを求める言葉。そして、それに一瞬の逡巡も無く答えた俺の手。あの時は考えることもせず、ただ助けたいという一心で手を伸ばしてしまった。


 じゃあ今は?助けを求められているのに手を伸ばさないのか?あの時とは違う。考えるべきこと、受け止めなければいけないことが山ほどある。もう掴まないと決めた手。もう届かないと決めつけてしまった手。でも、伸ばせばまだ届く手。


 原因は全て俺にあって、死に追いやってしまった責任が俺にはある。そんな俺にはもう誰かを助ける資格なんて無くて、死に対する責任を背負い続けなければならないと思っていた。でも、それはただ逃げているだけだったのかもしれない。


 ただ受け止めているだけの停止。前進でも後退でもない。何もなさないただの現実逃避。俺はそれに酔っていただけだ。後悔も苦悩も行動を起こしてから初めてついてくる。今の俺は行動も起こさずにその先にある後悔と苦悩を恐れてしまっている。手を伸ばさないのは簡単だ。他人を背負う必要も無いし、死に向き合う必要も無い。


 だが、それをしてしまえば、あの時霞に手を伸ばしたことは間違いだったと言っているのと同じだ。それだけは違う。後悔はある。だが、決して間違いではなかった。その証拠に手を伸ばした先には霞の笑顔があった。その笑顔だけは絶対に間違いじゃない。間違いにしてはいけない。


 心にはまだもう何もするなと叫んでいる俺がいる。そしてその手には死骸が抱えられている。それでも、その向かいには俺と一緒に笑ってくれた霞の姿がある。あの時、確かに俺の手からは命がこぼれてしまった。でも、手を伸ばしたからこそ霞と一緒に笑いあえた。


『雄介は優しすぎる。全部は背負わなくていいんだよ。私の願いは持っていかないで……意思だけ持っていって。雄介のその先を私も見てみたい。だから――』


 霞が死に際にくれた言葉が今になってほんの少しだけ理解できた気がする。ほんの少し理解するだけでも一年かかってしまった。随分な遠回りだ。自分の理解力の無さに嫌気がさす。


 それでも手を伸ばしたい。そう思えてきた。けど、まだ俺にはほんの少しだけ勇気が足りない。あとほんの僅かな勇気だ。そしてその勇気はこの質問の答えで埋められる気がした。


「失敗して今まで積み上げてきたものが崩れてしまったらお前はどうする? そいつはもう何もするべきじゃないと思わないか?」


 俺の抽象的すぎて何を聞きたいのかも分からない質問に対して小倉は躊躇いも無くそんなの決まっていると言わんばかりに即答した。


「何でさ。もう一度組み上げれば良いだけでしょ」

「……そっか」


 驚くほど簡単で単純。その答えがほんの少し欠けた俺の勇気を埋めてくれた。

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