1-9 Relationships that can't be abandoned
全身を黒と緑で統一したオートバイクは空気を震わせながら排気音を高鳴らせている。久しぶりに乗る愛車は約一年放置していたのにも関わらず、前の快適な乗り心地のまま俺を歓迎してくれた。
一年放置していたのだ。動かすには整備が必要だと思っていたが、ありがたいことに用務員さんがバイクから光沢が見えるんじゃないかというくらいに隅から隅まで整備をしてくれていた。
しかし、バイクを整備するには結構金がかかる。俺のバイクは没収されてはいたが、法律上の所有権は俺にある。だから、バイクの整備をするのは俺の義務だ。それなのに、用務員さんは整備にかかった費用を俺に請求することも無く、ほらという一言で俺にバイクを渡してくれた。慌てて財布を取り出して、費用台を出そうとしたら用務員さんは俺の手を優しく押さえ
『要らない。仕事だったら貰ったがね。君のバイクを見て年甲斐もなく少々心が踊ってしまった。老人のした余計なお節介だと思ってくれ』
それだけ言って退勤していった。
なんとお礼を言って良いのか分からない。口頭でもお礼は言ったが全然足りている気はしない。この一件が終わったら食事券でもプレゼントしよう。それも受け取らないと言われそうだが、その時はその時で無理矢理にでも受け取らせよう。じゃないと俺の気が申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
夕焼けに変わっていく町に白い線を残しながらバイクは道路を駆け抜けていく。高校周辺の住宅街の風景から段々と居酒屋やカラオケ等の繁華街、Sエリアの姿が見えてきた。この風景に変わっていくという事は徐々に末広町に近づいてるという事だ。末広町が近づいている。たったこれだけの事実にハンドルを握る手に力が入る。
「まさかこんな形でまた来るとはなぁ」
こんなことにならなければ二度と近づかなかっただろう。そんな確信があるくらいに末広町には来たくなかった。此処にはいい思い出なんか一つもない。あるのは捨てられない残骸となった過去だけ。せめて一つだけでも残骸ではなく、想い出があったらこうはなっていなかっただろう。
「ッチ……」
余計な思考が運転を邪魔してきたため、バイクを路肩に寄せ、停車させる。エンジンはさっきまでの勇ましい唸り声が嘘だったかのように鳴りを潜め、一定の振動を俺の全身に届ける。
一度気持ちを落ち着かせよう。余計な思考は事故を招くだけだ。
一年ぶりに訪れる末広町は良くも悪くも変わっていなかった。変わっていれば少しでも気は楽になったが、たった一年では何も変わらないようだ。気が重くなる反面、変わっていないという事は知っている顔ぶれに会えるかもしれない。その点だけは救われる。
しかし、見た目は変わっていなくても内情はガラリと変わっている可能性もある。むやみやたらに探すよりもある程度情報を仕入れれば動きやすくなる。情報も無しに動いて、その結果誰かのテリトリーに無許可で侵入、追いかけまわされるなんて事は避けたい。今回は制限時間もある。一週間という字面だけで見れば時間に余裕があるような気がするが、まだ高校生の俺がこうして動けるのは放課後だけ。寝ずに一週間動くのは出来るだけしたくない。一度経験したからこそ分かる徹夜のキツさ。人が徹夜しても良いのは二日だけ。それ以上はただ寿命と精神をすり減らすだけだ。もし進展が無ければ徹夜もやむなしだが、出来るなら避けたい。動きの見通しをするためにも情報を集めるのが最優先だ。
「となると」
この町で一番情報が集まる場所には心当たりがある。まずはそこに行こう。そこならバイクも置けるし、夕飯にもありつけるかもしれない。なにより、知り合いというのが一番大きい。俺相手に嘘はつかないだろうし、情報も確かなものがほとんど。今もまだ店を開けているのかは分からないが、その時はその時だ。行ってみるだけの価値はある。
「元気だと良いな」
鎮まりを取り戻したエンジンにもう一度喝を入れて、目的地に向かった。目的地といってもバイクなら五分で着く。体に余計な力が入らぬように、力を抜き必要最低限度の力でハンドルを操作、スピードを調整する。久しぶりのバイクでかっとばしたくはなるが、それはまた今度の機会に取っておく。
バイクを走らせると馴染みのある看板が見えて来た。看板は今日日あまり見ないネオン管を使った看板で、周囲の看板と比べてひときわ目立っている。看板には
『スナック 霧灯』
と古ぼけた妖しい光が雑音めいた音を出しながら発光していた。その光は俺を少し落ち着かせてくれる。人が変わり、建物が変わり、俺が変わってもこの光だけは変わらずに輝き存在し続けてくれる。
店の看板が光っているという事は営業しているという事だ。なら入る以外に選択肢はない。バイクを店の駐車場に止め二重にロックを掛ける。バイクから降りるとすぐに縦の重力が全身を襲ってきた…ような気がした。少し重くなった気がする足で店の入り口まで歩いていく。店の入り口は通常の住宅のような玄関で、ドアノブを捻れば入れるようになっている。
「フゥ」
此処に来るのは久しぶりだ。入るのにも覚悟がいる。覚悟を決めるため、一度深呼吸をして心を鎮める。心の中で静かに波打つ海を想像した。すると、脳裏に穏やかに凪る海が浮かび上がり、俺の気持ちとともに波は落ち着きを取り戻していった。
「よし!」
覚悟を決め、ドアノブを開き店に入っていく。入り口が開かれるのと同時に来店を知らせるベルが心地よい音を奏でて俺を迎えた。
「いらっしゃ……。うーん。お店を間違えちゃったかな?此処は子どもが来るお店じゃないよ」
その店員は俺の制服を指さしながら来店を拒否すると遠回しに伝えてきた。店のカウンターで作り物の笑顔で俺を迎えた店員は俺が初めて見る店員だった。一応不安になったため、首を少し動かし、店内を見ると時代を二つ乗り越えてきたかのような古ぼけたポスターや有名人のサインが書かれた色紙がそこらにある。これらが変わっていないという事は店主も変わっていないという事だ。ということはこの店員は俺がいない間に新規で雇われたスタッフか。何だ焦ったぁ。脅かすなよ。
「すいませんね。俺は客じゃないんだ。……ママさんいる? 少し話がしたいんだけど」
「ちょっと待った。君はママとどんな関係? 客じゃないならママにどんな用?」
不審者を見るような目で店員は俺を見つめてきた。右手は俺に気が付かれないようにか、意識しなければ気が付けないゆっくりとしたスピードで電話に向かっていた。もう通報の準備かよ。どんだけ治安悪くなってるんだ。
「待て待て、その手は一旦止めろ。警察なんて洒落にならん。ママさんとは昔馴染みなんだ」
それを聞いて店員は顔に驚きの表情を浮かべ、俺の言うとおりに右手を元の位置に戻した。ようし、それでいい。そのままで。
「昔馴染み? そんな話聞いたこと無いけど。年齢は?」
「一八」
「痛いコスプレ野郎じゃないのね」
「どういう意味だそりゃ……。きちんとした高校生です。学生証でも見ますか?」
「見ない。そこから動かないでね。名前は? 一応ママに確認を取ってあげる」
「和島 雄介。あんたがママさんに俺の確認を取るならきっとこの一言で通じるぞ。『スパカツない?』」
「スパカツ? 急に何を言ってるの?」
「まあまあ、伝えてみてよ」
怪訝そうな顔で大人しくスマホを使って店員は連絡を取り出した。店員は俺が言ったことをそのまま伝えると一言二言を交わしてから驚いた表情で電話を切った。
「今から来るって。そこに座って待ってて」
「それはどうも。ついでに聞いちゃうけど今日ってママさんは休みの日だった? だとしたら申し訳ないことをしたなと若干反省しようと思うんだけど」
俺の記憶にあるママさんは客と話すのが好きな人だ。いや、きっとこの表現も正しくない。客と話すことに病的な程に取りつかれている人と表現した方が合っているかもしれない。客と話すことが生きがいでそれ以外の時間は息が詰まるほど退屈。だから、休みはママさんにとっては味方ではなく、敵。そんな人だ。だから此処にいないことに結構衝撃を感じている。此処にいないという事は休みでもとったということなんだろうが、到底信じられなかった。
「客じゃないのにズカズカ来るね……。他のお客さんもいるからこれに答えたら戻っても良い?」
「うん」
「質問の答えだけど、違うよ。今日は普通に出勤日。店が違うけどね」
「店が違う?」
「はい、終わり。もう聞かないでよ? じゃあそこにでも座って待ってて」
そして店員は他の客の所に戻ってしまった。疑問が解消されるかと思ったら全く。むしろ増えてしまった。此処以外に店でも構えだしたのか? しかし、そんなに儲かっているようには見えなかった。
「どういうことだ?」
頭に謎を浮かべ、考えていると店員が俺の手元に角ばった氷が入ったお冷をカウンターを利用して滑らせてきた。お冷は俺の手元に徐々に近づいてき、滑ってくるお冷を見て構えた俺の右手にすぽりとはまった。店員を見るとドヤ顔でこちらを見ていた。
「……お見事」
何故か負けた気がするから聞こえないような声で褒めておく。面と向かって褒めるのは腹が立つ。お冷を持つとカランと氷とグラスがぶつかり音を立てる。そのまま右手で円を描くようにしてお冷で遊ぶ。酒が入っているわけではないが、この仕草をするだけで自分が大人になったような錯覚を感じる。
コップの中で渦が出来るほど遊んでいると、入り口に設置されている鈴から来店を知らせる音が店に甲高く響いた。
「いらっしゃい……ってママ。早くない?」
「お疲れ様、美紅。早くもなるさ。一年ぶりにやっと大馬鹿者が顔を出したんだからねぇ? 雄介?」
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