1-6 Wrath of heaven

「さて」


 血脇が覚悟を決めたかのように足を止めて口を開いた。たかだか数分の事でも此処までが異様に長かった気がする。周囲には人払いがかけられたかのように俺たち以外の人の姿は無い。騒がしい雰囲気に包まれていた学校はこの部屋だけが切り取られたのかと錯覚するほどに静寂に包まれている。


 目の前には厳かな文字で『校長室』とかかれたプレートがドアの前にかかっている。どうやら俺を呼び出したのは校長のようだ。


「和島、大丈夫か?」

「大丈夫……ではないけど、まぁ大丈夫だと思います。まさか、校長先生だとは思いもしませんでしたけどね」

「なら入るぞ」


 血脇は三度ドアをノックし、胸を少しだけ膨らませて声を出した。


「千脇です。入ってもよろしいでしょうか?」

「どうぞ、お入りください」

「失礼します」


 ドアを開け、血脇は室内に少しだけ入ると一礼して校長が座っている机まで歩いていった。それに遅れないように俺も血脇の後をついていき、血脇の一歩後ろで待機する。


 校長室の中は校長用の机と椅子。そして、来客者用の茶色のソファとテーブルが二つずつ置かれている。このソファには座りたくないなぁ。そんなことを思っていると、白髪に侵食された校長は血脇の方を見てゆっくりと優し気な口調で話し始めた。


「血脇君ありがとう。私が本来なら和島君を連れてくるべきだったんだけど、何せこれでも校長だ。その校長がわざわざ生徒一人を連れて行ったなんて根も葉もない噂が広まりかねない。それを考えて君に頼んだのだけれど、君に頼んで正解だったよ」

「ありがとうございます。それで、この後はどうしますか?」

「君にはもう一つ頼んだことをしてもらいたい。良いかな?」

「……本当にするんですか?」

「勿論。それ以外に方法は無い」

「しかし、やはり私は反対です。これは私たちだけで解決すべき問題です」

「確かに道理を考えたらそうなります。けど、この問題はもう私たちでは解決できない。現に今も被害は止まることを知りません。なら道理を考えてる時間はもうありません。それを貴方はもう理解しているものと思っていましたが?」

「ですが……」

「――血脇君、これ以上何か仰るのであれば覚悟してから仰ってくださいね」


 にこりと人当たりの良さそうな笑顔で校長は血脇に微笑みかけた。その笑みは傍から見ている俺には優しくて、恐ろしいほどの冷たさを含んだ笑みに見えた。


「……分かりました。では失礼します」


 それだけ言うと血脇は校長室から退出してしまった。退出する際の血脇の顔はほんのり赤く色づいており、その顔が何故か悔しそうに見えた。ガチャリとドアが閉まる音が背後から聞こえたと思うと同時に校長は話し始めた。


「ごめんね。呼び出したのは私なのに君を放置してしまったね。しかし、血脇先生は一人の大人として一人前なんだけど、教師としてはどうも半人前も良い所だ」

「……あんま俺の前でそういう話はちょっと……」

「あれ。てっきり君はそういうのに慣れてるものだと思っていたけれど?」

「慣れてはいますが、そういうのは出来ることならあまり聞きたくないもんなんです」

「そっかじゃあこの話は此処で止めておこう。それじゃあ立ち話も何だし、そこに座って話でもしようか」

「立ったままではダメですか?」

「別に構わないけれど、足が耐えられるか分からないよ?」

「……お言葉に甘えて失礼します」

「どうぞ」


 ほとんど脅迫だった言葉に従ってソファに腰をかける。腹が立つことにソファはしっかりと居心地が良く、早く帰りたいと思っていたのにほんの一瞬だけもう少しいても良いかもと思ってしまった自分が恥ずかしい。


 そんな俺を余所に校長は机の引き出しを漁りながらこちらに聞いてきた。


「紅茶にコーヒー、ココアもあるけど、何か飲むかい?」

「カフェオレってあります?」

「あるよ」

「じゃあそれでお願いします」


 あぁ、早く帰れるかなと僅かばかりの希望を抱いていたが、そうはいかないようだ。飲み物を出されてしまったら長話に付き合うしかない。何で俺は校長室に呼び出されたんだ?


「砂糖は入れるかい?」

「いや、無しでお願いします」

「おぉ、大人だねぇ」


 一瞬眉がピクリと動くが顔には出さないように努める。そうしている間に校長は二つのコーヒーカップにお湯を注いでおり、部屋中にコーヒーの匂いがふんわりと広がる。そして、校長はコーヒーフレッシュを片方のコップに注いで俺が座っているソファまで持ってきて俺に手渡した。


「はい。熱いから気を付けて飲んでね」

「どうも、いただきます」


 コーヒーカップは俺の手にじんわりと温かさを伝えいて、持っている手だけでなく体も温かくなってくる気がする。一応礼儀として、一口飲む。コーヒーの味は普通。苦みだけが強調され、喉を通ると舌に酸味を残している。この味は大方インスタントコーヒーだ。最近インスタントは飲んでいなかったからすごく久しぶりの味がした。


 懐かしさに後を惹かれつつ、カップをテーブルに置いた。校長は丁寧にもソーサーも準備してくれ、置き場所に迷うことなくコップを置くことが出来た。


 コップを置くと校長も同時にカップを置き、俺を一瞥してすぐに自分のカップに目線を戻した。その視線が品定めをされているかのようで少し気分が害される。バレていないと思っているのか、それともわざとしているのかは知らないが、そんなことをされるならジックリと見つめられた方がマシだった。校長はカップに目線を向けたまま話し始めた。


「君が此処に来るのはこれで何回になるのかな?」

「確か五回目だった気がします」

「五回か……。一般の生徒なら多い部類だね」

「俺も五回も此処に来るとは思いませんでした」

「最近は大人しくしているようだね。学校としてはそれは有難いんだけど、それはそれで警戒しないといけないんだ」

「何もしてないのにですか?」

「そう。何もしてないから警戒をせざるを得ない。君は散々事件を起こしたり、巻き込んだりと一言で言えばトラブルメーカーだったんだ。そのトラブルメーカーが急に大人しくなって何も問題を起こさなくなったら誰だって何があったんだって身構えるに決まってるじゃないか」

「……要するに俺は信用されていないって話ですか?」

「そういうことです。君は色々と前科があるからね。理科室を爆破したり、学校の水道管を破裂させたりと挙げればきりがない。これだけでも充分問題なのに、君はこれらとは比較にもならない問題を引き起こしている。君には悪い信用しかないよ」

「それは……色々とすいませんでした」

「今更過去の事を蒸し返すのもアレだけど、君には本当に苦労させられる」

「……」

「少し話が逸れてしまったね。今日君を呼び出したのは他でもない。君に伝えなければならないことがあるんだ」

「俺に?」


 それを聞いて背中に湿り気のある汗が出てきた。わざわざ校長室に呼び出して、二人きりになったのだ。良い話ではないことは確定だ。背中だけでなく手汗も段々と酷くなってきた。


「そう君に。とても大事な話さ」

「お叱りとかじゃないんですか?」

「そう思ってたのかい?」

「それ以外に呼び出される理由は無いと思って」

「さっきも言った通り、最近の君は大人しいくらいに静かだ。警戒はするけれど、静かにしてくれるのはとても有難い。叱ることなんて無いよ」

「それじゃあ一体……?」

「驚かないでね。……君の留年が決定しました」

「は?」

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