1-5 Our relationship is not a good at all

 二時間後。


「……」


 俺は物言わぬ屍になり果てた。分かる。講座の話は分かるのだ。けど、やっぱり雰囲気が俺の肌に合っていない。理解はしているのにピーラーで少しずつ精神が削られているみたいだった。こんな体験出来ることなら二度としたくない。


「おい、講座は終わってんぞ。さっさと教室に帰れよ」


 大悟は屍の椅子に蹴りを入れてきた。衝撃が尻に響き、少しだけ体が浮く。


「……もう少しこのままにしといてくれよ……」

「そんな疲れたみたいな風に装われても目障りだ」

「戻る。戻るよ」

「ならさっさとしろ」


 それだけ言うと大悟は自分の鞄を持って自分の教室に戻っていった。


「それを言うためだけに俺の尻を蹴ったのか?」


 優しいんだか、怖いんだか分からない奴だ。しかし、何だってあんなに目の敵のように俺を敵視しているんだろうな。その理由だけが分からない。特に何もしていないと思うんだけどなぁ。


 鞄を取り、俺以外誰もいない教室の電気を消し、大人しく大悟の言う通りに自分の教室へ戻ることにする。とりあえず今日の授業を全て終わった。代償として俺の精神が持っていかれたが代償としては良い方だろう。授業時間はとっくに終わり、残るは帰りのSHRだけ。放課後はどうしようかな。今日は特に何も用事が無いし、家に帰ってゆっくりするのも良い。けど、ゲーセンで格ゲーをやりたい気分もあるな。そんなことを考えながら教室に着くと俺の放課後は血脇の一言で打ち砕かれた。


「和島、放課後に職員室に来るように」

「へ?」

「何だ聞こえなかったのか?」

「いや、聞こえましたけど……」

「なら返事はどうした?」

「はい……。いやいや、ちょっと待ってください。なんで俺は呼び出しを食らってるんですか?」

「胸に手を当てて考えてみろ。思い浮かぶことは無いか?」

「……」


 幾つか思い浮かんだが、どれもが一年前の事ばかり。俺が考える限りでは最近は大人しくしてたはずだ。


「身に覚えは……無いですね」

「そうか。では放課後職員室へ行け」

「結局、同じじゃないですか!?」

「そんなことを言われても呼び出されていることには変わりないんだ。大人しく行け。分かったか?」

「……はい」


 俺に放課後はないようだ。さて、帰れるのは何時になるだろうな……。


 血脇はその後何事も無かったかのようにSHRを始めた。その影で必死に頭を動かす。職員室からの呼び出しは久しぶりだ。一週間ぶりくらいか?それは進路票の提出の話だった。だが、それはまだ一週間の猶予がある。その件では無いはずだ。じゃあ他にあるのか?いや、特に思い浮かぶ点はない。一体なんだ?


 必死に頭を動かしていると血脇はもうSHRを締めていた。待ってくれよ。用件も分からずに職員室に呼び出されるのは結構キツイんだよ。もう少し呼び出された原因を考えさせてくれ。それを血脇に目で訴えるも血脇はそんな事は知らんと言うように俺から目線を外した。


 そうして学校は放課後を迎えた。俺にとっての放課後はまだ来そうにない。


 放課後という名の居残り。血脇から言われた通りに職員室へ真っ直ぐ向かう。道中何度も帰ろうかと考えたが、こういう問題は先延ばしにしても良いことはない。むしろ悪化することの方が多い。ならさっさと済ませて早く帰ろう。その方が精神的にも、肉体的にも一番優しい選択のはずだ。


 俺の教室から職員室までは五分ほどで着く。徐々に職員室に近づいていくと温かいコーヒーの匂いが漂ってくる。毎回近くを通るたびに良い匂いだと思うがそれと同時に何で先生方だけこれを独占しているのかと少しだけイラっとする気持ちもある。


 職員室の周りには参考書を持った生徒や面接練習を行っている生徒がちらほらと見える。後悔と気持ち悪さが身を蝕む。後に、後にと先延ばしにしていたツケがきた。


 自分の夢が無いことがこんなにも気持ちを真っ白にするのか。何も決められない。何も選択できない。何も無い。虚無。自分がこんな人間だとは思ってもいなかった。だからだろうか、自分で進路を決められる奴らがあんなにも眩しく見えるのは。学も五十里も自分で決めた。


 それに比べて俺はどうだ?俺には何もない。夢も、野望も無い。俺は俺自身が本当に恥ずかしい。そんな俺は生きていていいのか?


「……ダメだな……」


 一旦止めておこう。今考えても虚無感が俺を傷つけるだけだ。今はその時じゃない。今はするべきことを終わらせよう。気を張りなおして職員室を二回ノックする。そして、職員室のドアを開く。


「失礼します。三年の和島です」


 それだけ言って職員室に入っていくと先生方は何故俺が職員室に来たのか分からないのか困惑した表情で俺のことを遠回しに見ていた。


「あのー? 血脇先生から職員室に来るように言われたんですけど……」

「あぁ、血脇先生ね。そこに座ってちょっと待っててくれる? 今呼んでくるから」


 そう言って反応してくれたのは新任の福沢先生だ。英語を指導している女の先生で教え方が上手だと俺たちの間で尊敬されている。俺も去年の試験の追試で助けて貰った事がある。


 福沢先生に従い、来客用のソファに座る。ソファのクッションは定期的に手入れをしているのだろう、まだ死んでおらず体を預けてもしっかりと反発してくる。ソファに座る度に家にもソファが欲しいなと何度思ったことか。腰もかけられるし、寝ることも出来る。これほど便利な家具があるだろうか。在ったら教えてほしいものだ。


 しかし、残念なことに家にはそんなスペースは無いし、買えるような金も無い。俺がソファを持てるのはまだまだ先の事だろうな。


 ぐだーっと体の力を抜いて背もたれに寄りかかり血脇を待つ。早く来てくれないかな。職員室が好きなんて奴はこの世にいないんだ。もしそんな奴がいるとしたら、よほどの酔狂者か、人間とは思えない超絶優等生だろう。職員室への用事なんて個人の用事か、叱られるかの二択だ。俺は血脇からの呼び出し、ということは叱られる確率の方が高い。間違っても褒められるなんてことは万が一にも無い。褒められるようなことをした覚えは無い。かといって、叱られるような事をした覚えもない。だとしたら俺は何で呼び出しを食らったんだ?


「一体何なんだよ……」

「ぼやきか?」

「へ?」


 思わず出ていた本心はよりによって一番聞かれたくない人物に聞かれた。


「血脇……先生」

「ふむ。良かったな」

「何がです?」

「今先生を忘れていたらお前の頭を凹ませなければならなかった」


 血脇はソファまで歩いていき、俺の対面に向かって座った。やっぱ凄い威圧感だ。肌がじりじりと焼かれるような感覚が肌に伝わってくる。ただ対面に座っただけでこれだけ感じるのだ、血脇が本気でキレたら……うん、想像もしたくない。


「……冗談ですよね?」

「本気なのか冗談なのかはお前が一番分かっているだろう」

「体罰って今の時代ダメなの知ってます?」

「何を今更」


 そういえば、この人はそういう人だった。体罰なんて知ったことかと出席簿で殴り、時には拳骨を振るう。倫理観を昭和に置いてきたんじゃないかと考えてしまうくらいにはイカれてる人だ。なんでまだ先生を続けられてるのか不思議で仕方がない。


「和島、お前今失礼な事を考えていないか?」

「まさか。尊敬している人に対して失礼なことを考えるなんて神を殴るような所業俺には出来ませんよ」

「……心にもないことをよくもまあ言えるものだ」

「いえいえ、本当に尊敬してます」

「まァ、良い。これ以上は時間の無駄だ。それじゃあついてこい」

「ついてこいって……職員室じゃダメなんですか?」

「ダメだ。お前を連れてくるように言われている」

「言われてるって……。俺はてっきり血脇先生が俺に何かお話をするのかと思ってたんですけど」

「違う。お前に用があるなら教室で伝えている」

「確かにそれもそっか。じゃあ誰が俺を呼び出したんです?」

「行けばわかる。しかし、分からないのは」

「分からないのは?」

「何故お前が呼び出されたかだ」

「えっ、先生も聞いていないんですか?」

「全く何も。俺はただお前を連れてくるように言われただけだ。何かあったのかと聞いてみてもさっぱり何も答えてはくれなかった。それがますます不思議で仕方がない」


 血脇も理解できていないのか顔中に疑問符が貼られている。それを見て俺も段々と不安になってきた。血脇はこの学校に勤めて今年で十年目になる。十年も同じ学校に勤めていれば大体の情報が手に入る。そんな男が分からないというのだ。恐ろしくもなる。


「お前は色々と問題は起こしていたが、今年に入ってからは大人しくしていた。きちんと出席もしているし、痣だらけで学校に来てもいない。俺が見た限りでは今年のお前は問題児ではなかった。しかし、あの人から呼ばれるという事は何かしらしでかしたという事だ。何か思い当たるものはないか?」

「教室でも言いましたけど、まったくありません。何かあったらそもそも学校に来てないし、大人しく授業なんて受けていません。それに、次問題を起こしたら俺は退学になっちゃいますからね。問題を起こす理由が何処にも無い。それは他の誰でもない先生が一番よく知ってるでしょう?」

「……確かにそうだったな」


 血脇と共に職員室から出ていく。職員室から出ると学校中には部活に励む見知らぬ後輩たちが額から玉の汗を流しているのが目に映る。恰好から判断するに陸上部だろう。そろそろ冬になるためか室内トレーニングを部員全員で取り組んでいる。


 部活か……。この三年間帰宅部のままだったなぁ……。高校一年の時は部活に入ろうと熱気になってたものの、結局お金が手に入るからとバイトを選択してしまった。貴重な高校三年間を友達と頑張る部活ではなく、金を稼ぐために時間を売るバイトに使ってしまったのは少しだけ後悔している。


 バイトだからこそ得られる経験もあったが、その逆も言えるわけで。どうしても貴重な時間を無駄……ではないが、もっとマシな使い方が出来たんじゃないかとつい考えてしまう。考えたところでどうしようもないが、ひたむきに部活を頑張る人たちを見てるとどうしても考えてしまう。


「何故陸上部の練習を見ているんだ? お前には関係ないだろう。まさか変なことを考えてるんじゃないだろうな?」


 血脇は身構えて俺の方に体を向けてきた。拳は固く握られ、左足が少し後方に、そして右足が前に出ている。後は力を入れるだけで全てが終わる。それを見て慌てて俺は弁解する。


「変なことって……。んなこと考えてません。ただバイトじゃなくて部活を選んでたら俺はどうなってただろうなと思っただけです」

「……お前が部活か……。想像できんな」

「いやいや、出来るでしょ。俺が一生懸命になって汗水流して部活に頑張ってる姿を想像してくださいよ」

「出来ないと言った。お前はそんな柄ではない。そもそも部活を選ぶ選択肢などお前には始めから無かっただろうが」

「……」

「それに当時のお前にもし部活を選べる選択肢があったとしても、きっとお前は選ばない」

「ですかね?」

「恐らくな。それにお前が毎日部活に顔を出すなんて事は無理だろ?」

「……確かに。俺なら出れて一か月に一度とかになりそうですね」

「なら入ったところで無駄だし、お前の性分には合っていない。あまり生徒にこんなことを言うべきでは無いんだろうが、お前は社会勉強としてのアルバイトが一番合っている」

「それは教師の言葉じゃないですね」

「だが、これでも教師だ。何年も数えきれないほどの子どもたちを見てきた。子どもを見る目は養ってきたつもりだ。それでも、お前ほど子どもらしくないのは初めてだがな」

「どうも」

「褒めてはいない。一体どうしたらこんな風に育つのか」


 ハァと深いため息をつき、じろりと血脇は俺を見てきた。ただでさえ血脇の人相は恐ろしいのだ。目を細めながらこちらを見つめてくる様はさながら野生の獅子だ。檻が必要かな?


「普通に育ってこれです。違うとしたら……家が放任主義ってことくらいですかね」

「放任主義でお前のような奴が育つならこの世はもう終わってる」

「ひど」


 それからはお互いに何も話さずただ目的地に向かった。俺と血脇の周辺はチリついている。仲が良くて、仲が悪い。俺と血脇はそんな間柄だ。


 お互いがお互いの知られたくないことを知っていて、どちらもそれが命と同じくらいもしくは、それ以上に大切であることを知っている。ほんの少しだけお互い知っていて、そのほんの少しもので繋がっている仲。それが俺と血脇の距離感。生徒と教師という言葉だけでは決して説明することができない酷く歪で存在してはいけない繋がり。俺の周りにはこんな繋がりばかりだ。普通の繋がりが欲しいと何度思ったことだろう。

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