1-3 Who is leading me?

 教室についたのは始業時間ギリギリ。教室にはほとんどの奴らが席に座り、周辺の友達と話続けている。一部は参考書を読み漁り問題を解いている奴もいるが、それも二人だけ。改めて就職組の方が進学組よりも多いのだと理解できた。


 そのどっちつかずの俺は何をするべきか。勉強? それとも友達と話でもするか? いや、俺だけにできることがある。それは何かって? 勿論進路決めだ。


 高校三年という大事な時期にいまだ進路を決めずに悩んでいる奴は俺くらいだろう。まだ一週間も期限があるが、言葉を変えればあと一週間しかないともいえる。


 夢は無い。何がしたいかさえ自分でも分かっていない。それでも考え続けることはきっと大事だ。多分、おそらく、メイビー。


 そんな思考に耽っていると塗装の禿げた引き戸が不快な音をたてながら開いていく。


 分厚い出席簿を持った中年の男性が引き戸を引き切り、教室に入っていく。顎に髭を蓄え、髪はベリーショートで全身を黒いスーツで身を固めている。先生という事を知らなければその手の人だと誤解してしまうだろう。この人が俺たちの担任、血脇ちわきだ。


「時間だ。座れ」


 初めてこの口調を聞いた人はこの男性は乱暴そうだというイメージを抱かせるであろう。そのイメージは間違っていないが、その言葉だけでは言葉足りずだ。この男性、いや先生を言葉で表現するのは乱暴者の他に熱血漢という言葉を足すべきだ。


 毎日市内を巡回し、不良がそれ以上悪の道を進み続かせないために補導を行う。乱暴者で熱血漢でありながら先生であり続けるという矛盾。俺も何回かお世話になったことがある。あの時の拳骨は痛かったなぁ。今でも殴られた部分がジクジクと痛む……ような気がする。


「出席取るぞ。居たら手を挙げろ」


 先生は教卓の上に出席簿を置き、開く。今時出席簿を付けながら点呼をする先生は珍しい。大抵は初めだけつけて後はいない人だけを確認するようになるのだが、三年間ずっとこの先生は出席簿を毎日開いている。


「工藤。……いないのか?」

「先生、工藤ならトイレに行っています」

「学校には来てるんだな?」

「はい。それは確かです」

「なら良い。工藤には後で職員室に来るように和島から伝えろ。良いな?」


「分かりました」


 きちんとした理由があればこの人は怒ることはない。この人が怒るときは人の道を外した時だけだ。学が怒られることはないはずだ。


「健崎……近藤……」


 男女混合に五十音順で名前が呼ばれていく。名前が呼ばれた奴は勢いよく返事をしたり、気怠そうに返事をしたり、或いは手だけを先生に振るなど名前を呼ばれただけでも呼ばれた人の性格を浮き彫りにする。俺の苗字は和島。わで始まるから一番最後らへんに呼ばれる。


 俺のクラスの人数は三十人。同学年には俺のクラスを含めて九十人ほど。これでも市内で一番大きい高校なのだから少子化が深刻になっているというのは確かなことなんだろう。違う市内の高校だと一クラス十人とかもあるみたいだ。


「……和島」

「はい」

「二人欠席、一人遅刻だな。それではHRを始める」


 数えきれないほど先生の顔は見ているはずだが、やっぱり普通の人間が持っているはずのない圧力?のようなものを席に座っていても感じる。今でもずっと思うのだが、あんた本当に先生かよ?


「今日の時間割は先週言った通り、就職組と進学組では時間割と動きが違う。自分がどの授業に出るか各々確認しておけ。進路がまだ決まってない奴は進学組の時間割に従うように」


 間違いなく最後の指示は俺に向けての指示だった。変なところで気を遣う先生だ。別に俺の名前を言っても良かったのに。もし名前を出したら傷つくとでも思ったのだろうか?その気遣いは嬉しいが、弱い人間だと思われているようで少し腹が立つ。


「後は帰りのSHRでもまた言うが、最近進路が決まったことに気が緩み補導される生徒が増えてきている。進路が確定してもまだお前らは高校生だ。そのことを忘れないように」


 それだけ言うと先生は出席簿を閉じ、教室から出ていった。急に始まったと思ったら急に終わる。未だにあの先生のペースが掴めない。掴めば幾らか授業中、楽になると思うんだけどな。


 先生が居なくなったことで教室に喧騒が戻る。俺は何番教室だ、俺は体育館だとそれぞれがそれぞれの教室について話している。


 今日の授業は進路によってとる授業が異なる。というのも俺の高校は普通科の高校ではない。総合学科というカリキュラムを採用した高校で進路によってとる授業がそれぞれ違っている。例えば就職組は数学Bの授業を取らず、その代わりに簿記を学ぶ。進学組はその逆で簿記を学ばず、数学Bを学ぶ。それ以外にも違いがあるが、簡単に言えばこんな感じになる。


 時間割を確認すると就職組はアドバイザーの話を六時間聞くみたいだ。六時間も毒にも薬にもならない話を聞かされる就職組はご愁傷さまだ。アドバイザーの話を聞いたからと言って何かタメになることはあるのだろうか? 話を聞いたところで何かが変わるわけでもないし、出来ることなんて何もない。働く環境は人によって違うのに、アドバイザーの主観だけでする話に一体なんの意味があるのだろう?


 進学組はどうやら一時間に一回ずつセンター試験……いや大学共通テストに名前を変えたんだっけ。その対策をそれぞれの塾から講師を招いて授業を行うようだ。今日は六時間授業だから六回対策講座を行うという事か?これはこれでキツイな……。何がキツイって対策講座はまだ良いが、受講する人数が少ないのが一番キツイ。進学組は確か五、六人しかいなかったはず。そんな少人数で対策講座なんて受けたくない。


 かといって先生に反して就職組の方に行くわけにはいかない。大人しく対策講座に向かうしかないな。


「だる……」


 事の顛末を学ぶに連絡しておく。SHRが終わっても学は教室に来なかった。あいつどんだけ長いんだ?スマホの画面をブラックアウトさせ、周りを見ると教室にはもう数人しか居なかった。もうほとんどの人は移動してしまったみたいだ。俺も早く移動しよう。


 筆記用具を持ち、対策講座を行う教室に向かう。大半の人々は体育館に向かっている。就職組は体育館で話を聞くのだろう。良いなぁ。絶対寝ててもバレないじゃん。


 そんな恨み言を空中に溶かしておく。じゃないと勝手に漏れてしまいそうだ。教室に着くと塾講師が一人、生徒が三人程そろっていた。就職組の弛緩した空気とは異なり、静かに張り詰めた空気が教室中に広まっている。聞こえる音は参考書を開く音とプロジェクターを操作する音だけ。この空気で六時間授業受けるのはキツイな……。


 適当な席に座り、スマホのニュースアプリを開く。関心のあるニュースを見ていると連絡アプリの通知がスマホの画面を占有した。通知を見てみると学からだった。


『了解』


 とかなり素っ気無い返事だが、学の場合はいつも通りだ。俺もそれを見てスタンプで返事をしておいた。


 スマホをリュックに片づけていると最後の一人らしき人物が教室に物々しい様子で入ってきた。細いフレームの黒縁眼鏡を掛け、よれよれのワイシャツに身を包んでいる。手にはシャープペンシルとルーズリーフ一枚だけ。ただの変人に見えるが、俺は此奴を良く知っている。学校一の秀才、金沢かなざわ 大悟だいごだ。


 いつも不機嫌そうで、授業も真面目に受けていないのにテストでは満点。模試でも全国上位に入っているらしい。そのせいか、授業態度が悪くても見逃されている。いうなれば不良学才と表現するべき人物だ。何故うちの高校に進学したのか分からない人物だ。何度か話したことがあるし、気まずくはなりたくないから一応挨拶をしておく。


「おはよう」

「おう。てめえまだか?」

「まだかって……。お前まで聞いてくるのかよ」

「そらそうだろ。未だに進路が決まってないバカはてめえくらいだ。いつまで先延ばしするつもりだ?」

「厳しいなぁ」

「甘ったれんな。さっさと決めてしまえ」

「努力する……」

「……それが甘えてるんだよ。お前がとる選択肢は決まってるだろうに」


 それだけ言うと大悟は俺とは少し離れた席に座った。そして、やる気なさげに机に肘を立て左手を頬に添えると、どこか上の空になって窓の方を見始めた。どうやらこれ以上俺と話す気はないみたいだ。


 授業開始時間になり、チャイムが学校に鳴り響く。最近、チャイムの音が新しくなってしまい、まだ慣れることが出来ない。少し古臭い昭和の学校をそのままに凝縮した音から電子で味付けをして、味を整えるたために少し昭和を足したような音に最近変わって未だに慣れないし、若干、若干だが気持ち悪い。聞きなれた音だと思って心を少し開けたら、かなり似てはいるけど実は全く違う音が心の隙間に入り込んでくるような感じ。知り合いだと思って家の玄関を開けたらただ似ている赤の他人がいたようなものだ。誰だって気持ち悪いと思うはずだ。


 もそっと下をスラックス、上を白いワイシャツで固めた講師が立ち上がった。腕には見るからに高そうな時計。俺の偏見だが間違いなく俺とは合わない人だと思う。見るからに成金っぽい感じが好きにはなれなさそうだ。


「それでは対策講座を始めたいと思います」

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