1-1 Living in a mist without dreams.

「また霧かかってるよ……」


 星空も見えない程、曇った夜。無性に炭酸が飲みたくなって外に出ると外には先も見通せないほどの濃い霧が辺り一帯に広がっていた。幸いにも近くの自販機まで歩いていくだけだ。車だったら発進するのも怖いだろうが、徒歩なら大丈夫のはずだ。


 履き慣れた青いスニーカーは俺の足にピッタリと形を合わせ俺の歩きについてきてくれる。ここまで言う事を聞かせるまで長い時間がかかった。新品の靴には無い俺だけの癖が染みついた靴。少し汚れていて見た目は悪いが俺の相棒だ。


 霧を手で分散させながら自販機まで進む。家から最寄りの自販機はおよそ五分もあれば着く。本当はラインナップが酷いのと値段が高いから近くの自販機はあんまり利用したくないのだが、近くのコンビニまでは徒歩で十五分かかる。それにこの霧だ。往復三十分をかけてまで行きたくはない。


 霧は視界を遮り辺り一帯を白く染め、数少ない街灯を乱反射させている。家の近くには街灯は数えるほどしかない。けれど、光の反射のおかげで普段は届かないところまでも光があるのはとても有難い。まぁ、最初から街灯を多く設置すればこんなことで感謝はせずに済むのだけど。


 俺が生まれ育った街は街とは言えない。どちらかというと町の方が近い。それでも街を名乗り続けているのはある種のプライドか。


 中心部に行けばある程度の人はいるが、少し中心部を離れると一気に人はいなくなる。一時間歩いてようやく人一人が見えるかどうかだ。そして、俺が住んでいる家は中心部から思いっきり離れている。家の目の前には湿原があって朝早く起きて散歩に行くとキツネやシカを見ることができるそんな場所だ。


 夜の街は静かで煩い。矛盾しているが、本当にそうなのだ。人もいない、車も通らない。怖いくらいに静かだ。聞こえる音は何もない。聞こえる音は心臓が強く、早く鼓動する音だけ。これが煩い。落ち着かせようとしてもコントロールできないのは質が悪い。


 不審者が怖いわけじゃない。人間は確かに怖いがしてくる行動は読むことができる。俺が怖いのは動物だ。夜の動物は昼よりも活発的になる。敵になる人間が居ないことを知っているからだ。


 たまーに周辺でクマが動いているのを見かける。冬眠の備えなのかどうかは知らないが見かけたらすぐに逃げなければならない。前方に妖しい眼を光らせている動物が見えたらすぐに逃げられるが、もし後ろからザックリといかれたら気付く間もなくお陀仏だ。それが一番怖い。都市部とかに住めばこんな思いをしなくて済むのだが、これも街の魅力とでも思えば納得できるか?いや、そんな魅力なら要らないな。


 ようやく自販機が見えてきた。濃い青色の四角い自販機だ。長年愛用しているが、ラインアップがマシになったことは一度もない。夏なのにホットのお汁粉があったり、冷たいコーンポタージュが設置されていたりする。季節感?何それ?といった具合のラインナップが陳列されている。


 それに加えて自販機自体が時折誤作動を起こす。イチゴオレを間違いなく買ったはずなのに自販機から出てきたのはレモンサイダー。それも何故かホットの。あの時は流石に途方に暮れたな…。


 炭酸の気分のため、自販機のラインナップから炭酸を目で探すとガラナコーラ、ハッカサイダー、そしてラベルの表記が安っぽいメロンソーダーを見つけた。


「パッとしないな…」


 よし飲もうという気には到底なれないラインナップだった。あったら飲むが間違っても自分から買うことはない。だが、残念なことに炭酸はそれだけだ。


 後に残っているのは清涼飲料だけ。そのラインナップも酷いものだ。抹茶コーヒーや、紅茶キャラメル、エナジーグリーンティーなどだ。何故それぞれの飲み物を混ぜようとしたのか? 混ぜないでそのままの単品をくれ。


 最近の商品は見た目を重視して味を捨てている気がするのは俺だけか? 以前も透明な飲み物ブームが来ていたが、今考えればなぜ流行ったのか謎だ。だって透明にしただけだぞ。味も美味いとは言えないものばかりだったし、本当にあの透明ブームは謎だった。


 微妙なラインナップに悩まされていると渇きを訴え続けている喉がそろそろ限界だと訴えかけてくるかのように掠れた咳を出した。流石にこの状態でコンビニまで歩いていくのは賢明ではない。ここで飲み物を買うべきだろう。


 ガラナコーラ、ハッカソーダーは以前に飲んだことがある。美味しかったが後味が最悪だった。特にハッカソーダーは炭酸の爽やかさを殺してハッカが乗り移ったのかというくらいハッカの味がした。今は炭酸を楽しみたい。となると、ラベルが安っぽいメロンソーダーしかないか。


 小銭入れから百二十円を取り出して自販機に入れる。小銭が自販機の中に貯まる音が聞こえると、自販機のボタンは淡い赤色で点灯しだした。間違わないようにしっかりと目で見てメロンソーダーのボタンであることを確認してから人差し指でボタンを押す。押されたボタンは緩やかに元の形に戻り、メロンソーダーを口から排出する。


 排出されたメロンソーダーを手に取ると冷たい感覚が両手一杯に広がる。その感覚をもう少し楽しんでも良かったが、喉が炭酸を求めている。喉に急かされてプラスチックの白い蓋を持てる力で左に回す。蓋は最初抵抗を見せていたが、それも一瞬。すぐに蓋は力の勢いに従い、飲み口を露わにした。


 飲み口を口にまで持っていきペットボトルを傾ける。中の緑色の液体はパチパチと炭酸を弾かせながら勢いよく喉に流れていく。喉が炭酸に攻撃されているような感覚。初めて炭酸を飲んだ時はこの感覚に中々慣れなかったが、慣れると病みつきだ。毎日炭酸を味わいたいとは思わないが、ふとした拍子に炭酸を味わいたくなる時がある。今日はまさにその日だった。


「うっま‼」


 メロンソーダーは安っぽいラベルに反してきちんとメロンソーダーの味がした。メロンの甘みと砂糖の甘さが絶妙なバランスで混ざり合い、炭酸と共存している。きちんとメロンソーダーをしている。


 メロンソーダーにはずれなんて無いだろという人がいるが、それは間違いだ。外れのメロンソーダーはメロンソーダーとは名ばかりに砂糖の甘さが強く、メロンの風味は一切感じられない。それに、炭酸が微妙に弱いのだ。その外れと比べるとこのメロンソーダーは外れと比べて格段にうまい。久しぶりに当たりを引いたようだ。なんならこれまでで一番の当たりかもしれない。


 気が付けばペットボトルはもう空だった。近くにゴミ箱がないことは知っているため、空のペットボトルを持って自販機に寄りかかる。自販機は外の空気に冷やされ、冷たい金属の塊と化していた。


 歩き出す前にジャージのポケットからスマホを取り出して時刻を確認すると午後十時半。


「どうするかね……」


 勉強はもう終わっている。その息抜きもかねての自販機までの散歩だった。霧がなければもう少し散歩をしても良かったが、視界が悪いまま散歩しても気分転換にはならない。むしろ、イライラを蓄積させるだけだ。肌寒くもなってきたし、散歩はここまでにして家に帰ろう。


 しかし、家に帰って何をしようか?寝るにしては早すぎる。かといってゲームをする気分でもない。明日の準備ももう終わっている。特にすることはなかった気がする。


「だよな?」


 記憶を掘り返しても思い当たるものはな……あった。そういえば進路希望調査書を出せと言われていたな。進路は未だ決まっていない。高校に行けばやりたいことの一つでも見つけられるだろと思っていたが、何も見つけられなかった。


 一度適当に公務員と書いて提出したがそんな気がないのが一瞬でバレて再提出を命じられた。再提出の締め切りは確か今週末まで。


「進学か就職か……」


 正直どちらも興味がない。いや、違うな。どちらにも惹かれないのだ。大学には入ろうと思えば入れる。けれど何か学びたいというものもない。なら就職かと思うが、高卒で就職は給料面で少し不安が残る。


 知り合いのほとんどは就職すると言っていた。都市部の方は就職よりも大学進学の人の方が多いと聞くが、こんな田舎ではその比率も逆になる。ほとんどが就職を選び、片手で数えられるくらいしか進学は選ばない。大学と専門学校を含めてもだ。


 今は十八歳。現実を決めなければいけない年齢だ。小学校、中学校が懐かしい。何も考えずに友達と遊んでいた頃に戻りたい。


 友達のほとんどは進路が決まっている。進路が決まっていないのはどうやら俺だけのようで、毎日放課後に進路担当の先生に呼び出される。


「将来何になりたいんだ?」

「まだ決まってないのか?そんな先も見ずに生きているのはお前だけだぞ」


 何度も聞いたセリフ。うざったくなるくらいに見る顔。毎日その繰り返し。決まってないものは決まっていないのだ。どうして毎日聞いてくるんだ?勘弁してくれよ。


 なりたいものはない。周りの大人になりたいものになれた奴を俺は見たことがない。人間には生きるために必要なものが多すぎる。それに呑まれて夢を捨てて生きることを優先する。俺の周りはそんな大人ばかり。それに、進路担当の先生だって話を聞けば安定した収入が入るから先生になったと言っていた。そんな奴に将来何になりたいと聞かれてもその言葉は厚みがない。


 夢が大切なのは知っている。夢を叶えるために頑張っている人がいることも知っている。それでも、夢を追いかけることができる人はごく少数だ。全員が夢を持っているわけではないし、夢を追いかけられる環境がそろっていない奴もいる。それなのに、なぜ無責任に


「将来何になりたいんだ?」


 と聞くことができるのだろうか。夢を見ること、持つことができるのは恵まれた人間だけ。俺はその恵まれた人間ではない。それだけは確かだ。俺の夢はもう消えてしまったんだから。


 生きることと夢を持つことは決して共存しない。十八年生きて学んだことだ。夢を持ってもそれはただの夢だから夢なのだ。夢が叶うことは決してない。あの時、俺はそれを学んだ。


 そんなことを考えていると外の冷気に体が冷やされたのだろう。ざわざわと鳥肌が立ってきた。少し体が冷えてしまったようだ。これ以上外に用事もない。家に帰ろう。


 霧はまだ晴れない。自分の足元でさえよく見えない。この霧は優しくて残酷だ。


 まだ霧から抜けることはなさそうだ。

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