第44話 対決、神殿にて

「王仁礼どのは、母上の王葎華どのが、もしかしたらなにかよほどの理由があって、意図的に、自分に飲ませる方の薬の量を減らし、意図的に心中『未遂』に仕向けたのではないか、それを母上本人に確認したい、と仰っておられました」

「なるほどな」

 苑環が調べ上げたようなことは、紫翠の仲間の密偵連中もやはりつきとめており、それを聞かされた王仁礼は当然ショックを受けた。信じずに済むなら信じたくない、なにか事情や意図があったのでは、と思いたくなるのは当たり前の人情というものだろう。

「というか、俺なんぞは最初、御母堂が一体なにを目的にして息子に毒なぞ盛ったのか、さっぱり理解できなんだぞ」

 なにしろ当人が死んでしまっているので、王葎華がそんな真似をした理由というか動機に関しては、いまとなっては確認のしようがない。が、周辺人物による憶測含む諸意見はおおむね一致しており、

 ―――オメガとしての幸福を順調に掴もうとしている息子に対する嫉妬。

 であろう、と言われている。

 が、

「俺は今でも、この動機、正しいのかそうでないのか、いまひとつ納得できておらぬ」

 と、琅玕。

「なにしろ御母堂は、くだんの無理心中未遂事件の後、生還した王仁礼ともども、世話になっていたという親戚宅を追い出されておるではないか」

 

 

 

 

 

 

 

 …ふくれた腹を抱えて岐の帝都、北師から都落ちしてきた王葎華は、ここ清寧の親戚を頼ったという。

 彼女はそのまま、その親戚宅で出産をし、その後もずっとそこで暮らして育児もしている。

「お前も、こんなことはとっくに知っているだろうが、この親戚宅も、世辞にも豊かとは言えぬ家だったようだ」

 そんなところに無芸大食むげいたいしょくのコブ付きが長年居ついていたら、親戚というのがことさら底意地の悪い人間たちででなかったとしても、それは多少なりとも邪険にされたところで仕方があるまい。

 実際、王母子はずっと厄介者あつかいだったようだが、

「全くわかりやすい話もあったもので、息子の王仁礼がオメガと発覚して以降は、状況は一変したようだ」

 親戚どもは、実にあっさり手のひらを返し、母子をやたらと厚遇するようになったのだという。

 先を争うようにして王仁礼の「花嫁修行」に金銭を出し合い、美麗な衣装を仕立て、自分たちの食う分を減らしても母子の食膳の足しにし、足を棒にして少しでも良い奉公先を探して回る。貧家出身のオメガが富裕層の家柄に仕えるようになればそれだけでも、支度金の名目で相当な額の金銭が支給されるのが慣習だが、その後もたとえば商売上の優遇、若い者の就職先の世話、子供たちを通わせる名門学塾の紹介、娘たちの縁談、その他諸々、一族郎党の端端はしばしに到るまで、有形無形にさまざまな利益がある。王仁礼と、その母親たる王葎華が、突如ちやほやされるようになるのも当然といえば当然ではある。

「だとしたら、その息子がいなくなるか、役に立たなくなるようなことがもしあれば、再度手のひら返して冷遇されるようになる、それどころか追い出される、それはある意味で当然のことで、そんなことはしごく当たり前に予想がつくものではないのか」

 だったらなぜわざわざ自分で息子に毒を盛るなどという真似をするのだ、自分で自分の首を絞めるような真似をするからには、相応の理由がなければなるまい、王仁礼でなくともなにか別の事情があるのではないかと思いたくなる―――というのが、根っからの理論派、琅玕の主張である。

 紫翠も、

「私も、そこはおおいに疑問でしたので」

 観の裏口で出くわした王仁礼に、さる提案を持ちかけて、王葎華の本音を探ってみないか―――と、そう水をむけてみたのだと言う。

 

 

 

 

 

 

 

「王仁礼どのは、母上から、どうにもずいぶん威圧的な育てられかたをしていた模様」

 そのため、母親の本音を聞いてみたいのはやまやまなれど、いざ当の本人を前にすると萎縮してしまって、言いたいことの十分の一も言えなくなる、結局は母の言いなりになってしまう、というのが幼い頃からのパターンだったとのこと。

 紫翠は、一計を案じた。

「私と王仁礼どのの着ているものを交換し、私は、顔の瘢痕を剥がして、王仁礼どのになりすましたのです」

 王仁礼の方に紫翠のふりをさせる必要は特にない。まさか裸でいさせるわけにもいかないので紫翠の着物をとりあえず着せ、王葎華の姿を探す。

 そして宿坊の裏口ちかくのあたりで、彼女らしき人影を発見。母親の前に出ると萎縮するという割には、いまにも飛び出しそうになる王仁礼だったが、紫翠はそれをおしとどめ、物陰から様子をうかがった。

「王葎華どのは、ひとりではなく、どなたかとご一緒でした」

 よくよく見ればそれは女中某である。なにを話し合っているのか、会話までは聞き取れなかったが、なにやら深刻そうに語りあったすえ、しばらくして女中某はいずこかへ姿を消す。一方で王葎華はというと、こそこそと変に周囲の様子をうかがいながら屋内へ戻る。紫翠と王仁礼が王葎華のあとをこっそりつけると、彼女は、地下の宴会場へ降りていき、そのへんにあった角灯をひとつ確保すると、まだまだ酒や料理にれている客どもの間を縫って龕席がんせきのひとつへ滑り込んだ。

「それが、あの地下水したたる穴蔵への入り口がある龕席か」

「はい」

 とはいえそのときは、なかに扉があるなどとは知らず、二人は普通の龕席としか思っていない。周囲の客たちから怪しまれても困るので、少し離れたところからそれとなく様子を窺っていたが、王葎華が入っていったきり、龕席の中からはうんともすんとも聞こえて来ず、様子が知れない。しかたがないので二人が龕席の中をのぞくと、なかに人影はなく、奥にかかった綴織つづれおりがゆっくりと揺れていた。

 綴織をめくると、そこにあったのは頑丈な扉。錠は、外れている。なかにはさらに地下へと向かう、例の石階段。

「あわてて、王仁礼どのと共に下へ向かいました」

 そうして、例の壁画広間に居る王葎華を発見する。

「おい、壁画揚戸は、そのときどうなっていた」

 琅玕が食い気味に尋ねる。開いた様子はあったかなかったか、王葎華の様子はどうだったか、まさかそのとき開きっぱなしになっていたのではあるまいな、等々、よほど気になるらしい。

「すくなくとも、私たちがそのとき見たぶんには、まだ開いた様子はありませんでした」

 紫翠と王仁礼のふたりはすぐには壁画広間におどり出ず、石階段の一番下あたりで壁端に隠れ、まず広間の中の様子をそっとうかがったのだそうだ。王葎華は床にかがんで、菱陽起がおなじことをしていたように、角灯の中の蝋燭の灯りの数を増やしていた模様。それに手間取り、まだ壁画揚戸を開くには至っていなかった様子。

 紫翠は、はやる王仁礼をどうにかなだめ、王葎華に気づかれないよう、何があっても決して出てきてはならぬ、ここに隠れていよと小声で言い聞かせ、最初の段取り通り、王仁礼をよそおって壁画広間に出て行ったという。

「王葎華どのは、大層たいそう狼狽ろうばいなさりつつも、御子息が生きて自分のもとに戻ってきたことを、とりあえず喜んでおいでではございました」

 彼女とのやりとりを全部そのまま琅玕に伝えていては夜が明ける。かいつまんで語るに、どうも王葎華は、ハッキリとそうは言わなかったものの、その口ぶりの端端からは、

 ―――息子が生きて自分の手元に戻ってくるなら、それに越したことはない。しかし、もし死んでいる、あるいは何処かで生存していても行方不明のまま、という結果になったところで、それでももはや構わない。

 といった心境が、ありありと見てとれたという。

「で、くだんの心中未遂事件への介入―――薬物を調達したのは本当に王葎華どのなのか、だとしたら理由は一体なんなのか―――それを切り出しました」

 

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