第43話 GIFT、GIFT(ギフト、ギフト)

「しかし、となると紫翠、お前は、ほんのわずかな予備知識がある以外、俺たちと大差ない状態で今回の事件に巻き込まれたわけか」

「はあ、まあ、要するにそういう事です」

 王仁礼の生存に関しては、

 ―――焼死したのはおそらく本人ではなく、替玉かなにかであろうな。

 と薄々は思っていたというが、それも、やはり確証はない。

 そうしてその後、琅玕馴染みの破落戸、苑環と三人で語りあった結果、ようやく、王仁礼の父親が第一王子の岐鋭錘であるらしいことは、おおむね解ったものの、

「ですが、その時点では、は、まだどちらとも」

「それは、なあ」

 可能性としては兄弟どちらが紫翠の親でもおかしくはない。前後の経緯からして、第二王子の岐玉髄が駆け落ち相手との間に産んだという「当代尖晶王殿下」が一番それらしい、と思いはしたが、それが正解と判明するのはもう少し後のことである。なにしろ兄王子の岐鋭錘がアルファである以上、際限なく子種をばらまく事も不可能ではないのだ。

「ことほどさように、私には、胡散臭うさんくさい憶測があるばかりで、確実にそうと言える物証のたぐいを全く持っておりませんでした」

 せいぜい、最初のうちは琅玕も苑環も、尖晶王家をただの斜陽族としか思っていなかったわけだが、紫翠ひとり「いずれ自分は皇族として表舞台に引っ張り出される」であろう予想から、必ずしもそうではない可能性を知ってはいた―――という程度か。

 ただそれも、背後の詳細まではやはりわからない。翌々日に琅玕に連れられて、玄牝観の王葎華のところへ乗りこんだとき、ようやく琅玕の解説で背後事情が知れたが、しかしそのことと、紫翠の身が琅玕の側に置かれていることの関係性までは、これもそのときはまだ不明である。

「そうして「上の者」からようやく返事が返ってきたのは、あの宴に出席する直前ぐらいのことでした」

 ―――兵部卿閣下の現在の正妻は石女である。いずれ彼女は廃嫡され、華氏の一族のなかから別のオメガをあてがわねばならぬ。お前は華氏の血を引いたオメガであるゆえ条件的には申し分ない。わざわざ変装させ立場をいつわって接近させたのは確実にお前を気に入っていただくための小細工である。いささか予想の斜め上を超えたが、とりあえずしばらくはそのままお側にお仕えせよ。

「なんだ、そっちの方を先に説明されたのか。この期に及んで“華氏の血を引く“などと変なにごし方をするあたりが姑息だな、母はたれ、父は何者とハッキリ言ってしまっても良かろうに」

 そんなだから、宴席上で、『琅玕と「当代尖晶王殿下」の縁談』の話を聞いて、ようやっと紫翠は、おのれの置かれた立場と事件のだいたいの概要がのみこめた、わけである。

「ただ、くだんの銀の鍵については、私は、本当に全くなにも存じ上げず」

 ところが、庭園の四阿で解剖がおこなわれた後、報告を終え、ひと足先に別邸へ帰宅すると、

「私の部屋を、たれぞが荒らした形跡がございました」

 室内を滅茶苦茶にしたままで立ち去ったわけではなく、元通りに片付け直して偽装してはいたが、あきらかに素人が家探しをした形跡があったそうな。ただしこれは紫翠がしかるべき訓練を受けていたから解ったことであって、常人ならまず気づかなかったであろう、とやら。

「おい待て、それは…」

 琅玕が言い終わる前に、はい、と紫翠。

「閣下から贈られた、あの錦で包まれた小筐こばこが、そのまま戸棚の抽斗ひきだしから消えておりました」

 慌てて別邸を飛び出し、再度玄牝観へと向かったが、観の裏口のあたりで紫翠は妙な人影を発見する。

「王仁礼どのが、この寒い中を寝巻ねまき一枚のお姿で、中をうかがっておられたのです」

 紫翠が声をかけると、王仁礼は飛び上がらんばかりに驚いた。だいぶ動転しているのをなんとかなだめて話を聞く。王仁礼が安宿火災で焼死したのはやはり偽装で、本人はあの後ずっと紫翠の仲間に保護されていたという。

 その間、彼らから、大体の事情は聞かされていて、当然ながら自分の出自も知っていた。

 ―――皆様から、母にはもう会わない方がよい、と忠告されたのですが。

 それでも、最後に一度だけ会って、本当のことを聞きたい、そのために監視の目をかすめて抜け出してきた、のだという。

「本当のこと、なあ」

 そうつぶやいた琅玕の顔色を見て、紫翠は、

「苑環どのは、やはり、真実をつきとめて閣下に御報告済みでございましたか」

「ああ」

 琅玕は懐をさぐると、だいぶしわのよった結び文を取り出した。苑環が、王母子の過去を探ってこいと琅玕に命じられた翌日、はやくも届けに来て紫翠がことづかった、あの文である。

「そういえば、封蝋のある文の盗み読みのしかたを習うと言っていたな。これは俺に渡す前に読んだか?」

「申し訳ございませぬ、読ませていただきました」

 紫翠は、地獄の底でものぞいたような沈鬱な表情をして言った。

「…王仁礼どのには、なんとかして知らせずに済ますことは、出来なかったものでしょうか」

「たとえば適当に出鱈目でたらめをでっちあげて、王仁礼をあの御母堂から引き離すことは可能だったかもしれないが、俺は、事実関係を全て話して聞かせた上で当人に決めさせるやりかたの方があとあと良いだろうと思うぞ」

 当事者なら、どれほど過酷な真実であったとしても、それでも知りたいと思うのが人情だ、と琅玕が言うと、紫翠はますます、顔色をかげらせて下を向いた。

 

 

 

 

 

 

 琅玕から「王母子の過去を調べろ」と命じられた苑環は、その足で、王仁礼が琅玕の別邸づとめになる前に居たという妓楼ぎろうに行ったのだという。

 そして顔馴染みの遣手婆やりてばばあに話を聞いた。婆は、

 ―――今頃かい。なんでもっと早くに話を聞きにこないんだ、あんたにしちゃ珍しい。

 と、まずそこのところを不思議がったとやら。

 婆によれば、もともと王仁礼は、貧家に生まれたオメガのセオリー通り、いずれ名家の主人の妾となるべく某家へ奉公に出た、のだそうだ。

 その邸の主人は、そのころすでに結構な年配だったが、まだ跡取りがおらず妾を探していた。順当にいけば王仁礼はいずれその主人の子を産み、なんなら正妻の地位が狙えぬこともない立場であったらしい。

 しかるにこのとき、奉公先の邸には、主人の甥だという青年がひとり居候していた。

 ―――その甥っつう男がね。王仁礼を、てめえの叔父の妾になるはずのオメガと承知の上で、一方的に横恋慕をしたっつう話だ。

 王仁礼が邸に来ていくらもたたぬ頃、邸の主人が王仁礼に手をつけるより前に、甥は王仁礼に強引に毒薬を飲ませ、自分もおなじ毒をあおって無理心中を敢行かんこう。ふたりとも数日間、生死の狭間はざま彷徨さまよったというが、結局、甥の方だけが死に、王仁礼は生還した。

 が、快復かいふく後、王仁礼は邸を放逐ほうちくされる。

 さらには仁礼と葎華の母子は、身を寄せていた親戚からも厄介者やっかいものとしてたたき出された。そして仁礼本人はくるわづとめ、母の葎華は道観の下働きという、乞食よりは少しまし程度の身の置き所を得、そこで共家の妾探しの話を耳にし、そして今に至る、のだそうな。

 ―――有名な話だよ。地獄耳のあんた(苑環)が今の今まで知らずにいたのも不思議だが、共家の方でもなんで聞いてこなかったのやら。

 そう言われ、苑環はいささか面目を失ったようだが、

 ―――王仁礼が飲まされた毒の種類?変なことに興味持つね。そんなこと聞いてきたのはあんたがはじめてだよ。

 苑環も、特になにか思うところがあってそんなことを聞いたわけではなく、苦し紛れ思いつきの質問だったらしい。

 が、婆は、

 ―――多分だけど、かなり珍しい毒を使ったんじゃないかね。なんでかって?アタシの知り合いにね、王仁礼の元奉公先の邸の、近所住みの奴がいるんだよ。そいつは薬種商でね。そんな特に謎の残るような事件じゃなかったってのに、だいぶ後まで役人がそいつの店にまで話を聞きにきたってのさ。

 その薬種商なる者が、くだんの邸の甥っ子に薬を都合してやったわけではないらしい。それは確かな証拠があってお咎めなしだったという。とはいえ当局にしてみれば、琅玕も指摘していたが、そのへんの山や海で勝手に採って来れるようなものではない珍しい薬物など使ったというあたりに疑問を持って、しつこく追求したくなっても無理はない。

 ―――もっとも、そのうちくだんの奉公先の邸の方が外聞を悪がって、各所に手を回して早々に捜査を切り上げさせちまったようだがね。

 苑環は、遣手婆にその薬種商を紹介してもらい、会いに行った。

 しかるにその薬種商とやらはなにやら、物凄く嫌そうな顔をして頭を抱え、

 ―――これは、あくまで昔の同輩から聞いた話なのだが。

 というふれこみで、 

 ―――一年ほど前、或る女に極秘でその薬物を分けてやったと、その同輩から聞いている。

 と、語り出したのだという。

 

 

 

 

 

 

 

 苑環にその話をして聞かせた薬種商というのは、若いころ、岐は北師の大店で番頭づとめをしていた。同輩というのは、そのころ一緒に働いていた番頭仲間であるそうだ。

 彼は清寧の生まれ、同輩は、華の地方都市、泉南の出身である。ふたりともに、しごく真っ当に番頭づとめをこなし、やがて、それぞれに暖簾分けで故郷に店を持った。

 それから二十年以上も経った一年前のこと。

 さる取引があり、薬種商は泉南を訪れ、たまたま時間の空くことがあり、ついでにかつての同輩を訪れた。特になにか用事があったわけではない。ただ旧交を温めるだけのつもりで久々に、昔の仲間をたずねただけのこと。

 当の元同僚も、旧友の訪問をよろこび、ささやかな酒宴になった。

 が、宴もたけなわになったころ、

 ―――俺は人殺しに手を貸してしまったかもしれぬ。

 などと、酔った同輩はなにを思ったか、妙なことを言い出した、のだそうだ。

 …彼が同輩を訪ねる三ヶ月ほど前のこと、泉南の市中で、同輩は或る女に声をかけられたという。

 ―――妙に親しげに話しかけられた割には、こっちは最初は、一体誰なのか解らなんだ。

 おぼろげな記憶を掘り起こし、ようやくその女が、その昔つとめていた北師の大店にほんの一時、奥づとめをしていた女中のひとり、王葎華であることを思い出す。

(彼女も、かつて奉公に出ていたことは出ていたのか)

 そういえばそんな女がいたことはいたな、と話を聞かされた彼も、言われてようやく思い出した。記憶が曖昧なのは、彼女が奥づとめをしていた期間が本当に短期間であったからで、それこそ勤めにあがってひと月、ふた月、居たか居ないかではなかったか。

 王葎華は、ある日突然その大店から姿を消したのである。昨夜まで普通にそこに居たものが、翌朝には当人だけでなく、身の回りの物なども全て一緒に消えていた。そしてどういうわけか、店の者は上は店主から下は丁稚の小僧にいたるまで、誰ひとりそのことで騒がない。話題にも出さない。まるで王葎華という女など、最初から居なかった者のごとくであった。

 はじめのうちは、なんだかわからなかったが、そのうちに、

 ―――どうも間男と連込宿に居る現場を押さえられたらしいぞ。

 という話が流れてきた。

 王葎華は元々ごく平凡に、店の主人の妾として奥づとめにあがり、すでに寝所に侍っているオメガだったが、まだ奉公にあがって間もない頃というのに外部に情人をこさえた模様。

 そして彼女は即刻解雇されたわけだが、それ以上の詳しいことは知らない。間男とやらいうのが何処の何者であるのかも不明。ことさら、彼女に特別の関心があったわけではないので、わざわざそれ以上に事情を知ろうとは思わなかった。

 そのへんの感覚は、同輩も全く同じであったらしい。その後は彼女のことなどすっかり忘れて暮らしていた。

 そんなわけで二十年ぶりに、かつてはろくに口を利いたことすらなかった王葎華が突然あらわれ、よほど親しかった相手でもあるかのごとく馴れ馴れしく語りかけてきたものだから随分と驚いたそうな。

 その上、薬を無心された。

 王葎華は何種類か薬物の名をあげ、そのうちのどれでもよいから都合してくれと言ってきた。短期間とはいえ薬種商の邸につとめていたのだから、多少詳しいのは当然のことだろうが、あげてきた薬物は全て人が飲めば死をもたらす猛毒ばかりで、そんなものをはいそうですかと簡単に人にくれてやる薬種商はいない。

 が、王葎華はこたえない。

 ―――北師で番頭づとめの頃、あなたさまが奥方様とよい仲であられたこと、存じておりましてよ。

 …くだらぬ弱みを掴まれたものだが、彼と主家の妻女に一時期、火遊びの関係があったのは残念ながら事実であった。しかも手を切った直後に妻女は店の跡取りを出産している。子種の出所を疑って疑えぬこともない。匿名で文でも書かれれば面倒なことになる。昔の話とはいえ、主家である北師の大店とはいまでも付き合いがあり、いざこざは避けたかった。

 あまり世間に流通せぬ種類の薬物をくれてやったのは、特に理由があったわけではない。たまたま在庫がそれしかなかったからである。

 王葎華も、その薬で構わぬと了承した。

 彼女がその薬物をなんに使うかなど、いっさい興味はなかったから、そうしたことはなにひとつ聞いていない。王葎華も、特になにも語らずおざなりな礼だけ言って姿を消し、その後は音沙汰ひとつない。

 が、こんな話を聞かされた方は、そう呑気ではいられず蒼くなった。このときすでにひと月前、王仁礼の無理心中事件が起こり、くだんの珍しい毒物が使われたといって、彼の店にも役人が話を聞きにきていたからである。

 役人とても、無理心中の被害者の母の、二十年以上前の奉公先にいた者をひとりひとり探し出して尋ね歩くまでのことはしていないようで、だから同輩はこの事件を知らなかったが、旧友からことの次第を聞かされ呆然としたらしい。

 ―――王葎華は、おのれの息子を殺すつもりの男に薬物を渡したのか。

 詳細はわからねど、状況から見るに、そうとしか思えぬ。

 とはいえ、このふたりはその後、役人に事情を注進することもなく、たれにもなにも言わずに今に至る。ふたりともに面倒ごとは可能な限り避けたい。揃ってなにも知らぬふりをして、口を拭っていることに決めこみ、

 ―――婆が紹介するあんた(苑環)だから話したのだ、よそでばらしたりは絶対するなよ。

 と、駄目押しのように念を押してきたとやら。

 

 

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