第26話 模型を我が手に

「宋灰廉は、岐鋭錘殿下の本性なぞ当然、知るはずがないからな」

 老巨匠はおのれの死後、のこされた模型人形は、未亡人である観長沈氏に数々の遺作とともにたくせば、あとは良いようにしてくれると思ったのだろう。それは、事情を知らぬ前提で見るなら、しごく真っ当な発想には違いない。

「それはまあ、もしあんなものの存在がかつおおやけになることがあれば、さぞかし世間がきもつぶしましょうから」

「ただ騒ぎになるだけで済むのなら、まだよいが」

 ことが世間に知れれば、それだけでは終わるまい。琅玕が夜な夜な墓泥棒にいそしみ、遺体を掘り出してきては切り刻み、あげく解剖模型人形なぞこさえて、ただ薄気味悪いだけで済んでいるのは、なんと言っても、調達してくる遺体が無名のいち市井人であるからだ。しかし、まさか皇族、それもかつては美貌で世間に名を知られたような人物までが解剖模型人形にされている―――などと露見すれば、すぐに顛末てんまつのすべてが暴かれる。さきの尖晶王家が遺体を金で売っただの、黙認のもととはいえ琅玕が解剖用の遺体を非合法に入手していただの、その種のはなしがじつにスキャンダラスに吹聴ふいちょうされて評判となるだろう。場合によっては、当局から正式におとがめを受ける者が(いまさらながらに)出るかもしれぬ。さしずめ琅玕あたりは間違いなくその筆頭であろうか。

「宋灰廉も、そのような展開を望んでおったわけではあるまいからな。それで、ことの次第を打ち明けて、保存するにしろ処分するにしろ秘密裏にやってくれるよう、沈どのに託したわけだな」

 が、託された方の観長沈氏はといえば、宋灰廉の思惑おもわくなどとは別の次元で内心大修羅場だったに違いない。

「かと言うて沈どのも、これから死にゆく者に対して本音を洗いざらいぶちまけるわけには行かぬ。卒倒そっとうしそうになったものをどうにかこらえ、なんとか場をして、とにかく老巨匠の遺言とやらを聞くだけ聞いたとな」

 老巨匠・宋灰廉は、

 ―――その昔は、兵部卿閣下がお亡骸なきがらを入手されるたびに呼び出されたものでござる。

 と、死の床でそう過去を語ったのだという。

「この解剖所見の画は、あきらかに彼が描いたものだな」

 この素描を市場に出したら存外、結構な値がつくのではないか、などと老乾道は言いながら、卓上の紙束に視線を落とす。

「宋灰廉が告白していわく、そのころ医学生だった共どのが、北師でしょっちゅう墓泥棒をはたらいて遺体を調達していたことは、一部ではすでに有名な話であったそうな」

「一部って誰のことです、当局から黙認されていた件でございますか?」

「それもあるが、この場合、同じく北師に暮らしておった画家や彫刻家たちのことだな。まあ他にも知る者はいたやもしれぬが」

 このころは、絵画や彫刻にかなりの写実性が求められはじめた時代であった。当然のこととして、より正確な人体を描き、あるいは彫るために、表面だけでなく、その内部まで構造を知りたいと欲する美術家は多かったが、かといって目的が医学であろうが芸術であろうが、人体解剖がそうそう許されるものではないのは変わらない。

「はあ、いま閣下のところに来ている画家のかたも、同じようなことを仰っておられましたな」

「左様、ゆえに宋灰廉は若い頃、噂を聞きつけて、みずから共どののもとへ素描係に自分を使ってくれと売り込みに出向いたのだという」

 むろん秘密厳守が絶対条件である。どのようなやりとりがあったのか詳細はさておき、売り込みは見事成功して、宋灰廉は琅玕が遺体を入手するたび呼ばれて解剖の場に駆けつけるようになる。時には懇意こんいの画家仲間を伴うこともあったらしい。

「ところがそのうちに、何度目かの呼び出しで、唖然とするようなしかばねと対面したことがあったそうな」

「…それが、前尖晶王家第一王子殿下の御亡骸ですか」

 遺体を見て、宋灰廉は腰を抜かしたらしい。当然だろう。

「さいわいと言うべきか、この時は同行の画家はおらず宋灰廉ひとりだった模様だな。しかし共どのは、どうも、おのれが調達してきた遺体が生前何者であったかなど、全く知らない様子だったそうだ。そもそも遺体の身元には興味すらなく、仰天しておる宋灰廉はさっさと絵を描けとせっつかれ、おかげでたれの遺体であるかを言いそびれた、どこから入手したのかも聞けなんだと」

「はあ、いかにも閣下らしいお話で…」

 先日、苑環のところで琅玕本人から聞いた当時の話とも矛盾はない。おおかた、どんな状況だったかの想像はつく。おそらくは宋灰廉が遺体の顔を見て慌てふためいていても、琅玕はそれにすら無関心だったのだろう。

「ただそのときは、解剖の前後に共どのは、なにやら遺体や臓器を石膏につけて型を取ったり、やたらと綿密に身体の各所のサイズを測ったりしておって、宋灰廉も素描のほかに、普段はやらされぬ妙な作業の手伝いをさせられたのだそうだ」

 一体なんのための作業なのかと問えば、あとで全身模型を作るのだという。

 後日、完成品を見せられた宋灰廉は、その出来栄できばえに驚くと同時に、

 ―――天啓てんけいを得たり。

 と思った、らしい。

「天啓とは?」

「宋灰廉は、この模型人形は是非自分に買い取らせて欲しい、金なら言い値で払う、と共どのに懇願したそうな」

「…また大変な天啓もあったものですな」

 琅玕も琅玕だが、宋灰廉は宋灰廉で、だいぶ変な方向に常人離れした感性の持ち主のようだ。芸術家などというものはそんなものなのだろうか。

「宋灰廉は、本当なら、弟君の岐玉髄殿下の似姿が欲しかったのだという」

 そんなものはそもそも存在するわけはなく、従って、彼は『今度もまた(!)』兄王子、岐鋭錘のそれで我慢するほかなかった。

「兄弟生き写しと言われた、兄王子の姿を模した人形をよすがに、岐玉髄殿下の彫像や肖像画を描き続けるため、解剖模型を売ってくれと共どのに迫った―――のだそうな」

「…」

 琅玕から、解剖模型を欲しがる理由を尋ねられたら、宋灰廉はそこは正直に説明するつもりでいたらしい。

 が、呆れたもので琅玕は、

 ―――みずから解剖の素描係をこころざすような意識の高い御仁ならば、画業のため、を手に入れたがるのは当然のことでござるな。結構、貴君には特別にお譲り致そう。こころゆくまでの絵を描かれよ。

 などと、自分流の勝手理屈であっさり納得し、模型人形の売却をすんなり承諾したとのこと。

 そうして、宋灰廉は首尾よく模型人形を入手する。

「無論、模型を買い取ってそれきりというわけではなく、その後も彼は、共どのが遺体を手に入れるたびに素描係をつとめたそうだ」

 ちなみに宋灰廉も華の出身である。従って、華が岐に反旗を翻したのちは、琅玕と前後して華に帰郷し、ここ清寧に工房を構えたのだという。

 一方で、琅玕も、帰郷後も懲りもせず、清寧でも墓泥棒を継続していたわけだが、解剖の際にはやはり必ず宋灰廉を呼び、素描を描かせていたという。

「要するに、やっていることはおふたりとも、北師におられた頃と同じなわけですな」

「まあそうだ」

 とはいえふたりとも、本業をおろそかにしていたわけではなく、琅玕は兄の代診をつとめて名医と評判を取り、宋灰廉も、華の上流階級の求めに応じていくつもの傑作をものした。

 ただ、宋灰廉は琅玕より三十ほども年上であった。清寧に戻ってきた時点ですでに五十の坂を越しており、そのうち寄る歳波であまり外出をしなくなる。やがて、解剖の素描にも自分では行かず、弟子を代わりに差し向けるようになった模様。

「そして十年ほど前、引退を宣言し、今に至るわけだが、その間、彼はとにかくずっとあの解剖模型人形を決して手放そうとはしなかったようだ」

 隠居先であるこの観にも、当然のように(ただし極秘で)持ち込んだわけだが、

「しかし次にゆく場所はなにしろあの世だ。今度という今度は、持っていくのはさすがに無理というものよ。棺に一緒に収めて埋葬できるほど小さいものではないしのう」

 かといって、いくらなんでも周囲になにも告げずに死ぬわけにもいかぬのは、前述の通りである。

「それで、遺言にかこつけて当代観長に、ええと要するに、処理を押し付けたわけですか」

「そういうことだな。ただしこのとき、驚いていたのは沈どのひとりではない」

「…あ」

 そう、臨終の席には、王葎華も同席させられていたのだった。

「葎華のやつは葎華のやつで、まあ、最初はおのれの目前にあらわれたものがなんであるか、さっぱり理解できなんだくらい驚いたと言うておったが」

「…それはもう、心中お察し申し上げます」

 観長沈氏も、王葎華も、ただでも気色の悪い解剖模型人形なぞというものを見せられ、それがおのれの亡夫(および、王葎華には昔の情夫)の姿をしているなどという、世にも珍奇な経験をさせられ、それだけでも生半可な衝撃ではあるまいが、

 「葎華のやつにとっては、それだけではない。ずっと知らずにいた、その昔の情夫の正体がこのような思わぬ形で知れるやら、それがなんと皇族のなにがし王子であるやら、おまけにそれが観長沈氏の亡夫であったやらと、次々とんでもない事実を知らされた訳だからな。もしかしたら葎華のやつの方が、沈どの以上に衝撃を受けたやもしれぬな」

 だとしても、その内心を宋灰廉であれ観長沈氏であれ、周囲に悟られるわけにはいかぬ。王葎華は必死で「普通に驚いているふり」を装い、その甲斐あってか周囲に気取られた様子もなく、老巨匠・宋灰廉は数日後、なにも知らぬまま穏やかに天に召されたという。

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