きみに恋をした医薬師のお話 4

「で、昨日も何をそんなに遅くまで残ってたんだよ? ナイーダ……」


 時刻もちょうど昼時になり、授業を終えてほっとした面持ちの研究生達が少しずつ食堂に顔を見せ始めたところだった。


 それを横目に、俺、ネフィーロ・カンタスはナイーダに向けて、バカだなぁと笑いかける。


 不服そうな様子のナイーダはくまを作った瞳でこちらに視線を向けてくる。そんな表情すらきれいでたまらないと思う俺も相当なものだろう。


 自然な状態で隣に座ることができるのはクラスメイトの特権であり、今までの汗と涙の結晶の日々のおかげと思えた。


「でも言ってくれたら俺も行ったのに」


 できるだけさり気なく……を心がけて口にしたものの、ナイーダから向けられたのは呆れ果てた眼差しだった。


「ふざけるな。ただでさえ、昼間は誰かさんのせいで課題が進まないんだ。ああやって夜にでも補わないと俺がついていけなくなる。今度チナンに告げ口をしたら許さないから」


 俺の顔も見ず、ただもくもくと自分の前に置かれたパンを口に運び、ナイーダは強い口調で苛立たしげにそう述べた。


 きっと、すれ違う人間誰もが一度は振り返ってしまう程、キリッとした顔立ちに誰よりも整った女性らしさを伴わせたような美しい容姿を持つ彼女だけに、『俺』という一人称と男のような荒々しい言葉遣いに驚いてしまう初対面の者は少なくない。


 実際のところ、今ここで、彼女を目の前にしていつものように隙あればアピールしようと目論む俺でさえ、二年前に突然異例の時期に医薬師の卵としてこの育成学校に入学してきたナイーダに初めて会った時はただただ美しい容姿に憧れといささかの妄想を加えて見入っていただけに見た目とは裏腹な言動に驚いたものだった。


「でもおまえ、休みの日だっていつも研究室にこもりっきりじゃないか」


「おまえが遊びすぎなんだ」


「な、なんだよ。俺らは医薬師の卵の前に、健全な若者だぞ。唯一の休みに遊びに行かないでどうする! 休日に過ごす相手がいないのなら俺と……」


「結構だ」


「言い終わる前にぶった斬るなよ」


「おまえの言わんとすることはわかっている」


 俺としてはいつものように冗談の中からもかなりそこだけは真剣に言ってみたつもりだったのだけど、それでもそれは、鋭い彼女の視線に睨み付けられて、慌てて次の言葉を捜さないといけないはめになった。


 初めて出会った時から、あまり笑顔がなかったナイーダではあったが、同じクラスで同じ時を過ごす時間が長くなればなるほど、彼女との距離は縮まり、今や自他認める良き友人になった。(と俺は思っている)


 俺は今でもナイーダと出会ったことは運命だと思っている。


 そこそこモテて、特に女の子に苦労したことがなかった俺がこんなにも目を引かれる存在に出会ったことがなかったからだ。


 近い未来、早く『ただの友人』という言葉を取り除いてしまいたいという願望があるのはここだけの話だ。


 しかしながらその運命のお相手様は、そんなこと全く気にもしないように突然はっとしたように席を立った。


「ナイーダ?」


「悪い、ネフィー。俺、昨日の課題、間違ってるとこがあったんだった。今のうちに片づけてくる」


 すっかり忘れてた、と言わんばかりにナイーダは目の前に並ぶいくつかの書簡を手に椅子を戻した。


「頑張りすぎだよ、ナイーダ……」


 明らかに想いの届いていない彼女に大げさな溜息をつき、ネフィーロはむくれる。


 どうやら彼女は恋心というよりも、研究に命をかけており、そこへ全身全霊全精神を注ぎ込んでいるところがある。


「昼休みが終わる頃には戻るから」


 しかし、既に俺の言葉なんて全く耳に入っていないようだったナイーダはそのまま身を翻し、足早に出口の方へ向かって歩いて行った。


 適当に後ろで結われていた彼女の長く美しい黒髪は白い大きな襟のついた白衣によく生えていて、漆黒の輝きがふわっと宙を舞う。


 通り過ぎるたびに他の研修生たちの視線を一斉に集めるには十分な威力だった。


 言葉に身の振る舞いに何から何まで全てが全て、まるで男のような彼女だったが、いつも遠くを見据えるその大きな瞳は鋭い光を宿し、整った顔立ちはまさに女神の姿を彷彿させた。堂々とした動きが人と違う。


「かっこいいじゃん」


 ただ、男顔負けなくらい研究熱心なのが玉に瑕とも言えたのだが、それも彼女の良いところだ。


 そんな彼女にまた頬が緩むのを感じて、居ても立っても居られなくなり、俺も慌ててその後を追うこととなった。

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