第71話 ずっと側にいてほしい
「嫁にもらうから」
唇と唇が少し離れ、お互いの吐息が混じり合った時、彼はささやくように言った。
視線と視線が重なり合い、状況を飲み込んだナイーダは噴火寸前と言わんばかりに顔をカッと赤らめた。
「は、はぁ? な、何言ってやがる、おまえ……て、てか……てか今、な、何を……」
急にありえない事実を脳が受け止めきれず、言うなり慌ててアルバートから身を引き離そうと必死にもがく。
「ふ、ふざけるな! 何なんだよ、今のは!」
(こいつ、今、何を……)
「もうファード様には言ってあるし、既にお許しも貰っている」
「なな、何だと!」
ナイーダは混乱し、動揺してしまっていた。
「お、俺は……俺は、お、男だ……父上が、そんな……」
「なら別に、俺が嫁ということでもどっちでも構わない。だからもう、諦めろ」
あまりにあっさりしたアルバートの言葉にナイーダは頭がパンクしそうになる。
「な、なら、って、な、なにプライドを捨てたようなことをそうも簡単に……」
「おまえを納得させるよりは簡単だ」
「ふ、ふざけるな……」
し、しかも……と口元を覆い、顔を背けるナイーダにアルバートは鼻で笑った。
「何を今更。初めてじゃない」
「お、おまえと一緒にするな! 誰彼構わず虜にして手を出しまくってるおまえは違って、俺はこういうことには慣れて……」
「ああ、そうだな。おまえは慣れてない分、もっと危機感を持った方がいい」
「なっ!」
「すっかり忘れてるようだけど、もう以前にアルのものになるって宣言して俺に迫ってきてるのはおまえだからな」
心外だ、と言わんばかりにアルバートが大きなため息をつく。
「う、うそだ……そんなの、お、俺……」
「人前で飲むときはほどほどにしろ」
「は?」
「……やっぱり覚えてないんだな」
どういうことだよ!とさらに赤らめた顔でアルバートを見つめ、ナイーダは怒鳴る。
「おまえに本気で触れるのは二度目だ」
「お、俺がいつ、そんな……」
「先日のパーティーの日だよ。あの時、兄さんに止められなかったら、確実におまえは俺のものだったと思う」
何のことだかわからなくなったナイーダだったが、すぐ側にある彼の顔に目眩を感じた。
心なしか、この状態も覚えがあるような……
「もう覚悟を決めてもらうよ」
そしてまた、今度は力強く唇を押しつけられ、ナイーダは飛び上がる。
しっかり固定された彼の腕をふりほどくことは不可能だと悟ったナイーダは、再び抱き寄せられた時はもう力を抜いて彼に身を任せるしかなかった。
「ファード様はおまえを愛してらっしゃるよ。本当に、誰よりも」
父上の名前が出て、胸がズキッと傷んだ。
「娘を頼む。そう彼は俺におっしゃられた。この意味、わかるだろ? ただあの方は、モールス様を失われて、人を愛することを恐れて避けようとしていただけなんだ」
ナイーダの顔がまた歪んだのを見て、アルバートは優しく自分の胸に彼女を抱え込んだ。
「俺もおまえが好きだ。側にいてくれるだろ」
な?と彼がナイーダに笑いかけた時、彼女は自身の顔を両手で覆う。
「う、うそだ……」
「俺が今までうそついたことあったか?」
優しい声で問われ、ナイーダは首を横に振るしかできなかった。
「い、嫌だ……し、信じない」
怖かった。
本当に。ずっとそれだけが。
ここにいて、『おまえなんかいらない』、そう言われるのがとても怖かった。
「言葉足らずだったから改めて言っておくと、もう俺はおまえを男としては見られない。でも、おまえには俺を守ってほしいし、俺もおまえを一生大切に守り続けると約束するから。だから側にいてほしい」
「そ、そんな言い方……ずるい……」
「なんとでも言え」
強く回されたアルバートの腕に支えられながら、ナイーダはゆっくりと目を閉じる。
そして、兄上・モールスのことをふと思い出していた。
『ナイーダ』
彼は笑っていた。いつものように。
彼が言いたかったのは、このことだったのだろうか。
『おまえはわたしにならなくていいんだ。おまえが女に生まれた意味がわかるかい? それはおまえを愛する人がいるからだよ。おまえは幸せになれる子なんだ』
記憶の中のモールスもまた、同じことをのべて静かに微笑んでいた。
ナイーダはアルバートの胸にしがみつき、声をあげて泣いた。
『側にいてくれ』
遠い昔、愛を失ったと思っていたナイーダが一番聞きたかった言葉だった。
ずっとずっと昔から、誰かにそう言ってほしかったから。
ナイーダは泣いた。
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