第40話 この手にとどめておけるなら

「あれ? どこ行った……」


 アルバートの側からナイーダの存在が消えたことに気付いたのは、それから少し経った頃であった。


 突然お偉いさんたちに囲まれ、困惑しながらも対応していたアルバートは気付いたら全くつまらない世間話に付き合わされることとなり、気付いたらすぐ側にいたはずのナイーダの姿が消えていたのだった。


「ま、まさか……」


 かなり嫌な予感がした。


 今日のナイーダはいつにも増して、文句の付けられないほど美しかった。


 アルバートのひいきの目でなくとも、男性たちからの視線は感じていたし、心を奪われた人間も少なくなかったはずだ。


 それに加え、人助けをしていると思いこんでいるその正義感からなのか今日はなぜかいつも以上に素直な表情を見せてくれる彼女に隙をついて近づかない男がいないはずがない、ということに気付いたのであった。


「可愛いねぇー……」


 案の定、嫌な声が聞こえた。


「お嬢さん、名前は?」


 その可愛い女性の正体が、自分達の上官であり近衛団の副隊長であるナイーダ・ブェノスティーだということに気付かず、貴族出身の隊員たちが鼻の下を伸ばし、デレデレしながらナイーダを囲んでいた。


「お、おい、離れろ!」


 思わず余裕のない声を出してしまい、アルバートはしまった、と思ったものの、これ以上自由にさせておくわけにもいかず、いつもの落ち着いた様子はどこへやら、すさまじい勢いで割り込んで入る。


 そんなアルバートよりも慌てた反応を見せたのは部下達の方であった。


「た、隊長っ!」


「こ、この方が隊長の恋人であられましたか」


 ナイーダの率いる隊員でなかったのが救いだったのか、全く気づかれる様子はない。


 元々ナイーダを女性だという意識がないからだろうか。


「あまりに美しくて、つい……」


「いや、こちらこそ、驚かせてしまって申し訳ない。ここは見逃してくれると助かる」


「い、いえそんな!!」


 部下達はナイーダに気付かずに彼女にぺこぺこと頭を下げて去っていく。


「ああ、もう……」


 ちょっと来い、とアルバートはナイーダの手を引き、人通りの少ない裏庭へ向かう。


 そこはパーティーには使用されていない場所であり、訪問客が気軽に入れる場所ではないだけに安心できる場所だった。


 手を引くアルバートに従い、ナイーダは素直についてきた。


 いつバレてもおかしくない状況とナイーダが自分と恋人だと言われたことに怒り出さないか、いろんなことに思考を巡らせては冷や汗を流していたアルバートであったが、それでも反応しないナイーダに少し不信感を抱いた。


「お、おい。大丈夫か? って、ええ?」


 振り返って目を見開く。


 頬をピンク色に染め、瞳をとろんとさせたナイーダがそこにいた。


「ほぇ?」


 気のない声で顔を上げた彼女は気持ちよさそうにへらへらと笑う。


 既にアルコールによりできあがってしまっているナイーダを見て、アルバートは頭の痛さを感じた。


「よ、酔っぱらい……」


 ふぅっとひと息はいてから呆れたようにナイーダを見下ろしたが、彼女は嬉しそうにニコニコしっぱなしである。


「ふへぇ~」


 足元だっておぼつかない。


 挙げ句の果てに、先程までの自身を支えていたバランス感覚さえ失ってしまったナイーダはひょろひょろとアルバートに寄りかかってきたのだった。


 とにかくここはまずい!と、アルバートは今にも転んでしまいそうなナイーダを抱き抱え、一刻も早く裏庭へと向かった。


「あ、ありゅ〜」


 いつもなら力いっぱい殴って抵抗してきそうなものなのに、今や彼女は力を失い、ダラーンとしながらアルバートの腕の中にすっぽりおさまっていた。


「ったく、どれだけ飲んだんだよ」


 そういえばナイーダとは一度もさかすきを交わしたことがなかったことにアルバートは気が付いた。


 ナイーダはいつも自身の秘密のことに厳しく、いつもいつも気を張っていた。


 だからできるだけ公の場のパーティーにも護衛でない限り顔を出さなかったし、唯一羽目が外せる近衛団の宴会の時も進んでそれに参加しない唯一の口実である、リリアーナの護衛の仕事を選んでいた。


 溜息をもらすアルバートに彼女は楽しそうにクスクス笑う。こんな無防備な姿は、もう普通の女性と変わりはなかった。


「危ないヤツだ……」


 バレたらどうする気だったんだ?と思えば思うほどぞっとした。それにしても……


「何でこんなになるまで飲んだ?」


 自制心の強いナイーダにしては珍しかった。


 いつもはあんなに警戒しているというのに。


「らってぇ……ごえいじょ〜たちがおいしいってぇ」


「ご令嬢たちに勧められたから飲んだのか?」


「ごえいじょ〜にしゅしゅめりゃれて、しょりぇをことわりゅおとこなんていないだろぉ~」


 呂律が回っておらず、見るからにぐったりしている彼女はもうどう見ても男には見えなかったが、心の中では立派な男のままのようで、アルバートは思わず吹き出してしまった。


「ったく、どこに行ってたんだよ」


 捜したんだぞ?と柔らかいナイーダの頬に手を添える。


「おまえもだろぉ……」


「え……」


「かぁ〜あいいおんにゃにょこたちに囲まれてデレデレしてたくしぇにぃ……」


「え?」


 ふにゃふにゃした言葉は聞き取りづらい。


 その中でも、耳を疑う言葉が聞こえた気がした。


 自身の手の平の中で拗ねたようにぷぅっと膨らまされたナイーダの頬を見て、アルバートは驚いた。


「女の子に囲まれてたって? 俺が?」


 聞き返すと気まずいのか、瞳をそらそうと必死になるナイーダの姿が信じられなかった。


「あ、ありゅ〜、は、はなしぇよぉ〜……」


「残念だが、近衛の連中のところやいつも愛想笑いしてるおっさん相手に回ってたよ。ごめんな。ナイーダいるの、わかってたのに」


 頬を解放してやり、ゆっくりと瞳を覗き込むと目に見えてほっとした表情を浮かべたナイーダが自分を見つめ返していた。


(う、うそだろ……)


 大丈夫?と、思いながら無防備に自分にぴったりくっついてくる彼女の背中に腕を回していた。


 普段だったら絶対怒られるだろうのに、本当に正気を失っているのか、彼女は満足したようにまだにこにこしていた。


「いいのか? まるで恋人同士みたいになってるけど……」


 ふーっと深呼吸し、できるだけ意識しないようにアルバートは右手の拳をぐっと握った。


「まぁ、俺はいいけど……」


 ずっとこうしたいと思っていたし。


 アルバートは少し表情を緩め、優しい瞳でナイーダを見つめた。だが、


「こいびとにはにゃらにゃいもーん」


 次にナイーダが発した台詞に唖然としてしまった。


「え? なんでだよ!」


 こんなに寄りかかってきてるくせに!と、少しムキになってしまう。


 にゃらにゃい……と腑抜けた言葉で表現されることも心なしか腹立たしい。


「らってぇ、おりぇ……、男りゃしぃ……」


 聞き慣れた台詞が返ってくる。


(ああ……)


「それなら別に構わないよ」


 どうせ違うし、と口が裂けてもそんなことは言えないが、それが本心だった。


 ナイーダを抱く腕にどうしても力を入れてしまいそうになる。アルバートにとって、これほどの苦痛はないように思えた。


 そんな彼の気も知らず、のんきにナイーダはまたむにゃむにゃと何か呟きだした。


「れぇもさぁ……」


「何だよ?」


「おりぇはむりりゃよ……」


 え?と思わずナイーダに添えていた腕を離してしまう。


 ナイーダは突然緩められた腕に少し不思議そうな顔をしたものの、少し寂しそうに瞳を伏せて続けた。


「らってぇ、みぃんにゃ、ありゅのまわりにいりゅこはかぁ〜あいいこばっかりらしさ。なのにおりぇなあ〜んて、けんにょつかいかたしかしりゃにゃいし。てだって、もうこぉ〜んなにボロボロらし……むりりゃよぉ……」


「待て。ちょっと待て」


 アルバートは耳を疑った。


 腑抜けたこの言葉を、聞き間違えたのだろうか。


「ナイーダ……」


「そんなの、ゆめみたいなはなしらよぉ……」


 そして、悲しそうにナイーダは笑った。


「おりぇみたいなはんぱものはさ、だぁ〜りぇもしゅきになんてなってくれねぇんらよぉ」


 あ〜あ、言いたくなかったのにぃ、と頬を赤らめたナイーダは大きな瞳を揺らす。


「ありゅのばかやろぉ〜」


 離れんなよぉ〜と自身の胸に頬を擦り寄せてくる大切な姫君にアルバートは自分もまだまだ修業が足りないな、と理性を失ったことをぼんやりと他人事のように悟っていた。

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