第3章
第20話 大切な姫君と王太子殿下
「ナイーダぁぁぁーーーーー!」
いつも以上に悩んだ分、翌日は気合いを入れ直して出仕したナイーダをすぐに自分の部屋へと呼び寄せ、その姿を見るなり飛びついてきたのは、大切な姫君ことリリアーナだった。
「リ、リリアーナ様……」
一瞬の出来事で、どうしたのかと驚いてしまった。
が、昨日の自分がした彼女への最低な振る舞いを思い出し、ナイーダは静かに姿勢を正し、跪く。
「リリアーナ様、昨日は……」
「あああああ、よかったわ。もう来てくれないかと思って。わたくし、ナイーダを悲しませてしまったから……」
「え?」
あまりの勢いに押され、圧倒されてしまって言うべき言葉を飲み込んでしまう。
「来ないわけがございませんよ」
唯一の居場所であるここに、来ないはずがない、と心の中で思いながら、自分の首にしがみついて突然わんわん泣き出したリリアーナに、ナイーダの胸は酷く痛んだ。
「ごめんなさい、ナイーダ……」
「謝らないで下さい!」
ああ、と思わず自己嫌悪してしまう。
こんなに素直で優しい方に嫉妬して、悲しませるなんて……自分が恥ずかしくなる。
「悪いのは俺です。リリアーナ様。だから、お願いですからもう泣かないで下さい」
「で、でも……」
さ、立ってください、と促す。
彼女のような人間を無防備に床に座らせるなんてとんでもない行いだ。
「俺が、自分が弱いところをあなたに見られてしまい、とても顔向けできる状態ではなかったんです。それで、あんな失礼な態度に出てしまって、本当に申し訳ございませんでした」
我ながら最悪だ、と思えるほどの完璧な嘘をつき、それでも泣きやまないリリアーナの美しい髪を静かになで、やはり可愛い人だとナイーダは思った。
だから、嫉妬してしまったのだ。
「あ、あなたはまだわたくしを嫌いになっていないの? ナイーダ……」
とても、とても愛おしい程に可愛いから。
アルバートが心を奪われるのもわかるし、それはそれで仕方のないことなのに、昨日の自分は明らかにどうかしていた。
「そんな訳、あるはずがありません。俺の大切な姫君。これからも、あなたをお守りし続けると誓います。この身に変えても」
そして、未だにしがみつこうとするリリアーナをそっとひき離し、姿勢を正す。
彼女の白く美しい手を取り、敬愛をこめて口付ける。
「命をかけて、あなたを守ります」
俺は、この人を守り抜く。
自分に迷いがあるのなら、本来の気持ちを思い出せばいい。原点に戻って、自分は自分のすべき道を捜せばいい。
「リリアーナ様を守ることが、俺のすべき唯一のこと」
迷うことなんてない。これが俺だ。
ナイーダは笑っていた。
自分をしっかり導いてくれる存在は、アルバートだけでなく、ここにもいたのだから。
迷うことなんて、ないんだ。
「あら、それは困るわ。ナイーダ……」
「え?」
「あなたに命をかけるなんて言われたら、わたくしはそれこそ心配で、もうあなたを側から離さないわよ」
大海の光を宿す真珠のような輝く涙をキラキラとこぼし、リリアーナもにっこりした。
「いえ、守らせて下さい。俺が俺であれるように。あなたは俺の希望なんです」
その言葉は、ナイーダの決意だった。
すべてはここで始まり、ここで終わる。
それがわかっていたからこそ、リリアーナは口を開いた。
「ねぇ、ナイーダ」
「はい」
「あなたはあなたよ。どんなことがあっても」
「え?」
「忘れないで。わたくしを守っていくことだけがあなたじゃない。あなたが心配していることは、わたくしにはわからない。でも、わたくしはいつでもあなた自身を見ているということを忘れないで」
(お、俺自身を……)
「だから、自分自身を縛り付けて、追い込まないでほしいの! 性別とか生き方だとか、あなたが思っているほどに、わたくしは気にしていないのから! どっちでもいいの。あなたなら。あなたが側にいてくれたら十分なのよ」
体の力がすっと抜けたような気がした。
すべて、今までずっと気にしていたことがあたたかい光に包み込まれたように思えた。
「リリアーナ様……」
ああ、そうだと思い出す。
思いこもうとすることは、とても楽なことだから……だから……
「やっぱりマリーネ様には敵いませんね」
「え?」
「昨日も言われました。女の顔をしていると。俺、最近自分が自分自身でなくなるような気がして、いつも必死に男だと思いこもうと努力してきました。でも、意識すればするほど、うまくいかないもんなんですよね」
ナイーダは少し泣きそうな顔で笑った。
「安心しました。あなたは、男でも女でも、どちらの俺でも受け入れて下さるのですね」
その言葉が何よりだ。
「当たり前よ! むしろ、あなたがつらいのなら、いつでも女の子としていてくれて構わないのよ。アルバートには秘密にしておくわ」
そしてまた力いっぱい抱き付いてくるリリアーナにナイーダは驚いたが、とても嬉しかった。
とても心が軽くなったように思えた。
「そうよ、ナイーダ。わたくしの物でなんでも可愛いと思ったり、ほしいと思ったものがあればいくらでもあげるわ。かっこいいわたくしの護衛のときのナイーダはアルバートにお任せするとしても、女の子のことならわたくしを頼ってちょうだい。いつでも協力するから」
リリアーナは生き生きした表情で笑った。
「はは、勘弁してください。俺はリリアーナ様の前ではいつまでもかっこいいままでありたいんですよ。たとえあなたがそう思っていなくても、自己満足程度には……」
「知ってるわ。ナイーダはいつもかっこいいもの。でも悔しいわ」
「何が、です?」
「アルバートは女性のあなたの顔が見られて、わたくしは見られないのね」
消えそうな声で残念そうに呟き、頬を膨らませたリリアーナから、聞き捨てならないなにかとんでもない発言がされた気がした。
「な、なぜアルなんですか?」
「え? 違うの? あなたのこと、キレイだって言っていたからてっきり……」
「なっ、ありえません。あいつに限って……」
キレイだなんて……あるはずがない。
「いえ、そう言ったのは本当よ」
だが、リリアーナはやけに真剣な眼差しでナイーダを見つめるものだから、ナイーダは顔がほてるのを感じた。
「あいつはよほど俺をからかうのが楽しいのですね。次会ったらぶん殴ってやります」
「アルバートは本気よ。わたくしだって、あなたのこと、そう思うもの」
「と、とにかく、あいつの前ではいつもちゃんと男のままで通してます!」
昨日の今日だけに、妙に意識してしまい、ナイーダは焦る。
(あいつに女の顔なんて、見せられるわけがない。今さら……)
「まぁ、たしかに、エリオス様に言われたんですよ。あいつの前だと、女の顔に戻るって……」
まだ何か勘違いしたマリーネが続けそうだったので、その前に慌ててナイーダは言葉を繋ぐ。
「お、俺……」
「え? エリオス様が?」
「はい。昨日初めてお会いしました。その時に……」
夫の名前が出て、顔色を変えたリリアーナに、とっさに出した言葉だったとはいえ、何かとてもまずかったような気がして、ナイーダはひどく後悔した。
彼女なら彼のことをよくわかっているものだと思っていたが、そんなはずはないのだと今までの様子から一番よくわかっていたのはナイーダだったのに。
「本当に、本当にエリオス様だったの?」
珍しく取り乱すリリアーナに、ナイーダは申し訳なくなる。
「あ、いや……あの……」
「本人がそうおっしゃったの?」
「え、ええ」
言わなきゃよかった、と今さらながら思っても後の祭りだ。
蒼白な表情のリリアーナを見て、ナイーダはさらに自己嫌悪した。
「リリアーナ様、申し訳……」
「ナイーダ」
「え……あ、は、はい!」
「もうその人に近づいてはダメ」
「え?」
リリアーナの瞳がナイーダをとらえた。
「その方は、エリオス様ではないから」
今にも消えてしまいそうなその声に、ナイーダは何も言えず、その後すぐにリリアーナを呼ぶ侍女たちの声に感謝をし、その場をあとにした。
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