第6話 それは知らない部屋の中で

 あれからどのくらい眠り続けただろうか。


 重いまぶたをゆっくり開き、ナイーダがぼんやりした頭で周囲に目を向けると、そこはまるで別世界のようにだだっ広く、豪勢な装飾でゴテゴテに彩られているある一室にいた。


(ここは……)


 まだ寝ぼけているのだろうか。


 状況が理解できていない。


 両手を広げても、寝返りを打ってみても全く問題のない大きなベッドの上にいて、ナイーダを混乱させた。


「ナイーダ……」


 声のする方に目をやると、ベッドの脇にある人物が座っていることが確認できた。


 ナイーダのいとこであり、リリアーナの侍女を勤めるメレディスが睨み付けるような目つきでナイーダを見つめていた。


「メレディス、どうして……」


 未だ霧の晴れない頭を気力だけで持ち上げ、同時に体を起こそうとしたナイーダに対し、いきなり彼女の平手打ちが襲ってきた。


「こぉんの、バカナイーダ!」


 メレディスの攻撃はおさまらない。


「ったぁ……って、な、なにすんだよ、メレディス……」


 慌てて抵抗しつつ、目覚めるには十分な刺激だった。


 見慣れないあたりの様子に、ナイーダは改めて四方を見回す。


「こ、ここは……」


 自室ではない。では……


「お城の一室よ。あんた、意識を失ったの」


 無茶ばかりするんだから!とメレディスはずいぶんご立腹状態だ。


「お、お城? え? お、俺、そんなに長居して……」


「何度も言ってるでしょ。こまめにさらしは外しなさい、って。あんたね、もう少しで窒息しかけるとこだったのよ!」


「そんなこと言ったって……」


 ようやく離してもらえた頬を両手でさすりながら涙目でナイーダは反論しようと試みるが、長年の付き合いだけあり、一つ年上のメレディスのこれ以上にない怒りの気配に口ごもるしかなかった。


「いくら長旅のお仕事があったかもしれないけど、それだって例外にはならないって言ったでしょ。現に倒れたのがアルバート様の側だったからよかったものの、もしも同行していたセト様の前だったらどうするつもりだったのよ。あの方はまだあんたのことを男性だと思って接してくれてらっしゃるんでしょ?」


「うう……」


 ごもっともである。


 この発言にナイーダは反論することが敵わず、居心地の悪さにとっさに目を反らせた。


「アルバート様が言っていたわ。ずっとあんたは気分が悪そうだったって。うすうすは体調の悪いのに気が付いていたんでしょ」


「だ、だって……」


「だってじゃないの。いい、これからは絶対に注意して。わかってるの? あんたがここでばれたら、もうここにはいられないのよ」


 城内に勤める、唯一の血縁者だけに、ナイーダの秘密を知る上でいつも心配してきてくれていたのは、このメレディスである。


 これまでにも何度も何度も彼女が泣きそうになって自分のために声を荒げる姿を見てきた。


 そう。すべてはナイーダのためなのだ。


「ごめん」


 今回もまた、心配をかけてしまった。


「わかればいいの。わかれば。まぁ私も、愛しのアルバート様をじっくり間近で拝見できたし、今回は許すわよ」


「い、愛しのアルバート様だぁ?」


 冗談めかしにホホホ、と笑うメレディスに、先刻までしゅんと肩を落としていたナイーダは気を荒立てて反論する。


「な、おまえまであんなヤツがかっこいいとか思ったりするのか?」


「当たり前でしょ。あんな完璧な人間がこの世にそういると思って? あの甘い瞳で見つめられてあの麗しい声に愛をささやかれてたら、わたしは即死ぬわね!」


 夢を見るようにうっとりするメレディス。


「なら死んだ方がマシだな」


 それに対し、ふん、とナイーダは言い返す。


「お、男のあんたになんてわかってたまるもんですか! それにしてもあんた、まだわたしと交際しているというくだらない噂をアルバート様にちゃんと説明していないんですってね」


「わざわざ説明する必要もないだろ」


「呆れた……」


 メレディスとは、いとこでもあり秘密を知った上で協力してもらっているという数少ない友人として、ナイーダはいつも彼女にばかり頼っていた。


 そんな二人が共にする時間が長くなればなるほど、二人の親密だという噂はすばやい広がりをみせた。


 ほとんど気にも止めていないナイーダに対して、メレディスはそうではないようだ。


「あの方、ここへ来てあなたをわたしに任せるなり、『楽しい時間を』ってにっこり微笑まれたのよ! ああもう、秘密を知っているあの方にまで誤解されていたら、わたしは永遠に恋人ができないままだわっ!」


「で、でも、いつもはそんな話題にもならないし、否定してる暇もないんだって、本当に」


 絶対否定しなさいよね、といつものとおり目の色を変える彼女にナイーダは慌てる。


 男として生きていくために、無駄な憶測を持たれないためにも都合がいいと思ったことがあったのは否定できなくはない事実だったため、ますます何も言い返せそうにない。


「わ、わかった。今度アルに会ったらちゃんと誤解を解いておくから。てか、アルは別にそんなこと気にしてないと思……」


 と、言いかけてナイーダは気付いた。


「さ、さいって~!」


「な、なぁ、メレディス……」


 怒りを露わにするメレディスとは裏腹に、ナイーダの表情は言葉通り蒼白というものに変わっていた。


「な、なんで俺、こんな格好してるんだ?」


 先程に比べ、気分はだいぶよくなっていた。


 メレディスに怒られたとおり、原因はまたさらしを長時間きつく巻きすぎていたことだろう。


「そりゃそうよ。あのままだったら窒息寸前だったんだもの。着替えさせたに決まってるでしょ。私の寝間着に」


「いやいや、おかしいだろ!」


 白くフワフワとした生地のワンピースに身を包んだナイーダは、全身を布団に隠し、真っ赤になって憤慨した。


「なんだよこれ!」


「なんだよって、わたしの寝間着じゃないのよ」


 お気に入りのを貸してあげたんだから感謝しなさい、とメレディスは悪びれる様子もない。


「ふ、ふざけるな。お、俺の服は……」


「ああ、もう今日は着ちゃダメよ。あれを着るとまたさらしを巻くはめになるしね」


 可愛いでしょ!と微笑みながら、メレディスは体を隠すようにしてナイーダがしっかり胸元で握りしめている毛布をはぐ。


「ちょ、メレディス!」


「いいじゃない。たまにはそんな格好をしたって。無理ばかりしているとまた倒れちゃうわよ。本当に、さらしをとったら一気に顔色が回復したんだから」


 ワンピースの上からでもわかる、形のいいナイーダの豊かな胸の膨らみを見て、もうどう考えてもいい加減さらしでの生活は無理があるとメレディスは溜息をついた。


「ひ、一つ聞いておくけど、こ、この格好には誰が変えた……」


 メレディスの心配もよそに、ナイーダはまた別の意味で顔色を変えていた。


「え?」


「誰が変えた?」


(ま、まさか……)


「わたしに決まってるじゃない」


「そ、そうか」


 それならよかったと一瞬の間をおいて、ナイーダは自分から力が抜けたのがわかった。


 内心ほっとしながら、ありもしない可能性を想像してしまった自分自身に腹が立った。


「アルバート様だと思ったの?」


 答えることもなく、ただギクッとしたように動きを止めたナイーダに、メレディスは楽しそうに爆笑した。


「あはは、いくら何でもそれはないわよ!」


 今日はあっちでもこっちでも笑いの種にされて、本当に厄日だとナイーダは唇を噛み、心の中で泣いた。


「それにもしそうだったとしたら今頃、アルバート様はお仕事どころじゃなかったでしょうから」


「は?」


「わたしの入る隙間さえないくらい、ここは秘密の花園化していたはずよ」


「秘密の花園?」


「うふふふふ♡」


「な!」


 メレディスの含み笑いを目にしたナイーダは、昼間にアルバートのしていた噂話のことを思い出して余計な想像をしてしまったため、思わず全身を震え上がらせた。


「まぁ、それはそれで、わたしとしては……」


「アルとは絶対そんな可能性はない!」


 思いがけず飛び出したナイーダの言葉にメレディスは目を丸くし、ナイーダはナイーダで意外だった自分の言葉に驚きつつも、その意味を噛みしめながら続けた。


「あいつは、俺を男としてちゃんと扱ってくれてるから……」


 いつもからかってナイーダがすることなすことに対していちいちけちをつけるアルバートだったが、それでもそれは正論が多く、ナイーダが女だからといって彼女の嫌がる扱いをしたことは一度だってなかった。


「それにあいつは……」


 想い人が他にいる。


 そう言いかけて言葉を呑む。


 これはナイーダだけの秘密だからだ。


「ごめんごめん。からかいすぎたわ」


 眉間にしわを寄せ、黙り込むナイーダに降参したようにメレディスは両手を挙げ、にっこりした。


「あんたたちがとても良きパートナーなのはわたしもよく知ってるわ。変な噂がたくさん立つけど、気にしてない人はわたしのようにちゃんと無視しているわよ」


 普段、口ではぼろくそに言っているナイーダだったが、それでもアルバートのことを誰よりも尊敬しているのも彼女であった。


 そんな彼女に、いつもメレディスは微笑ましい気分にさせられていた。


「本当か?」


「もちろん。だから安心して休んで。明日はお休みでしょ。今日はここに泊まればいいって、アルバート様はおっしゃってたわ」


「で、でも……」


 城内と聞いた今、誰がやってくるかもわからないこんな所で落ち着いて寝られる自信もない。できれば早急に帰りたい。


 が、回復したばかりの体はそうもいかず、無理に起きようとすれば目眩を感じ、ナイーダはメレディスに強引に押し戻された。


「大丈夫。ここはあなたがよく利用している裏庭に最も近い場所よ。誰も来ないわ。とにかく早く治すことだけを考えてね、ナイーダ。わたしももう休むことにするから」


 でも……と、いいかけたけどやめた。


 これ以上彼女に心配をかけるのは申し訳ないと思ったからだ。しかし、


「な、なぁ、メレディス」


 ナイーダは自分に背を向け、部屋を去ろうとしたメレディスを思わず呼び止めてしまっていた。


「ん? 何?」


 メレディスの丸く大きな瞳が優しくナイーダをとらえる。何もかも見透かされているような、そんな瞳だ。


「お、俺さ。どうしたらいい?」


「え?」


「あ、い、いや、やっぱりいい」


 次の言葉を述べようとして、やめた。


 やっぱりメレディスでさえ言えなかった。


「変なナイーダ。じゃ、おやすみなさい」


 それだけ残し、可憐に身を翻し、今度こそメレディスは部屋を出ていってしまった。


 また、ナイーダを一人残して。


 誰もいなくなった部屋に一人になったナイーダは、今自分が身に纏っているまったく違和感なく自分と一体化しているワンピースに目を落とし、そしてまた深く溜息をついた。


 

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