第12話 もらった“命”

 無人の受付でタッチパッドを操作し、待つこと5分。奥から現れた女性に促されるまま、少したじろぎつつもオフィスの中へと通された。

 ガラス窓越しに、数名が見たこともない機材とモニター、パソコンを使って作業をしているのが見えたが、まるで畑の違う一樹にとっては、どれもこれも未知の道具で見当もつかない。

 

 大人しく応接室へと案内され、座り心地の良い椅子に腰かける。一樹と奈緒がそわそわして待っていると、すぐにまたドアが開き、先程とは異なる女性が入ってきた。


 目を閉じたまま、“白杖”をつきながら登場した彼女に二人は立ち上がるも、一足早く彼女に制されてしまう。


「お待たせしました。どうも、はじめまして」


 彼女は目を閉じたまま笑い、会釈をする。一樹、奈緒も合わせて頭を下げた。

 女性は白杖を頼りに、一樹らの対面までやってきて座る。グレーのカジュアルなスーツ姿と、後ろで束ねた黒髪は“キャリアウーマン”という言葉を嫌味なく連想させた。

 

 一樹はどことなく対峙した彼女の“オーラ”に気圧されてしまうが、なんとか言葉を絞り出す。


「はじめまして。あの……本日は、お忙しい所、ありがとうございます」

「いえいえ、全然! そんなに、かしこまらないでください。もっとラフな感じで、全然結構ですよ」


 目を閉じていながら、なんとも痛快に笑う彼女に、一樹と奈緒は互いの顔を見合わせてしまう。

 軽い自己紹介を交わした後、二人は改めて、目の前に座る女性――東野律子ひがしのりつこをまじまじと見つめてしまった。


 都心部に居を構える小さな音楽制作会社にて、若くして凄腕プロデューサーとして活躍するのが、この東野律子である。“全盲”でありながらも、そんなハンデを感じさせない凛とした姿に、一樹と奈緒はなぜか圧倒されてしまう。


兵藤ひょうどうさんに、朝霧あさぎりさんですね。随分お若いようだけど、なんでまた、“あんな事件”のことを?」


 刑事でもなく、ましてや探偵でもない身なりの二人を、律子は警戒しているのかもしれない。

 あらかじめメールで概要は伝えていたが、さらに深い理由について奈緒が切り返す。


「私達、“飲酒運転”について、世間に啓発を行うための活動をしているんです。その一環として、過去に起こった事故や、その背景について調査していまして。東野さんにとってもお辛い経験だとは重々理解しているんですが、“例の事件”について、良ければ詳しくお聞かせ願えないかな、と」


 一樹自身、“なんともうまく考えたものだ”と感心する一方で、どこか良心が痛む部分もある。なにせ奈緒が語るこの理由は、言ってしまえば二人が問いかけたい“本質”とはずれた、“嘘”でもあるのだから。


 奈緒の言葉に律子は納得したようで「そうなの、ご立派ですねぇ」と賞賛した後、笑いながら続けた。


「今でも、思い返すと悔しくなってしまいます。あの事故がなければ私は今頃、まだあの子――“小春こはる”と一緒に、笑いあってたかもしれないんですからね」


 どこか少しだけ、律子の顔に影がさした。彼女の口をついて出た名前に、一樹らも思いを馳せる。


 杉本小春すぎもとこはる――一樹らが調査し、ようやくたどり着いた“図書館の幽霊”の正体と思われる、女性の名だ。

 あの図書館を頻繁に利用していた女性で、ある日を境に姿が見られなくなったらしい。

 かなりの常連でもあったようで、図書館を長らく利用している面々から、容易にその情報を得ることができたのだ。


 杉本小春は当時大学3年生で、信号待ちをしているところに突っ込んできた飲酒運転の車によって、命を絶たれてしまった。凄惨な事故として当時メディアにも取り上げられたため、事故の概要を知るのはさほど苦労はしなかった。

 だが実はその事故にもう一人、巻き込まれた人物がいたのである。


 それこそが目の前に座っている、東野律子その人なのだ。

 ここまで来たら覚悟を決め、一樹は“取材”に徹する。


「亡くなられた杉本さんとは、大学時代のご友人だったとのことですが、杉本さんはどういった女性だったんでしょうか?」

「小春は、なんていうか、こう――“極端”な子、かな。基本的には人間が大っ嫌いってスタンスなんだけど、心を開いた相手にだけは、ぐぐっと距離を縮めて来るっていうか。私とも妙にウマが合ったのか、大学時代はしょっちゅう一緒に、色々と馬鹿をやりましたよ」


 メモを取る一樹の代わりに、今度は奈緒が問いかける。


「じゃあ、事故に会われた時も、お二人は一緒に行動されていた、と」

「ええ。あの日は、隣町で遊んだ帰りでした。外出するときは、私が見えない分、あの子がサポートをしてくれてたんです。あの交差点でも、小春は私の手を引いてくれていました」

「そう……だったんですね」


 少し言葉尻が弱くなる奈緒に、律子は続けた。


「本当、突然すぎて、私にはなにがなんだか分からなかったんです。一瞬――本当に瞬間的に、私は地面に倒れていて……何度も小春の名前を呼んだんですが、返事はありませんでした」


 彼女の口から語られる凄惨な事故の記憶に、一樹はペンを止めてしまう。目の前の彼女から伝わる言葉を、まずは真正面から受け止めた。


「周囲から悲鳴や喧噪が聞こえてきて、少しずつ状況を理解したんです。ガソリンの臭いが漂ってきて、必死に手を伸ばして足掻いたのを覚えています。あとから聞いたんですけど、小春は車の暴走に巻き込まれて、数メートル先で倒れていたんだとか」


 目が見えない彼女にとって、それは突然降りかかった、まさに“地獄”だったのだろう。先程まですぐ隣で手を引いていた友人が、ほんの一瞬で命を奪われ、消え去る――じわじわと暗闇の中に広がる“現実”の感覚は、きっと易々と忘れられるようなものではないのかもしれない。


 一樹は偽りの取材とはいえ、それでも歯噛みし、当時の事件に胸がが苦しくなってしまう。


「本当に……つらい事故でしたね……」

「なにせ当時はショックで、しばらく家から出られませんでしたからね。あれから5年――現実を受け止められるようになるのに、随分とかかりました」


 困ったように笑う律子の顔を見て、一樹は理解することができない。それほどまでの凄惨な事件を体験していながら、なぜここまで、前向きな笑顔を浮かべることができるのか、と。

 困惑してしまう一樹の代わりに、やはり奈緒がアシストした。


「杉本さんは、“人間が嫌い”だった――と、おっしゃられてましたが、東野さんとは仲良くされていたんですね?」

「ええ。まぁ、なにか波長が合ったんでしょうね。あの子が誰かと仲良くするっていうのは、相当珍しい事ですから」


 メモ帳に箇条書きにしながらも、思わず一樹は考えてしまう。

 人間嫌い、か――“幽霊”というのは、なにか強い“念”があるからこそ、誰かに付きまとったり、どこかに留まったりするものだと考えている。

 ならば、杉本小春に“嫌いな人間”がいたとなれば、それが“地縛霊”へと変貌してしまう理由になりえるのだろうか。


 思考を巡らしている一樹の横で、奈緒も考えながら律子を深堀った。


「当時の事故は、非常にショッキングな出来事だったと思うんですが、大学でも話題になっていましたか?」

「それが、そうでもないんですよ。さっきも言ったように、あの子は人間嫌いで、あの子を知る人間自体が、そう多かったわけではありませんから」

「そうなんですね……」


 どこか残念に呟く奈緒の横で、一樹も律子を見ながら考える。

 なんとも報われない話だ――人一人が死んだというのに、その事実は瞬く間に風化され、忘れ去られてしまうのだろう。

 “命”の重みを信じたい一方で、他人のそれは驚くほど軽く、簡単にあしらわれてしまうという矛盾に、なんだか気分が悪くなってしまった。


 少し肩を落とす一樹を、奈緒はちらりと横目で見ていた。

 そんな二人の感情の揺らぎに気付かず、律子は続ける。


「そんな子だったから、“好きな人ができた”って聞いた時は、私ですら随分と驚いたんですよ。そう考えれば、あの子が思いを果たせなかったことが、より一層、無念ですね」


 下唇を微かに噛んだ律子は、内に湧き上がってくる悔しさに耐えているのだろう。だが一方で、一樹と奈緒は思わず目を見開いていた。

 ペンを止め、一樹が問いかける。


「好きな人――杉本さんには、恋人がいたんですか?」

「いえ、まだそこまでの仲ではなかったんですけどね。だけど、なんの偶然か、随分と仲良くなった男性がいたみたいなんです。あの子、分かりやすい性格してるから、事あるごとに“その人”のことを話してくれてましたよ」


 少しだけ肩を揺らし、苦笑する律子。本来ならば彼女に合わせるところなのだが、この時ばかりはそうもいかない。

 二人は不意に飛び出した“核心”に近い言葉に、さらに切り込む。


「東野さん以外にも、親しい方がおられたってことですね。その方は、杉本さんの死のことを?」

「いえ、たぶん知らないんじゃあないですかね。というか、私もその相手のことは、良く知らないままなんですよ。ただなんでも、“図書館の司書”をやっている男性みたいで」


 思わず小さな声で、奈緒が「えっ」と呟く。一樹も同様に、声を上げそうになってしまった。

 奈緒は机の上で手を組み、真剣な眼差しでさらに問いかける。


「図書館の司書……あ、あの、それってもしかして、あの“並木道”沿いの、図書館じゃないですか?」

「あ、ご存じなんですか? ええ、そう。小春、活字が嫌いなくせに、急に大学で読書なんか始めちゃって。理由を聞いたら、その司書さんに気に入られるために、自分も本を読むことにした――って。単純なんですよ、あの子」


 くすくすと笑う律子になんとか笑みを合わせながら、それでも二人は横目で互いを見る。

 過去の事故で死んだ、杉本小春という女性。そして女の“幽霊”が出る図書館。

 二つの点が、ようやく繋がってくれた。


 それからも二人は“取材”と称し、かつての事故の内容や小春のこと。そしてなにより、その“図書館の司書”である男性のことを話した。

 だがあいにく、律子が知り得るのはここまでのようで、それ以上、踏み込んだ情報を得ることはできなかった。


 時間も程よく経過したことで、一樹と奈緒は互いに目配せする。奈緒がひとまず、まとめに入った。


「いやぁ、本当にありがとうございました。興味深いお話を色々聞けて、助かりましたよ。本当、お忙しい中、すみませんでした」

「いえいえ、とんでもない。私なんかでよければ、いくらでも力になりますから」


 “全盲”でありながら、徹頭徹尾、その弱味を見せない強かな女性であった。最後に奈緒は、一樹にあえて確認の意味も込めて問いかける。


「一樹君。他になにか、確認したいこととか、ない?」


 言葉を投げかけられ一瞬、返事に困ってしまった。だがノートを畳み、少し考えた後、一樹は一つだけ目の前の女性に問いかけてみる。


「あの――もし、失礼になってしまったら、すみませんが……」


 どこか恐る恐る言葉を絞り出す一樹に、律子は「いえいえ、どうぞ」と笑う。


「なんで……どうして、そんなに前を向いていられるんですか?」


 それはオブラートに包まない、率直な一言だった。奈緒は息を飲み、一樹の横顔を見つめる。彼は真っすぐ、対峙する律子を見つめていた。


「その……きっと、本当に辛い経験だったんだと思います。あなたにとって、杉本さんの死は、忘れられない記憶なんだと思います。それなのにどうして、そこまで明るく、前向きに自分を変えられたのかな、って」


 きっと一樹が同じ状況に立たされたなら、こうはいかないのだろう。仮にすぐ隣に座る奈緒が同じように命を奪われたらどうだろうと、反射的に考えてしまったのだ。

 どれだけ親しかろうが、どれだけ疎遠だろうが、関係ない。

 一樹にとって、知り合いの誰かが“死ぬ”ということは、自身の人生を大きく歪めてしまう、“くさび”になり得ると思った。


 律子はどこか意外だったのか、少しだけ言葉に迷う。だがあくまで笑みは捨てず、真っすぐ返してくれた。


「この命は、あの子が――小春がくれたものですからね」

「杉本さんが?」

「ええ。実はあの時、私は――小春に助けられたんですよ」


 思わず「えっ」と短く声を上げてしまう一樹。予想外の展開に、奈緒も律子を注視してしまう。


「あの時……車が突っ込んできた時、小春が私を突き飛ばしたんです。きっとあれは、あの子が私をかばってくれたんだと思うんですよ。もしあの子がいなければ、今頃私はここにいない。そう思うと、生き残った私がしょげ返っていたら、あの子に失礼な気がするんです」


 告げられた事実に、なんと返すべきか分からない。困惑する二人に、さらに律子は続けた。


「それにね。こんなこと言うと、ちょっと気持ち悪がられるかもしれないけど、私時々、あの子が見ているって感じるんです。私――昔から、“そういうもの”が分かる体質でね」


 さらに驚き、余計に言葉を返すことができなくなってしまう。一樹は思わず吐き出しかけた言葉を、必死に飲み込んだ。


 あなたも――一樹や奈緒がそうであるように、この律子という女性もまた、感じ取ることができるのだ。

 “霊”を。この世とあの世の狭間にいる者の存在を。


「もし、あの子が私を恨んでいて、私の前に現れたとしても……私は、全部を受け入れようと思います。私の命はあの子が与えてくれたものだから、精一杯生きるし、それを否定されたなら、それすらも受け止めようと思っているんです。それが逝ってしまったあの子に、生きている私ができる最大の“供養”だと思うから」


 律子の語る“死生観”はあまりにも独特で、世間一般のそれとはどこかずれているように思う。だがしかし、ここまでの関係性を知っている一樹と奈緒は、どこかその考え方が分かる気がした。


 律子の思いを受け止め、一樹は改めて“図書館の幽霊”の姿に、思いを馳せてしまう。


 交通事故で、友人をかばって死んだ女性。

 人が嫌いで、それでも直前に“誰か”を好きになった女性。


 恨みなのか、後悔なのか。

 彼女が抱くのは、怒りなのか、憎しみなのか。


 どれもありえるようで、どれも違う。

 どれだけ思いを巡らせてみても、まるでその真実にたどり着けないことが、なんとももどかしい。


 机の下で拳を握り、心を締め付ける嫌な感覚に、一樹はただじっと耐えた。

 改めて目を向けた律子の笑顔が、一樹にとってはただただ眩しい。

 その輝きが強いが故にただ切なく、心に痛いほどに突き刺さった。

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