第11話 地に縛られる者

 並木道の木々にとまった蝉がけたたましい鳴き声を響かせているが、窓を閉め切った図書館内にまでは届かない。虫達の必死のアピールは、大型のクーラーの音で完全にかき消されてしまう。


 夏になると、図書館の利用人数は目に見えて増える。読書家が増えたというより、単純に“涼める場所”を求めて立ち寄る人間が増えたせいだろう。

 そんな中、いつもの壁際の席に座り、一樹は資料を傍らに黙々と思考を巡らせていた。

 冬から春にかけて着こなしていたパーカーはさすがに暑苦しく、半袖のポロシャツに衣替えしている。


 シャーペンこそ手にはしているものの、どうにも筆の進みは遅い。自作小説の執筆ではなく、物語に利用する“設定”を練り直しているのだが、なかなかしっくりくるものを定めることができずにいた。

 昼過ぎに到着してから、隣の席の使用者がどれだけ入れ替わろうが、集中する一樹にとってまるでそんなことは気にならない。


 どうにも走ってくれないペン先に嫌気がさし、一旦、それを紙面の上に力なく放り捨ててしまう。後ろ頭をかき椅子にもたれかかるのと、“彼女”が声をかけたのは、ほぼ同時だった。


「おつかれぇ、一樹君」

「あ……奈緒」


 振り返ると、隣になっている奈緒が笑顔で「やっ」と手を振っていた。いつの間にか隣の席が空いていたため、彼女はそこに躊躇することなく腰掛ける。

 彼女もまた、猛暑に耐えるためにノースリーブの夏用シャツへと衣替えしていた。


 多くの利用者がいることから、二人は少し声のトーンを落とし、言葉を交わす。


「どうしたの、なんだかカリカリしちゃってるけど?」

「あ、ああ、うん……いや、実は――ここ最近、ちょっと煮詰まっててさ」


 苦笑する一樹に、奈緒は「ええ」と驚く。無論それは、「ラブ&ゴースト」ではなく、一樹が作り上げている“賞”に狙いを定めた、自作小説についてだ。


 今まで奈緒に読ませていた物をベースに、これまで二人が取材してきた“幽霊”についてのあれやこれやを盛り込み、随分と大胆なテコ入れを行っていた。

 当初から大幅にボリュームも増し、一樹自身、作品にどこか“貫録”のようなものが備わりつつあると感じている。


 だが、快調に進んでいたはずの筆が、ここ最近、どうにも動きが鈍い。奈緒は一樹の手元にあるネタ帳を心配そうに覗き込む。


「いわゆる“スランプ”ってやつ?」

「う~ん、まぁ、そこまで大事じゃあないんだけどなぁ。なんていうか、こう……何度書き直しても、しっくりこないっていうか」


 一樹は覗き込んでくる奈緒の横顔の近さに、少しどきりとしつつも、気持ちを仕切りなおして続ける。


「奈緒と一緒に調べたあれこれは、確かに凄い役立ってるんだよ。物語の細かい描写とか、やっぱり“幽霊”のキャラクターにも活かせてるんだ。ただ、盛り上がらせたい場面だと、まだなんとなく“弱い”って思っちゃって」


 一樹の言葉を受けながら、奈緒が「ほおほお」と相槌を打ちつつ、直接ネタ帳を手に取って眺める。


 一樹が悩んでいるのは、物語の中盤――いわば、起承転結の“転”を前に、流れが加速し始める部分だ。

 “怪異”と戦う主人公が、様々な人ならざる存在と対峙し、その中で成長していく。だがそんな主人公どころか、世界の根幹にすら関わる“巨悪”が登場し、最後の戦いへと物語が進んでいく。


 そのメインイベントを担う“巨悪”なる存在に、どうにも一樹は“説得力”を持たすことができずにいる。邪悪な存在を描きたいならば、誰しもがそれを“悪”だと認識する、本能に訴えかける説得力――すなわち“リアリティ”が必要なのだ。

 何度も練り直し、設定を起こしてみるが、どうにも決定打に欠けてしまう。主人公と熾烈な戦いを繰り広げるような、必要性がいまいち感じ取れないのだ。


 創作者独特の悩みに、奈緒は共感し「う~ん」と唸る。


「あの“館”で襲われた奴はどう? あれなら、凄いヤバい奴……って、伝わりやすいんじゃない?」

「それも考えはしたんだよ。ただ、“あれ”はどっちかっていうと無秩序な存在っていうか、襲っては来たけど、なにか“思惑”や“意思”を持って行動していた――ってのとは、ちょっと違う気がするんだ」

「そっかぁ。まぁ、確かに、“悪霊”として本能的に人を襲ってるって感じだったしね」


 反射的に思い出してしまった、あの“館”に巣くう怪異の姿に、微かに身震いがしてしまう。今もなお、自分を見つめて笑う“四つ”の顔は、忘れることができない。


「もちろん、“あいつ”も劇中ではちゃんと敵キャラに起用はしてるんだけどね。どうにも、それを越える絶対的な存在が、足りない気がするんだよなぁ」


 椅子に深くもたれ、天井を見上げながらゆらゆらと揺れる一樹。体を揺すろうが、傾けようが、そんなことでアイデアというやつは出てきてはくれない。

 一体、何が足りないのか――読んだ者の心を揺れ動かし、深く突き刺さる極上の“エッセンス”を、一樹は未だに掴めずにいた。


 メモ帳を睨みながら悩む奈緒を尻目に、一樹はため息混じりに図書館の中を見渡した。一樹自身、常連であることから、面識こそなくとも、随分と顔馴染みばかりが目に付く。

 雑誌好きな学生二人に、白髪交じりの初老の男性、丸メガネが可愛い小学生に、勉強熱心な青年。

 性別も年齢も異なる人々の姿を眺めながら、不意に“それ”にも気付いてしまった。


 いつもの場所――壁際の本棚の隙間に、あの“幽霊”がいる。長い黒髪と白いワンピースの女性だ。

 不思議なもので、最初こそ恐ろしくてたまらなかったものの、奈緒と共に長い間、“取材”に明け暮れたことで、どこか耐性がつきつつあるらしい。

 今ではじっくりと、“幽霊”の姿を直視することができるようになっていた。


 一樹の視線の先に気付き、なおも小さな声で問いかける。


「どうしたの、一樹君?」

「ああ、いや。思えばあの女の“幽霊”、ずっとここにいるなって」

「ああ。そうだね、私もここを利用するようになってから、時折見てたよ」

「こういう、同じ場所にいるタイプを、いわゆる“地縛霊”って言うんだっけか。あの女の人、そんなにこの図書館に思い入れがあるのかな」


 今までの経験を活かし、壁際にたたずむ“女の霊”について、冷静に考えてしまう一樹。奈緒も目を細めて“彼女”の様子を伺っていた。


「そうなのかな。まぁ、“地縛霊”って言っても色々なパターンがあるらしいんだよね。自分が死んだことに気付いていないって人もいれば、死んだその場所に対してなにか強い“執着心”があって、そこに居続けるってこともあるみたい」

「ふぅん。ということは、あの“幽霊”――この図書館で死んだか、あるいはよほど、図書館に思い入れがある――ってことになるのか?」


 自分で言いながらも、一樹はどうにもしっくりこない事実に、首をかしげてしまう。

 

 人が死ぬ――その理由は様々で、自殺、他殺、事故死と、十人十色なのだろう。いずれにせよ、自身に降りかかった“死”に対して納得することができない者が、強い“念”に縛られ、“地縛霊”になるらしい。

 無論、例外はあるのだろうが、そのパターンに当てはめれば、一樹と奈緒の眼前にいるあの“女の霊”は、なにか強い思いに縛られ、この図書館を彷徨さまよい続けているのだろう。


 図書館――自分達がいるこの場所が、どうにもその“死”というものに、噛み合わない部分がある。

 いわずもがな、図書館は本を貯蔵し、読書や座学などに利用する公共の場だ。

 病院や交通量の多い道路などならばまだしも、こんな場所で人が死ぬという状況が、どうにもイメージしづらいものがある。


 一樹はすぐ隣の奈緒に、静かに問いかけた。


「なあ、あの“幽霊”についての情報とかって、なにかあったっけ?」

「ああ、うん。一応、“図書館に出る女の霊”っていうのは有名な話らしいよ。ほら、あそこにいる高校生二人組が、初めに目撃して広めたんだって」


 指差す先には、一樹も良く知っている男子高校生達がいた。一樹が“代筆”している「ラブ&ゴースト」の熱心な読者だということも、偶然だが理解している。

 夜中、図書館の前を通った際に、窓越しに見つけたらしい。どうやら日中は、二人には“幽霊”の姿は捉えられないようだ。


「ただやっぱり、あの“幽霊”の素性はまるで分からないみたいだね。なんでこんなところに出るのかも、さっぱりだよ」

「なるほど、ねぇ。どうにも悪さをする感じでもないし、なんなんだろうな」


 こうしている間にも、女の“幽霊”は本棚の間でじっとしている。

 一樹はなおも静かに観察していたが、不意に奈緒が立ち上がり、歩いて行ってしまう。


 その突然の行動にぎょっとし、一樹もまた慌てて席を立った。


「お、おい。奈緒!?」


 呼びかけるも、奈緒は構わず部屋の端を移動し、ゆっくりと、慎重に“女の霊”に接近していってしまう。

 すぐそばの本棚から覗き込むように観察する彼女に追いつき、慌てて、なるたけ小声で一樹は問いかけた。


「おい、何やってんだよ!」

「だって、気になるじゃない。なんで、こんな図書館にわざわざ出るのか。それに、決まってこの本棚の所にいるんだよ?」


 無論、一樹もその素性は気になるが、奈緒のあまりにも大胆な距離の詰め方に肝が冷えてしまった。

 突然の事態に加速してしまった鼓動を押さえながら、一樹もゆっくり、慎重に身を乗り出して様子をうかがう。


 部屋の端――ちょうど角に位置する本棚の前に、“幽霊”は立っていた。彼女は壁際の本棚をじっと見つめたまま、動こうとしない。

 その横顔は、間近で見るとどうにも異質で、やはり改めて恐怖が沸き上がってくる。


 血の気を感じさせない白い素肌。やせ細った肉体に、艶こそあるものの、どこか重々しさを感じる長い黒髪。

 本棚を見つめるその眼も、一切の瞬きをせず、ただ見開かれたままであるという点が異様だった。


 典型的な“女の霊”という姿を、しばらく観察する二人。だがやはり、待てども暮らせども何か変化が起こるわけではない。“幽霊”はただ本棚の前に静止し、まるでそこだけ時が止まったかのように、微動だにしないのである。


 諦めて二人は退散し、元の席まで戻った。


「ううん、どうにも分からねえな。見た目は確かに不気味だけど、だからといって危害を及ぼすわけでもないしなぁ」

「だねぇ。なんなんだろうね。一体、あの人になにが――あっ」


 言いながらも、奈緒は遠くの“幽霊”を見つめたまま、なにかに気付く。

 一樹は彼女の変化を悟り、横顔に問いかけた。


「なんだよ、どうした?」

「一樹君、あの“幽霊”について、もっと詳しく調べて見たら?」


 思わぬ提案に「ええ」とたじろぐ一樹だったが、奈緒はなぜか嬉しそうに笑い、振り向く。


「待て待て、どういうことだよ、それ?」

「あの“幽霊”が、なんでここにいるのか、何をしたいのか――そういう具体的な“背景”が分かれば、それこそ“リアリティ”のある存在が書けるようになるんじゃないかな? それに私達にとっても、ある意味、一番身近な“霊”だしさ」


 つまるところ、今までのように街中から“幽霊”の情報を集めるのではなく、身近な一人――“図書館の女の霊”に焦点を絞り、深掘りしようというのである。

 はたしてそんなことでうまくいくのか、と半信半疑にはなってしまったものの、それでいて一樹もどこか、本棚の前にいる“彼女”に強い関心を抱きつつあった。


 ――“あれ”も、元は人間なんだ。


 “幽霊”になった人々は、きっと一樹らと同じように、生前はこの世界で暮らし、各々の人生を生きていたのだろう。

 であれば、あの“女の霊”にもまた、彼女の過去があり、人生があるのだ。


 必ずそこには、彼女が“霊”になってしまった理由がある。

 一樹はいつしか、“幽霊”に対する恐れよりも、“それら”が持つ過去への“好奇心”を強く抱くようになっていた。


 再び、本棚の隙間から見える“図書館の幽霊”を見つめる。

 黙して動かないその存在の奥底をどれだけ見つめようとも、まるでその答えは見えてこない。


 ――あなたは一体、誰なんだ。


 一樹はペンを手に取り、メモ帳に素早く、一言だけ書きつづる。

 “図書館の幽霊”――二人は再び、壁際でたたずむ“取材相手”の姿を、無意識に見つめていた。

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