54 エピローグ

 チュンチュンと小鳥のさえずりが聞こえる。清々しい風が通り抜けた。


 梨橋藍花がある墓の前に着いたとき、そこには二人の大人がすでにしゃがんで手を合わせていた。じっと固まったまま、しばらく動かない。


 ようやく微動した段階で、藍花はその二人の男女に「あの」と声を掛けた。


「登……さんのご両親、ですよね」


 その声に振り返った二人は、ハッとしたような表情をした後、慌てて立ち上がってその場から退こうとした。その行動に藍花も焦った様子を見せる。


「あの、す、すみません。私、怪しい者じゃないです。登さんの友達です。葬儀にも行かせていただいたんですが、お二人はお忙しそうでしたのでまともに挨拶もできなくて……。結局そのまま時間が経ってしまって」


「……」


「……すみません、お二人のお邪魔するつもりはなかったのですが……」


 藍花は肩を竦める。しかし二人は、端から藍花が邪魔をするために話しかけてきたなんて思っていないようだった。二人とも、輝く太陽を背景に、顔に影を落としている。


「……いえ、私たちなんかより、登は、あなたのような友人に来てほしかったでしょうから、いいんです。もう帰ります」


 女性のほうがそう言うと、藍花からゆっくりと目を逸らした。「……え?」と藍花が声を漏らすと、隣にいた中年の男性が自虐的にフッと笑う。


「私たちは仕事に夢中で、息子がどんなことをしているとか知らず、記憶喪失のことも放ったらかしにしていたので。ろくに会話もしてなかったし、多分息子は、僕たちが来ても嬉しくも何ともないんですよ。嫌われてて当然です」


「……」


「もっと登と、色んなことを話しておきたかったなって思いますよ。……今更遅いですけど」


 彼は「ではまた」と言うと、ひらりと手を振ってそのまま霊園の出口に向かおうとした。


「今からでも、ゆっくり話せばいいんじゃないですか」


 唐突に藍花の言葉が響く。背中で言葉を受けた登の両親は振り返り、瞳を小さくした。二人とも、目尻には細かい皺が寄っている。


 藍花は少し躊躇ったように頬を触った後、ゆっくりと口を開いた。


「……失礼ですが、お二人は登さんのことをあまり分かっていないようなので……。彼は、お二人に来てほしくないとか、嫌いだとか、そんなことはきっと思っていません。きっと今も、お二人が来てくれて嬉しがっていると思いますよ」


「……え」


「登さんはそういう人です」


 すると、婦人が小刻みに肩を震わせた。何か言おうと口を開きかけたが、結局言葉は出ず、俯く。


 夫は妻の肩をそっと支え、藍花を柔らかく見た。彼の瞳には穏やかな光が宿っていた。


「……そうですね、また気持ちが落ち着いたら話しにきます」


「是非、そうしてあげてください」


 藍花は微笑んだ。その言葉にペコリとお辞儀をした二人は、眩しい太陽の道を真っ直ぐに歩いていった。


「藍花」


 すると彼らとは反対の方向から声がした。彼女が振り返ると、そこには久保木瞬が水桶を持って立っていた。


「あ、瞬くん。水汲んできてくれてありがとう」


「いや全然。それより、さっきの二人って、もしかして登の両親?」


「うん。私、ようやくちゃんとご両親と話せたよ」


「葬儀のときはバタバタしすぎてたもんな。で、そこから何だかんだ話せずじまいで時間も結構経っちゃって。もしかして俺たちのことを避けてたのかな」


「確かにそうかもしれないね。さっき話してみて、私に対して最初すごく居心地悪そうにしてたし。……というか、瞬くんも登のご両親としゃべったことなかったんだね」


 その言葉に瞬は首を縦に振り、砂利の上に桶を音を立てて置いた。水面がドプンと揺れ、僅かに溢れる。


「登の家には何度かお邪魔したことがあるけど、いつも親はいなかったからな。しゃべるどころか、葬儀で初めて顔を見た。両親は仕事を頑張ってくれているんだよ、っていつも登は笑顔で言ってたけど」


「そっか。何かその返事、いかにも登らしいね」


「そうだな」


 瞬は柄杓で水を掬い、墓石の上にゆっくりとかけた。登の両親はどうやら仕事の合間に手を合わせにきただけのようで、花立に入った花はやや萎れて差さったままで、香炉の中に線香は入っていなかった。


「おうい、梨橋さーん、久保木くーん!」


 藍花が萎れた花を取り出していると、突如として男性の声が霊園に通った。爽やかに辺りを駆け巡る。藍花と瞬は揃って声がした方を向いた。


「あっ、沢井さん!」


 藍花は手を振った。彼女の視線の先にいる沢井颯樹は、星のような形にも見える六枚花弁の真っ白な小さい花をまとめた花束を両手に抱えていた。歩みに応じてその花も揺れている。藍花は数歩、沢井に歩み寄った。


「来ていただいてありがとうございます。わざわざこっちの地方に来るの大変でしょうに」


「いやいや。僕が梶世くんと蝦宇さん……浅西さんに花をあげたいから来てるのであって、僕の意思だ。礼を言われることじゃない」


 それに、と沢井は続けた。澄んだ風に靡いた彼の髪が煌めく。


「君たちにも会いたかったしね」


「俺たちもです」


 瞬はにっこり微笑んだ。続けざまに、藍花が「そういえば、珠李さんはお元気ですか?」と珠李志津代を気遣う質問をした。沢井は「ああ」と藍花を見据える。


「ときどき発作が出ちゃうけど、それ以外は幸せそうだよ。ほら、このお花も珠李さんが選んでくれたんだ」


「へえ、そうなんですか? かわいいお花ですね! 私もお花持ってきたので、一緒に飾らせていただきますね」


 藍花は、沢井が突き出した白い花束を受け取ると、大事そうに抱えた。そして自分の持ってきた色とりどりの花と組み合わせて二つに分けると、両脇にある花立にそれぞれ入れた。


 各々、線香を上げた。薄い灰色の煙が、ゆっくりと西の空へとのぼっていった。


 その後、三人は霊園の隅に移動した。そこにある、簡素で小さな墓の前には、一人の男性が立っていた。足音に気付いたのか、彼は振り返る。


「あ、ソウ! それに梨橋さんに久保木くんも」


 伊杷川厚人だった。彼は眩しそうに目を細め、白い歯を見せる。「あれ?」と瞬は驚いた声を出した。


「伊杷川先生、今日は来られないって言ってませんでした? 登のお墓前に集合って話で、でも先生いなかったので、登のほうはもう済ませちゃいましたよ」


 すると彼は苦笑いをして頭をバリバリと掻いた。


「いやー、それが、急遽来られることになったんだ。で、霊園に着いたはいいけど、ここ広いから梶世くんのお墓がどこにあるか分かんなくなっちゃって……。蝦宇さんのお墓はさ、ほら、みんなでお金出し合ってつくったし、場所も僕たちで決めたから覚えてて。ここで待ってたら、まあそのうちみんな来るだろうと」


 すると沢井がボソッと、「普通にそのことをスマホとかで連絡すればよかったのにね」と呟いた。それに反応し、伊杷川は変顔とも呼べる真顔で「ソウくん? 今何か言いましたかー?」と沢井を見つめた。沢井は吹き出し、口元を抑えながらも口を開く。


「いや、だってコウ、お前、普通に馬鹿だろ。無計画に待ち続けるって……、教育者には見えねえ」


「残念だったね、こう見えても俺、立派な教師だから」


「相変わらず知恵が浅すぎる。知恵のあさざむらいだな」


「浅ざむらいは俺じゃねーよ!」


「俺でもねーよ」


 そう言って二人は笑いあった。くだけた雰囲気で、息ぴったりに話している。教師と研究者という立場の話し方ではなく、やんちゃな青春時代をそのまま持ってきたような二人の話し方に、藍花と瞬は無意識のように口元を緩ませていた。


 線香をあげて合掌した後、伊杷川を案内するために藍花たちはさっき通った道を戻っていくことになった。音を立てて砂利を踏みしめながら、藍花は青空を見上げる。透き通っていて、全てを包み込んでしまいそうな青色だ。


「……まだ分かってないことだらけ、だよな」


 唐突に瞬が言った。藍花の隣に並んで、沢井と伊杷川の後ろ姿を真っすぐに見つめている。ゆっくり瞬の横顔を見た藍花は、ゆらゆらと頷いた。


「私たちは、本当に何も分かってない……どうして登や桜があんなことになったんだろう。それに、どうして桜が玲未の姿になっていたのかとか、何で登の記憶がなくなっていたのかとか、とかも……。あと、あの塔に、桜たちと全く同じようにして倒れていたもう二人……」


「一人は大怪盗のデビル・レディという女性だってことは分かったそうだけど、もう一人の赤髪の男性に関してはどれほど調べても身元が全く分からないらしいよな。そもそも、どうしてこの二人が登や蝦宇に関わってたのかも謎だし」


「……知ってる? 非術と可術の境界のあの広場……あそこに、少しずつ物が出現しているらしいって」


 不意の藍花の言葉に、瞬は「……物?」と眉を顰めた。


「うん。……境界の広場、っていうのは分かるよね」


「境界付近の、草がいっぱい生えてるあそこだろ?」


「そう。そこに、いつの間にか色んなものが落ちてるんだって。服とか食器とか何かの瓦礫とか。日に日に少しずつ出現しているみたい。で、それが……全部、焦げてるんだって」


「焦げてる?」


「真っ黒になってて燃え尽きてるから、詳しく調べないとその物が何だか分からないらしいの。……でね、私ちょっと思ったのが……あそこ、桜の家だったのかも」


 彼女の言葉に、瞬は足を止めかけた。ただ、前を歩いている沢井と伊杷川に置いていかれると思ったのか、慌てて足の動きを再開させる。


「桜の家って……その、中学のときの、だよな。蝦宇じゃなくて」


「……うん。まだ正直ちゃんと思い出せたわけじゃないから何とも言えないんだけど……。森みたいな道を抜けた先に豪邸があって、そこに遊びに行った記憶が何となくあって。……だから、桜の存在が戻りつつあるから、桜に関する物も蘇ってきてるのかな、なんて思って」


 藍花は肩から落とすようなため息をついた。もどかしい様子があからさまに見える。


「桜のことは思い出せたけど……全部、早く思い出したいなあ……。全ての真相が、早く分かればいいなあ……」


 藍花の言葉に瞬は頷き、彼女の肩に優しく手を置いた。


 煌めく青空は、その切ない空間を大きく包み込んでいた。


 その後、四人は『梶世家之墓』と彫られた墓の前に戻ってきた。伊杷川が墓に向かって手を合わせているとき、誰かの携帯電話が鳴った。失礼、とでも言うように沢井が手を軽く挙げる。ポケットから携帯電話を取り出し、耳元に当てた。


 その際、同じポケットから一枚の紙が風に乗って、そのまま落ちていった。それに気づいた藍花が慌ててそれを追いかける。一方の沢井は気づいた様子はなく、電話の受け答えを始める。


「もしもし、アケビか? ……おお、じゃあ今から来られるんだな? 千夢ちゃんも一緒に? ……ああ、分かった、じゃあまた後で合流……」


「……え?」


 紙を拾い上げた藍花は、呻きとも取れるような声を上げた。


 その紙は写真で、実験室の中の背景だった。そこには三人の男性が写っている。


 藍花は写真を手にしたまま、その場で硬直していた。異変に気づいた瞬が「どうした?」と駆け寄る。


「……見て、これ。この写真……私たちが初めて沢井さんに会った時に見せてもらったよね。覚えてる?」


「ん? ……ああ、そうだな。沢井さんと伊杷川先生のこの表情、見覚えある、けど……」


 違和感に気づいたのか、瞬は急に声を詰まらせた。藍花が手にしている写真の上に指を滑らせ、左側に立っている男性を突く。


「三人目……この男の人、いたっけ? 何これ、合成?」


「それに、彼の顔をよく見て」


「え?」


「顔のパーツがすごい似てるの、……桜に」


 ハッとしたように瞬が写真に目を近づける。瞬も藍花同様、体を固めた。


「おーい、後でアケビと千夢ちゃんも来るってさ」


「何だ、どうした?」


 同じくらいのタイミングで、電話を終えた沢井と、合掌が終わった伊杷川が、揃って藍花と瞬の元に歩み寄る。藍花は動揺を隠しきれないのか少し手を震わせ、沢井に「これ……落とされましたよ」と写真を差し出す。すると横から伊杷川が顔を覗かせて声を上げた。


「うわ、それ懐かし! アイサ研究所が建ったばかりのときの写真だ! 研究所の実験室の中で、ソウと、……」


 伊杷川が言葉を途切れさせた。突然ミュートになってしまったかのように、口は開いたまま音が出ていない。沢井も同じ気持ちのようで、無言だった。そして二人は顔をゆっくり見合わせる。


 霊園の中に、透明な時間が流れていった。


「……やっぱり、まだ思い出してないことは、きっといっぱいあるんだろうなぁ……」


 静寂をつつくように、ポツリ、と藍花が呟く。ぼんやりとした視線は、驚きの表情で固まった伊杷川と沢井に向けられていた。


 藍花は言葉を続ける。


「……絶対に、思い出していくからね。存在を全て、取り戻していくからね。ずっとずっと、忘れないからね」


 藍花はスカートのポケットからスマホを取り出し、メモのアプリを開いた。そこには一つだけ書き留めている内容があった。


 彼女の顔がくしゃっと歪み、泣き笑いの表情になった。


「玲未、よくノートの隅っこに書いてたよね。変な暗号かと思ってた。私、頑張って調べたよ。……こんな意味だったんだね」


 藍花は指を画面に置き、文字にそっと滑らせた。




『ヌ・ムブリエ・パ(Ne m’oubliez pas)


 桜の花言葉の一つ。フランス語で、和訳すると


 ――私を忘れないで』




 一陣の風が吹いた。木々が、触れ合ってざわめく。お互いがお互いを揺らしていく。その様子を見た藍花は、髪を靡かせながらそっと微笑んだ。


「私たちは、ずっと繋がっているよ」


 瞳が波打つ。それを太陽の光に反射させながら、藍花はぎゅっと、胸の前で手を組んだ。


「桜、登、ずっと忘れないからね」


           ・・・


 永遠を意味する名の統治者・トワが治める時代は、皮肉にも三十数年で幕を閉じた。


 そして、今……第十四代目統治者『トウオウ』が世を守る、この世界。


 今日も、それぞれの人がそれぞれの想いを抱えながら、日々を生きていく。



〈Fin.〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヌ・ムブリエ・パ 葛野 柚純 @kuzuno_yuzumi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ