51 戦い

「えっ、この光が、トワ様……!?」


 僕は素っ頓狂な声を出した。


 トワ様は擬幻体、と習っていたが、実物やその画像を見たことがあるわけではないので、どんな姿なのかは実際には知らなかった。今初めて、その全貌を目の当たりにしている。


 この姿が、擬幻体の統治者・トワ様……。


 全身が白く眩く、正直人っぽい形をしていることしか分からない。巨大な光源だ。慣れたら目は開けられるようになったが、最初は自分が光で焼き尽くされてしまうかと思った。


『やれやれ、トワツカには困ったものだね』


「……」


『全く、世界を統治するこの偉大なる私が、この小さな建物にいる人全員に術をかけられない状況になるなど……そればかりか、あの人形ですら我が術をかけられないなんて、何と憎たらしいことよ』


 トワ様はそう言った。直後、ぎょろりと瞳に見られた気がした。目がどこにあるかなんて分からないのに、なぜかそう感じた。直後、それを裏付けるように『梶世登……』と聞こえた。


「えっ」


『お前も、存在を消去しておくべきだった。甘く見ていた。一年間の記憶だけ消去するという選択は誤っていた』


「……」


 何と答えたらいいか分からず、口をあんぐりと開けたままになった。同時に現実を突きつけられた気分だった。


 これが、トワ様なのか……。


 統治者とは思えない口ぶりと言葉。……あり得ない。今まで僕たちが崇め奉っていた存在のはずなのに。『存在を消した方がよかった』と平然と発言するなんて、そんな……。


「……トワ様、あの……」


 トワツカが何かをしゃべりかけた。するとトワ様は彼に視線を移したようで、『トワツカよ』と言う。


『本当にふざけた使いの者だね。まさか主人を裏切るとは。お前が私の一部などではなければ、すぐにでも存在を抹消したのに。まあしかし、なかなか楽しかったよ』


「……楽しかった、とは……」


『言葉通りの意味さ。お前が私の命令に従わなくなり、叛逆しようとしていたのは分かっていた。その様子は、見ていて非常に面白かった』


「……」


 トワツカはいつの間にか跪きながら、その言葉を聞いて固まっていた。トワ様を敬うようなその体勢は、無意識的に起こる理性反応のせいに見えた。


『浅西桜』


 今度は桜への呼びかけだった。彼女はあからさまにビクッと全身を震わせる。


『このまま存在を取り戻せるとか思うなよ』


「……!」


 桜は目を見開き、むんずと口を閉じた。恐怖が全面に張り付いた桜のその様子を見た僕は、頭に血が逆上した。


「何てことを言うんですか!」


 気づいたら叫んでいた。天井から差す白い光に向かって腹から声を出す。


「どうしてですか! どうしてそんなに簡単に人の存在を消すなんて、恐ろしいことができるんですか!」


「待て、梶世登……トワ様に俺たちの話は恐らく通じない」


 トワツカが苦しそうにしながら、僕の手首を掴む。革手袋をしているのにも関わらず、それぞれの指の圧力をしっかり感じた。


 けれど僕は発言をやめなかった。


「存在を消される人たちの気持ちにもなってください! 統治者とか以前に、倫理的に考えてみてもあり得ない……」


『梶世登。私はお前の言っている意味が分からない』


 心がダイレクトに冷やされた気分だった。聞きたくないと耳を塞いだとしてもこの声は自分の体内に入ってくる。


『存在を抹消すれば、その人間の感情は消え失せ、周りの人もその存在に対して何の感情も抱かない。覚えてないのだから。つまり、いわゆる悲しみとやらは発生しない。今回は、浅西桜がイレギュラーすぎてこんなことになっているだけだ。デビル・レディの介入がなければ、本来ならその肉体すら消失してたはずだったのだ』


「……え」


『すべての世界が素晴らしいものであるために、個人個人の想いまで考えられるかね。合理的に物事を進行させるには、存在を消すのが一番正しかった。数々の前例を踏まえた上で、これが正しいのは間違いない』


「……え、待ってください、その言い方だと、桜の家族以外にも……」


 ここで僕は痛みに顔を顰めた。トワツカに握られている手首が、さらに締め付けられたのだ。あまりの強さに血流が止まるかと思った。


 するとトワツカはすくっと立ち上がり、僕の耳元に口を寄せた。髪に巻かれた布の端が揺れて僕の頬に触れる。


「お前はもういい、浅西桜を連れてこの塔から逃げろ。言葉などきっと通じないだろうが、お前の代わりに俺が反論しておくから」


 小声の後、彼は真正面から僕を見据えた。燃えるような赤い瞳を見て僕はハッとする。直後、腕を勢いよく振り払われた。


 僕は急いで、硬直していた桜の白い手を握り、階段へと駆け出した。少し前、やっとの思いでのぼり切ったこの螺旋階段。もう全て思い出したから、怖がる必要はもうない。急いで下らなければ。


 しかし、一歩踏み出したその途端に轟音がした。突如、目の前に巨大な鉄球のようなものが落ちてきたのだ。桜が「ひっ」と顔を真っ青にして僕の背中に隠れる。パラパラと壁の破片が落ちる音がした。


『クックック』


 笑い声がした。天井からの光が強まったり弱まったりしているので、おそらく笑いながら体を揺すっているのだろう。


『トワの使いともあろう人が、ここから人を逃がすことができるなんてよく思ったな。逃がすわけないだろう。お前らに逃げられたら、世界の平和が崩れてしまう。それは、統治者の名に反する行為だ』


「……」


 トワツカはずっと胸を押さえている。自分の中の何かにずっと抗いながら、自分の主と対峙しているのかもしれない。


「……トワ様……」


『確かに私はお前ら自身に直接術はかけられないが、別の物に術をかけて物理的に攻撃することはできる』


 トワツカはごくりと唾を飲み込むと、額を拭った。拳が握られ、革手袋のギュッという音がする。


「……やっぱり分かりません、トワ様。どうしてあの事件を抹消したりしたんですか。そして……ほかにも似たようなことをやっていますよね。強力な力を持っているのをいいことに、気に入らないことは全て存在を消去。トワ様が称賛されていたのは、批判する人を消してたから、そうですよね」


 僕はドキッとした。さっき僕が思ったことを、トワツカがそのまま言ったからだ。


 やっぱり、そうだったんだ。


 桜や桜の家族だけじゃない。トワ様は、誕生してから今まで、不要だと思った人の存在を術で簡単に抹消してきたのだ。誰にも気づかれることなく。


 なんて、なんて恐ろしいことを……。


『なぜかなんて、さっきから再三言っているだらう。私はこの世界を統治する者。私は、世界のためなら何でもする』


「これが世界のため? 完璧な世界をつくりたいあなたの自己満足でしょう! もうやめてください……!」


 懇願するように、トワツカの赤い瞳が真っ白い光を見つめる。ただし、白色はずっと無情で、冷淡な光だった。


『なぜわからんのだ。仮に、例えば浅西桜の事件が世界に露見したらどうなる? 人々が怖がって夜も眠れんだろう。幸せな人々の生活のためには、隠すのが最も良いと判断した』


「隠す……。自分がデビル・レディを止められなかった無能だったということを隠す、と?」


『トワツカ、言葉に気をつけろ。お前は私の使者だろう。お前は黙って私の言うことを聞いていればいいのだ!』


 突然トワ様が言葉を荒げ、一層光を放った。


 耳に刺す激しい音がして、塔が前後左右に揺れた。僕は慌てて桜の体を支える。トワツカは僕たちの方を振り向き、苦々しい顔をした。


「まずい、トワ様は負のエネルギーを吸い込みすぎておかしくなっている」


「え……?」


「トワ様は、世界を安定させることだけに固執している。それは、ずっと前からだ。ただ今になって、何かがおかしくなってきている。トワ様は世界を安寧にするため統治するという名目で人々に躊躇いなく術を行使してきたが、今はさらに……それのしすぎで、統治とか関係なく、人の存在を抹消したり殺戮したりすることを快楽だと思ってしまっているんだと思う」


「な……」


「とにかくお前らは、屈んで、頭を守っとけ」


 トワツカは言う。荒かった息をゆっくり整え、天井から漏れる白く無機質な光を睨み上げた。


 彼は手のひらをトワ様に向ける。革手袋に赤い靄が一気に集まったかと思うと、そこから真っ直ぐ光線が発射された。それは天井の白い光を突き抜ける。


 トワツカの瞳が、カッと真っ赤に燃え上がった。彼の手からは次々と光線が撃たれていく。そんな光景を見て、僕はトワツカに言われた通りに屈み、桜の頭を手で覆った。


 ガン、という耳が割れんばかりの音がした。トワツカの足元に、突如として鉄球が落ちてきたのだ。爪先すれすれの位置だ。さっき階段に落ちてきたものよりもサイズは小さいが、それでもあんなものが体に落ちたら骨が粉々になってしまうと思う。


「ぐっ」


 恐らく咄嗟にかわしたのだろう。それとも軽くぶつかったのかもしれない。トワツカはよろめき、後ろに倒れかける。


 その背中を、俊敏な動きを見せたデビル・レディが支えた。今までずっと座り込んで呆然としていたのに、よく動けたものだ。僕だったら足が固まっていたに違いない。彼女は「トワツカ、大丈夫?」と声をかける。するとトワ様が『クックック』と不愉快な笑い声を上げた。


『言っただろう、私は、お前たちに直接術をかけることはできないが、物理的には攻撃できる。ただこの通り、正確じゃない。一発では倒せない。だから今までは放っておいたんだ。まとめて処分しないと面倒だからな』


「……トワ様……」


 トワツカが呻く。その頬には大粒の汗が流れていた。しかし彼はすぐにそれを拭い、あくまで気丈に振る舞おうとする。


 天井には相変わらず、人の形っぽい白い光が鎮座していた。さっきのトワツカの攻撃を、痛くも痒くもないと思っているようだ。


 何もできない。僕は、自分の無力さを痛感した。ただひたすらに桜を庇うように手を当て、トワ様を睨むことしかできない。そんな僕を見てか、トワ様は心に地震を起こすようなため息を一つ吐いた。


『やれやれ、この塔の中は敵だらけか……。が、デビル・レディ、お前は私に何の文句も言えないはず』


「……え」


 トワツカの後ろで彼を支えていたデビル・レディは、突然の呼びかけにビクッと肩を震わせた。白い天井を見上げる。長い睫毛が瞳に墨のような影を落とした。


『不本意とはいえ、私の術がお前の手助けをしたことになる。もっと感謝の気持ちを見せてくれてもいいのだがな』


「……あんたが、何を言って……」


『全ては完璧な世界をつくるため。私は、統治者の役割を遂行したいだけだ。何が悪い?』


 デビル・レディはギリギリと歯軋りをし、刺すような眼光をトワ様に向けた。トワツカの背中からそっと手を離すと、徐に立ち上がる。


「トワ、あんた……今まで、どれくらいの人を消去してきた?」


『さあ。そんなの、いちいち数えていたらキリがない。この世に不必要な人がどれだけたくさんいると思っているのだ』


「クソ野郎が……」


『何を言う。浅西桜のことに関して言えば、お前と私は共犯じゃないか』


 その一言に、デビル・レディの動きが停止した。顔が強張り、皮膚から水分が蒸発していくようだった。それに伴い目が見開かれていく。青い海のような瞳も、干からびていきそうだった。


 口を見て分かる。彼女は、「共犯、共犯……」と壊れた機械のように発していた。


『さあ、私に感謝したか? だったらお礼に、自害でもしてくれればありがたいんだがな』


 トワ様は言うと、再び体の光を強めたり弱めたりした。笑っているそんな姿に、どうしようもなく腹が立ってくる。


 するとデビル・レディが顔を上げ、「トワツカ……ごめん」と掠れた声を上げた。


「……確かに、その通りよ。あたしはあんたの共犯者。それどころか、あの事件に関してはあたしの方が罪は重い。けどね」


 デビル・レディの瞳から、ハイライトがすっと消えた。ゆっくりと体を曲げ、さっき桜が床に放り投げた拳銃を拾い上げる。それを、天井に突きつけた。


「極悪人のあたしは、仲間割れを起こすのよ」


 持っている銃に、彼女の瞳そっくりな青色の靄が集まっていく。


「分かってる。全てのことは、トワのせいじゃなくてあたしのせい。だから今のあたしの行動は、あたしの我儘。あたしの逆ギレ」


『……ほう……』


「統治者交代の時よ。あんたの時代はもう終わり!」


 彼女の銃から、深い青色の光が爆ぜた。海よりも空よりも青い、全てを飲み込んでしまいそうな色の光だった。強い威力の術が発射されていることくらい、術に関して無知の僕でも肌で分かる。


 すると、それを見ていたトワツカは口角を上げ、不敵な笑みを浮かべた。頭に巻いていた布をくるくると外し、隠れていた左目の鈍い赤色を露わにする。トワツカはその細長い布を、割れずに辛うじて残っている天井に向かって放り投げ、術か何かで端を固定すると、ロープのようにして掴んだ。


「フン、お前がそう言ってくれるときを待ってたさ」


 汗を垂らしながらもその動きはキレがある。彼は上着の内ポケットから手榴弾のようなものを取り出した。口で栓を咥え、勢いよく引き抜く。


「我が主……悪いが、眠ってもらうぞ」


 トワツカはターザンのごとく布を掴んだままトワの姿と思われる光の中へ飛び込んだ。光の中で、うっすらトワツカがその手榴弾のようなものを放り投げるのが見えた。


『……トワツカ、お前……』


 閃光が、辺りを包み込む。


 僕は咄嗟に桜を部屋の角に押して、彼女に覆いかぶさった。眩し過ぎて見ていられず、僕はぎゅっと固く目を瞑る。


 ドカンという爆発音の直後、目を開けると、僕たちの近くにトワツカとデビル・レディが倒れ込んできた。爆風の勢いに負け、体を擦りながら床に倒れ込む。二人とも肩で息をしていた。顔も服も煤や血などで汚れている。


 デビル・レディが苦々しく口を開いた。


「あいつ、姿がはっきりしてないから攻撃が効いてんのか分かんないんだけど」


「俺を見ていれば分かるさ。トワ様が消えれば俺も消える。ほら、若干俺の体が透明になってる気がしないか」


 トワツカはそう言い、デビル・レディの眼前に自分の腕を差し出してみせた。確かにその腕は現実味が無い。磨りガラスくらいの透明度で、完全に透けているとは言えないが、明らかに僕たちとは違った。


 それを見て、デビル・レディは非常に複雑そうな表情をする。眉を八の字にして、トワツカを見つめた。


 辺りはシンとしている。天井の破片がパラパラ崩れる音が小さくするくらいだ。さっきまでトワ様の声がうるさく心の中に響いていたのに、今はそれも聞こえない。天井の白い光も幾分弱まっており、隙間から灰色の雲が覗いている。しかしトワツカは首を振った。


「まだトワ様は倒れてない。俺が完全には消えてないからな。ただ、今はダメージを受けて回復している段階だろうから、お前は次の攻撃の準備でもしておけ」


 トワツカは意味ありげに鼻を鳴らし、デビル・レディの肩を叩いた。そして彼女から離れ、部屋の隅の僕たちの方にやってくる。


「お前たちは逃げた方がいい」


「え……逃げるって」


 彼の目に見つめられ、僕は戸惑う。彼の左目は見れば見るほど、その鈍い赤光に溺れそうになる。両目で色味が異なっているが、オッドアイとはまた違う気がする。何とも不思議だ。


 僕は彼から受け取った焦げた置物をぎゅっと握りしめた。すると僕の背中から桜がひょこっと顔を出す。


「……で、でもあなたとレディはどうするの……?」


「俺たちはここに残る。でもお前らは非術の人間だ。この場は危険すぎる」


「……」


「階段は使えないから、俺が窓の外まで下ろしてやる。安心しろ、術を使って飛ぶから、俺に捕まっていれば地面に落ちることは」


『ハハハ!』


 突如、トワ様の声が心に浮かび上がった。心臓を直に殴られた気分になり、思わず胸を押さえる。ただその衝撃はトワツカの方が大きかったらしく、一瞬にして彼の顔には汗が浮かび上がった。少しだけ透明になりかけていた彼の体が、僕たちと同じ透明度ゼロに戻る。


『面白い、本当にお前たちは面白い!』


 再び白い光が天井を覆う。この光景だけを切り取って見れば、まるで浄化のための神聖な光のようなのだろう。けれど、実情は全く違う。


『私に歯向かった、私に仕えるはずの者と世紀の大怪盗……。それから、巻き込まれた哀れな子羊たち……。ククッ、統治のしがいがあるというものだ』


 目の前にいるのは、もはや崇めるべき統治者ではなかった。世のためではなく、自分の尊厳がいかにして守られるかに全てを注いでいる。いや……今はそれすらも超えて、人間を消去していくことを楽しんでいる。僕は体が戦慄くのを抑えることができなかった。

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