47 一人の女性の物語①

 本当は、ずっと桜と二人で過ごしたかった。何も変えず、何も変わらず。蝦宇玲未の姿の桜が、あたしのためにご飯をつくってくれて、あたしのためにしゃべってくれて、あたしのために笑顔を向けてくれて……。


 変わらないでほしかった。こんな日々が、ずっと続いてほしかった。


 でも、そんなこと絶対にダメで。桜を苦しめたのも、今のあたしを苦しめたのも、全部昔のあたしのせい。


 あたしは、幸せになるなんて許されないから。


 桜……。


 どうか、このあたし――デビル・レディに、最大限の罰を与えて。


           ・・・


 人って本当に信用できない。


 金と術でしか判断しない、愚かな生命体。


 少なくとも、あたしが育ってきた環境では、そう思わざるを得なかった。


 あたしは生まれたときから人に見放されていた。赤ん坊のあたしは、可術地方の児童養護施設の前で捨てられていたのを、そこの従業員に発見されたのだ。


 月が浮かぶ夜に捨てられていた、瑠璃色の髪の女の子。そういうわけであたしは『浮月ふづき瑠璃るり』と呼ばれることになった。


 そこで温かな環境ですくすく育ちました……って言えればよかったのだが、あたしにとって施設時代は一番思い返したくない時代だ。


 まず、そもそもあたしが拾われた理由が、あたしが入ってた段ボール箱の中にお金が大量にあったからだった。捨てた親が置いていったらしい。お金あるならあたしを育てろよとは思うが、今更親の顔なんて別に見たくないし、親に愛されたいとも思わない。


 施設運営のお金は国から出る。施設の人たちはあたしが持っていたお金を自分たちの遊びに使った。何でこんなことを知っているかというと、あたしが五歳くらいのとき、職員の話を聞いてしまったからだ。


「浮月瑠璃って子、マジで嫌い……。長い前髪の下から見える鋭い目つき怖すぎだし、変に術の能力が高いのもムカつかない? きっと私たち職員のこと馬鹿にしてんのよ」


「分かる。私も嫌い。あ、でも、あの子を拾ったお陰で、私たちのお財布が潤ったじゃない? あのときは嬉しかったよね」


「ああ、確かに! 箱の中に金が大量に入ってて、思わずにやけたのを覚えてる」


「でもそう言えば、知ってる? 段ボールに入ってた、あの子を包んでいた毛布……あれめちゃくちゃ高級な良いやつだったのに、気づいたら園長が勝手に引き取って売り払ったらしいわよ。それで、そのお金は全部園長のもの」


「マジ? ふざけんなよ。仕事は全然しないくせに、そういうところだけちゃっかりしてるよなぁ、あいつ。私たちにも分けろっての」


「本当にね。どうしようもないガキたちを世話してあげてるんだから、もっと金くれよって感じだよね」


「あー、全員死ねばいいのに」


 堂々と大声で話していたから、部屋の外にいたあたしには普通に聞こえた。そしてあたしは五歳でも普通に賢かったから、全ての言葉の意味も理解できた。もともと施設に不信感を持っていたが、そのことを知ったあたしはますます施設の人……というか人全般を忌み嫌うようになった。


 あんたたちも、あたしのこと嫌いなんでしょ? だったら、ちょうどいい。あたしに近寄らないで。仕事だからと言って、窓の外を見ているあたしを猫撫で声で呼んで、貼り付けただけの笑顔を見せないで。本当に虫唾が走る。


 鬱陶しい。幾度となく思った。


 絶対ここから出る。そう心に誓ったあたしは、十代後半で施設から飛び出した。セキュリティー万全とか聞いていたが、あたしの術の力を持ってしたらあっけないもので、すぐ抜け出すことができた。施設の人はあたしを嫌っていたし、探される心配もない。実際、園長はあたしが逃亡したことに気づきながらもその事実をもみ消そうとして、途中でクビになったらしい。ざまあみろと思った。


 浮月瑠璃という存在を一刻も早く抹消したかったあたしは、新しい名前を名乗ることにした。そもそもあたしは、月より星の方が好きなのだ。この名前を捨てるのに名残惜しさなどなかった。


 新たなる名前は、デビル・レディ。完全な悪役の名前がいいと思って自分で名付けた。悪魔の女。悪くない。


 過去は全部捨てるつもりだった。今までのあたしは、他人と馴れ合うのが嫌で、ほとんどしゃべらなかったし、前髪を常に長くして目元を隠していた。でもそれもやめた。煽り文句なんて無意識に口から出るようになったし、前髪はバッサリ切った。そして見た目を地味から華美に大きく変えた。だから、デビル・レディが浮月瑠璃だと気づく人はいないのではないかと思う。


 何でもいい。とにかくあたしは、この世界をめちゃくちゃにしたかった。


 この世界は一体何のためにあるのか?


 あたしの疑問だった。だって、別に生きていても面白くないじゃん、と本気で感じていた。世の中にはハリボテとガラクタしかないし、人なんてものは見せかけだけの薄っぺらい存在だ。こんなものと関わって、何が楽しいのだろう。


 唯一あたしが面白いと感じたのは、あたし以外の人間が困っているのを見ることだった。


 ……いい気味。


 特に注目したのはトワだった。統治者がなによ。擬幻体? ただ人間よりちょっと力があって、それを偉そうに見せつけているやつじゃない。まあ、人間も人間で、統治者に寄り掛かって自堕落に生活している弱者だけれど。


 ちょっとトワに喧嘩を売ってみようかな。あるときそう思った。


 普段、住民の家から金目の物を盗み売りながら生活していたあたしは、実力試しにあるビルに侵入してみた。そのビルは統治者が祀られているところらしく、貴重な宝石もいっぱいあるとのこと。


 そこで初めて奴――トワツカにあった。今思うと、現在の姿と一ミリも変わっていない。年をとっていないみたいだ。頭に布を巻き、その下から見える髪、そして瞳は炎のように赤い。トワ自体が手を下そうとしなかったということは、あたしのこと舐めていたんだろう。


 さすが統治者の使いということもあり、正直強かった。いつものようにはいかず、激しいバトルの末、あたしは一つの小さな宝石しか手にすることができなかった。本当はほかにも色々手にいれたのだが、逃げる途中で落としてきてしまった。でも、生きてただけ良かったかもしれない。ただし、色々と屈辱を味わった日となった。


 奪ったその宝石を確認してみた。ぱっと見、売っても大したお金にはならなそうだ。あたしは少し考えた後、悪魔化の術をかけて自分の手下にした。禁断の術だろうが関係ない。あんなの、その術の使えない人がつくった嫉妬の塊だ。確かに禁断の術の他二つはあたしでも難しいが、悪魔化の術なんて簡単だった。


 自分の言うことを聞いたり、自分を保護する盾になってくれたりする手下のような存在は、あった方がいい。悪魔を持つことは、デビル・レディの名にも相応しい。だから悪魔化の術をかけた。それに、トワが守る建物にあったものを悪魔にするなんて、何か少し興奮した。


 後で分かったが、この行為は正解だった。もしあたしが悪魔化の術をかけてシニスターを生み出していなかったら、あたしはトワにあっさり存在を消されていただろう。トワの体から生成された宝石は『トワの一部』だから、トワは術をかけることができない。つまり、シニスターにトワの術はかからず、それを所有しているあたしもトワの術はかからないってわけだ。


 そして数年後、世紀の強盗犯として有名になっていたあたしは、とある薬品の話を聞いた。その名も、『恐怖の薬品』。そろそろ派手に何かをしたいと思っていたあたしは、その話を聞いて思わず笑みがこぼれたのを覚えている。


 そして、あの日がやってきた。あたしが……桜の家族を殺し、家に火をつけた日だ。


 本当はこっそり薬品だけ盗むつもりだった。でもあたしとしたことか、うっかり人に遭遇してしまったのだ。


 その時、ずっと前に施設の職員から聞いた言葉がなぜか唐突に脳裏をよぎった。


『あー、全員死ねばいいのに』


 本当にね。あたしの邪魔をする人全員、死ねばいいのに。


 持っていた銃の引き金を引いた。術の力も込められていた弾は、目の前の人をあっさり倒した。正直人を殺したのは初めてだったが、特に何とも思わなかった。


 一人殺したんならもう同じかなと思って、異変に気づいて次々部屋にやってきた人を全員撃った。


 薬品が見つからなかったのは悔しかったが、後でやってきたあの館の娘の、桜という人物を味方につけられたことは大白星だった。桜を抱えて空を舞っていたあたしを、梶世登を持ちながら見るトワツカの顔は傑作だった。あんなにあたしに恨みを持った奴の顔、今まで見たことなかった。


 桜を手に入れたあたしは、これをトワを追い詰め世を崩壊させるための計画の引き金にしよう、と着想していた。


 桜を誘導し、桜に罪のない人を殺させる。なかなか面白いゲームだ。そして全て終わった後には、トワの無能さ、民衆の愚かさを説いて、この世の全てを破壊する。訳の分からないくらい大混乱にさせてやりたい。もし桜が『恐怖の薬品』の所在を知っていれば、さらに完璧だ。


 あたしの術の成長具合は、自分で見惚れるくらい著しいものだ。このままいけば一人でもトワを打ちのめせる。だから、それをより確実にするためにも、計画を遂行する必要があった。


 まずは、桜にあたしを信用させないと。


 そこからはがむしゃらだった。誰のことも信用したことのないあたしが、他人に信用を求めることは限りなく難題だった。それでも何とか日々をこなしていった。もちろん洗脳の術に頼ったところはあったが。


 桜は明るくて優しい子だった。桜が笑うと、たいして面白くないことでもなぜかつられて笑ってしまう。正直、こんなつまらないことが面白いの? と馬鹿にしたくなる気持ちもあったが、あたしが笑うことで桜が嬉しそうな顔をするなら何でもいい。あたしを信用しきっている顔だ。簡単なものよ、と鼻で笑っていた。


 でも、途中からだんだんイライラしてきた。桜が笑うだけで、自分の感情が勝手に動かされる気がして、腹が立つのだ。ふとした瞬間に、桜と顔を見合わせて本気で笑っている自分がいるのに気づく。我に返った後はいつも驚愕し、怒りが湧いてくるものだった。


 何こいつ、人の気持ちを弄んで気持ち悪い。しかも桜は、貼り付けた笑顔じゃなくて本当に……本当に心から笑っているような顔をするから、なおイライラする。


 一度だけ、イライラというよりは度肝を抜かされたことがある。家に帰り扉に手をかけた瞬間、パァンと破裂音がしたのだ。一瞬拳銃か何かで撃たれたのかと思ったが、違った。


 扉の向こうには桜が、クラッカーを持って立っていたのだ。クラッカーからは、紙切れが舞い散っていた。あたしの頬が思わず引きつった。何とか口角を上げる。


「え……何? 桜。びっくりしたじゃない」


「お帰り、レディ。こっち来て!」


 桜が無邪気な子供の様にあたしの腕を引っ張った。桜に連れられて目にしたのは、小さいイチゴのケーキだった。


「え……っと、これは……?」


「レディ、誕生日おめでとう!」


 あたしは開いた口がふさがらなかった。桜は何を言っている? あたしの誕生日なんて、あたしも知らない。


 というか、今日という日はむしろ……。


「今日って言ってたよね? レディが施設に拾われた日」


「え……」


「本当の誕生日とはズレてると思うけど、まあお祝いしたいなって思って」


 桜はそう言うと、「まあ私がレディに何かお礼をしたかっただけなんだけどね!」と照れたように頭を掻いた。


 あたしは、自分の瞳が小さくなっていくように感じた。


 お祝い? あたしの? なぜ?


 今日は一年で最も嫌いな日。施設という地獄に入れられた最悪の日。


 それを、祝う?


「その日がなかったらレディもいなかったかもしれないんだよね。そしたら私ももういなかっただろうし。ね、祝おうよ」


 どうしようもなく真っすぐな瞳で微笑みながら言う桜に対し、あたしは目を逸らした。


 馬鹿なのかな、この子……。違うんだよ。違うんだよ、桜。


 その日がなかったら、あんたの家族はみんな生きてたんだよ。


 すると自分の目から何かが落ちた。何かなと思い手で触れてみると、濡れた。


「え、レディ……」


「あ、ごめん。今までそういうのなかったから、あたしちょっと感動しちゃって……」


 慌てて言った。なぜこんなものが流れたのかは分からないが、良いように利用させてもらう。


 すると桜は本当に嬉しそうに……頬を桜色に染めた。




 やっぱり、今日は、一年で最も嫌いな日だ。


 あたしはそう確信した。


           ・・・


「ねえ桜? 前に、桜の家に……『恐怖の薬品』っていうのが保管されてたって話聞いたことあるけど……。それも存在消されたかな。それともトワに回収されてるのかな」


 ある時あたしは恐る恐る尋ねた。ずっと気になっていたのだ。そろそろ聞いても怪しまれないかなと思って訊いてみた。桜に信用されている手応えはある。


 すると桜は「ああ」とおかしそうに笑った。


「そんな噂あったね。あれデマだよ。お父さんが科学者なんだけど、薬品つくってたのは知り合いの研究者に協力するためで、効果は術のスキルアップ。浅西家は術使えない非術地方の人間だから、お父さんすごい苦労してたなー」


「……へえ」


「しかもお父さんはアイデアを提供しただけで、資料とかは全部その知り合いの研究者の研究室に置いてあるんじゃなかったかな。もしかしたら試作品とかは家にあったかもしれないけど。一体何でそんな噂になったのやら」


 なんだ。デマだったのか。


 あたしはがっかりした。


 正直、桜から搾り取れる情報はもうない気がする。一緒に過ごしてきた感じ、屋敷の娘と言っても仕事についてはあまり詳しく知っているようではなかった。望みをかけたこの質問も、デマだというのなら意味がない。


 どうしよう。何か、もういいかな。


 信用させるのはうまくいった。一般人を手中に入れているということもあり、トワツカからの攻撃も少し抑えられていい感じだ。しかし、そのメリット以上に桜のことをお荷物に感じてきた。術も使えない人間は、重い枷にもなる。


 本当は桜を利用したゲームを最後までやり遂げたかったが、桜といると妙にしんどかった。自分が自分でいられない気分になった。


 別に必須じゃない。世を混乱させるための作戦は、他にも考えられる。桜に拘る必要はない。


 もういらない。必要ないね。


 桜がしゃべりながら後ろを向く。あたしはその隙に、懐から拳銃を素早く取り出し、桜の頭に狙いをつけた。







「あ、もしその薬品の試作品が本当に家にあって、それがトワに作用しててトワの能力が上がってたらどうしよう、レディ」


 桜が振り向く。冗談じみた口調だった。あたしは笑って、「それは困るなー」と両手を腰に当てた。


 拳銃は、とっくに懐に収まっていた。


           ・・・


 おかしい。


 これ以上、桜に術をかけられない。かけようとすると、ひどい吐き気に襲われる。


 あたし、どうした?


 おかしいことはまだあった。桜が梶世登を殺すと息巻いているのを見るのが、ひどくつらいのだ。


 ダメ、桜。梶世登は何もやっていないの。殺さないで。優しい桜のままでいて。


 どうしてこんな気持ちになるのか、自分でも分からない。自分で唆したのに。自分で桜に何度も洗脳の術をかけたのに。あたしいつの間にこんなに馬鹿になったのかな。


 だって、あたし、今何のために何をやってるの?

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