46 嘘
桜の目がどんどん見開かれる。みるみるうちにその目は充血していき、雫が零れる。
「どういうこと……」
「あたしが嘘ついてたの。ずっと、ずっとよ。偶然そこにいた梶世登に罪をなすりつけて、作り話で桜を騙してた。桜は何も見てないようだったから」
「……嘘」
「二年前、あたしは桜の家に忍び込んで、四人の人を……殺した。そのあと家に火をつけて、あたしの痕跡を何もかも消そうとした」
「嘘よ、そんなのっ。私は絶対信じない。誰かに言わされてるんでしょ!」
桜は目から雫を飛ばしながら、狂った抑揚で言った。相変わらず体は固まったまま、可能な限りジタバタしている。
「そもそもレディ、どうしてここにいるの? 計画じゃ、私はここに登を連れてきて、その間レディは、トワツカに邪魔されないように別の場所で食い止めるっていう話よね。抑え込みに失敗したから、トワツカに連れてこられたの?」
「違うわ、……確かに説得はされたけど、最終的に来ると決めたのはあたしよ。あたしの意志で来たの」
デビル・レディという女性は弱々しく言い、地面にへたり込んだ。顔を上げず、ずっとうつむいたままだ。深く、深く沈み込んでしまいそうな声だった。
「あたしは桜を地獄に落としたうえ、桜を騙した。赦されるなんて思ってない。だから赦してほしいなんて懇願しない。でも絶対に言わなきゃいけないことだから、あたしは……」
「待ってよっ!」
言葉を遮って桜が叫ぶ。彼女の瞳孔は開き切っており、顔面には怒りと恐怖と戸惑いと驚愕が混ざった表情が張り付いていた。
「どうして? どうして今になってそんな、面白くもない冗談を言うの? もし……もし、仮に、万一、レディが嘘ついてたとして、それはどうして? 何で私の家に侵入なんかして、家を燃やしたにも関わらず私を助けたの? 何で今更、そんな……」
「今更……本当にそうよね。自分でも思うわ。あたしがどれだけ小心者だったか、実感しているところよ」
「ねえレディ、どういうことか説明してよ。嘘なんでしょ、何かの作戦でしょ? 早く教えて、お願いだから」
桜の悲痛な言葉に、僕は胸が切り刻まれる思いだった。
デビル・レディ……世紀の大怪盗と呼ばれていた女性。詳しくは分からないが、桜が『大事な人』と言っていたので、おそらく今まで桜を助けてくれていたのだろう。蝦宇玲未という名前の参考にするくらいだし、桜はきっと全幅の信頼を寄せていたはずだ。そんな彼女から、あなたを地獄に落としたのは自分だ、と告白を受ければ、激しく動揺するのも無理はない。
「作戦じゃない……あたしがただ、覚悟を決めただけ」
そう言うとデビル・レディはちらりとトワツカを見上げた。トワツカは何を思っているのか、憂いを帯びた赤い瞳で無言を貫いている。デビル・レディはそれを確認すると、ふぅっと息をついた。
「……昔のあたしの目的はただ一つ、この世界をぶっ壊すこと、だった。それさえ果たせられれば誰がどうなろうと構わない。そう思っていたの」
「……世界を、ぶっ壊す……」
桜がおうむ返しをする。デビル・レディは「この世界が嫌いだ、ってことは、桜に伝えたわよね」と青い瞳に影を落とした。
「本当に、滅亡してほしいくらいに思ってた。そんな時、聞いたのよ、噂で……。『恐怖の薬品』と呼ばれるものが、境界の管理屋敷にあるって」
境界の管理屋敷というのは無論、桜の家のことだろう。桜は動揺したように眉を揺らした。
「私の家に、そんなものないよ。そういう話を、前にレディとしたじゃない」
「分かってる。でも、二年前のあの時は知らなかったから、あたしは何とかしてそれを手に入れたかった。どんな効能があるのか具体的には分からなかったから余計に興味が湧いたのよ。その館の人で科学者もいるっていうことだったから、その話は普通にあり得ると思ってて」
デビル・レディはじっと、床についた両手を見つめていた。床の冷たさを確かめるがごとく、手を押し付けるようにしている。
「事前の調べでは、その科学者はあの日、研究の仕事があって外出してるはずだった。用があるのはその人の部屋だから、その人さえいなければ忍び込めると思ったの。でも、運の悪いことに、偶然仕事が休みになったとかで彼はいた。そう……部屋を物色してたら、別の部屋から戻ってきた彼に見つかって……」
桜は黙っていた。瞳の奥を小さくして、目全体を赤く染めて、半開きの口のまま、何もしゃべらない。しゃべることができない、の方が正解かもしれない。ずっと、全てを虚無に返したような、全てが抜け落ちたような顔をしていた。
デビル・レディの震えた息が漏れる。
「……あたしは、躊躇わずに持ってた拳銃の引き金を引いた。そしたら、その音に反応して次々に人がやってくるから……来た四人全員、撃ち殺した。あたしが……殺した」
「……」
「でもその薬品とやらは、術を駆使しても全然見つからなかった。だから、証拠を残さないようにとりあえず火をつけた。ライターと灯油を使って火種をつくれば、あとはあたしの術で一気に火の手は広がるから。もし仮に薬品が屋敷に隠されていても、こんだけ燃やせば薬品にも引火するだろうし、それで大爆発でもしたら面白いかもって思った。……まあ、それ以前に、単に大事件を起こすことで、それを止められなかったトワに対する世の不信感を高めたかったっていうのもあるけど」
静かな塔の中に、デビル・レディの声だけが響き渡る。彼女は大きく息を吸い込み、吐き出した。
「その後、火事を聞きつけてトワツカがやってきた。トワツカは、ぐったりしている少年を抱えていて、あたしへの攻撃をうまくできないでいたの」
「……ぐったりした少年?」
ここで僕は思わず口を挟んだ。するとトワツカが腕を組みながら「あんたのことだ」と呟く。
「……トワ様に、生きている人間は全員連れてこいと言われたから……まあ、それがなくとも救うつもりはあったが、とにかく最初に見つけたのが梶世登だったんだよ。酸欠になって倒れてた」
ようやく合点がいった。あのとき僕が助かったのは、トワツカが助けてくれたからなのだ。
彼は肩から落とすような息をつき、徐に瞼を閉じた。
「……ただ、デビル・レディの炎の術のせいで、生きている人間を見つけるのが非常に難しかった。俺が気付いた時には、デビル・レディが浅西桜を見つけていた」
「……そうよ。トワツカの攻撃を余裕でかわして逃げていたら、目の前に瓦礫に埋もれてる少女がいたの。あたしが撃ち殺した人ではなかった。多分後から来て巻き込まれた、何も知らない子。一目で、この家の子だなって分かった。咄嗟にあたしは、使えるって思った」
僕は横目で桜を窺い見た。彼女はぴくりとも動いてなかった。それはトワツカのかけた術のせいもあるだろうが、動かせるはずの顔も固まっていて、唯一まばたきだけを定期的にしていた。
そんな桜に構わず話は続く。
「もしかしたらこの子、薬品の在処を知ってるかもしれない。そうでなくても、境界の管理屋敷の子供なんだし、何かの機密情報とか知ってたらいいなって思って。……それで、聞き出すにはまず、この子にあたしを信用してもらう必要があると思った。だから、梶世登を適当に犯人に仕立て上げ、桜を助けたの。……トワが存在を消す術を使って事件を揉み消したのは想定外だったけど、どうせあたしにトワは術かけられないし、あたしが後でまとめて全部世に知らしめられたら万事オーケー。そう思った」
「あの……」と僕は再び声を出す。
「……それ……トワ様が桜たちの存在を消したとか、僕の記憶を消したのとかって、それは本当なんですか。本当に、トワ様はそんなことを……」
もしかしたら、それも嘘かもしれないと思ったのだ。さっきからそういう話が出ているものの、どうにも信じがたい。僕はまだ、僕の中にあるトワ様という像を壊せないでいる。
トワツカが、宣言するように口を開いた。
「そうだ。トワ様の行いだ」
僕はごくっと息を飲む。返答内容もそうだが、答えた人がデビル・レディではなくトワツカだったことにも驚いてしまった。トワ様に仕える者だから、トワ様を擁護する発言をするのかと思ったのに。
「間違いなく、トワ様が、事件を揉み消そうとした。トワ様は……この世が丸く収まれば、何がどうなったっていいと思っている。世の中が混乱しなければ、何をしてもいいと思っている……。それと、自分に刃向かう者にも容赦しない。禁断の術も、簡単に使う」
「……」
「トワ様が決めてる、ある限度があるみたいなんだ。ある程度の反逆くらいなら見逃すが、限度を超えれば術を行使する。あのときのデビル・レディの起こした火事は、トワ様の決めてる限度を上回っていた。だから、あの事件に関連した物事は全部消されたんだ。梶世登、俺があんたを助けなかったら、あんたも存在を消されていたかもな」
「……じゃあ、どうして一年間の記憶がなくなって……。だって、僕の記憶を一年間消す意味は、ないはずじゃないですか」
言うと、トワツカはクッと顎を上げた。頭に巻いた布で隠されていた左目が僅かに見え、鈍く赤黒い瞳と目が合った。
「あくまで俺の予想だが、あんたは火事以前に浅西桜に関わりすぎた。浅西桜と関わってきたその一年があると、火事の存在と浅西桜の存在を抹消しても、ふとした瞬間に彼女を思い出し、連鎖的に火事のことも思い出すかもしれない。術は案外、そういうので解けたりするからな。多分トワ様は、それを危惧したんだろう」
「桜と、関わりすぎていた……」
そうかもしれない。中二のあのとき、桜はずっと僕の心のどこかにはいた。桜のことを幾度となく考え、思いを巡らせていた。
トワツカは肩を使って息を吐く。
「そういう点では……誰と言ったかな、浅西桜の親友は、記憶を消される限度ギリギリだったんじゃないかと思う。ただ彼女は火事の事件にはなんら関わりないから、トワ様に許されたようだけど。……トワ様は、最も効率のよい効果的な方法を常に選ぶ」
藍花のことだ、と分かった。ということは、藍花も記憶喪失になっていた可能性もあったのだ。
デビル・レディはゴンと音を立てながら後ろの壁に凭れかかった。
「そうよ。トワは、世のためとか言いながら、自分のことしか眼中にない。……あたしが言えたことじゃないけど」
僕は彼女のぼんやりした青い瞳を見た後、桜の顔を窺った。桜は相変わらず黙りこくったまま、正気のない顔をしていた。不意に、彼女の唇が小さく動く。僕はハッとして彼女に注目した。
「……ない、分かんない、分かんないよ……」
「……」
まるで呪文のように口走っていた。涙が乾いた跡が残っている、固まった頬を動かしにくそうにしながら、呟いていた。
「分かんない……もう……信じたくないよ……全部、やり直したい……」
彼女の瞳から、再び涙が溢れてきた。新しく涙の跡がつく。その雫は、制御が壊れてしまったかのように、とめどなく流れ続けている。
痛い。とんでもなく心が痛くて、つらくて、苦しい。彼女を見ながら僕はそう思い、手の平に爪が食い込むほど強く拳を握った。
僕でさえ、こんなに痛いんだ。桜はきっと、僕の何倍も、何十倍も、ちぎれない痛みがそこにあるんだろう。
「……全部捨てて……取っ払って……やり直したいよ……ねえ、誰か……お願い……どうすればいいか……教えて……」
「桜……」と僕は思わず声をかけた。しかし彼女の呪文は止まらない。
二年前の、笑顔が印象的な桜じゃない。さっきの、恨みのこもった瞳をしている桜でもない。また知らない桜が出てきた。絶望し、憔悴し、悲しみに暮れすぎた桜だ。
今目の前にいる桜は、一番好きじゃない。
唇を噛み締めた。強く噛んだせいで、痛すぎて……目が潤む。
僕は、壁に背を預けて座り込んでいるデビル・レディに目線を合わせた。少しびっくりした顔をした彼女をよそに、膝をつきながら距離を詰める。
「あなたは……何が目的なんですか?」
「……目的?」と彼女の掠れ声が耳にざらつく。
「だって、桜に……桜に、そんなひどいことをして、騙して! ……それなのに、どうして今ここで全て打ち明けたりなんか……」
しゃべりながら、語尾が乱れたのが分かった。冷静にいようとしたけれど、僕に溜まっていた怒りが漏れてしまった。感情をうまく制御できない。ダイヤルを一目盛動かすだけで、メーターの振れ幅が大きく上がったり下がったりする。
するとレディは少し顔を上げ泣き顔のまま微笑んだ。その表情の意味を理解しかねて、少し後ずさる。
レディの口が開いた。
「……あなたは面白い人だね、本当……」
「……え?」
「桜に命を狙われていたのに、自分のことより桜のことを気遣って」
「……」
僕は返答に困り、口を小さく開けたまま黙った。しばらく彼女の顔を見つめ、ハッとする。
この人……会ったことある。
今まで気づかなかったが、こうして正面から見つめてみて分かった。この、夜空の星のようになっている潤んだ青い瞳には、見覚えがある。
秋祭りのときに会った、階段に座って涙を流していたあの女性だ。
あのときは髪の毛を全て帽子の中にしまっていたから、ぱっと見の印象が違って、それで気づかなかったのだと思う。ふと、あのときに彼女からもらった白い小石のことを思い出した。今はズボンのポケットの中に入れてある。意識すると、そのポケットがズキズキ疼くように感じた。
「……あたしだって、こんなつもりじゃなかったのよ」
デビル・レディは言う。四人が集う塔のてっぺんに彼女の声が響く。
「あたしは誰にも心を許さない。どんな残酷なことも平気でできる。そう自負して、そう決意してた。……なのに、ダメね。あたし弱かった」
レディが天井を仰ぐ。その反動で水の粒が空中に散った。
「桜と一緒に過ごしているうちに、あたしはいつの間にか、弱い人に変わってしまった」
「……」
桜と過ごすうちに、弱い人に変わった……?
「今になって思う。あたし、何であんなことをしてしまったんだろうって。どうしてあんなにひどい、取り返しのつかないことをしちゃったんだろうって。自分が自分で赦せない。でも、どう償えばいいか分からない。償いたいけど、桜に嫌われたくない。そんな思いがずっとグルグル回ってた。結局、今まで引きずって……」
デビル・レディは話す。内なるものを全て吐き出すように。
「もう遅すぎるの。もっと早く、あなたや桜……そしてトワの使いに出会っていたかったよ、本当」
すると急に、ゆらりと彼女は立ち上がった。僕は体を固めたまま、彼女の動向を目で追う。彼女はトワツカの足元に落ちていた、桜が持っていた銃を素早く拾い上げた。銃身を鷲掴みにしている。
一体何を、と思っている間に彼女は、桜に銃を差し出すように手の平の上に乗せた。
「桜……復讐しないと、ご家族が浮かばれないわ」
「……えっ」
桜が呻く。動揺したように瞳が微振動する。しかしデビル・レディの言葉は止まらなかった。
「だから……あたしを、殺して」
胸の奥がすくみ上がるような、ぞくっとした声色だった。
「おい、お前っ」
彼女の行動を止めようとしたのか、トワツカがデビル・レディに右手を出し、赤い光線を発射する。対抗するように彼女は左手から青い光線を出した。二つの光線はぶつかり、電流の音を立てて弾ける。
その瞬間、桜にかかっていた術が解かれたのか、マリオネットの糸が切れてしまったかのように桜が崩れていった。僕は慌てて駆け寄り、手を差し伸べて彼女を受け止めた。
彼女の顔が僕の胸元に押しつけられる。そのため表情は見えないが、背中は細かく震えていた。僕は彼女の背中に手を回し、ぎゅっと力を込める。
「お願いよ、あたしを罰して!」
デビル・レディは吠える。僕に体を預けている桜に向かって、ぐいぐいと拳銃を押し付けてくる。その動作はだんだんと激しくなっていった。トワツカが「落ち着け」と銃を取り上げようとするが、彼女はそれをかわしつつ、発言を止めない。
「全てを打ち明けてしまったあたしの願いはただ一つなのっ。あたしを殺して!」
「お前の言い分は分かったから、落ち着け。勝手なことをするな」
「桜に嫌われることとか、桜と一緒に生きられないこととかが、今のあたしにとって一番つらいの。だから、あたしをそうやって罰して。あたしが一番苦しむようなことをして!」
「俺の声を聞け!」
トワツカは怒鳴ると、銃を掴んで暴れていたデビル・レディの腕を思い切りはたいた。ガシャンと大きな音を立てて拳銃が床に叩きつけられる。デビル・レディは吹き飛ばされた勢いで壁に背中をつけ、そのままズルズルとしゃがみ込んでいった。光景に圧倒され、僕は桜を抱えながら一歩退く。
トワツカは自身がはめている革手袋に一息吹きかけると、デビル・レディを見下ろした。
「俺は、あんたをおかしくさせたくてあんたを説得したわけじゃない」
「……」
デビル・レディはぼんやりと空中に視線を向けていた。焦点が定まっていない。涙で潤んでところどころ光が反射しているのに、眼光が欠片も見えない。
彼女はポツリと「桜……」と呟いた。
僕の胸に顔を埋めていた桜が、ゆっくりと顔を上げ、デビル・レディの方角へ目を向ける。眼球は染色したみたいに真っ赤になっていた。
「桜……本当に、ごめんなさい……」
デビル・レディは体を震わせて嗚咽を繰り返す。
「どうして……気づいたときにはもうすべて遅いの……」
彼女の長い髪が、細かく揺れる。
桜は喉を詰まらせているように何も答えない。僕も、何も言うことができなかった。
……。
デビル・レディ――悪魔の、女性。そう名乗っている彼女は今、何を思っているのだろうか。
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