43 トワの使い

 冷たい空気が流れる塔の中、僕はただ桜の顔を見ることしかできなかった。


 桜は血走っていた瞳を落ち着かせるようにゆっくり瞼を下ろし、再び開けた。


「私の計画は全て、登を殺して復讐するためのものなの」


「……」


「ただ殺すだけじゃだめ。そもそも忘れてるみたいだったし、まずあのことを思い出させて、動機を聞いて、謝罪させてからじゃないと気が済まない。……そしてそれは、全部私の前だけでなきゃいけない」


「私の前だけでなきゃ……って……?」


「別の人がいる前で登が全てを思い出し、しゃべってしまって、例えば警察にでも連れて行かれたりしたら……私が復讐できるチャンスがなくなるかもしれないでしょ?」


 桜は至極滑らかにしゃべる。台本があってそれをただひたすら読んでいるだけならば、ここまで情熱的には話せないだろう。つまり今の言葉は、桜がずっと思ってて、ずっと心に掲げていたことなのだ。


「えっ、ということは」


 ふと思ったことがあり、僕は呟く。桜は、何、とでも言いたげに目を細めて僕の顔を見た。


「あ、いや……もしかして、一番初めにアイサ研究所に行った時、そこで機械を壊したのって、珠李さんじゃなくて、桜……蝦宇さん?」


「そうよ」


 あっさりと返事が来た。出欠確認の返事くらいの軽さに、僕の顔が自然と強張る。


「登が別室にいるときに、トイレに行くって嘘ついてその機械探して、めちゃくちゃにしたの。レディから、物を破壊する術の液、それから鍵を開ける術の液を拝借してきたからね。まあ、鍵はもともと開いてたから、そのための液体は使う必要なかったんだけど」


「じゃあ、僕の記憶を図らずも蘇らそうとした樋高さんに対して怒ったり、研究所で術の液が僕の口に入ったときに必死に対応してくれたりしたのは……」


「もちろん、計画を完遂するためのものよ。あんなところで思い出されてしゃべられちゃ、たまったものじゃないからね。というかそもそも、蝦宇玲未が登の調査に協力したのも、登を見張るためだったし」


 桜はぐいと右手をより前に突き出した。僕の額に一瞬拳銃がぶつかる。その鉄の塊は、ひやりと冷たかった。心臓が竦む。


「さあ、全て答えてもらうわよ。あのとき、どうしてあんなことをしたのか。正直に話してくれれば楽に死なせてあげる。話さないなら、苦しみながら死んでもらうよ」


 何をしても僕は殺されるらしい。けれど、全てを思い出した僕だって、全ての真実を知ったわけじゃない。このままじゃ死ねない。


「……色々言いたいことがあるんだけど、いいかな」


「どうぞ」


「まず、桜が言う『あんなこと』っていうのは、……桜の家が燃えてた、あの火事のことだよね?」


 僕が言うと、棘でも飲み込んだかのように桜の口元が歪んだ。静かに目を閉じ、ゆっくり開く。


「やっぱり思い出してるんじゃない。さあ、反省してもらうわよ」


「僕はやってない」


 はっきりした口調で言えた。記憶が戻る前は、自分は一体何をしでかしたのか本当に不安で仕方がなかった。けれど、今なら言葉を震わせることなく誓うことができる。


 燃え滾る炎。あれに包まれていたのは、桜の家だった。僕は、その現場に偶然にも居合わせたのだ。


 目の前にあるオレンジ色。皮膚に感じる熱さ。焦げた臭い。こんなにも明瞭に思い返すことが可能だ。


 そして、今なら言い切ることができる。


 僕は、何もやっていない。


「助けられなかったのは、本当にごめん。でも、僕じゃない。どうして桜がそんな誤解をしているのかは分からないけど……。とにかく僕は、桜の家に火をつけたりなんかしてない」


「……何言ってるの? 登、この前家に火をつけるシーンの断片を思い出したとか言ってたよね。もう、やったっていう証言じゃない。ここにきて誤魔化せるとでも?」


「話を聞いて、桜。僕だって分からないことだらけだけど、これは確実に言える。何度でも言う。僕は桜の家に火なんてつけてない」


 そう、いくら僕が記憶を取り戻しても、分からないことはまだある。どうして僕の中二の記憶が消えたのか、どうして誰も桜のことを覚えていなかったのか。


 いや、桜だけじゃない。桜の家族、そしてあの火事の事件のことについて記憶している者は誰一人としていなかった。……桜は、トワ様のせいだと言っているが、僕としては全く信じられない。仮に、トワ様がそんなことをしたとして、一体なぜ、どのように……。


 あのときの状況が、僕には詳しく分からない。思い出せないんじゃなく、知らないのだ。僕が知っているのは、あの事件のほんの一部だと思う。


 でも、これは確かなんだ。僕は、桜の家を燃やしてなんかいない。何もしていない。


 桜の口から荒い息が漏れる。桜はどこを見ているのか、焦点の合っていないような瞳だ。顔は僕の方に向いているが、僕が彼女の目を見ても、目が合わない。


 すると桜は唇を痙攣させるように震わせた。


「もういいわ。つまりあんたは反省してないってことね。分かった」


 僕に向かってさらに銃を突きつける。けれど僕は捕らえられているので何も動けない。恐怖もあるが、桜に誤解をされていることがどうにもつらかった。


「桜、いったん拳銃をしまって僕の話を聞いて。どうせ僕は動けないんだし、桜は勘違いをしてる」


「勘違いじゃないっ。レディが見てたもの。私だって……私だって……」


 桜が小声で何か言った。何を言っていたのかは聞こえなかった。


「桜、何、聞こえない」


「もういい。本当はあの時の状況を説明してもらって謝ってもらいたかったけど、できないなら仕方ないわ。悔しいけど、私はこれ以上耐えられない。もうここで、お別れするのみ」


 桜は俯く。唾を飲み込む音が聞こえた。彼女の手は小刻みに震えている。


「これは私のためなんかじゃない。お母さん、お父さん、広美さん、秀美さん、そしてレディのため……。私はやらなきゃいけないの。復讐しなきゃいけないの」


 叫ぶように言い、桜が顔をあげる。白目の部分はもう充血して真っ赤になっていた。手が震えていたのは怒りのせいかと思っていたけど、違ったみたいだ。不意の表情に、僕の心臓は締め付けられる。


 桜……。


「さようなら、梶世登」


 引き金にかかっている指に力がこもったように見えた。桜が唇を噛む。反射的に僕はぎゅっと目を閉じた。


「ご……」


「待て」


 桜が小声で何かを言いかけた瞬間、周りに響くような低い声がした。唐突なことに心臓を揺さぶられ、僕はゆっくりと目を開ける。


 二人きりだったはずの部屋に、一人の男の人が立っていた。


「……!?」


 赤い髪と赤い右目。左目は頭に巻かれた布で隠されているが、鋭い眼光を強烈に感じた。すると桜の動きが止まった。びっくりしてというか、本当に動きを止められたようだ。拳銃を持った腕を見つめて驚いた様子を見せている。そして首だけぐるりと動かすと「おっ、お前はっ……」と息を吸い込みながら言った。恐怖を感じているようにも見えたし、ひどく慌てているようにも見えた。


「お前、どうしてここに……」


「あんたのぶっ飛んだ行動を阻止するために」


 男性が冷静に言うと、桜は首だけをブンブンと勢いよく振った。


「おかしいっ。レディがそっちに行ったはずなのに。レディはどうしたの」


「それは後で。ああ、梶世登といったかな、初めまして」


 男性は僕の方を見て恭しく礼をした。見たことない人だ。二十代くらいだろうか。けれど、それより若いと言われても納得のいく顔つきをしている。


「もっとも、俺にとっては初めましてじゃないけどな」


 真っ赤な瞳で僕を見つめてくる。僕は彼の言っている意味が分からず眉を顰めた。


「……どういうことですか。そもそも、どちら様ですか」


「俺か。俺は術使いで、トワ様の使いの者……かな。役職的には」


「トワ様の使い……?」


「俺に名前などないが、人々からはトワツカと呼ばれている。敬称はいらない。お見知りおきを」


 そう言うと、トワツカという男の人は桜に向き直り、「さあ、銃を捨てろ」と吐き捨てた。


 トワツカの右手が赤く光る。すると桜は何かに弾かれたように手から銃を落とした。反動で右手は腰の横へ戻り、そのまま不恰好に固まる。銃はするすると彼の方に動く。「捨てろ」と言っていたが、術を使って捨てさせたように見えた。


「くっ……」


「何を言いかけた?」


 トワツカの問いに、桜は口を半分開けたまま静止する。「何……を……?」という声が掠れている。


 赤髪の男性は鋭い眼光を桜に向けた。


「『ごめん』――そう言いかけたか?」


 空気がショートしたみたいにバチッと揺れた気がした。桜の顔が、見たこともないくらいに苦痛と怒りに歪んでいる。


「は……? 何で……? 何で私が謝らなければならないの? 謝るのは、登の方でしょ!」


「この少年はさっきから、そのことについて否定している。身に覚えのないことについての謝罪など無意味だろう」


「ふざけないでよ! そんなのずるい! 私が……私が今どんな気持ちでここにいると思ってるの!?」


 桜の瞳から、透明な雫がポロポロと溢れていく。トワツカの術のせいか、桜は顔以外動かせないようなので、涙を手で押し戻すことができていない。その様子は、花びらが儚く舞っていくようだった。


「家族を殺され、自分の存在さえも消された私の気持ちが、あんたに分かるわけないっ!」


 桜はトワツカの顔を見ながら『あんた』と言った。けれど、その言葉の中には僕も含まれているだろう。彼女の叫びが、僕の体の中で振動する。


 トワツカはふーっとため息をつき、俄に僕の方に手を伸ばした。すると縛りついていた光の糸のようなものが突然ブチブチと音を立てて切れていった。急に体が軽くなり、僕は思わずよろめく。


 そんな僕に構わず、桜は体を捻ろうとしている。術の使えない彼女は、トワツカの術に対抗などできそうには見えなかった。


「私だって、信じたくなかった!」


 強く苦しそうな桜の声は続く。


「蝦宇玲未の瞳で登を見てて思ったわよ。中学のときから全然変わらない、あの笑顔……。本当に登がやったのかって、嘘であってほしいって、何度も思った! でもそれが事実なんだし、受け止めるしかないじゃない! 私はっ……家族のために、登を殺さなきゃいけないの!」


 桜は言い切り、酸欠になったかのようにハーハーと呼吸をした。体を自由に動かすことができれば、肩が上下していたことだろう。


 数秒後、少しだけ落ち着いた様子になった桜は軽く目を伏せた。


「お母さんはね、体が弱かったのよ。お父さんは境界の管理もしながら科学者としても立派に働いていて……。大変そうだったわ。だけど、私はそんな両親とお手伝いさんに愛情をたっぷりもらいながら、幸せに過ごしていたのよ。それなのに……」


 すると桜が僕を睨みつけた。眉間には皺が寄っている。桜のこんな表情今まで見たことなかった。もちろん蝦宇さんの姿でも見たことない。


「いいから早く教えなさいよ。何で私の家を燃やし、私の家族を殺したのか」


 僕は首を振った。桜を見つめ、一歩彼女に近寄る。僕の足音が塔内に響いた。


「僕はそんなことしてない」


 カッと桜の瞳に殺気だった鋭い光が差した。


「じゃああのとき……私が登に手を伸ばしたとき、どうして私の元から立ち去ったの? そもそも、何で私の家の敷地内にいたのよ!? あんな森の中の家、迷ったからと言って簡単に着く場所じゃないわよ! そんな言い訳なら、絶対に認めないから!」


 僕は再び首を振る。どうしてこんな相違が起こったのかは分からないが、とにかく全然違う。どうして桜は、僕が家を燃やしたなんて思ってしまっているのだろう。その思いが目の前の桜を生み出しているのだとしたら、どうしようもなく悲しい。


「全て語ればいいさ、あの日のことを」


 すると、ずっと壁に凭れて腕組みをして立っていたトワツカがぼそりと呟いた。赤い瞳が暗がりの中で映える。


「あんたが知っていること、覚えてることをそのまま話せばいいんだ」


 僕は彼の端正な顔を見た。彼はトワの使いと言っていたが、僕たちのことに一体何の関わりがあるのだろう。やっぱり、桜が言っていた、僕に記憶消去の術をかけたり桜の存在を消したりしたのはトワ様だ、という事実が合っているということだろうか。


 けれど今はそれを考えるよりも、桜に事実を伝える方が先決だ。僕は大きく息を吸い込んだ。凍てついた空気が僕の胸を内側から刺す。


「僕があの家にいたのは、迷い込んだからじゃない」


「……じゃあどうして?」と桜が訊く。さっき大声で叫んでいたせいか、声が若干掠れていた。


 僕は桜の大きな瞳を真正面から捉えた。


「道端で偶然会ったからなんだ。薬を忘れて道端で苦しんでいた、桜のお母さんに」


「……え」


 桜は口を半開きにしたまま、まばたきをしなかった。予想外の言葉だったのかもしれない。


「僕は、あの日……」


 そんな彼女から目を逸らさずに、僕は語り始めた。


 僕は思い出していた。その後の人生の顛末を激甚に変えてしまった、あのときのことを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る