42 一人の少女の物語④

 その後は、レディのもとで過ごした。計画のためには色々知識をつけておいたほうがいいから、レディの家にあった様々な書物を読み漁って、術の効能などの勉強をしていた。ただ、家に引きこもってばかりでもいけないから、何回かは外出した。


 可術地方の街にも、非術地方の街にも行った。レディの術の力があれば、難なく境界を通り抜けられるのだ。境界には、私の家がなくなった後も、地方を隔てる門は存在していたが、門番がいるだけのものになっていた。トワがそうやって誤魔化したんだろう。人々は前のものを忘れ、今の形をあっさりと受け入れている。それが堪らなく悔しかった。


 私たちのことを知らない街は、どこか遠くて、異質感がした。歩いているのに、浮いている。私のことを排除したがっているような、そんな感じ。


 境界を治めていた、伝統ある私の家。誰も、その存在を覚えていない。


 レディは、私の存在が戻れば連鎖的に家族の存在も戻るかもしれないと言っていた。だから、私はただ前に進まねばならないのだ。


 絶対に、私が、取り戻してやる。


 そして丸一年が経った。その春から、私はレディに頼んで術を駆使してもらい、この顔で高校に行くことにした。自分の顔に落ち着いたし、外に出たかったのだ。なにより藍花に会いたかった。


 ただ、同じ高校に登がいるのが問題だった。何で藍花と同じ高校なのか……。でも、逆に毎日憎しみを心に刻むことができるからその糧を復讐に利用してやろうと思った。また、機会が来たとき接触しやすいとも思った。


 あと一年足らずで、ようやく私は……。


 あるときレディは、そんな私の顔を心配そうに見つめた。


「……桜、あたしから唆したから何とも言えないけど、梶世登への復讐をするのがつらいなら辞めるのも一つの手だよ」


 そう言い、指で私の額をつつく。出会ったときからよくレディはこの動作をするけど、癖なのかなと思う。


「何言ってるの、レディ」


 私は心外な気持ちで言った。どうしてレディがそんなことを思うのか、私には理解できなかった。


「つらくないよ。むしろ、復讐できなくて、家族みんなに顔向けできなくなるほうがつらいよ。大事なことを教えてくれたのはレディじゃない」


「……そうね……」


 レディは伏し目がちに頷き、指を離した。


 この頃、レディの元気がないようなので心配である。怪盗の仕事もいつのまにか休んでいるみたいだし、そんなに私の計画がうまくいくかが不安なのだろうか。だから、私は彼女を元気づける意味でも常に気丈に振る舞うことにしている。


 そしてしばらくして、高校生活が始まった。入学式後、クラスに入るなり私は真っ先に藍花のもとへ駆けていった。どうやらレディが術で同じクラスになるようにしてくれたらしい。


 早くから一人で席に着いていた藍花は、スケジュール帳に予定でも書き入れているのか青っぽいシャーペンをノートに走らせていた。ノックする部分が花の形になっている、何とも使いにくいシャーペンである。桜が桜色なら藍花は藍色。中学の時にそう言って二人で色違いで買った。その記憶がどうしても忘れられず、前にレディと買い物に行った時、同じやつを買ってもらった。


 久しぶりに彼女の姿を見て、熱い思いが内から湧き上がってきた。二人で過ごした日々が、明瞭に蘇る。街で買い物をしたとき、一緒に楽器の練習をしたとき、家に遊びに行ったとき……。


 藍花だ。藍花……会いたかった。会いたかったよ。


 私はフラフラと藍花に近づいていく。砂漠の中でオアシスに向かって歩いていくように。


「……こ、こんにちは、あの、私、蝦宇玲未っていうの。よろしくね」


 つい早口かつ噛みまくりになりながらも、私はレディの名前から付けた名前を口に出して自己紹介した。気に入ってはいるのだが、その名前を言うだけで何だか居心地が悪い気がする。


 というかそもそも、レディ以外の人とまともに話すのが久しぶりだった。買い物をしたときに店員と会話をすることはあるが、おしゃべり目的はまるでなかった。他人とどう話せばいいか、少し混乱する。


 藍花は一瞬驚いたような顔をした後、にっこりと満面の笑みを浮かべた。


「わあ、初めまして! 話しかけてくれてありがと! こっちこそよろしくね。私、梨橋藍花っていいます!」


 変わらない、人懐っこい笑顔。揺れる二つ結びの髪の毛。中学のときの藍花と、何も違わなかった。ただ、自分の心が一気に急降下していくのが分かった。


『わあ、初めまして!』


 初めまして。その言葉が、ざらりとした不快な感触を私に与えた。


 でも顔も名前も違うし、そういう言葉は当然だ。私はそうやって自分を励ます。


「……ねえ、あい……梨橋さんは、何中学出身なの……?」


 無意識に、私はそう質問していた。その後に続けたい質問が思いついたからなのだが、言ってすぐ私は悔いた。


「え? 東中学校だよ。というか、苗字じゃなくて名前でいいよー」


「あ、ありがとう……。それで、私の知り合いにさ」


 後悔したが私は質問を続けた。怖いけど聞きたい。何万分の一の確率でいいから、藍花から、私の求めている言葉を、聞きたい。


「東中の人がいるんだけど……。浅西桜って子、知らない?」


 語尾が震えてしまった。口の中が一瞬にして乾く。ぱりぱり口の中で嫌な音がする。


 私の存在は消えている。レディがそう言ってた。家族も、家も、存在を消されていた。


 でも、潜在意識の片隅に、何か断片が残っているのではないか。藍花とは部活も一緒で、二年生のときはクラスも一緒で、放課後も休日も一番よく遊んだ。藍花にとっても、浅西桜という人は中学生時代一番遊んだ人物なのではないかと思う。


 だから、藍花なら、もしかしたら、もしかしたら……。


 藍花の口が動いた。


「えー……ごめん、聞いたことないなあ。その子同じ学年じゃないと思うんだけど、何年生?」


 一瞬、目の前の景色が白くなった。


 何万分の一の確率なんて、あるわけない。あるわけがなかったんだ。


 分かってたのに……。


「……えっと、何年生だったかな……」


「ねえ、ちなみに玲未ちゃんはどこの中学……」


「ご、ごめん、私トイレ行ってくるね」


 私は何とか笑顔を取り繕い、すぐにトイレに駆け込んだ。


 個室の鍵を閉めるなり、涙が溢れてきた。結構久しぶりに泣いてしまった気がする。家族がみんなこの世にいない、浅西桜はもう存在しない、という事実は常に私の頭にはあったけれど、レディと過ごしているときは、涙は出なかった。彼女が私の支えになっていたのは間違いない。


 けれど、こうして改めて感じると、心にぐさりとくる。ナイフで抉られる。私のことを覚えていない藍花すらを恨んでしまいそうになる。


 どうして、私はこんな思いをしなければならないのだろう。


 悔しい、悔しい、悔しい……!


 舌をちぎれんばかりに噛んだ。上を向いて、必死に涙を止めようとする。しかし、鼻がツンと痛い。鏡を見なくても、眼球や鼻元が赤くなっているのが分かった。


 実際に泣いているときももちろんつらいけれど、こうして悲しい気持ちを堪えて涙を抑えようとしている時間も、どうしようもなく苦しく感じた。


 ねえ、教えて。どうして私はこんなに苦しまなきゃいけないの?


 教えてよ、登……。


 どうしてあんなことをしたの?


 クラスにいた登は、昔私が見ていた登そのままだった。純朴で馬鹿がつくほど真面目で、笑顔が明るい人。相変わらず身長は低い。そして、中学のとき本当に運動部に入っていたのかと感じるほど、華奢な体つきだった。


 中学のときと変わっていない。私が登を恨み続けてから想像していた恐ろしい登像とは、全く異なっていた。


 ……。


 私は首を振る。違う、クラスに実際にいた登は、仮面を被っているだけだ。私が想像した登が偽物なんじゃなくて、教室を歩いていた登が偽物なんだ。彼は、自分の犯した罪をも忘れてのうのうと生きている、偽りの人なんだ。


 梶世登。私の、一番の敵。


 そう思えば思うほど、教室で見た彼の笑顔が脳裏に蘇り、再び涙が滲み出てくる。


 どうせなら、登にはもっと歪んだ顔をしておいてほしかったものだ。


 やっぱり高校入りたいなんて言わなければよかったな、と私は思った。自分の存在が消えたということがひしひしと伝わってきて、息が苦しい。登のあの笑顔を、直視することができない。でもレディに色々やってもらった手前、そんなことなど言えないと分かっていた。


 そもそも、もう後には引けないのだ。私の目的はただ一つ、梶世登に復讐すること。私のためではない。殺され、存在も消されてしまった家族のため、私がしなければならないのだ。このくらいで挫ける覚悟ではやっていけない。


 そんなこと、分かりきっている事実だ。


 内側から澱んだ黒い思いが湧き上がる。私は全身から出し切るように息を吐くと、閉じていた瞳を開けた。この目にハイライトが入っていないことなんて、自分でも分かる。


 私は、もう泣かない。逃げようともしない。


 完璧に『蝦宇玲未』を演じてみせる。


 いつか来る、復讐の日に備えて……。


           ・・・


 そして、登が急に私のことを思い出したのだ。本当に、突然のことだった。入学してから数ヶ月経って、高校生活も馴染んできた、あの日。


「どしたの急に。登から中二の話を切り出すとか珍しい……」


 藍花の声が教室の端から聞こえてきた。朝休み、バッグの中の荷物を引き出しに移しているときの出来事だった。中二、という言葉に私は思わず反応した。


「髪はふわふわしてて長くて、睫毛も長い女の子いなかった?」


 登の声に、私は思わず息を飲んだ。自分の睫毛が長かったかは知らないが、髪の毛の特徴は私に一致する。そりゃあこの世に髪の毛がふわふわしている人なんてごまんといるだろうけれど、登の発言だから私である可能性は高い。あまりの不意打ちに指が震えた。


 そして放課後、教室の外でこっそり聞き耳を立てていた私は、確信した。


 登は、私のことを思い出しかけてる……!


 途中で樋高さんも盗み聞きしていることに気づいて慌てて身を隠したが、彼女が走って逃げた後も私は気になって気になって、図書室まで尾行してしまった。さすがに中に入るとばれると思って様子を外から眺めるだけに留めたが、目は釘付けになっていた。


 どうして? 嬉しいけど、なぜ?


 分からない。けれど、復讐の計画が完遂できる強烈な予感がした。登がどうしてあの事件を起こしたのか思い出すことさえすれば、復讐計画はほぼ成功するのだから。


 私は急いでレディに報告しようと家へ走った。学校は非術地方に、家は可術地方にあるが、レディの術のお陰で私は境界のフェンスを越えることができる。門を通る必要はないのだ。というか家に帰るのにいちいち手続きをして門を通るなんてできっこないだろうし、仮にできたとしても怪しまれて仕方がない。


「レディ!」


「桜……。そんな息を切らして、どうしたの?」


「あのね、登が、私……浅西桜のことを思い出しかけているの!」


 穏やかな顔をしていたレディは、私のその言葉を聞いて顔を強張らせた。コーヒーを飲んでいた彼女の手がピタリと止まる。


「え、それは……どうして」


「私にも分からない。でも、これってめちゃくちゃ幸運だよね? ねえ、私の体はあとどのくらいで治るの?」


「えっと……あと一週間くらいかなって思ってる。思ったより回復が順調で、二年もかからなくて……」


「やった、もう本当にタイミング良すぎ。一週間後、すぐに計画を決行してもいいかなあ。だって、登の今の状態なら、あの塔の階段を上れば必ず記憶を取り戻すよ」


 私は意気揚々と言った。塔というのは、ずっと前にレディが非術地方につくってくれた、螺旋階段を飲み込んだ細長い建物のことだ。今は誰にも見られないように、透明化の術をかけてある。


 しかしレディは私から目を逸らし、口元に手を当てた。


「……そんなすぐには……ちょっと……」


「え、どうして?」


「だって……あたしにも、色々心の準備とかあるじゃない」


「そっか。じゃあ、秋祭りの次の日を決行日にしようよ。蝦宇玲未として最後にレディと思い出づくりしたいな。なんだかんだ今の顔にもだいぶ愛着湧いてたし、最後の記念に」


 私は月カレンダーを指ですっとなぞった。非術地方で行われる秋祭りへは、ずっと前からレディと行こうと約束していたのだ。


「それならいいよね? レディ」


「……ええ、そうね」


「復讐終わったら、実は大怪我してたんですって言って、蝦宇玲未の正体が実は浅西桜ですってみんなに素顔を晒すんだよね? 私、もうトワに存在を消される心配はないし、晒していいんだよね?」


「……ええ」


「緊張するなー。藍花、私のことを思い出してくれるかな? まあ、私は浅西桜としてもう一度藍花の近くにいれるだけでいいんだけどね。というか、そういえば、私が正体を明かす同じタイミングで登が行方不明になることになってるよね? 殺した後、隠すから……。絶対怪しまれちゃうね」


「怪しまれるわよ。絶対に」


 レディが強い口調で言う。椅子から立ち上がり私に向かって歩くと、長い指を私の額に当てた。


「……本当に、復讐、するのね。体を取り戻しただけじゃ、満足しないのよね?」


 彼女の青い瞳が揺れる。私はなるほど、と思った。多分レディは私を試しているのだ。ここで返事を躊躇ってしまうような心意気ではダメだと。


 私は口角をニヤリと上げた。


「レディが何を言ってるの。私の目的はただ一つ、復讐だよ」


 宣言するように話した。レディはしばらく無言だったが、「……桜の心意気、よく分かったわ」と私の額から指を離した。


「分かってくれた? じゃあ今日の夜ご飯ははりきって豪華にしちゃうね。今つくるから、待ってて」


 私は言い、隣の部屋のキッチンへ向かおうと歩みを進めた。曜日ごとに料理担当を変えているのだ。今日は私が食事をつくる日である。


 するとレディの周りの空気がふわっと緩んだ。彼女はふふっと口から優しい吐息を漏らす。


「豪華って何よ、桜は料理下手くそじゃない」


「も、もううるさい! 下手なりに頑張るもん。というか、出てきた料理が美味しすぎても知らないからねっ」


「そのままでいいのよ」


 彼女の声が空気に響いた。辺りが特段静かだったとか、彼女の声が大きかったとか、そういうわけではなかったのに、やけに明瞭に聞こえた。


「料理が下手な桜の、そのままでいいのよ」


「やあねえレディ、私のこと馬鹿にしてるの?」


 私は口を尖らせ、軽くレディを小突いてから微笑んだ。


「とにかく、待っててね」


 私は、止めていた足を再び進めた。真っ直ぐに、歩き出す。


 そう、私の復讐劇がようやく始まるんだ。


 具体的に計画が定まったことで、一気に緊張感が高まった気がした。レディとしゃべっているときは感じなかったけど、今一人で考えを深めていくのにつれ、そう感じる。心臓の鼓動が波打って。血が焦げそうだ。


 運は私に向いている。だから、絶対にうまくいく。


 きっと私は、あの塔の頂上で登を追い詰める。レディがつくったトラップに登を引っかけ、彼の額に拳銃を向ける。この拳銃ももちろんレディから借りるものだ。中に術がこもっていて、撃てば必ず死ぬ。


 完全にイメージできる。手に持つ拳銃の感覚も、その重みも。


 私は自分の手をまじまじと見つめ、口を歪めた。


 家族やレディのためにも、必ずやり遂げてみせる。


 手の平をゆっくりと閉じた。プラスチックみたいな皮膚に爪が食い込むくらい強く握りしめる。


 登……思い知るがいいわ。


 私の憎しみを、たっぷりとね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る