41 一人の少女の物語③
「物事はね、計画を立てておいたほうがうまくいくのよ」
ある日、レディは外から帰ってくるなり不意に言った。背後からの声に振り返る。
「おかえり。どこに行ってたの? 今日も怪盗のお仕事?」
「いや、今日はちょっと調査にね」
「調査?」
「桜たちのいない世の中が、どうやって動いているのかの調査。久々に非術地方にも行ってみたわ」
私は黙った。あの惨事から数日経ち、レディのお陰で何とか生きられてはいるが、そういう話題を聞くと心が翳る。するとレディは私の肩に手を置いた。
「そんな顔しないで。あたしは、前向きな意味で調査してたの。というのはつまり、復讐のための調査なんだけど」
「ああ……」
合点した。レディの最初のセリフも、そういうことなんだろう。
「あたしは、今すぐに梶世登を殺しにいってもいいって思ってたんだけど、どうやら事情は複雑そうよ」
「……複雑?」
「それに、あたしまだ桜に言えてないことあるし、今日はそれを話すわね」
彼女は言うと、俄に頭を掻くような動作をすると、そこから何か摘み出した。瑠璃色の髪の下から飛び出るその黒い物体に、私は肝を潰す。
「きゃっ、そ、それ何?」
その黒い物体はドロドロしていて、鋭く吊り上がった目が二つ、それからニヤリと笑った口がついていた。明らかな不審物体だが、レディは平然と手のひらに乗せている。
「この子はシニスター。あたしの中に入ってる、あたしが作り出した悪魔よ」
「あ、悪魔?」
「そんなにビビらないでよ。桜の魂の中にも、この子の分身がいるんだから。別にそれで呪われたりなんかしないし、悪魔と言ってもただの名称よ」
「私の、魂の、中? ど、どういうこと?」
自分の魂の中に悪魔がいる、なんてさすがに驚く。けれどもしかしたら可術地方では常識なのかもしれない。無知な私の反応にレディは笑うかなと思った。
しかし、彼女はそうしなかった。やたら真面目な顔で私に近づいてくる。
「……? レディ?」
「この子を持っていれば、トワの術を受けないのよ」
「えっ?」
「不思議に思わなかった? トワの術があるのに、どうしてあたしや桜はあの事件のことを覚えているのか」
ハッとした。言われてみたら確かにその通りだ。悲しみに暮れていて気づいていなかったが、本来であればその悲しみすらなかったはずなのだ。トワの術にかかっていれば、その火事のことを、私も覚えていないはずだから。
当然レディも覚えていないはずなのだ。けれど彼女もしっかり事件を覚えていて、私のことも認知してくれている。話を聞く限り、それは単にレディが強いから、というわけではないようだ。
「あのね、トワは、『トワの一部』には術をかけられないのよ」
「……トワの一部?」
「トワ含む擬幻体ってね、自分の体から宝石をつくることがあるの。それが保管されてるビルとかも可術地方にはあるんだけど」
「うん」と私は頷き、話を促す。
「その宝石はトワ自身の体から生み出したものだから、トワの一部。自分の一部に自分で術はかけられないから、トワがいくら術でそれを壊そうとしたり消そうとしたりしても、無理ってこと。……ここまで分かる?」
「分かる」
「あたしは、怪盗を始めたてのときに、トワの宝石が保管されているビルに忍び込んで宝石を盗み、それに悪魔化の術をかけた。あのね、悪魔化すると、悪魔は術をかけた人の身体の一部になるのよ。悪魔は、手下であり、あたしの一部」
「……。……うん」
「まあ細かいところは理解しなくたっていいわ。とにかくまとめると、言い方は嫌だけど、悪魔を生み出したことで、あたしはトワの一部になったわけ」
「レディは、トワの一部……」
「そうよ。トワの一部だなんて、何だか気持ち悪いけどね」
レディは自嘲気味に笑った。長い髪の毛をかき分けながら話す彼女を私は見据える。
「……つまり、その悪魔……シニスターを持ってるおかげで、レディはトワからの術にかからなくなったってこと? だからレディだけ、トワが抹消したあの火事のことも覚えてるわけだね」
「そういうこと。あたしが今までトワに消されなかったのもそれのお陰よ」
「じゃあ私が覚えてるのはどうして?」
「あの火事で桜を助けてるとき、トワの術の気配がしたのよ。多分、火事をなかったことにする、存在を消す禁断の術。だからあたしは慌ててシニスターの分身をつくり、桜の中に入れたってわけ」
「分身?」
「分身の術っていうのもこの世にはあるのよ。ひとつのものに対して一回しか使えないけどね。とにかく、せめて桜だけは助けようと思って、そうやって対抗したんだけど……桜の存在は、消されちゃった。間に合わなかった」
レディは悔しそうに唇を噛む。トワから彼女に対して術はかからないとは言え、同じ対象に向かって術をかければトワが勝ってしまうのだろう。
「でもこれ以上トワに術をかけられないように、シニスターの分身は桜の中に入れたままにしているのよ。これであたしも桜もトワの一部。そのおかげで、桜自身の存在はこの世から消されてしまったけど、桜の記憶は残ってる」
「なるほどね。何となく理解した」
私は言い、長い息を吐いた。完璧に理解できたかと言われたら疑問符が付くが、無知ではなくなったはずだ。
シニスターの分身が私の中に入らなかったら、私は家族を亡くした悲しみも知らなかったのだろう。それを幸せと捉えるべきかどうかは人によると思うが、少なくとも私は、記憶を持っていてよかったと思った。家族との大事な思い出はたくさんある。それが消えるのと、家族を失った悲しみが残るのを天秤にかけたら、私は後者を受け入れる。
するとレディは伏し目がちになっていった。
「……そうしないと、酷い話、トワは術で桜を殺すことだってできるわけだし。そこまでいかなくても、梶世登みたいに記憶を消されたりしたら……」
「待って、今何て?」
私は大きな声をあげ、レディの言葉を遮った。不意打ちの攻撃を食らった気分だ。あり得ない角度から殴られた。
レディは目線を下に向けたまま口を開く。
「……そうよ、今あたしが言ったことが、複雑な事情っていうやつよ」
「……」
「梶世登は、トワに記憶を消されている」
梶世登は、記憶を消されている?
「ここ一年間の記憶が全部消去されてるらしいわ。まあ、そもそもあの事件の存在が抹消されてるから、梶世登に事件の動機を訊くことは難しいかなって、それは最初から思ってたけど……。ここ一年の記憶がないとなると、その理由の断片とか、そういうのを読み取るのも厳しいかも」
レディの言葉に、私は胸の前でぎゅっと両手を握りしめた。そういえば会話の冒頭に彼女が言っていた。
『あたしは、今すぐに梶世登を殺しにいってもいいって思ってたんだけど、どうやら事情は複雑そうよ』
「でも、理由を訊かないことには、桜もスッキリしないわよね?」
もちろんだ。どうして、優しかったあの登が、あんなに酷いことをしたのか……。それが分からないと、私は死ねない。スッキリしない、なんて感情で終わるレベルではない。
「だからさ、桜。あたしが思いついた復讐方法、聞いてくれる? うまくいけば、桜の存在も戻るかもしれないし」
「……え?」
レディのその言葉に、私は言葉を詰まらせた。喉の奥が引っ張られる感覚になる。
戻る? 私の存在が?
思わず拳を握りしめた。ようやく慣れてきた手の感覚を確かめる。
「存在の消去と記憶の消去は密接に関係してるの。もし登の記憶が戻ったら、あなたの存在も戻る可能性が高いわ。ある一人が、あなたのことを思い出せば、連鎖的に次々、周りの人もあなたのことを思い出す。そうすれば勝ちよ。そう……トワの術に直接対抗するんじゃなくて、裏側から攻めるの。そうすれば、もしかしたら……」
「それ、本当なの?」
「ええ。ただ、あくまで可能性の話だから、絶対にそうだとは言えないけど」
それでもいい。何だっていい。僅かでも可能性があるのなら、縋りたい。
「レディ。その方法っていうの、聞かせて」
私はレディの肩を掴んだ。彼女は青い瞳を妖艶に光らせながら、こっくりと頷いた。
レディの立てた計画はこうだった。
「調べたところによると、どうやら記憶の復活には『螺旋』も有効らしいわ。だから、それを活用した最高の舞台を、あたしが決行日までに術で用意しておく。その舞台で、登を追い詰め殺すのよ。決行するのは、桜の体が治る思われる二年後。桜には、桜の本当の姿で復讐してもらおうと思う。登が桜のことを思い出す要素は、多ければ多い方がいいから」
二年後か、と私は唾を飲み込んだ。けれど、そこまで準備しておかないと、私の存在を取り戻せる可能性とやらが減ってしまうのだろう。そうなってしまうと、登への恨みを晴らすことができない。
「レディ、『螺旋』を活用した最高の舞台って、どんなの?」
「今のところあたしが考えてるのは螺旋階段の塔よ。桜はその頂上で、彼を待ち伏せる」
「なるほど」
「話した内容をまとめるわよ。桜は、本当の姿で梶世登に会い、あの火事を思い出させる。そして問い詰め、彼から理由を訊く。そのあと、桜自身の手で……彼を殺す。……思い出させるっていうのが一番の難関な気がするわ。思い出させれば、自白の術くらいならあたしがかけてあげられるから」
「そのための準備期間が二年、ってことね」
「まあそう言えるわね」
レディはリズミカルに指で机を叩いた。すらりとした指と長い爪のお陰か、はっきりとした音が鳴っている。
「だから、その日まではゆっくり過ごすといいわ。その日が来るまで、万全の体制を整えておくのよ。いい? 桜。あなたの大事な人たちは、梶世登に殺されたのよ。彼を殺さないと、あなたの家族は救われない」
レディは机を叩くのをやめると、その指を私の額まで持ってきて、ツンと触った。指の腹の感触がする。私は彼女の瞳を真正面から見据えながら、「分かってるよ」と言った。
「それよりレディ。……レディは、私のためにどうしてそこまでしてくれるの?」
「え?」
レディが首を少しだけ傾け、私の額から指を離した。私は自分の細い髪をいじりつつ話を続ける。
「だって……術が使えなくて、何の役にも立たない私を、どうしてこうやって助けてくれるんだろう……って思って」
するとフフッとレディは笑った。唇の端がくっと上がり、青く妖しい瞳が私を舐めるように見上げる。その仕草に、私は思わずドキッとした。内臓が全部射竦められる感覚がした。
「あたしは、見返りなしに人を助けちゃいけないの?」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「馬鹿ね。そんなこと、気にしなくていいのよ。それに、桜を助けることは、トワの尊厳をぶち壊すことにも繋がるのよ。だからウィンウィンよ」
「そ、そっか。ならよかった」
私は背中の後ろで手を組み、軽く下を向いた。レディはふーっと息を吐く。
「……ねえ桜、約束してほしいことがあるんだけど……」
「何?」
私は顔を上げた。レディから醸し出される雰囲気が変わった気がしたのだ。窓の奥で木々がざわめく音がする。
彼女は私に顔を近づけた。彼女の冷たい息が私の鼻先にかかる。
「あたしに対して、嘘とか隠し事は無しにしよ? そうじゃないとあたし、桜のことを完全には信じられなくなっちゃうかもしれないからさ」
「それは、もちろん」と私は頷いた。躊躇う気持ちは一ミリもなかった。別にレディに隠していることなんてないし、嘘をつく必要もない。
「そう言ってくれてよかったわ」
レディは満足そうに首を縦に振った。ほっとしたような笑みに見えた。私のことをどれだけ信用していいか、彼女は悩んでいたのかもしれない。怪盗という世で言う犯罪者が、自分の領域内に他人を介入させているのだから、いつか裏切られるかもしれないと警戒してしまうも当たり前だろう。
「さて、じゃああたしはちょっと休憩してくるね。明日も、またあいつとバトルしなきゃいけないかもしれないし」
レディはそう言ってこの部屋の出口に向かった。私は思わず「あいつ?」と訊く。
「トワの使い……通称トワツカって言う、赤髪の男よ。調査のために街に出ただけなのに、今日もあいつに遭遇しちゃってさ」
「トワの使い?」
「トワの命令に従う、トワの駒よ。トワ自身はあたしに手が出せないから、そいつが攻撃してくんの。まあ、トワに比べたら実力は劣っているから、あたし一人で対処できるわ」
「さすがレディ……。でも、大丈夫なの? それに、今日も遭遇したって言ってたけど、そんなに毎回出くわしてるの?」
「怪盗の仕事始めてからは結構ずっとよ。だから慣れてる。余裕よ。まあでも、そのための体調管理は必要ね」
「そっか。じゃあゆっくりしなね」
「ええ」
彼女はそう言い、ひらりと手を振って部屋から出ていった。私は彼女の残像を見つめ、手を軽く握りしめる。
レディも協力してくれているんだ。必ず、やり遂げなければいけない。
復讐、しなきゃ。
あいつに……登に。
私の本当の体が治ると思われる、約二年後。それまでにできることは行い、私が登に復讐するときに備えなければ。
目の前に登を想起させる。いつの間にか私の中の登は、あの輝いていた笑顔を捨て、とても鋭く峻厳な表情をしていた。
登の本性の顔は、きっとこんな感じなんだね。
私は親指と人差し指を立てて拳銃の形をつくり、目の前の空想に向かって撃つ真似をした。
「……」
空想の登は、花びらが散っていくように消えていった。儚く、はらはらと空気に溶けていった。
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