38 正体
蝦宇さんが、桜……?
理解が追い付かない。整理をしようと頭をフル回転させた。
僕が夢に見ていた少女、その正体は中学のときの同級生、浅西桜。なぜか、記憶をなくした僕だけでなく、誰一人として彼女のことを覚えていない。
そんな彼女のさらなる正体が、蝦宇さん。
……やっぱりダメだった。理解不能な点が多すぎる。まずそもそも、姿も声も違うのに……。
「蝦宇玲未は入れ物だから、姿も声も違うに決まってるよ。人工的につくられたマネキンみたいなもので、私の魂を入れるただの容器なんだから。アイサ研究所であれだけの数の入れ物を見たんだもん、そのくらい覚えてるよね?」
僕の思考を完全に読み取ったかのように、桜は淡々と説明する。さりげなく髪の毛を掻き上げる仕草が妖艶だ。
「信じないなら蝦宇玲未に触ってみる? 感触でわかると思うけど」
僕は細かく首を振った。死体のように動かなくなっている蝦宇さんの身体の近くに寄りたくはない。喉が詰まった感じになった。呼吸がしづらい。ただ一つ、納得することがあった。
だから蝦宇さんは触られるのを嫌ったのか……。
初めて研究所に行ったときに触らせてもらった『入れ物』の感触を思い出していた。人肌の感触とは違う、少し硬くてプラスチックのようなつるつるのあの感覚。意識して触れば、確かに違和感はあるだろう。だから蝦宇さん……桜はきっと、その違いがばれないように触られたくなかったんだ。
部屋の奥を再びちらりと見る。蝦宇さんという見知った顔が精気のない様子で倒れている、その状況だけで発狂しそうだ。
僕はゆっくり、何とか立ち上がった。戦慄く膝を懸命に抑えながら、大量の息とともに言葉を吐いていく。繊細に行動しないと、僕が全て崩れて壊れてしまいそうだ。
「それって、つまり……蝦宇さんの体は、アケビさんがつくった製品だ……ってことだよね」
「そう。ほら、没収される前に一体は売れたって言ってたでしょ。それが多分、あれ」
桜は再び蝦宇さんに向かって指を差す。僕としては、まだ蝦宇さんが『あれ』と表現されるのには抵抗がある。ふと、彼女の優しい微笑みが蘇った。あの微笑みが、桜のものだったなんて……と信じられない気分になる。
「私も研究所行って話聞いて、初めてその事実を知ったんだけどね。まさかあそこで蝦宇玲未のルーツを知るなんて思ってもなかったわよ。……ああそういえば、もしかしてアケビさんが私の顔をじろじろ見てたのって、あの入れ物の顔を覚えていたからなのかな。今思ったんだけど」
「……」
確かに、初めて研究所へ行った日の帰り、藍花がそのようなことを言っていて気にはなっていた。
アケビさんがつくったものだから、その顔に見覚えがあるのも当然だ。ただ、たくさんつくっていたようなので、一つ一つの容姿をしっかり覚えてはいなかったのだろう。見たことある気がするけど誰だっけ……くらいのことを考えていたのかもしれない。
そんなことを思う僕など気にも留めずに、桜は喉の調子でもいいかのようにしゃべり続ける。
「ああ、そうそう、蝦宇玲未っていう名前はね、私の大事な人の名前、デビル・レディからなんだよ。適当に発音の雰囲気をもらっただけなんだけど、いい名前でしょ。術が張り巡らされたこの塔も、レディにつくってもらったのよ」
「デ、デビル・レディ……!?」
知ってる。前に話題に上がってた。確か、強い術の力を持つ、可術地方の者……。
『世紀の大怪盗、デビル・レディよ。存在は非術地方にも知られていたようだけど、この名前は可術地方でしか呼ばれてないから、梶世くんは知らないかな?』
『彼女ならトワ様を倒せるかもしれないなんて噂が出たこともあった。そのくらい強かった』
そんな大怪盗と、桜が、一体どんな繋がりを……。
僕は乾ききった口の中にある僅かな唾を、ごくりと飲み込んだ。
というかそもそも、桜の目的が分からない。僕をここまで連れてきたのは桜で間違いない。けれど、何のために? 蝦宇さんとして僕らに近づいていたのはなぜ? 僕の記憶喪失と桜との関係は?
そして……どうして、誰一人として桜たちのことを覚えていなかったんだ? 術なのか? だとしたら、一体誰の?
無意識に桜へ近づいていた。色々なことを、訊きたい。それに、桜に……忘れててごめん、という気持ちを伝えたい。
「桜……」
僕が呟くと桜は満足げににやりと笑った。
「ふふ……本当に思い出してくれたんだね」
……。
違う。
その笑いを見て、違う、と僕は思った。僕が見てきた桜の笑顔は、混じりけのない純朴なものだった。桜のこんな笑みは見たことない。
忘れててごめん。だけど、思い出したのは、目の前にいる桜じゃない。記憶の中の君と、目の前にいる君が、全然一致しないんだ。
答えを求めたくて、桜に向かって手を伸ばす。
突然、どこから現れたのか光の糸のようなものが僕の手足に絡み付いた。
「うわっ」
僕がびっくりしている間に、糸が巻き取られる要領で階段横の壁に押し付けられた。ガンと鈍い音がした後、背中が痛む。背筋に電流が走ったみたいだった。体勢を立て直そうとしたが、貼り付けられたみたいにぴくりとも体が動かない。
「何……桜、これは……」
桜は僕の様子を見て、薄笑いを浮かべた。光のない瞳で、見下げるように僕を眺めている。僕の心は冷水を浴びせられたようになった。
桜が桜じゃない。僕が心奪われた、あの真っすぐな桜の姿をしていない。
「……桜、どういうこと……」
桜は答えない。もちろん僕を助けようと手を伸ばすこともしない。
「桜、お願い、この糸みたいなのを解いて」
「……。レディの術だもの、私じゃ解けない。解く気もないけど」
「桜っ、何でこんなことするんだ! 説明して!」
僕は思わず声を荒げ、動けるわけでもないのに体を揺すった。すると桜はギョロリと瞳を動かし、唐突に頬を引き攣らせる。
「……惚けてるの?」
「え?」
「私がこの手で思い出させ、登に罪を償わせる……。そのために全て、全てを費やしたのよ。ここに来て、誤魔化しなんかいらない。全部思い出したんでしょ? なら、登が私たち家族にしたことだって、思い出したはずよ。とっとと白状しなさいよ。それとも何? あのことを、罪だとも思ってないの?」
「え……?」
「私は忘れたりしない。ずっとずっと覚えてる」
桜はカツカツと足音を立てながら僕の方に向かって歩いてきた。歩調に合わせて血の色みたいなスカーフが揺れる。そして僕に向かって何かを突き出した。その何かを認識したとき、僕は頭がおかしくなりそうだった。
「私は……登に復讐するために、全てを懸けた」
桜が持っていたのは、黒光りする拳銃だった。
それがどんなタイプの拳銃なのかは分からないが、その重厚さはいかにも殺傷能力が高そうだった。額に銃口が向いている。僕の口の中はどんどん干からびていくようで、それに伴って苦い味がしてくる。
「……桜、何で……」
「ああ、あとトワにも復讐したかったんだよね。登を殺せば、一市民を守れなかった無能な統治者としてのレッテルを貼られるはずだから」
「……ト、トワ様……? どうして? トワ様が何か関係あるの?」
突然飛び出した予想外の名前に、僕はたじろいだ。すると桜はジロリと僕を見た。
「関係? あるに決まってるじゃない。私の存在を消したのは、トワなのよ。そして登の記憶を消したのもトワ」
「……え」
「ラッキーだったね、トワが事件を隠蔽する無能で。登はあんな酷いことをしながらも、トワに記憶を消してもらえたおかげで、あの事件に囚われることなくのほほんと暮らしていけたんだもの」
じっとりとした嫌な汗が背中を伝った。構わず桜は続ける。
「みんな、登の記憶を消したのはトワ様レベルの術の持ち主……って騒いでたけど、何でトワがやったっていう結論にはならないの? みんなしてトワを崇め奉ってて気持ち悪い。私はずっともどかしかった」
「だってまさか、トワ様が一個人に術をかけるなんて」
「かけるわよ。保身のためならトワは何でもやるのよ。術で全部誤魔化してるから、すごい存在に思えていただけ」
僕は黙った。だってまさか、神様みたいな存在の、概念みたいにすら思えるトワ様が、こんな凡人の僕に術をかけただなんて……。想像できないし、想像したくない。
「……登が私の家を燃やし、トワが私の存在を消したのよ。恨まないわけがない」
ポツリと彼女は言い、唇を噛み締めた。見ている側からしても、血が滲んでしまいそうなくらいに力を込めているのが分かる。かと思ったら、パクリと口が開いた。
「私の目的、教えてあげる」
桜は僕に銃口を向けたまま、左手で髪を掻き上げた。
「登に記憶を取り戻させたのは、登が犯した罪を認めさせ、何であんなことをしたのか理由を吐かせ、謝罪させるため。そして……」
髪から左手が離れ、彼女のその髪は広がるように靡く。大きい瞳を尖らせ、僕を見据えた。
「登をここまで来させたのは、この手で登を殺すため、よ」
黒く、針のように突き刺す声だった。
鬼のような形相で、僕の精神を威圧する。
桜の血走った目は、僕に対する恨みを思い出しているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます