35 とある日常⑥

「どう? 似合ってる?」


 子供はブレザーを羽織ると、その場を一回転した。女性はゆっくり微笑み、「ええ……」と頷く。


「とても……似合ってる」


「本当に、何から何までやってくれてありがとうね。学校に通いたいなんていう我儘も聞いてくれて」


「あたしは……あなたのためなら、何でもやるよ」


 女性はそっと目を伏せる。彼女の微妙な雰囲気に、子供は、ん? と言う表情をし、まだ板についていない制服を揺らしながら女性の元に駆け寄った。


「どうしたの? 元気なくない?」


「え? あたし? そんなことないけど……」


「何か顔色悪いよ。心配……」


「や、あの……違うのよ、あたしこそ心配なのよ」


「え?」


 子供は目を丸くする。素朴な瞳が女性を貫いた。女性は子供の襟を直すためにその子の首元に手をてがった。


「だって、同じ学校に……その……」


「ああ……大丈夫だよ」


 何かを言いかけた女性の言葉を遮って、子供は意味深に口角を上げた。さっきの素朴な瞳が一転して怪しく光る。


「それに、『その時』のために接近しておいたほうがいいと思うし」


「そうね……そう、よね」


「でも心配してくれてありがとう。こんなに協力してくれてるんだから、精一杯頑張るよ」


「……あのね、別に……頑張らなくていいのよ」


「え?」


 女性は、子供の襟元から手をスライドさせ、その子の両手をぎゅっと握りしめた。屈みこみ、正面から子供の顔を見据える。


「つらいなら、全然やめてもいいと思うし。何ならこのまま何もせずあたしと呑気に過ごしていく手も……」


「また甘やかしてくる」


 子供はふふっと微笑み、さらりと女性の両手を剥がした。暑くなってきたのかブレザーを脱いで手に持つ。


「大丈夫だって。だって、学校に行くっていうのは友達に会いたいっていう自己中な理由もあるからさ。それにね、計画のことに関しては、正直自分のことなんて関係ないよ。やらなきゃいけないからやる、ただそれだけ」


「……分かったわ」


 女性は静かにそう言うと、近くの机に置いてあったコップを手に取り、水でゆっくりと口の中を潤した。「……ぬるい……」と一言を残し、女性は部屋の扉へ向かう。すると声が飛んできた。


「あれ、どこ行くの?」


「考え事をしようと思って。気にしないで」


「考え事って、計画の?」


 ぴたりと女性の足が止まる。数秒立ち止まった後、徐に子供の方に振り返った。


「ええ、その通りよ」


 その眼差しは、明らかに子供のものとは異なっていた。鋭くて重く、苦しい光がその目に灯っていた。

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