32 告白

 翌々日の学校。生徒たちのざわめく声が、校舎中を駆け巡る。休日にあんな濃い出来事があったせいか、学校へ来るのが久しぶりに感じられる。


「梶世くん、ちょっといいかな」


 昼休み、樋高さんに呼ばれ、僕はついていくがまま体育館の裏にやってきた。どうして呼び出されたのかは大体予想がつく。多分この前の騒動絡みのことだろう。僕だって色々訊きたいことがある。


 想像通り、一言目に樋高さんはこう言った。


「あの、大丈夫だった? 梶世くん、倒れたから……」


「大丈夫だよ」


 安心させるため、僕は口角を上げた。体育館のザラザラした壁に寄りかかる。


「瞬たちもいたし、伊杷川先生も来てくれて、介抱してくれた。すぐに体調は良くなったしね」


「よかった……。……本当にごめんなさい。あれ、私が持ってきた液だし……。私も付き添いたかったんだけど、許可なく可術地方に入った違反罰の手続きがあって。父さんも違反してたし、役所の人と沢井さんと、長いことやってたんだ」


「ああ……樋高さん、結局どうなったの? 樋高さんこそ大丈夫?」


「うん。私の場合は自業自得だし、それに沢井さんに色々サポートしてもらっちゃった。……私、沢井さんにあんなことしたのに……」


「……違反罰の内容は? アケビさんは、罰金くらいで済むと思うとは言ってたけど……」


「そうだね、罰金とか色々あって、ギリギリの生活を強いられることにはなったよ。……でも、非術地方で父さんと一緒に暮らせることになったし、前よりも良かったなって」


「そっか」と僕はホッと息をついた。樋高さんは目を伏せながら言葉を続ける。


「父さんは、アイサ研究所から仕事をもらってるんだ。もう可術地方には入れないから研究はできないけど、実験結果のデータとかを送ってもらって、それをまとめたり分析したりするのをネットでやってる。そういうのなら境界関係なく送れるからね」


「よかったね」


 言うと、樋高さんは神妙に頷いた。そこで少し間が生まれたので、僕は「あのさ」と口を開く。僕にはまだ訊きたいことがあるのだ。


「何?」


「えっと、素朴な疑問があるんだけど、いいかな」


「もちろん、どうぞ」


「あの術の液体……はどうやって手に入れたの?」


「え?」


「いくら可術地方出身って言っても、そういう術の液体なんて簡単に手に入るの?」


 すると、樋高さんは痛いところを突かれたかのように顔を歪めた。言うのを躊躇っているようだ。僕は催促などはせず、ただ待った。


 しばらくの後、樋高さんは口をゆっくり開けた。


「……情報屋って知ってる?」


「情報屋? あー、どこかで聞いたことあるけど……」


「可術地方には割といる、色々な情報を売っている人だよ。私ね、可術地方にいたとき、情報屋として活動してたことがあって」


「そうなの?」


「探偵的なの、得意なんだよ。だから色んな情報を持ってるの。そのときに持った伝手つてで、協力してくれそうな人に電話をかけたんだ。さっきも言ったけど、地方が違っても、電話とか物のやりとりは簡単にできるからね。まあ、術の効力をもつ物の受け渡しは本当は良くないんだけど」


「そっか、協力を……」


「うん、まあ……正直、脅し……みたいなところもあったかな」


「脅し?」


「例えば、こういうのだよ。スマホにはまだ写真残ってるから見せるけど」


 樋高さんが見せてくれたスマホの画面には資料が写っていた。それには、びっしりと手書きで文字が書いてある。人の名前、住所、性格などなど……。個人情報の流出とか大丈夫なのかなと少し不安になった。けれど彼女はあっけらかんとしている。「だって梶世くんは誰かに漏らしたりしないでしょ」と言うが、そういう問題ではない気がする。


 とにかく樋高さんは、その情報をもとに、協力してくれそうな人に電話をかけたらしい。実際、術の液体を手に入れたとき、以下の会話があったと言う。


『……情報屋が今更何の用だい?』


『知ってるよ? あんた……昔、児童保護施設で園長として働いていたでしょ?』


『……な、何でそれを』


『その施設に預けられていた浮月ふづき瑠璃るりちゃん……協調性のないその子が鬱陶しかったのかな? 彼女が施設から逃げ出したのに探さず、報告もせず、隠蔽を指示したんだってね。そもそも施設には最初からお金関連の不祥事もあったみたいだし。で、バレてクビになって、何年も経った今でもバイトを転々として生活している……合ってるよね』


『なっ……』


『間違ってないはずだよ。私を舐めないでほしいね』


『……だったら、何だって言うんだい? 何が狙いだ、金かい!?』


『まさか。ただ、術の力を貸して欲しいだけ。もちろん報酬は払う。どう? この条件。……バイトを転々としているってことは、生活結構厳しいでしょ。お金、欲しいんじゃない?』


『……』


『どう?』


『……でも、私は……そんなに上手い術使いじゃないさ』


『構わないよ。低レベルの術だから』


『だったらお前が自分で術を使えばいいじゃないか』


『それができていたら苦労してないよ。私は可術地方に入ることも禁止されているのに。だからこうしてあんたにも電話でしか連絡取れないんだよ』


『……何してほしいんだい』


『平衡感覚を狂わす術、あるじゃん? それを、私でも使えるように液体に変換してほしいの。完成したら非術地方に送って。そしたらお金払うよ』


 樋高さんは目を閉じて息をついた。


「……というわけ。もうしないよ、こんなこと。スマホの写真にはまだそのときの資料残ってるけど、オリジナルの紙のほうは全部燃やしたし」


「……そっか」


「解決した?」


 樋高さんの言葉に、僕は頷いた。彼女はフッと口元を緩めると、「あとは? 何か質問ある?」と尋ねる。


「あ、じゃあもう一つ」


「何?」


「樋高さんが沢井さんの研究所に行こうってなったのは、僕が沢井さんと関わりあるって偶然知ったからなんだよね?」


「そうだけど?」


「じゃあどうして僕の記憶がないっていう話に聞き耳立ててたの?」


 僕の言葉に、樋高さんは理解ができなかった、と言うように眉を顰める。確かに今の問い方では分かりにくかったかなと思い、もう一度口を開ける。


「僕が瞬に自分の記憶について話したとき……。聞き耳を立てていたのは、樋高さんなんだよね? 誰かが聞いてたの見たって瞬が言ってて」


「そうだよ、私だよ」と樋高さんはあっさり頷く。僕は寄り掛かっていた壁から背中を離し、ブレザーが毛羽立った感覚を受けながら、彼女を真正面から見つめた。


「どうして?」


「……? どうして、って……」


「僕から沢井さんの話を聞いて、それから聞き耳を立てるようにした、っていうなら分かるよ。でも、僕が瞬に記憶喪失のことを話したのは、僕が沢井さんのことを学校でしゃべったよりも前。どうしてその頃から、僕らの話をこっそり聞いていたの? それとも偶然通りかかったの?」


 彼女はようやく話が分かったようで、喉の奥から「あ」とも「う」とも取れない声が漏れた。慌てたように両手で口元を押さえている。僕は返事を聞きたくて黙っていたが、彼女は一向に話そうとしてはくれない。


「……答えたくないのなら、構わないけど」


 僕はくいっと首を傾ける。不快にさせちゃったかなと少し反省しながら、体育館裏の壁から少しだけ顔を出した。遠くに見える時計は、もう少しで予鈴が鳴ることを示している。僕は顔の向きを戻し、「そろそろ教室に戻ろうか」と言った。


「ま、待って」


「え?」


 樋高さんに袖を掴まれた。さすが空手部といったところだ、指先だけでつまんでいるのに物凄い力だ。


「覚悟を決めてただけだから。今誤魔化しても、きっと梶世くんにおかしな疑惑を与えてしまうから。その前に、言わなきゃって……」


「え……何を?」


「梶世くんが好きってことを」


 唐突すぎる言葉に、息が詰まった。一瞬にして脳内が真っ白になり、口が半開きのまま塞がらなくなる。


「……え……?」 


「私は、恋愛感情で、梶世くんが好き。だから情報屋の仕事で培った能力を使って、梶世くんをこっそり追い回してたの。気持ち悪くて、本当ごめん。でも……私は……梶世くんの、彼女になりたい……」


 最後の方は、消え入るような、か細い声だった。空手部で躍動している彼女とは、全く結びつかない様相である。


 これが告白だと分かるのに、やや時間を要した。だって、僕なんかにそんなことを言ってくれる人がいるなんて、到底考えたこともなかったから。というかそもそも、樋高さんには嫌われてると思っていた。彼女に気絶させられたくらいなのだから。


 数秒の後に出た言葉は「……どうして、僕なんかを?」だった。


「……きっかけは、ずっと前にあった学活の時間、かな……」


 彼女の目が伏せられ、睫毛の影が瞳に落ちる。僕は「学活?」と言葉を反復させた。


「梶世くんは覚えてないかもしれないけど、学活の授業のときに『可術地方について考えよう』みたいな議題があって。班で話し合いをしたんだけど……覚えてる? 同じ班だったんだけど」


 僕は思考を巡らせた。特段印象深かった出来事はなかったように思えるが、そういうことをした記憶は辛うじてある。僕は「……少し」とやんわり頷いた。


「あの授業を担当した先生、可術地方についてそんなに知識を持ってない先生だったから、そのせいもあって班の人たちからは可術地方に対する偏見みたいな言葉ばかりが飛び交って……。可術地方出身の私は正直、すごく居心地が悪かった。でも」


 そこで彼女はすっと僕の瞳を見る。緊張を堪えるような、固い仕草だった。


「梶世くんだけは、違った。周りの意見に流されず、可術地方に対して偏見なんて言わなくて、ただまっすぐだった」


「……そうだったかな」


「うん、梶世くんが何と言おうとそうだったの。……庇ってくれた気がして嬉しかったから、覚えてる」


 彼女は言い切った。手を後ろに組み、細かく足踏みをしている。それに伴いスカートが小刻みに揺れる。


 僕は黙った。正直、驚いているし、呆気にとられている。


 こんな僕のことを、好きだと言ってくれる人がいるなんて……。


 嬉しい。純粋に嬉しかった。けれど、心は最初から決まっていた。樋高さんに思いを告げられても、変わらない。


 僕の中には、たった一人しかいないのだから。


「……ありがとう。気持ちは嬉しいよ。でも、ごめん」


 僕がそう言うと、樋高さんの目が一気に真っ赤になっていった。唇をグッと噛み締め、軽く上を見上げる。そして彼女は明らかに上辺の「あはっ」という笑い声をあげた。


「そうだよね、だって私、沢井さんの件で梶世くん利用したんだもん。自分の好きな人を自分の復讐のために利用しちゃったんだもん。当たり前だよね。本当、馬鹿みたい……」


 樋高さんはズッと鼻水をすすり、それから強張りすぎた顔で僕に微笑みかけた。しかし耐え切れなかったのか、体を震わせて俯く。冷たい風が一陣駆け抜けた。


「……梶世くんが倒れたところを私が助けて、好きになってもらう……っていう、自作自演も含めた計画だったの。でも、ただ梶世くんを苦しめただけだった。嫌われるのも当たり前。本当に私、性根腐ってるよね……」


「樋高さん、違うよ」


 僕は言う。首を振った。ちょうどその時に予鈴のチャイムが鳴ったが、僕は急ぐ気にはなれなかった。ちゃんと僕の気持ちを正確に伝えたかったから。


「僕は、利用されたとか別に思ってないし、樋高さんが嫌いとかでもない。友達として好きだし、樋高さんのことを羨ましいって思ってる。……でも、樋高さんのことを恋愛感情では見れない。ごめん。僕は好きな人がいるから」


「……誰?」


 突き刺すような彼女の質問に、僕の顔には一気に血が上った。刹那にして顔が熱くなったのが分かる。


「えっ、それは」


「お願い、教えて。誰にも言わないし、もう迷惑かけたりしないから。それに、多分私分かってる。だから、本当にそうなのか確認したいだけ。聞けば、きっぱり諦められると思うの」


「……」


 言うのか少し躊躇った。しかし、真剣に訊いてくる樋高さんに対して、誤魔化すことなどしたくなかった。僕はいつだって、人とは真正面から話したい。相手が真剣なら、僕だって真剣に応えたい。僕は息を吸い込みながら口を開けた。


「僕が好きな人はね」


 蝦宇さんなんだ。


「さ」


 ……え?


 自分の口から出た言葉に自分でびっくりする。無意識に体全部が固まった。目に映る光景の色彩が、すべて際立つ。


 あれ? 今僕、何て言おうとした?


 蝦宇さん、というつもりだったはず。なのに、どうして? 実は自分も知らないうちに、好きな人が変わってた? そんな馬鹿な。僕はずっと、蝦宇さんのことを……。


「……え、誰って?」


「……蝦宇さん、なんだ」


 僕は息を整えながらそう言った。それでも語尾が震えた。樋高さんは「まあ、だよね」と悔しそうに横を向き、鼻をすする。僕は無理やり生成した唾を飲みこみながら、一呼吸置いた後「……そんなに分かりやすかった? 僕……」と柔らかく言った。大丈夫、うまく喋れている。


「馬鹿みたいに分かりやすいよ。そういう正直なところも、好きだったけどね」


「……」


「予鈴は鳴ったし、急がないともうすぐ授業始まっちゃうね。……私、先に行ってるから」


 樋高さんが駆けていく。雲間から覗く太陽の光をその瞳に反射させながら、泣き顔ながらもどことなく清々しい顔で校舎に向かっていく。対して僕は一体どんな顔をしているだろう。


 彼女の姿が小さくなってから、僕も早く教室に戻らないと、と足を動かした。右足、左足、と交互に動かす。日陰の道を、ただひたすらに歩いていく。


 教室に戻ってすぐに授業開始のチャイムが響いた。ギリギリだった。あの場でもう少しでも躊躇っていたら遅れてしまっていたに違いない。


 頭の中には、さっきからずっと同じことが浮かぶ。


 僕は……僕の好きな人を、誰と言おうとしたんだ?


 動揺して、蝦宇さんの顔が見られない。いつもと変わらず澄ました顔で黒板を見る斜め後ろからの彼女の姿を、直視できない。僕は、一体どうしたんだ? 蝦宇さんの名前を言い間違えそうになったのか? 心の内では、実は蝦宇さん以外の人が好きなのか?


 ただ言葉を噛んだ、というのではない。それはなぜか分かる。なぜか確信が持てる。僕は間違いなく『違う名前』を口に出そうとしていたのだ。


 時間を刻むたび、自分に対する疑念は大きくなっていく。その度に比例するように、僕は蝦宇さんから距離を取っていく。今の僕の状態で、彼女に近づけない。蝦宇さんを見るたびに、彼女のことが好きだって実感はするのに、どうしてあの場面で違う名前を言おうとしたのか分からない。分からなくて、つらい。彼女にどう接すればいいのか分からない。


 失われた一年の記憶だけじゃない。僕は、僕自身のすべてが分からなくなっていた。分からないまま、日付を捲っていく。


 そして、僕のその動揺が伝わったのか、蝦宇さんも僕を段々避けるようになった。

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