28 それぞれの想い
「二年前のあの日、所長……沢井さんが、僕のもとにやってきたんです」
アケビさんは話し始めた。散らばった部屋の中、僕たちは椅子に座らせてもらい、彼の話に耳を傾ける。
「すごく嫌そうな顔で、渋々と言った感じで、製造物没収の件と、可術地方追放の件に関する書類を見せてきました。あまりにも唐突なことで、さすがに言葉を失いましたよ」
「僕だって嫌だった」
はっきりとした口調で沢井さんは言った。当時のことを思い出したのか、口の中に苦いものでも入っているかのような顔をする。
「だって、理由が意味不明すぎるだろう。……でも僕は、国からの命令を断れるほど強い精神は持ってなかったから、伝えるだけ伝えにいったんだ」
「国の命令ですから、伝えにきた所長を恨むなんてことはしません。というか正直、あの入れ物たちが没収になったのは、もういいんです。反対意見があってもおかしくないことを自覚していたので」
千夢が少しびっくりした様子でまばたきした。その表情だけで、反論の言葉が出てくるだろうことが分かる。
「どうして? あれは、みんなを幸せにするために父さんがつくった、とても意味のある……」
「うん、父さんはそう願ってつくったけど」とアケビさんは諭すように娘の顔を見た。
「製品っていうのはみんなに認められてこそ価値があると思うんだ。あれにまだ危険性があるとみんなが感じるなら、売るべきじゃない。……千夢にも、そのうちその感覚が分かるよ」
「……」
「私が嫌だったのは、可術地方からの追放……仕事を強制的にやめさせられ、千夢たちを養えなくなることでした」
アケビさんは顔の方向を僕たちに戻すと、話を続けた。彼の物言いは相変わらず丁寧だ。だから余計、樋高さんとしゃべっているときのくだけた話し方や様相が胸に残る。
「非術地方に行くと決まってからずっとそこでの仕事を探していたのですが、なかなか見つかりませんでした。私が可術地方出身っていうのは普通にバレるようで、それが原因でなかなか雇ってもらえなくて。まあ、術を使える人なんて、非術地方では怖くて雇えないですよね」
「黙っていてもバレるの? 私は大丈夫だったよ」
再び樋高さんが口を挟む。アケビさんは苦笑いをして頭を掻いた。
「会社はねえ、学校ほど甘くはなかったんだ」
「……そう、だったんだ」
「だから、沢井さんに頼んだんです。違反なのは分かっていますが、可術地方で働かせてくれないか、とね。そうしないと、私は家族を幸せにできないと思ったのです。私の強みは、術の力。働くためには、可術地方でないと……」
「そんな。だったらどうしてそれを、私や母さんに教えてくれなかったの?」
樋高さんが少々苛立ったように足を小刻みに揺らす。いつもは背筋の伸びている彼女だが、今に限ってはずっと前屈みだ。
「だって千夢たちに教えても、父さんを止めるだろ?」
「そりゃあ……当たり前。でも、家族みんなで暮らす方がいいじゃん」
「ほら、そう言ってくれるだろ。でも父さん的には、千夢や母さんがひもじい思いをするのが嫌だった」
「じゃあ、せめて私たちを説得してから……」
「仮に説得できたとしても、父さんの行動は違反なんだ。こんな危険な行為に、家族を巻き込むわけにはいかない。知られるわけにはいかない。だから、無言で出ていくしかなかった。まあ結局、所長は巻き込んでしまったんだけどね」
アケビさんがちらりと沢井さんを横目に見る。沢井さんはゆっくり頷き、唾を飲みこむように喉を動かした。
「アケビにそう頼まれたから、僕は引き受けた。国の命令に逆らえず、地方追放のことを伝えに行った罪悪感もあったし。……本当は、家族一緒にいたほうがいいとは思ったけど、アケビがそう思うのなら、僕は力になろうと思ったんだ」
「じゃあ父さんがいなくなる前に私が見た、父さんとこの人の怪しげな会話は……」
樋高さんの言葉に、アケビさんは「うん、きっと父さんが所長に仕事をお願いしているときの会話だろうね」と首を縦に振った。
「……じゃあ全て、私の盛大な勘違いだってことか。本当馬鹿だったんだ、私は」
彼女の瞳から、再びじんわりと涙が浮かび上がってきた。目元と鼻の頭が赤くなり、楓のように染まっていく。彼女は慌てて「待って、私、情緒不安定すぎる」と顔を手で隠していたが、その声は音程が狂っていた。
一瞬の静寂のあと、樋高さんはハーッと薄い息を吐いた。
「……でも、私はやっぱりまだ許せない。沢井さんのことじゃないよ。何で追放されたのかってこと。だって、その製品がいけないのなら、没収だけすればいい。何も私たち家族を非術地方に追放なんてしなくていいじゃん。……私は友達少なかったし、可術地方に思い入れがあるかと言われたらそうでもなかったから良いんだけど、父さんにこんな選択をさせたのは……おかしい……」
「そこだよ、問題は」
鋭い切り口で言葉が食い込んだ。沢井さんの声だ。腕を組んで刺すような眼光を灯している。先ほどまでの表情とは打って変わり、いたく真剣な顔つきだ。
「疑問なのは、そこなんだ。確かにあの『入れ物』に倫理的、安全的に反対意見はあったが、何も樋高家を追放するほどのことじゃない。国の役人に問い合わせてみたが、よく分からなくて」
沢井さんは眼鏡を押し上げながら、アケビさんの丸顔を見つめた。
「アケビ、お前何か特別なことしたか? お前が罰されるようなことを……。例えば禁止されている術をかけたり、高価なものを盗んだり」
「やめてくださいよ、所長。してませんって。人聞きの悪い……」
彼は慌てたように両手を振ったが、ふと何か思い当たったのか、ぎこちなくその手を止めた。
「あ、ただ……。関係あるかは分かりませんが」
「何だ」
「この『入れ物』をつくるときに使った原料の一つの石は、道端にあったものを勝手に拾ったものです」
「は?」
「あまりにも綺麗な石だったので色々調べてみたら、外部からの術の効用を受けにくい特徴があることが分かったので……。細かく砕いて全ての入れ物に混入させました。ほら、製品は頑丈なほうがいいから」
「アケビ……そんな、落ちていたものを勝手に」
沢井さんが呆れたような表情をする。アケビさんは縮こまるようにポリポリと頭を掻いた。
「す、すみません。……ですので、もしその石が何か危険な石とか、使うのに承認がいるものとかだったら、トワ様がそれを持っている私を罰して……とか、もしかしたら」
「……まあ、理由は分からないが……。後のことは、また僕たちで話し合おう。ほら、アケビ。せっかく会ったんだから、もっとちゃんと話しとけよ」
沢井さんがアケビさんの背中をトンと押した。戸惑ったような声と共に、アケビさんは樋高さんの目の前によろめく。樋高さんは濡れた睫毛を指先で拭いながらも父親を見上げた。
「あ……千夢」
「……何?」
「元気だったか」
「まあ……ね。父さんがいないこと以外は、可術地方での生活と何も変わらずに過ごしてたよ」
「そうか。モミジ……母さんも元気か」
「うん。母さん、父さんがもしかしたら死んでるかもとか思ってたから、今日の話したらきっと喜ぶよ」
「……千夢が違反して可術地方に来たこと、母さんも知ってるのか?」
「あ、いやそれは、……何も言わずに来たけど」
「あーあ、絶対に怒られるな。違反のことは、まあ可術地方に入っただけで犯罪はしてないし、罰金くらいで多分大丈夫だけど、母さんの雷は容赦なく降ると思うぞ」
「やばっ、どうしよ。やっぱり、言うのはなしで」
「無理だろ」
「だよね、本当どうしよ」
そう言い、二人は顔を見合わせて笑った。つられて僕も笑ってしまいそうな、そんな温かい会話だ。
『モミジ』って、樋高さんのお母さんの名前だったんだ。だから樋高さんの好きな木は紅葉で、研究所の中庭に植えてあったアケビさんの木も紅葉だったんだ。ふとそんなことが分かり、余計に微笑ましくなる。
いいな。羨ましい。
「……樋高さんは、沢井さん以外の人は恨まなかったの?」
不意に、蝦宇さんの声がした。樋高さんは「え?」と彼女の方を向く。蝦宇さんは考え込むように顎に当てていた手を戻すと、返事を求めるかのように樋高さんを真っすぐ見据えた。樋高さんはくいっと首を傾ける。
「ああ……そりゃ恨んだけど、国の人がその指示出したって話だけしか知らなかったから、具体的な個人名が分からなくてさ。正直、沢井さんにしか意識が向かなかった」
「国全体のことは恨まなかった? 例えば、トワ反対運動……デモ隊に入ろうとは思わなかったの?」
「デモ隊? ああ、あの……。いや、さすがにそれはくだらないと思った。でも、参加する人の気持ちは少し分かったかな。トワ様、何とかしてよ、人々みんなを幸せにするための統治者なんじゃないの、ってね」
「そう。……そういえばデモ隊の人数、減ってたよね。元から少ないのに、何だか可哀そう」
蝦宇さんが思い出すように言う。僕は首を傾げた。確か、今日この地方に入ったときに、何人で活動しているとか言っていた気はするが、前回聞いた数と違和を感じた記憶はない。
「いや、減ってないと思うけど……。減ってたっけ?」
僕の言葉に、藍花と瞬は「特に何とも思わなかったけどなあ」「変わってないと思うぞ」と賛同する。蝦宇さんは目を丸くして「あれ、そうだっけ?」と言う。その表情はとてもかわいかった。僕は思わず微笑する。
不意に、樋高さんが「あ!」と声を上げた。
「そうだ、梶世くんに言おうと思ってたんだった。梶世くんの記憶が消えた理由、もしかしてあれなんじゃないかって」
彼女はくるりと振り向いた。アケビさんとお揃いの、緑がかった瞳がきらりと光る。『記憶が消えた』のようなワードに敏感な僕は、ビクンと体を震わせた。
「え……何か思いつくことでもあるの?」と僕は訊く。
「思いつくっていうか、あの人なら禁断の術も使えるんじゃないかなって。父さん覚えてない? あの人のこと」
「千夢、そんな人いたか?」
アケビさんは何も思い当たらないようで、首をしきりに捻っている。樋高さんは「ほら、あの人だよ!」と彼の腕を掴んだ。
「まだ私が可術地方にいた時、大暴れしてたじゃん! あの世紀の大怪盗! すごく色んな物を盗んでて、統治者が宿るとか言われてるビルにも侵入して……」
「待って、何の話?」
辛抱たまらず僕は尋ねた。誰のことを言っているのかさっぱり分からない。すると樋高さんは僕の瞳を見据えてクッと首を小さく横に曲げた。
「世紀の大怪盗の、デビル・レディって人のことだよ。存在は非術地方にも知られていたようだけど、この名前は可術地方でしか呼ばれてないから、梶世くんは知らないかな?」
……デビル、レディ……。
悪魔の、女性。
すると藍花がポンと手を打って「ああ!」と言った。
「名前は分かんないけど、大怪盗が可術地方にいたっていうのは知ってるよ! 私たちの会話の中で、前にそういう話出なかった?」
「出たね」と肯定したのは蝦宇さんだ。
「私がその話題を出した気がする。可術地方にはすごく強い大怪盗がいるって聞いたけど、統治者はちゃんと仕事してるの? って」
言われ、僕は何となく思い出した。瞬も記憶の中にその会話を見つけたのか、奥歯に挟まっていた物が取れたような顔をしている。
樋高さんはコクコクと頷いた。
「彼女、今は活動してないみたいだけど、一年くらい前までは活動してたはずだから……。梶世くんの記憶がなくなったって言ってたの、確か二年前だったよね? 彼女の活動期間内には入ってるし、その人ならもしかしたら梶世くんの記憶を消すくらいできたかも……」
「千夢、思い出したよ。世紀の大怪盗と言われたら分かった。いやはや、数年前のことを忘れるなんて、父さんも歳だな」
アケビさんが樋高さんの肩をポンと叩いた。そして「確かに、彼女なら禁断の術も使えたかもしれない」と言った。
「彼女ならトワ様を倒せるかもしれないなんて噂が出たこともあった。そのくらい強かった。トワ様もなぜか彼女の対処には手を焼いていたようだし……。まあ、実際にはまだ力は足りないらしいけどね。でも、彼女と同等の能力の持ち主がもう一人いれば倒せるって言われてた」
「じゃあ、やっぱり彼女の仕業なんじゃない?」
しかしアケビさんは納得のいかない表情をしている。樋高さんに「ねえ」と腕を揺すられると、彼は顎に手を当てた。
「でも、だったら彼女は公言すると思うんだ。今でこそ彼女は鳴りを潜めているけど、それまでの物盗りも大胆に起こしてて、名前も知られてて……。自分の力をアピールしていたように思うから、隠さないと思うんだけど。それに、非術地方の梶世くんの記憶を失わせて、何の意味が?」
「私もアケビさんに同意」と不意に蝦宇さんが言葉を差し込んできた。切れ長の目が真っ直ぐに光る。
「私も、彼女が梶世くんの記憶を消したなんて思えない」
「そっか……」
樋高さんは少しがっかりしたような、あてが外れたような、不貞腐れたような表情をした。でも、僕にとっては有益な情報だったような気はする。
「沢井さんはその怪盗のことは知ってるんですか?」
結んだ髪をいじりながら藍花がそう訊いた。沢井さんはあさっての方向をぼんやり見ていた。そして時差のように「あ、えっ?」と反応する。
「いや、あの……デビル・レディという人のこと、知ってるのかなって……」
彼女の口調はおずおず、といった感じになっている。沢井さんの反応に戸惑ったに違いない。思えば、デビル・レディという人の話題が出てから沢井さんの声を聞いていない。
「まあ……知ってはいるよ。でもそんなに強い人だなんて知らなかった。僕、彼女がどうも苦手で」
「苦手? ああ、怪盗だから好きになれないってことか」と瞬が呟く。しかし沢井さんは胸の前で手を振り、否定のポーズをした。
「そういうことじゃなくて……。僕、彼女の顔をニュースか何かで見たことあるんだけど、胸がザワザワするというか、妙な気分になってね。だから苦手」
「……そんなこともあるんですね」
藍花が不思議そうな顔をして言った。僕も気になる。沢井さんを妙な気分にさせるデビル・レディという人の顔を見てみたくもなった。
すると突然、ガチャという音が部屋に響いた。ドアの開く音だ。
一瞬にして空間に戦慄が走った。そう言えば、研究所にいる他の人たちの存在を忘れていた。樋高さんは無理やりここに侵入したらしいし、研究者の人が彼女を見つけたら、騒ぎを大きくしてしまうかもしれない。それはまずい。
この部屋にどんな風に術がかかっているのかは知らないが、アケビさんも入ってきたし、もう沢井さんの術は解けているのだろう。逆に今まで人が入ってこなかった方がおかしい。
ゆっくり扉が開いていく。その先にいたのは……。
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