25 恨みの標的
「……私は、可術地方で生まれ育った。父さん、母さん、そして私。幸せに過ごしてた。でも、理不尽な理由で私たちは引き離されたの」
「理不尽な、理由?」と僕は口を挟む。彼女はこくりと頷いた。
「父さんは、術を利用した製品を開発し、販売してる仕事をしてたんだ。……でも、二年前、父さんがつくったものが『倫理的に不適合』って言われて、販売停止を求められたの。でも父さんは納得できなくて、それでちょっと反論したら、すぐに……家族もろとも可術地方から追放って……」
最後の方は、息の漏れるような、怒りが滲んだ声だった。
「おい、それだけで? そんな簡単に追放とかされんの?」
瞬が口を横長の四角にし、半ば呆れたような表情をする。確かに、それだけの理由で追放するのはかなり強引な気もする。可術地方の常識が分からないので深いことは言えないが。
「だから理不尽だって言ってんの。自分がつくったものに文句言われたら、そりゃ誰だって反論くらいするでしょ? なのに、全然聞いてくれなかった。父さんは仕事をやめさせられて……。それで、その追放の件の一端を担っていたのが、ここにいる沢井颯樹だってわけ!」
再び指を差された沢井さんは、耳の後ろをポリポリ掻いた。
「……千夢ちゃんが僕を恨むのは分かるけど、僕だって国の命令だったんだから、仕方ないでしょ」
「うるさいな、私の名前覚えるくらいこの件に関わってたくせに、自分の責任は棚上げ?」
「もちろん最初は断ったよ。でも……」
「でも、じゃない。追放されたのは事実なんだから。お前には、確かな思考力というものがないの?」
樋高さんが沢井さんを睨む。沢井さんは何か言いたげに口を一瞬開いたが、樋高さんの言い分をまず聞こうと思ったのか、すぐに閉じた。
彼女は言葉を続ける。
「というか、沢井を恨む理由はそれだけじゃない。……あのとき、沢井に製品をすべて没収され、私たち家族は術を使うのを禁じられ、非術地方に追放された。……でも、正直、それだけならまだよかった。家族が一緒にいれるのなら……。だけど」
樋高さんが僅かに目線を下にする。瞳から光が消えた。
「父さんが、いなくなった」
彼女の肩が震え始める。沢井さんをちらりと見ると、彼はただ真っすぐな視線で樋高さんを見ていた。
「私、知ってる。可術地方にいられる最後の日、父さんとお前が怪しげな会話をしてたこと。そして非術地方生活一日目、父さんは突然『離れたところで働く』って言ったっきり、姿を見せなくなった」
すると樋高さんはすくっと立ち上がり、沢井さんの眼前に詰め寄った。沢井さんの長身の圧なんぞ全くものともしないような凄みだった。
「お前……父さんをどこにやったんだ?」
「……どういうことかな?」と沢井さんは眼鏡をくいと上げる。樋高さんはさらに前進する。
「毎月、生活費は届くんだ。一応、父さんからってことになってる。でもそれが、本当に父さんからかは、私には分かってない。別の人が、誤魔化すためにお金を送ってる可能性だってあるだろ」
「……それは、つまり?」
「最悪、殺されてる場合もあるわけだ」
彼女の言葉が部屋中に響く。辺りはやたら静かだ。他の研究員たちが駆けつけてこないのが妙に気になるが、おそらく沢井さんが、そうさせない術をかけているのだろう。この件を外に広めず、この空間で完結させたいという彼の執念が見えた気がする。
沢井さんはふう、とため息をつき、一歩後ろに退いた。改めて樋高さんの顔を見てから口を開く。
「馬鹿なことを言わない方がいい。千夢ちゃんのお父さんは、間違いなく生きてるよ」
「じゃあ何で私やお母さんに一つも連絡くれないわけ?」
「詳しいことを訊かれたくないんだよ。住んでるところとか、やってる仕事とか」
「それはどうして?」
「千夢ちゃんたちを幸せにするため、だろうね」
「……よくもそんなに適当な言い訳が思いつくね。そんなことで私を言いくるめられるとでも思ってるの?」
オクターブ低い声だった。問い詰められていない僕ですらゾッとしてしまうような声質である。しかし沢井さんは困ったように首を竦めるだけだ。
僕は、軽く俯く。
僕の主観を中心に物を言うと、今の話を聞いても、沢井さんに対して不信感を持つことはできなかった。樋高さんの言っていることが嘘だとは思わないし、樋高さんが筋の通ってない怒りを見せているとも思わない。けれど、僕が見た沢井さんの人柄が、彼は悪い人ではないと思わせてくる。
「ね、ねえ、ちなみにさ、その『倫理的に問題がある』っていう製品は、どんなものだったの? どんなものだったんですか?」
すると藍花が思い付いたように尋ねた。樋高さんを見た後すぐ首を回して沢井さんを見る。割り込むような言葉だったので、沢井さんと樋高さん二人だけのピリピリした会話を、どうにも聞いていられなかったのかもしれない。
樋高さんの乾いた唇が、小さく動く。
「……魂の、入れ物」
唐突な答えに、僕は無意識に「え?」と声を溢していた。いや、唐突といっても藍花の質問に対する回答だから、意味的には決して唐突の言葉ではない。けれどそう思ってしまうほど、樋口さんの言葉は、聞いたことのある、反応せざるを得ない言葉だった。
「も、もしかして」と瞬も声を上げる。
「この研究所の……あの部屋に置いてあった、人形みたいな……」
「そうだよ」
そう答えたのは沢井さんだった。少し横を向いて、後頭部をポリポリ掻いている。
「樋高ラボから没収した、通称『魂の入れ物』。まさかあんなものが開発されるなんて、研究者一同全く思っていなかった。だから、発表された二年前のあのときは、僕的にもかなりの衝撃だったね」
僕は沢井さんの言葉を聞きながら、初めて例の『入れ物』を見たときの彼との会話を思い出していた。
『とある工場から没収してきたんだよ。政府の命令で』
『没収?』
『この入れ物はまだ可術地方にもそんなに広まってるわけじゃないんだけど、研究者の間でも反対する人とか多くてね。安全面とか倫理面とかの関係で。でも研究材料としては興味深いから、その工場から持ってきて色々調べてるんだよ』
まさかこのストーリーの裏に、クラスメイトの樋高さんが関わっていたなんて。この話を聞いたときは露ほども思っていなかった。
すると樋高さんが異物を見るような目で沢井さんを直視する。
「何? 父さんの製品……この研究所に残ってるの? 父さんの手柄、横取りしようとしてるの?」
「横取り? まさか。……というか、そもそも手柄とかにできないことくらい、千夢ちゃんなら分かってるでしょ」
「あれは手柄にできるくらいの画期的な製品だよ。人を幸せにするために開発されたんだ。倫理? それが何だよ、ふざけないでよ」
「……」
「父さんが、人を救うためにつくりあげたのに、たった……たった一体しか売れなかった。あんまりでしょ。あれは、もっと人々を救えるはずなのに。なのに、お前は……」
相変わらず、ずっと樋高さんは沢井さんに噛みついている。沢井さんは不意に袖を捲って腕時計を見て、困ったように眉を下げた。視線を樋高さんに戻すと、軽く首を横に倒す。
「ねえ、千夢ちゃん。君の怒りを鎮めるためには、僕は何をすればいいの? 言っておくけど、もちろん僕は、千夢ちゃんのお父さんをどうかしたわけでもないし……」
突然、ヒュンと何かが風を切る音がした。目元あたりに冷気が触れる。
「うるさいな」
樋高さんが、沢井さんの顔面に蹴りを入れるようなポーズをしていた。
まばたきした間の一瞬の出来事だった。沢井さんは咄嗟に腕で顔を庇って対応しているようだが、力を込めているせいか小刻みに震えている。
足を上げたままの樋高さんが片頬を上げてフッと笑った。
「術、使わないの? お前は私と違って術を使えるんだから、使って対抗すればいいのに」
「……術を使えない人に術をかけるのはよくない」
「お慈悲? なるほどね。でも構わないで。私は非術地方で空手を学んだ。術に頼らない、私なりの方法だよ。そしてお前に攻撃する手段でもある」
「千夢ちゃん、本当に落ち着いて……」
沢井さんの言葉も聞かず、彼女は今度は握った拳を沢井さんに向かって容赦なく突き出した。そのまま続けて腕や足を突き出していき、沢井さんを追い詰める。彼はさすが可術地方の人間といった感じで、攻撃をかわしてはいる。しかし、白衣を着ているせいもあって動きにくそうだ。何より樋高さんは現役で、年齢の差的にもきつそうに見える。
二人が動くたび、床に散らばっていた書類が舞い上がる。藍花と蝦宇さんは引っ付いて、怯えるように部屋の隅にしゃがみ込んでいた。
「樋高さん、やめなよ! 何してるの!」
思わず僕は叫んだ。ただ、彼女は暴れているし、何より彼女が纏っている空気が重すぎて、どうにも近づくことができなかった。近寄れば、さらに彼女の気に触れてしまいそうな気がした。
樋高さんは動きながらもちらりと僕を見る。ふと、彼女はもどかしそうな表情をした。どうして君も私の気持ちを分かってくれないの、どうしてこいつの味方をするの、と訴えているように見えた。僅かコンマ数秒の視線だったが、僕を固まらせるのには十分だった。
「誰か呼んでくる」
すると瞬が言った。いつの間にか閉じられていた扉に手を掛け、開けるような仕草をする。しかし、すぐにハッと目を見開いた。
「開かねえ」
「最初に言ったけど、僕の術だよ」
即座に沢井さんからの返答が来る。息が切れているようで、語末の抑揚が上がっている。
「この件が外に漏れれば
「いや、沢井さん……そんなこと言ってる場合じゃないだろ……」
瞬がドアノブから手を離しながら呟く。
すると突如、誰も触れていないのに、ドアノブが下がった。ガチャガチャと何度も上げ下げされる。どうやら外から誰かが操作しているようだ。
「……え、何で開かないんだ?」
外からの声だ。ドアの近くに耳を寄せないと聞き取れないくらいの小声だったが、誰がいるのかは声質で分かった。
「アケビさん! いいところに」
僕は大声を出す。すると「その声は……梶世くん、ですか? どうして私の部屋に」とびっくりしたようなトーンが聞こえてきた。
「……アケビ!?」
沢井さんが動き回りながら、調子の狂った声を出す。「ここから離れるよう連絡したのに……! なぜ戻ってきた!」と声を荒げた。鬼気迫る表情だ。
一方のアケビさんは比較的緩やかな口調で「何が起きているんですか?」と続ける。僕はドアに口を思いきり近づけた。
「何と言えばいいか……。と、とにかく助けてください、お願いします! 術のせいで、この扉も開かないし……」
「術? ああ、この扉、術がかかってるんですね。それなら」
すると扉全体が緑っぽく淡い光を纏った。直後、ガチャン、と無理やり鍵を破るような鈍い音がした。沢井さんの術がアケビさんの術によって解除されたようだ。言われてみたら当たり前だけど、アケビさんも可術地方の人なんだ、と僕は再認識する。
「待て、アケビ! アケビだけは入るな!」
沢井さんの叫びのすぐ後、ガッという音とともに、樋高さんが彼を突き飛ばした。彼の背中が思いきり床に叩きつけられたように見え、僕は彼のもとへ駆け寄る。
「大丈夫ですかっ」
「千夢ちゃん、待って……」
沢井さんは、僕には目もくれず、扉に向かっていく樋高さんに手を伸ばしている。術は使わないと言っていた沢井さんの手から、黄色い光が発されていく。力が溜まるかのように、どんどん黄色が濃くなっていく。
しかし、その色が濃くなりきる前に、扉が開いた。
扉の向こうに、まだ事態を把握しきっていない表情のアケビさんが立っている。
ドサッと何かが倒れるような音がした。
いや、倒れたんじゃない。樋高さんが突如としてしゃがみ込んだのだ。脆い柱がぽっきりと折れてしまったかのように、その場に崩れ落ちている。さっきまであんなに威圧的なオーラを纏っていたのが嘘みたいだ。
樋高さん……?
何が起きたのか分からなかった。誰も何も発しない時間が流れ、時が止まってしまったのではないかと勘違いしそうになる。
すると、ようやく一人が口を開いた。
「……千夢……」
そう言ったのはアケビさんだった。心なしか、前見たときよりも皺が多く刻まれているように見える。彼の言葉に答えるように、樋高さんがゆっくりと、ゆっくりと唇を動かした。
「……父さん」
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