22 失踪
幸いなことに、瞬も蝦宇さんも予定が空いていたらしく、約束の土曜日午後二時、僕らは再び門の側の広場の前に集まることになった。
待ち合わせ場所に一番乗りで着いた僕は、柵に凭れて空を見上げる。僕の心と同じく、まさにぼんやりした空だった。雲と太陽の境目が曖昧で、どこから輝いているのかどこから曇っているのかが分かりづらい。空一面、靄がかかっているようだった。
前回ここで沢井さんを待っていた時、まさか自分がもう一度可術地方にやってくることになるなんて思っていなかった。でも実際僕はこうして来ているし、さらに言えば例の機械が直ったらもう一回来ることになるだろう。
「梶世くん」
その声に、体中の細胞が目覚めた気がした。ぼんやりしていた視線が一気に収束する。焦点は、目の前の蝦宇さんに合わせられた。
「みんな、まだみたいだね」
蝦宇さんは前回と同じく桜色の服を着ていた。スカートは茶色。華やかさもありつつ大人びているような格好だった。
「あ、蝦宇さん……。ごめんね、急に。予定とか大丈夫だった?」
一気に体温が高くなるのを感じながら僕は言った。蝦宇さんは耳に髪を掛けながら「うん」と頷く。二人で話すのもだんだん慣れてきた気がして嬉しい。まあ、相変わらず緊張はするけれど。
「でも、樋高さんが一緒っていうのはびっくりしたなあ。……私、正直に言うと樋高さんとほとんどしゃべったことないんだよね」
蝦宇さんが少々気まずそうに言う。そうだろうとは思っていたが、やはり蝦宇さんと樋高さんの関わりはなかったらしい。何て返事をすればよいのか分からず、僕は詰まった。
そんな僕の様子に気づいたようで、蝦宇さんは慌てたように「いやいや」と僕に手のひらを向ける。
「逆に、良い機会だよ。色んな人としゃべれるようになりたいし。……あ、そういえば梶世くん、新しく夢に見た人はどんな人だったの?」
「あ、えっと……上品な女の人、あと赤い髪の女性が二人……」
「ふうん。……梶世くんは、その人たちと一体どこで会ったんだろうね」
蝦宇さんは遠くを見つめるように言った。どこか儚げな横顔だった。
この前、藍花は樋高さんのことを謎めいた人だと言い、僕もそう思った。でも、蝦宇さんも少しミステリアスな気はする。ただタイプが違う。樋高さんは本当に行動が掴めなくて謎めいているが、蝦宇さんは雰囲気というか、醸し出されるものが不思議だ。本当の性格を押し殺しているように感じることもある。だが、そこも含めて魅力的なのだ。
しばらくすると、藍花、そして瞬も集まってきた。一度僕が螺旋階段をのぼって眩暈を起こしたのを知っている瞬は、人一倍心配そうな顔をしている。
「登……本当に大丈夫なんだろうな」
瞬からこのようなセリフを一体何度聞いたことだろう。心配してくれる友達を持つなんて、これほど幸せなことはない。
「うん。ありがとう、心配してくれて」
僕が言ったちょうどその時、「みんな、早いね」と後ろの方から声がした。
「あ、千夢ちゃん。……千夢ちゃん?」
藍花が真っ先に反応したが、その声は疑問の雰囲気を含んでいた。気になって振り返る。
樋高さんは、キャスケットを目深に被っていた。僕たちは樋高さんがここに来ると分かっていたから彼女を判別できたが、ただ街中で会っただけでは気づかないだろう。藍花は樋高さんに徐に近づいた。
「そんなに深く帽子被って、どうしたの?」
「ちょっとね」
樋高さんはそう言うだけで、多くを語ろうとしない。憧れの人に会うから緊張して、なるべく目が合わないようにでもしているのだろうか。理由は分からなかったが、人の数だけ事情はつきものだと僕は思っているので、深く追求するつもりはなかった。みんなも特に深く掘ろうとはしないようだ。
すると、門扉の開く音が微かに聴こえた。向こう側に沢井さんの金色の髪が見える。会うのは二回目だというのに、何度もお世話になっている気分だ。頼れる存在であることに間違いない。
「お待たせ、みんな」
「沢井さん……すみません、本当に」
僕がぺこりと頭を下げると、沢井さんは爽やかに微笑んで「だから大丈夫だって」と言った。
「今日は前のときより一人多いんだって?」
沢井さんは興味深そうに前進する。僕は「あ、はい」と頷き、樋高さんを紹介しようと辺りを見渡した。
……あれ?
「樋高さん……?」
いない。
僕は眉を顰めるほかなかった。さっきまで確実にここにいたはずの樋高さんが、もういないのだ。ぐるっと回転しても、僕の視界に入るのは、蝦宇さん、藍花、瞬、沢井さんだけ。そのほかは誰もおらず、ただ背景に広場の草が微風に揺れているだけだった。
「……ねえ、樋高さん、いないよ?」
蝦宇さんも目を見開き、思わずと言ったように呟く。訳が分からなかった。僕は首元に手を当て落ち着こうとしたが、鼓動が手から伝わってきて、余計に焦る。
「おい、樋高!」
瞬が大声を上げるが、返事はない。とにかく僕はこの状況を沢井さんに伝えなければと思い、彼を見上げた。
「あの、沢井さん……」
すると、グッと腕を掴まれた。非常に力強い。掴んだのは沢井さんで、彼の表情は一言で表すと『驚愕』だった。瞳が小さくなっていて、唇が震えている。予想外の顔つきに僕は息を飲んだ。てっきり、何が起こっているのか分からず呆気に取られている顔をしているのかと思っていたのに。
「さ、沢井さん……?」
「ヒダカ……って、もしかして、樋高千夢ちゃん、なのか……?」
「えっ」
「そうなんだね」
「は、はい」
明らかに彼女のことを知っている口ぶりだった。どういうことだろう。樋高さんは、一方的に沢井さんのことを知っているのではなかったのか。僕は沢井さんに、樋高さんを知ってるんですか、と訊こうとしたが、その前に彼はスマホを早急に取り出し、画面を押すと耳に当てた。
「……アケビ? おい、アケビ? ……くそ、こんな時に出ないなんて……」
研究員の人の名前を連呼した沢井さんは、忌々しそうにスマホをポケットに戻す。そして、僕たちの方を向いて門番を指差した。
「梶世くんたちは地方に入るための手続きを済ませておいてくれ。門はもう開いてるから、君たち個別の手続きをすれば簡単に入れると思う。観光でもしたかったらしておいで。ただ、ここが可術地方ということを忘れないように。とにかく、またすぐ連絡するから」
「待ってください! 樋高さんのこと、知ってるんですか……?」
今にも走り出しそうな沢井さんに手を伸ばし、僕はさっき訊きそびれた質問を早口で訊いた。沢井さんは渋い顔をした後、「うん」と肯定する。
「え……」
「千夢ちゃんは可術地方の中に逃げた。間違いないと思う。だから、追う」
「ど、どうして分かるんですか」
「長くなりそうだから、後で説明するよ。とにかく、ごめん」
沢井さんは言いながら門の中に走っていった。可術地方に入るや否や、手を前方に突き出し黄色い光を発する。僕にはよく分からないが、何かの術を使っているようだ。
嵐のように去っていった沢井さんを見送り、僕たちは唖然としていた。
「ねえ……これ、一体どういうこと?」
藍花が僕たちを見渡す。取り残された僕たちは、ただ突っ立っているしかなかった。
「分かんない……。とりあえず言えることは、樋高さんがいなくなったってことだ」
僕が答えると、蝦宇さんが「誰かに連れ去られた、とかじゃないんだよね?」と呟く。曖昧ながら頷いた。僕だって本当の答えなど知らないけれど、仮説で喋るしかない。
「沢井さんは可術地方に逃げたって言ってたし……。沢井さんと樋高さん、もともと知り合いだったっぽいし、樋高さんは沢井さんに会いたかったんじゃなくて、可術地方に行きたかったのかも……」
「でも、そんなことしなくても可術地方には入れるよね? 実際私たちもこれから入るんだし、何も無理やり動かなくても……」
藍花の言葉に、僕は唸った。まさにそれなのだ。強引なことをしなくても、手続きを行えば可術地方には入れる。確かに一人では無理だろうけど、沢井さんがここに来てくれた時点で、合法的に入れるのだ。
「……もしかして、沢井さんに顔を見られたくなくて逃げた?」
ぽつりと蝦宇さんが言う。僕はハッとした。目深に被った帽子の意味、そういうことだったのか……?
柵の向こう側、広場の草が一斉に風に揺れ、ざわめいた。途方に暮れた僕たちを見て嘲笑っているようにも思えた。
すると瞬が真っすぐに歩き出した。足は門の方を向いている。
「とにかく手続き済ませて、俺らも可術地方に入ろう。研究所に着いといた方がいいだろ、きっと」
「そうだね」
真っ先に藍花が頷き、続いて僕と蝦宇さんも頷いた。けれど、まだ心の内のモヤモヤは晴れない。
普段僕に話しかけてくれたのは、全てはこのため? 全ては可術地方に潜入したかったから? でも、何のために?
僕はごくりと唾を飲み込んだ。
樋高さん……一体、何を……?
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