21 切願

 一人の男性――トワツカは息を切らせながら夜道を走っていた。目の前にある障害物を跳躍しながら楽々とかわしてはいたが、頭に巻いている布の隙間から見える額には汗が浮かんでいる。


「どうして……こんなこと……またっ……!」


 彼は目にもとまらぬ速さで一つのビルを駆け上ると、辺りをキョロキョロ見渡した。赤く目を灯らせ、真っすぐに天に手を伸ばす。


 しかし、求めていたことが起こらなかったのか、彼は苦々しい顔で「くそっ」と呟いた。


「こんなこと、許していいはずがない……。それは、二年前のあのときから分かっていたのに、どうして……!」


 彼の苛立ったような声は、ただ真っ黒な夜空に吸い込まれていった。反応などあるはずもなく、声はただ消えていく。


 ポツ、と彼の頬に一滴の水がついた。途端に次から次へと水滴が落ちてくる。静かに降り始めた雨は、彼の体をゆっくりと濡らしていった。彼の燃えるような赤い髪が鎮火されていくようだった。


 トワツカはしばらく虚空を見つめていた。


「……あいつ……」


 一言、呟く。彼は布を頭に巻きなおし、雨粒を振り払うように歩き出した。


「どうにかできるのは……あいつしか、いない……」


 屋上の柵の縁まで歩みを進めたトワツカは、そのまま躊躇いもなくビルから軽々と飛び降りた。道の溝に溜まった水を弾きながら着地する。


 彼は、ただ真っすぐ前を向いていた。


 降りしきる静かな雨が、辺りに囁きをもたらしていた。


            ・・・


 一人の女性――デビル・レディは、ボトルのようなものを逆さに返し、中にある液体を大量に出していた。土についたその液体の軌跡は、ある塔の周りをぐるっと一周している。


 しばらく作業を進めていた彼女だったが、苛立ったように手から何かを投げ、さらに蹴飛ばした。


「何でっ……何でよっ!」


 悲鳴に近い声だった。デビル・レディは歯が砕けるのではないかというほど歯軋りの音を立てる。


 追い打ちをかけるように、空から冷たい雫が降ってきた。彼女の長い髪を余すことなく濡らしていく。雲間から微かにでも月の光が見えたならば、彼女の瑠璃色の濡れた髪は煌めいたことだろう。


 彼女は身につけていたサングラスを外し、睫毛を湿らせながら、ポツリと呟いた。


「もう……やっぱり、あいつに頼む以外に……逃れる方法は……ないのかな……」


 デビル・レディはぐしゃっと髪を掻き上げると、全てを投げ出したいと言わんばかりの表情をした。


 彼女は塔の中に入る。頂上に続く長い渦を巻いている階段を上がっていく。


 一番上まで来ると、彼女は壁の一部に拳銃を向け、一発発砲した。


 破裂音がする。と同時に、弾が床に転がった。壁に穴一つつけることなく、気づけば転がっていたという感じだ。それを見た彼女は目を伏せ、軽く息を吐いた。


 デビル・レディは部屋の隅まで歩くと、さっき撃った拳銃とは別の拳銃を取り出した。一つの拳銃は重厚な音を立てて彼女のポケットの中にしまわれ、もう一つの拳銃は軽薄な音を立てて物陰に置かれた。


 彼女は軽く俯き、ぎゅっと瞼を結ぶ。


 まるで、一縷の望みを託すように。

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