16 夢、再び
『……る、ねえ、登?』
頭の中で声がこだまする。反響がひどい。脳内がぐらぐらする感じがするし、胸も圧迫されているようだ。息がしにくくて苦しい。
声に誘われてゆっくりと目を開く。ぼんやりとした世界の中に、ふわふわのこげ茶の髪の女の子が微笑んでいた。僕を覗き込んでいる。
例の、あの少女だ。
ああ、夢か、と直感で思った。夢で会うのは一週間ぶりくらいだろうが、この前画像化の紙を見たので久しぶりな感じはしない。
かわいらしい、けれど芯のある声だ。前回の夢では声は聞こえてこなかったのに、この声を聞くのは初めてではない気がする。少し考えてすぐに気づいた。そうだ、螺旋階段をのぼったときに若干聞こえた声……あれと同じだ。やっぱりあの声はこの少女のものだったんだ。
「……君は……」
声が出た。息絶え絶えながらも発声することができたので僕は自分に自分で驚いた。その感情のまま言葉を続ける。
「一体……誰……?」
しかし女の子は、僕の言葉を無視するように赤いスカーフを揺らした。
『ねえ、どうして私は登の夢の中にいるの?』
唐突な質問だ。どうしてって……どうしてだろう。そんなこと言われても僕だって分からない。夢って本当に脈絡ないな、と思う。まあもしかしたらこの子だから脈絡がないのかもしれないけれど。
とにかく夢というものは、脈絡ないくせに、その状況についてはなぜか腑に落ちてしまう。場面変換が妥当なものだと思ってしまう。
さて、何て答えよう……。
「……君が、この世にいるべき人間だからじゃない……?」
気が付いたらそう言っていた。でも言ってから自分で納得する。うん、確かにそうだ。多分間違いない。
僕たちの予想では、この子は誰かの術によって存在を消された。なぜだかは分からないし、本当にそうなのかも分からない。でも、そんな人を思い出すってことは、きっとその人がいないと世界が成立しないのだろう。というか、その存在が消えても世界が成立する人なんて、いるはずがない……。
サアッと一陣の風が流れる。今気づいたが、少女の背後には木々が並んでいた。一つの木を先頭に、ボーリングのピンみたいに後ろに広がって数が増えている。たくさんの、木だ。
その先頭の木が、風に揺られる。すると、その木を起点にお互い触れ合っていた木々が順序よくざわめき、揺れが伝播していった。
『……登』
少女が僕を呼ぶ。その後、何かを言っているように口が動いた。
けれど、僕には何も聞こえなかった。突然無音になったのだ。少女の声どころか、さっきまで聞こえていた風の音も届いてこない。
思考がぼんやりしてくる。あれ、今僕は何を考えていたっけ、何を言ったんだっけ。と同時に目の前が霞んできた。ぐるぐる色彩が溶けていく。何も見えない、聞こえない……。
ガバッと体を勢いよく起こした。見慣れた部屋だ。どうやら夢から醒めてしまったらしい。静まり返った部屋に鳴り響く時計のカチカチという音が、やけに耳にざらつきを残す。
僕は細いため息をついた。
・・・
「え? またあの少女の夢を見たのか」
瞬の問いに、「うん」と僕は頷いた。
可術地方に行ってから二日が経った。今は沢井さんからの連絡を待っている状態だ。そのために連絡先も交換した。壊れた機械が修復したら、再びあの研究所に出向くことになっている。
瞬は口の中に唐揚げを頬張りながら「なんか心配だよ」としかめっ面をする。
「夢、どんな内容だったんだ? 言えるなら教えてくれ」
「いや、内容っていうか……。ただ女の子が目の前にいて、ちょっとしゃべって終わり、みたいな感じだったよ」
僕は箸を動かす手を止め、そう言った。ここ最近、ずっとぼんやりした中を生きている感じだ。周りが霧で覆われている森の中を、ただ漠然と彷徨っている感覚。
僕の頭の中には常に二つの情景がある。一つは例の少女が立っているもの、もう一つはオレンジ色背景にポリタンクとライターが転がっているもの。たまに、その二つが融合して、沢井さんの研究所の螺旋階段で見た情景に変わる。あの熱く、苦しい……。
「……螺旋階段」
唐突に瞬が言う。ちょうどそのことを考えていたので、僕は危うく箸を手の内から落としてしまうところだった。
「えっ」
「あのとき、何か思い出したんじゃないのか。螺旋が、術による記憶喪失を回復させるかもしれない鍵なんだろ?」
瞬がまばたきせずに僕を見つめた。昼食の時間に瞬がこんなに真面目な顔をしているのを見るのは初めてかもしれない。僕は俯く。最近は人の視線から目を逸らしてばかりだ。
「……そう、言ってたよね」と僕は呟く。
そうだろうとは思っていたが、やっぱり瞬も気づいていたのだ。あのとき螺旋階段を駆けのぼり、おそらく螺旋の効力によって、僕が何かを思い出したことに。
「……うん、ちょっと……嫌なものを、見ちゃって」
「そっか。それじゃあこれから螺旋階段のぼらないように気をつけろよ。また嫌なもの見ちゃったら大変だし、登は混乱しそうだから」
瞬は何を見たのかは訊かず、ただ僕にそう忠告してくれた。そして不意に「あ、梨橋」と斜め上に顔を上げる。
「わ、え、久保木くん……! 何?」
藍花はどうやら僕たちの机の横をちょうど歩いていたらしい。あからさまに狼狽えている藍花を見て、僕は思わず唇を緩めた。今までは藍花がこんなに緊張している理由が分からなかったけど、理由を知った今は、逆にどうして気がつかなかったのだろうと思う。
「梨橋はどう? 例の少女の夢、見る?」
「あ、うん……。研究所行ったその日の夜にも、見たよ」
話題が話題なだけあって、藍花はすぐに真剣な表情にしてそう言った。
「夢の中で……一緒に登校してるの、私とその子。二人ともセーラー服着て、取り留めもない話をして……」
どうやら夢の内容は僕とは違うらしい。まあ当たり前かもしれない。正体不明の同じ人が二人の夢の中に出てくるだけでも不思議なのに、内容まで全く同じだったら、さすがに術の介入など作為的なものを疑わずにはいられない。
けれども僕は、この夢がどうしても、術によるものとは思えなかった。記憶喪失は術によるものだと分かったが、この夢は違う気がする。どうしてかと訊かれても、直感としか言いようがないけど。この夢は、この少女は、僕自身が思い出したくて思い出しているんだ。藍花もそうなんじゃないかと思う。
「そっか。サンキューな、梨橋。また何かあったら教えて」
「うん、もちろん」
「あと、月末の祭りの約束、ちゃんと覚えてるよな?」
瞬が藍花の瞳を覗き込むようにする。そんな瞬の態度に、藍花はネジが外れてしまったみたいに何度も首を縦に振った。
「も、もちろん! 忘れるわけないよ!」
「オッケー」
瞬が指でオッケーマークをつくると、藍花は逃げるように蝦宇さんが待っている席に走っていった。あんなふうに逃げたら、避けられていると瞬に勘違いされるのではないか。僕は少々心配である。瞬は特に気にした様子もないので大丈夫なのかもしれないけれど。
藍花が席に着いたのを目視した瞬は、ふと「そういや」と何かを思い出したように斜め上を見上げた。
「研究所でお前の検査待ってる間、例のアケビっていう研究員の人に、禁断の術の一つ目……存在を消す術についてもちょっと聞いたぞ。その話、梨橋か蝦宇から聞いた?」
「え?」
「夢に出てくる少女の話じゃなくて、梨橋のスマホの写真の違和感のこと。登たちの予想では、夢に見るその少女が写真の中から消えたんじゃないかっていうことだけど、本当にそうかも分からないから、この写真の違和感についてどう思いますかって、梨橋のスマホ借りて見せて質問したんだ」
僕の反応を見て、僕がその話を聞いていないと悟ったのか、瞬は流れのまま説明してくれた。僕は「ああ」と声を上げる。
「そうだ、そのことも訊きたいと思ってたんだった。ありがとう、訊いてくれてて。それで、何て言ってた?」
「ああ、何か記憶喪失の術についてとほぼ同じ意見だったよ。禁断の術の中の一つだから、できなくはないけど莫大な力がいるって」
「……そっか」
「ただ、ちょっと面白いこと言ってて」
すると瞬は僕に顔を近づけた。有力な答えなどそう簡単には出ないか、と感じていた矢先だった。
「記憶の術と存在の術はすげー結びついてるらしいんだ。つまり、記憶の術が崩れれば、流れで存在の術も解けるかもしれないらしい。まあただの個人の考えだとは言ってたけど」
「え?」
僕は思わず聞き返す。何だかいまいち分からなかった。瞬は困ったように「うーん、俺頭悪いから説明するの難しいんだけど」と前置きしてから口を開く。
「例えば、存在の術で消された存在をAとするだろ。でも、その術に抗って誰か一人でもAを思い出したら、Aという存在が復活したってことになる。存在が復活すれば、次第にちょっとずつ周りの人もAのことを思い出していく。そうして、消される前の元の状態に戻れば、Aは完全に存在を取り戻したことになる。……んと、つまり、記憶消去の術が解かれていけば、つられて存在消去の術も解けていく、らしい」
分かる? という顔で瞬が僕の顔を覗いてきた。僕はこくりと頷く。完全に理解したとは言えないかもしれないけど、何となくは分かった。説明が難しいと言ってた割には分かりやすかったと思う。瞬はよく自分のことを頭が悪いと言っているが、僕は決してそうは思えない。
「ねえ瞬、次第に周りも思い出していくっていうのは、ドミノを一個倒したら、他のドミノも順々に倒れていく、みたいな?」
「ああ、そうそう、そういう感じ」
「一つの木が揺れたら、密集して生えている他の木も次々に揺れていく、みたいな?」
「そうそう……って、よくそんな喩え思いついたな。まあそういうことだ。とにかく、梨橋の写真の話だけど」
瞬は言葉を切り、話をまとめる前に水筒のお茶を一杯ぐびっと飲んだ。音を立てて水筒を机の上に置き、僕を見据える。
「梨橋がスマホの写真について急に疑問に思い始めたのは、お前の記憶がちょっとずつ戻りかけて、それに伴って例の子の存在が戻りつつあるから……だと思う。まあ梨橋自身も少女の夢を見たみたいだし、写真への違和感はそれが原因でもあると思うけど」
「なるほど……」
僕は呟く。昼食を口に運びながら、何回も頷いた。
「何で僕の記憶が戻りかけているのかは分からないけど、僕の記憶の復活が、消された存在の子の復活のきっかけになってるってことか」
だとしたら、と僕は思う。だとしたら、その子のためにも、たとえ怖くても絶対に僕は記憶を取り戻さなければならないだろう。過去を知るのが恐ろしいなどという、僕の馬鹿みたいな感情はさっさと捨てねばならない。
「早く沢井さんの研究所から連絡来ないかな……」
記憶を取り戻せるかもしれない機械が直ったら連絡してもらうことになっているため、僕はそう呟いた。
ガタン、と大きな音がして机が揺れた。箸で持っていたミニトマトが落下する。無事弁当箱の上には落ちたが、卵焼きの形が崩された。今日はいつもより綺麗に巻けたと思ったので、少々残念である。
「うわっ……樋高?」
瞬が眉を顰めながらぶつかってきた当人を見る。机にぶつかった反動で床に座り込んだ樋高さんは、瞳を震わせながら細かい息遣いをしている。
「大丈夫? 樋高さん」
僕は箸を置いて彼女に手を伸ばそうとしたが、樋高さんはすぐに「だ、大丈夫……」と立ち上がった。顔は若干強張っている気がする。空手部の風格からか、普段強気そうな顔をしている彼女を考えると、この表情は意外だった。
しかし、どうしたの、と訊きたかったが、訊けなかった。そうさせないオーラのようなものが、彼女にはあった。彼女の震えた唇が動く。
「……ぶつかっちゃって、ごめん」
「いや、全然……」
「本当に、ごめん」
樋高さんは必要以上に謝ると、そそくさとその場を去っていった。さっき逃げるように立ち去った藍花よりも速いくらいだ。彼女は去り際、何か考え込むような、複雑な様相をしていた。
「……何だ? 今の」
「さあ……」
いつもどこかミステリアスな樋高さんだが、今日はいつもと様子が違うようだ。僕は首を傾げながら、彼女の背中を見送った。
立ち去る樋高さんの拳は、血管が浮き出るほど強く握りしめられていた。
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