7 研究の誘い
授業が終わると、僕の元に瞬がやってきて「登ー! 授業で当たって即答できたの初めてかもしれない!」と僕の肩をゆすった。
「よかったね」
首がガクガク揺れるので声も揺れてしまった。瞬はそんな僕にお構いなく、ぐっとガッツポーズをする。
「普通に国学って面白そうなものなんだな! 初めて知ったよ! 俺、将来国学の研究とかやろうかな。どう思う?」
「いいんじゃない……」
「梶世くん」
呼ばれた。声の方に目を向けると、伊杷川先生が「ちょっと」と手招きしていた。そうだ、先生は授業中に僕を見て何か言いたそうだったのだ。瞬に断ってから先生のところへ向かう。
「何ですか?」
「あのさ」
先生はどこから話そうか悩んでいるように見えた。話し方を決めたのか、不意に僕に焦点を合わせる。
「僕の知り合いに可術地方の人がいるって言ったよね」
「あ、はい」
昨日の放課後会ったときに先生がそう言っていたのを思い出した。
先生の口が開く。語られた言葉は、至極意外なものだった。
「彼に梶世くんのことをちらっと話したら、興味深いから是非うちで研究したいと言ってね。ああ、彼は術とかの研究者で、僕が昔そういう研究してたときに知り合ったんだ。彼、梶世くんの記憶状態に興味津々だったよ」
「……はあ……」
「もちろん名前とか梶世くんの個人情報は明かしてないから安心して。とにかく僕が言いたいのは、その研究に興味ある? っていうこと」
僕はけんきゅう、と口を動かしてみた。こんなことを誘われるなんて、思ってもみなかった。僕の研究? そんなことして楽しいだろうか。
「……何をするんですか? 具体的に……」
「何が原因で記憶を失っているのか、どういう記憶が消えているのか、とか。そういうのを術を使って調べたいらしい。できたら記憶を取り戻す手伝いもしたいとのことだけど。もちろんタダで」
「はあ……」
僕は答えに迷った。あまりに唐突な申し出だったので頭が追いつかなかった、の方が正しいかもしれない。
「無理には言わないよ。けど、あいつの都合上、やるとしたらすぐ次の土曜日らしい。だから、今日じっくり考えて、明日の放課後までに返答が欲しいかな。自分が研究対象なんて不安だろうけど、あいつはいい人だから、そこは信頼してもらっていい」
「……」
「ああ、もしかして一人で行くってなると不安だからって躊躇ってる? 別に友達連れてきても大丈夫だよ。特に、梶世くんの中学の同級生にはできれば来てほしい、って言ってたし。……ああそれと、研究会場は可術地方らしいから、そこも含めて考えてほしい」
「……」
僕はさっきから声が出せなかった。声が喉にへばりついていた。
会場は、可術地方。未知なる領域すぎて想像できない、術使いが溢れる地方。そこに行く。……別に、僕はその点に関してはどうでもよかった。可術地方の人に対して、なぜか良い印象があるからだ。万一両親にそのことを知られたら嫌悪感を示されるだろうが、僕にとっては問題ではない。
そもそも、伊杷川先生の知り合いは可術地方出身だという話だったから、研究場所が可術地方だというのは当たり前と言えば当たり前だ。僕たちが住んでいる場所は非術地方の中でも可術地方と接しているところだし、僕らが可術地方へ行くのに時間がかかるわけでもない。普段は封鎖されているし、用もないので行かないが、用があるなら行っても構わない。
僕にとって問題なのは、僕の記憶の全てが、他のみんなにばれることだ。
本格的な研究であれば、僕らの地道な調査とは明らかにレベルが違うだろう。そして、僕の真実が強制的に外部に露呈する可能性が十分に高い。僕の記憶の内容はおそらく、研究結果として公表され、僕自身の中で留めておくことはできないだろう。
僕の記憶。自分の中で完結させたいという気持ちと、人に伝えなければならないという気持ちの狭間で葛藤が起こる。いや、今は自分の中に封じたいという感情の方が強いかもしれない。日が経っていくにつれ、脳裏に蘇ったあの画像は、自分の犯罪の記憶なのではないかという思いが強くなっていく。人にばれるのが、怖い。
ポリタンクがオレンジの光の照らされた地面に置かれ、自分の手にライターが握られている画像。どうにも口の中が苦くなる。僕の過去の、とてつもなく闇のページを開いて見ている気分になるのだ。前に瞬たちに話そうとしたことがあったが、今はそんな気が起きることがなくなっていた。
言わなきゃと思ったり、言いたくないと思ったり。僕は、結局どうしたいんだろう……?
気づいたら、質問されてからしばらく時間が経っていた。先生が困ったような顔で、返答のない僕を見ている。それを感じ取り、ハッとした。
「あっ、分かりました。明日返事をします」
咄嗟にそう答えた。すると先生はゆっくり微笑み、僕の肩をポンと叩く。
「じゃあ、よろしく」
先生は担任室に戻っていった。僕は一つ息をつき、瞬のところに向かって歩いていく。瞬は僕の席に座り、僕の筆箱から勝手にシャーペンを取り出して回して遊んでいた。
「瞬、ごめん話の途中で」
「全然いいけど、伊杷川先生に何言われたの?」
瞬が顔を上げる。反動でシャーペンは瞬の手から机の上に転がり落ちた。僕はほんのり苦笑いをし、「研究のお誘い」と一言発する。
「え?」
きょとんとしている瞬に、僕は先ほど先生に言われたことを話した。話を聞いた瞬は「まじか」と微妙な表情をした。シャーペンを再び回そうとしていた彼の手がピタリと止まっている。
「何か胡散臭くね? いくら伊杷川先生の知り合いって言っても信用できんの? 偏見だけど俺、可術地方の人にそんないいイメージ持ってない。いくら争いが少なくなってるって言ってもさ、例えば術で洗脳とかされそう」
「うーん……。僕は何か普通にいい人ってイメージがあるけど、何でだろ」
「それは登がお人好しだからじゃない? そういや前にあった学活の授業のときもそんなこと言ってたな。でもそれでまた変な目に遭ったらどうするんだ」
「……わかんない。行けば、そういう目に遭うかもしれない」
「おいおい、それでいいのか?」
瞬はそう言って僕を軽く突く。僕が肩を竦めると、瞬もつられたのか両肩を上げた。そしてやや斜め上を見る。
「でも……理由は知りたいよな、俺らだってそのために調べてるわけだし」
僕は黙った。理由を、僕は知りたいのだろうか。いや、知りたいのだけれど、他人に言いたくないだけかもしれない。
頭の中で濁った糸が絡み合い、引っ張り合い、縛られる。自分で自分が分からない。
すると瞬が「それ、俺もついていける?」と言った。
「え? ついていくって?」
「可術地方に、だよ。お前一人だとすぐに何かに騙されそうだし、俺だって理由知りたいし。乗り掛かった船だ、最後まで付き合うさ。いいだろ?」
「あ、うん……」
思わず曖昧な返事をしてしまった。僕が研究に参加することが確定の言葉だった。……動悸が止まらない。頬が強張っている。体の横で、手をぎゅっと握りしめた。
「……なあ、登」
すると、僕の表情をしばらく眺めていた瞬が、不意に真面目な顔つきになった。僕は口を開けたまま動きを止める。瞬は、僕の瞳を撃ち抜くようにこちらを見た。
「お前、何か隠してるだろ」
「……!」
僕は言葉に詰まった。どう答えるのが正解なのか、咄嗟のことだったので分からなかった。瞬は短髪をボリボリ掻いて「やっぱり」と呟く。
「登って本当に分かりやすいもんな。お前とババ抜きしたら絶対勝てるな、俺」
「……あの、瞬、えっと」
あからさまに口ごもった僕を見て、瞬は口の片端を上げて軽く笑った。
「そんなに動揺するなよ。責めてるわけじゃないんだから」
「……」
僕は俯く。責められてないとは言っても、僕がみんなに隠し事をしていた、という事実は拭えない。
自分がライターを持っていて、足元にはポリタンクが転がっていて、目の前は火事……そんな画像が脳裏に蘇っていたのに、言わなかったのだから……。
罪悪感がひどく肩にのしかかってきた。こんな思いをするんだったら、さっさと言っておけばよかった。いや、そもそも自分の記憶について調べることに、賛成しなければよかった。
こんな状況では、覚悟を決めている暇なんてない。怖いけど、言うしかないのだ。僕は唇を震わせながら恐る恐る切り出す。
「……あ、あのさ、瞬……」
「あ、待って、ストップストップ」
すると意外なことに、瞬は僕の口の前に手を突き出してきた。僕はきょとんとし、頭に疑問符が次々に浮かぶ。
瞬は再び笑った。今度ははっきりと口を開けて笑う。けれど決して人を馬鹿にしたような笑いではなかった。瞬は突き出していた手をブンブンと左右に振る。
「違う違う、俺は別に言えって言ったわけじゃないよ。言いたくなかったら言う必要はないって」
「……え」
「言いたくなったら言えよ。それでいいからさ。……あのさ、この調査、お前が無理してんなら、中断してもいいと思うぞ」
「……」
「さっき俺は、俺も理由を知りたいって言ったし、それ以前にも調べることが楽しいって言ってたけど、それは登の意志がなきゃ意味がない。登が、本当は記憶喪失について知りたくないのなら、やめるべきだと思う。大丈夫、そうなっても梨橋たちも分かってくれるさ」
僕は瞬の笑顔を見ながら、ゆっくり唾を飲みこんだ。彼の優しいまばたきが僕の胸に刺さる。
……本当に瞬は、慧眼だ。
友達にこんなことを言わせる自分自身が少し情けなく思える。けれどそれと同時に、ふっと心が軽くなった。きつく縛られていた糸が、解かれたみたいだ。そして僕は、今の純粋な気持ちを言いたいと思った。
「……僕は、さ」
「ん?」
「記憶を……取り戻したくない、わけではないんだ。ただ、その……取り戻した先に、みんなに知られたくない記憶が、ある気がする。それを、みんなに知らせるのが、怖い……」
そっか、と瞬は口を動かした。くいっと首を傾け、僕を覗き込む。
「前も言ったけど、そんな恐ろしい過去なんてないと思うぞ。でもま、登が心配なら仕方ないよ。どうする?」
問われ、軽く下唇を舐める。さて、僕は一体どうしたいんだろう?
『乗り掛かった船だ、最後まで付き合うさ』
瞬の言葉が脳内に反響した。僕の体中が共鳴しあっていく。そうだね、と僕は僅かに口角を上げた。
僕にとっても乗りかかった船だ。本当は、僕も付き合いたいんだ、最後まで。
「……今のところは、まだ、頑張りたい……かな」
「頑張る?」
「記憶喪失についての調査を続けたい、ってことだよ。心のどっかにある、真実と向き合いたいっていう気持ちを、まだ捨てたくない」
僕は瞬の顔を見つめ直した。瞬は大きく頷くと、「じゃあ、可術地方にも行くんだな?」と尋ねる。僕は瞬に負けないくらい力強く頷いた。
「というか、俺は研究についていけるのか? 本人しか行っちゃダメみたいなのがあったりする?」
瞬は何ともない表情で話を戻す。僕は頬を柔らかくし、「大丈夫だと思う」と言った。
「おし、じゃあ行くか」
「あ、藍花も誘ってみようかな。中学の同級生にも来てもらいたいらしいし」
「いいんじゃないか。……となれば、もちろん蝦宇も誘うよな?」
「ちょっと、瞬……。……まあ、そうだね、一緒に調査した仲間だし、誘ってみる」
緊張するだろうなとは思うが、僕は素直にそう返事をした。僕のその率直な返答が意外だったのか、瞬は僅かの間だけ動きを止めると、ふふっと口元を緩めた。
「頑張ろうぜ、登」
「うん」
・・・
放課後、藍花と蝦宇さんのところに駆け寄った。
「ごめん、ちょっといい? 今時間ある?」
「少しなら大丈夫だよ」と蝦宇さんは微笑んだ。藍花は「私も部活始まるまでまだ少しあるから大丈夫。何?」と尋ねた。
僕は先生から聞いた話を手短に説明した。二人はさすがにびっくりした顔をした。
「えっ、研究? 可術地方に行くの!?」
藍花が素っ頓狂な声をあげる。蝦宇さんは口元に手を当て何か思考を巡らせているように見えた。
「そういうこと。で、二人が良かったらなんだけど、一緒に来てくれないかなって……。瞬もいるんだけど」
「ええっと……、予定的には大丈夫だけど、可術地方に行くっていうのがお母さん許すかな……」
藍花が渋い顔をする。まあ、正常な反応だと思う。僕ら非術地方の人間にとって、術ほど馴染みのないものはない。『よく分からなくて恐ろしいもの』というのが共通認識だろう。すると藍花がびしっと僕を突いた。
「というか、登は大丈夫なの? お母さんたちに反対されるでしょ、可術地方に行くなんて」
「え? ああ……黙って行くから……」
「へえ、登がそういうことするなんて、何だか珍しいね」
藍花が興味深そうに言った。僕はほんの少し苦笑いをするだけに留めた。
……確かに、わざわざ伝えたら反対されるだろうけど……。
僕の両親は共働きだが、彼らは自分たちの仕事が大好きで、帰ってくるのもいつも夜遅い。僕が小さいときからずっとそうだ。日中の会話など、ほぼ無いに等しい。二人とも、息子への興味より、仕事への興味の方が上なのだ。
僕が両親に黙って行動することを、藍花は珍しいと言ったが、それは彼女の僕に対するイメージの話でしかない。実際は、僕が何をするかなんて両親は訊かないし、僕は言わない。逆に僕も、二人が具体的にどんな仕事をしているか知らないし、細かく訊いたこともない。だいぶ昔から仕事が変わっていなければ、父は病院、母は機械会社に勤めているはずだ。それはギリギリ分かる。もし僕の知らないうちに転職でもしていたら知らないけれど。
仕事尽くめの親に、不満を言ったことはない。感謝している。だからおそらく、両親は僕が不満を持っていないと思っているだろう。事実、僕は養ってもらっているのだから、文句など言える立場ではないのだ。
ゆっくり息を吐く。なぜか不意に手持ち無沙汰になった両手を擦り合わせた。
僕の記憶喪失のことだって、二人は一貫して病気だと言い張り、何か検査をさせようともしなかった。それはそうだろう。もし息子が術で呪われたなんて話になったら、彼らの社会的立場は危うくなってしまうのだから。実際、記憶を失う前の僕が軽く行方不明になった騒動のとき、少しそうなったらしい。申し訳なさすぎる。帰ってきた後、きっと僕はこっぴどく怒られたのだろう。ただ、もはや今は何も覚えていないので分からない。
藍花は「んー」と頬に手を当て、瞳をくるくると動かしている。その動きが止まったかと思ったら、彼女は「うん」と頷いた。
「まあ、じゃあ私も黙って行こうかな。私自身は、可術地方は危ないところだっていう認識そんなにないし」
そう言うと、藍花は「玲未は?」と蝦宇さんの方に体を向けた。
「ちょ、ちょっと待ってね……」
蝦宇さんは目線を斜め上方に向けて、必死に頭を働かせているようだった。おそらく今後の予定でも思い返しているのだろう。
「んーと……、……行く」
「え、本当に? そんなに悩んで何か予定でもあったんじゃ……」と僕は心配になって尋ねた。
「ううん、大丈夫。梶世くんの役に立ちたいし。あと私の親は可術地方とか全然気にしない人だから、その点も大丈夫だよ」
「へえ、なかなか融通の利く親だね」
藍花がそう言うと、蝦宇さんはにっこり微笑みながら「うん。すごく優しくて頼れる人なんだよ」と自慢するように答えた。
その後蝦宇さんは教室の時計を見上げて、リュックを背負い直した。
「ごめん、私そろそろ行かないと」
「ああ、引き止めちゃってごめんね。また明日」
僕は微笑んで手を振った。するとなぜか蝦宇さんは一瞬真顔になった後、ぎこちない笑みを浮かべて「バイバイ」と言うと足早に教室を出ていった。その様子に僕は思わず呼び止めようと蝦宇さんの手をつかもうとしたが、あからさまにかわされてしまった。
小心者の僕はたじろいでしまう。
「……蝦宇さん、どうした?」
「登に微笑まれて照れてるんだよ、きっと」
藍花がにやついて僕を茶化す。いつも藍花はそういう思考になるので、正直あてにならない。
「まさかぁ……。なんか怒らせることしたかな」
「大丈夫だよ、玲未さんはツンデレさんですから!」
「ツンデレ……?」
「それと玲未は直に触られるのめっちゃ嫌うから、それはやめた方がいいと思うよ」
藍花は僕の肩を叩き、「じゃーね!」と蝦宇さんに続いて教室を出ていった。そんな藍花に対して僕は思わずため息をついた。
そう言えば、僕のこの恋は初恋なのだろうか。ふと僕はそんなことを思った。自分の記憶上では初恋に間違いないが、中二の時にもしかしたら好きな人がいたかもしれない。
あの夢に出てきた女の子に……なんてね。
どうしてこんなことを考えたのかも分からない。確かにあの少女には特別な思いを抱いてしまうが、今は蝦宇さんが好きなのだからそんなの関係がないのに。
僕は自嘲気味に笑い、伊杷川先生に行く旨を報告しようと担任室に向かった。
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