6 統治者

 次の時間は国学で、ちょうど僕たちが調べているような、可術地方に関わるようなところが内容に含まれていた。瞬は他人から見てもあからさまに喜んでいた。ちょうど僕たちが話していた内容と被っていて、他の教科より理解できるからだろう。僕のことがきっかけで勉強に精を出してくれるなら嬉しい。


「じゃあ復習だけど……統治者の正体を漢字三文字で何でしょう。今日は十月十日なので出席番号十番の久保木くん」


「はい、はい、擬幻体です」


 瞬は食い気味に言った。言い方で、言い慣れていないのがもろに出ていたが、瞬は答えられたのが相当嬉しかったようでドヤ顔をしている。久保木くんすごい、珍しい、という声が聞こえた。


「正解! さすが、勉強の成果が出たんじゃない」


 僕らが図書室で作業していたことを知っている伊杷川先生も嬉しそうな顔をした。


「擬幻体というのはね」と先生は説明を始める。


「人とは違う、異質な存在なんだ。高エネルギー体と言っている人もいるし、亡くなった人の魂と言っている人もいる。どんな姿をしているのかは、まだ正確なデータが足りなくて分からない」


 先生はチョークを持ったまま、教壇を彷徨く。自分が担当している教科が大好きで、教えるのが楽しくて仕方がない、というような表情をしていた。無邪気な子供のようである。


「でもとにかく言えることは、人と同様に性格を持ち、名前を持つ、世界を統治するものってことだ。それと、統治者は途絶えることがない。前の統治者が消えた瞬間に次の統治者が出現する。そういう摂理だ」


 僕は先生の顔を見つつ、納得しながら話を聞く。さっき手が当たった反動で開けていた教科書が閉じてしまったが、再び開けることはせずに、前を凝視する。


「擬幻体は強力な術の使い手で、人間みたいに寿命がないが、不死身じゃない。人間……可術地方の人間に襲われたら消える可能性もある。今まで統治者が代わっていったのはその者たちに術をかけられたから、なんだ。統治者は術にかかってのみ死ぬからね。物理攻撃は効かない。だから非術地方の人間には、統治者はほぼ倒せないだろう。……あ、でも統治者が死ぬ方法として、他に自爆もあったかな」


 自爆? と僕は首を傾げた。何のために統治者はそんなことをする必要があるのだろう。そんな風に考えながら、僕は意味もなくシャーペンの芯を出したり引っ込めたりを繰り返す。


 すると僕の心を見透かしていたんじゃないかと思うくらい頃合いよく、先生が「じゃあ質問!」と教卓に手をついて前のめりになった。


「どうして統治者は自爆をすることがあるでしょうか?」


 辺りがざわついていく。クラスの人たちが近くの人同士で意見を交換し始めたからだろう。「みんなには難しいかもなぁ」と先生は歯を見せた。


「自爆の過程で周りの他の術を消去して、自分の名誉を守るため」


 すると、ざわつく空気をよけていくかのようなスッと通った声が耳に入った。声がしたと思われる方を向くが、誰も名乗りを上げない。みんな、「誰?」と辺りを見渡している。


 声的に樋高さん……と思ったけど、左手斜め前にいる本人は頬杖をついて素知らぬ顔をしている。他のクラスメイトは誰も気づいた様子はなさそうだ。


「お、すごいね。今、誰かが言ったよね? 正解だ」


 伊杷川先生はにっこり微笑む。先生は誰が答えを言ったかは追及せず進めていくようだ。


「そう、統治者は自爆することで、ある一定範囲内にある全てを無に帰すことができるんだ。心理としては、人間に倒されるくらいなら自分から消えよう、みたいなことだよ」


 へえー……、と生徒たちは声を上げた。僕は声を上げる代わりに頷く。確かに、世を統治する役割を受け持っている者としての高いプライドがありそうではある。


 先生は時計も見ずに語り続ける。


「さっきも言ったけど、いくら統治者の術が強いと言っても、絶対のものではない。つまり、統治の方法に反感を持った人々が集まって統治者を倒す、ということは起きるんだ。実際、三十年ほど前にもそれが起こったから、前代の統治者が消えてトワ様が誕生したわけだし」


「じゃあ今はトワ様の統治方法に反感を持っている人はいないんですか? 称賛されてるって話は前に聞いたんですけど」


 生徒の中から声が聞こえた。同時に手も挙がる。誰かと思ったら瞬だった。やはり一度興味を持ったらとことん突き詰めたいタイプらしい。


「うーん、一部の可術地方の人は批判してるっていうのは聞いたことあるよ。ただ、その人たちは自分の失敗を全てトワ様のせいにしているだけみたいで、半ば理不尽な腹いせっていう話。圧倒的に多いのは称賛の声だね。詳しいことは分からないけど、可術地方の偉い人曰く『歴代で最も称賛されている統治者』らしいよ」


 先生の言葉を聞き、相槌を打つように小さく頷いた。そして、トワ様ってそんなにすごいんだ、と思った。


 その時のことだった。


 ギリギリッ、と歯軋りのような耳にざらつく音が聞こえた。


 とても小さい音量だったので、なぜそれに気づいたのか僕にも分からない。ただ、負の感情が入ったみたいな歪な音で、少し寒気がした。無意識に周りを見てみたが、歯軋りをするほど悔しそうな表情や怒っている顔をしている人はいない。


 何の音だったのだろう。なぜか気になってしまった。


 しかしそれが何か分かるわけもなかった。結局、ただの気のせいかな……と、僕は無視することにした。それに気にしたって何にもならない。一人でそう結論付け、耳の神経を伊杷川先生の話に戻した。唐突に先生はハハッと乾いた笑いを漏らす。


「まあ正直、統治者は僕たちにはあまり関わりがないけどね。トワ様は世界を守ってくれるけど非術地方との関係はほぼ皆無。トワ様と交流できるのも可術地方の限られた人たちだけだし」


「なるほどー」


 瞬が頷いた。すると伊杷川先生は、授業中たまに寝ている瞬がこうして質問をしてくれたのが嬉しかったのか、さらに饒舌になってさまざまな話をし続けた。授業内容を余裕で飛ばしている。けれど、こういう話は実際ためになるので、僕としては歓迎だ。


 話は転がりまくり、いつの間にかトワ様が誕生したときについての話題になっていた。

 

「統治者の入れ替わりが起こったのは、僕がまだ子供のときの出来事だったんだ。可術地方ではひどい戦いが繰り広げられてたようだけど、非術地方では事後報告というか、『え、統治者代わったの?』みたいな感じだったかな。新しい統治者誕生の瞬間は、話によると、まず光の爆発みたいなの起こって、その後に泡みたいなのがふわーって出てきて固まって、天にのぼって……みたいだったんだって。とにかく美しい光景だったらしいよ」


 話はどんどんヒートアップする。するとクラスの中からはちらほら笑いが起こり始めた。決して馬鹿にしたような笑いではなく、微笑ましい雰囲気の笑いだ。あちらこちらから「先生めっちゃ知ってる」「あっくんすげえ」「さすが国学の先生」と声が上がる。あっくんというのは伊杷川先生のニックネームだ。先生は名を厚人あつひとという。


 すると不意に、先生とバチッと目が合った。


 先生は僕を見て、あっと何かを思い出したような顔をした。自分の話に自分で夢中になっていたにも関わらず、だ。しかしその後、また自分の話に集中する顔に戻っていった。


 思わず「ん?」と声を出してしまう。隣の席の人に変な目で見られてしまった。慌てて口元を抑え、こっそり窺うようにそっと先生の顔に視線を向ける。


 僕に何か言いたいことでもあるのかな?


 一体何なのだろう。僕は首を捻らずにはいられなかった。

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