4 調査

「うわー、もうこんな時間かあ」


 ふいに本から顔を上げた藍花が驚いた顔をした。目も口も円形にしている。


「図書室、そろそろ閉まっちゃうね」


「まじか。何時までだっけ?」と瞬。


「六時じゃなかった? あと十分くらいしかないよー」


 藍花は図書室にかけられている時計を見上げて言った。動きに合わせてうさぎみたいな二つ結びの髪がぴょこんと揺れる。


「さすがに十月にもなるとこの時間でもう結構暗いよね。とりあえず、一旦調べたことまとめない?」


 藍花の言葉に、僕は肩を揉んで伸びをした。図書室に入った僕らは、術やら可術地方やらに関する書籍を、わかりやすそうなものから集めまくり、図書室の中にある会話可能のディベートコーナーで読み漁っていたのだった。


「俺、そもそもトワ様……統治者のこと人間だと思ってたんだけど、違ったんだな。『者』って漢字ついてるのに。なんだっけ、幻もどき……擬幻体ぎげんたい、だっけ」


 瞬の呟きに、藍花は「そこから?」と眉毛を八の字にして微笑んだ。


 擬幻体。実体を持たない、強力な術の使い手。この用語は『人間』と対比で使われるが、擬幻体なのは統治者のみである。


「だって俺、今まであんまり真面目に授業とか聞いてなかったから……。まじで可術地方のこと全然知らなかったよ」


 瞬はバツの悪そうな顔をした。そして肩を竦めてポリポリと首の後ろを掻く。僕は苦笑いした。


「瞬、よく考えてみて。この世界は何億年も前からずーっとあって、統治者はこの世界が生まれたときから絶えず存在する摂理。だけど統治者は現在十三代目と言われている。たったの十三代だよ。つまり一代で何億年も生きてるわけ。さすがに人間だったらそんなに長くは生きられないんじゃないかな。術を持っていようと持っていなかろうと、ね」


「わー本当だ、確かにぃ」と瞬はおどけて笑った。


「さっすが梶世先生、ど正論でございます」


「あっ、でもトワ様が誕生したのってすごく最近だから、久保木くんが勘違いしちゃってたのも無理ないんじゃない? 三十年前くらいだっけ。私たちの生きてる時代ってレアだよね」


 藍花が庇うように言う。すると、瞬はふふっと口元に手を当てた。


「いや俺、馬鹿だからね? 別に俺のことフォローなんてしなくてもいいのに。梨橋って面白いね」


「えっ、そうかな……? あ、ありがとう」


 藍花は髪を落ち着きなく触った。髪を整えるような仕草だったが、触りすぎて余計にボサボサになっている。


「と、とにかく、今日の調査では……術を使って記憶を消せる、みたいな記述は見当たらなかったね」


「そうだね……」


 僕はため息をついた。記憶の喪失と、夢に見た女の子との繋がりも分からない。ほぼ何も手掛かりを掴めてないに等しいのだ。さっきの時間が無駄だったとはこれっぽっちも思わないが、真剣に向き合っていただけ悔しさは残る。


「こういうとき、情報屋がいれば便利なのかもね」


 斜め上を見た藍花の言葉に、僕は「情報屋?」と首を傾げた。


「色んな情報を売ってくれる人のことだよ。情報収集が大事な可術地方にはわんさかいるらしいよ。前にテレビでやってた」


「まあ、ここは可術地方じゃないし、多分大量に金がいるだろうし、無理だな」


 瞬が頭の後ろに手を当てた。瞬の言う通りだと僕も思った。


 僕たちは図書室を後にして、下駄箱に通じる廊下を歩いていた。


「おお、真面目だな。図書室で勉強してたのか?」


 急に声をかけられたので振り向くと、国学専門の伊杷川いわかわ先生が手に冊子を数冊持って歩いていた。国学というのはその名の通り、国の情勢や歴史などを学ぶ教科である。非術地方に住んでいると言えど、同じ国の中にある可術地方のことも学ばなければならない。


「あ、伊杷川先生」


「三人で勉強会か?」


「いえ、勉強というか調べものしていただけです。二人に手伝ってもらっていました」と僕は二人に目線を配りながら言った。


「いやいや、調べることだって勉強の一環さ。お疲れ様」


 先生はそう言うと、そのまま立ち去ろうとする。そんな彼を、藍花が「あっ、先生」と呼び止めた。


「ん? 何かな、梨橋さん」


「先生は国学専門ですし、国学にすごくお詳しいですよね。術でどんなことができるかとか分かりますか?」


「え?」


「記憶を消去する術とかってあったりするんですか?」


 直球な質問である。先生は戸惑ったように目をぱちくりさせ、しかしそのあと僕を見て、ああ、というような表情をした。学校には自分の記憶のことについて知らせてある。そしてそれがいたずらに広まらないよう配慮もしてくれている。


「あれ? でも僕、梶世くんのその原因は病気だって聞いてるけど」


 先生は言う。その言葉に、僕は首を振った。


「それは僕の両親がそう言っているだけです。自分の息子が可術地方に関わりがあるなんて思いたくないみたいで。自分たちの風評にも繋がるし。病院の先生は、原因は分からないって言ってます。僕自身は、病気なんかじゃないような気がして……」


「なるほど……となると、考えられるのは……」


 先生は廊下の壁にもたれて唸った。すごく真剣に考えてくれているようで、僕は何だか申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


 不意に、伊杷川先生は視線をくっと持ち上げた。


「……そういえば昔、可術地方の友人から聞いた話があったなあ……」


「え?」


「僕は、今は国学の先生だけど、昔は仲間と術の実験研究とかをしてたんだ。そのチームの中に可術地方の人もいてね」


「そうなんですか」


 伊杷川先生が可術地方の人と関わっていたことがあるなんて意外だった。でも確かに研究者たちは可術地方に行くことがあるらしいと聞いていたので、あり得る話だ。


「うん。それで聞いた話なんだけど、この世には禁断の術というのがあってね」


 僕らの顔を見渡しながら先生は言う。滑らかな口調だ。僕は思わず「禁断の、術……?」と繰り返した。何とも恐ろしい響きだが、先生の表情は至って平静だ。


「一つ目は存在を消してしまう術。二つ目が物体を悪魔化する術。そして三つ目が……記憶を消去する術」


 記憶を、消去する。


 僕の胸に、ドクンと響いた。


「……え、先生、ということは、一応あるんですね? 記憶を消すという術が」


 藍花が、先生の顔をまじまじと見つめながらそう言う。彼は「一応そうだね」と小さく頷いた。


「といってもあくまで禁断。使ったら世の中が大混乱に陥ってしまう。そのような恐ろしい術を使うのはルール違反なんだ。だから警察に捕まるし、そもそも非常に難しい技だから、使える人はほぼいないんじゃないかな……」


「なるほど……」


「ちなみに、梶世くんはどんな感じで記憶がないの? 答えるのが嫌じゃなければ教えてくれないかな」


 僕は「中二の記憶がまるごと一年、きっかりないです」と躊躇わずに答えた。ふむ、と先生は顎に手を当てる。


「仮に、梶世くんの記憶喪失の原因が術によるものだとする」


 先生は真面目な顔をした。鋭い眼光が僕を刺す。


「はっきり言うけど、記憶を一年だけきれいに消して、今まで思い出させないなんて器用で強力すぎる。そんな術だと、トワ様レベルの能力を持っていないとできないと、僕は思うよ」


「トワ様レベル……ですか」


 自分の顔が強張ったのを感じた。口の中が乾燥した感じがする。


 うまく想像できない。そんな能力の持ち主に、僕は術をかけられたのか? そもそも簡単な術すら見たことがなく、知らないのに……。


 不意に、リュックに手を突っ込んでいた瞬が「あっ」と何かに気づいたような顔をした。


「悪い、こんなタイミングでごめんだけど、俺、図書室に水筒忘れてきたみたい……。取りに行ってくる」


「あ、私が行こうか?」と藍花が小さく手を挙げた。心なしか顔が赤みを帯びた。


「いや、大丈夫。気持ちだけもらっとくな」


 そう言って瞬は図書室に逆戻りする。


 すると先生が、さっきまでの表情とは打って変わって、何やら楽しそうになった。笑いながら藍花の肩をぽんと軽く叩く。


「愛を持って触れること。それが一番、自分の存在をこの世に証明する方法である」


 伊杷川先生の言葉に、藍花は「……ふぇっ?」と顔をさらに真っ赤にした。


「触れられた方もまた同様。愛情を身近に感じること、これ以上の存在の証明はない」


「せ、先生……なっ何なんですか!?」


 藍花の慌てぶりが酷い。僕には、何にそんなに慌てているのか分からなかったが、先生はそんな藍花をおかしそうに見た。


「これ、九代目統治者のトサルフ様のお言葉。梨橋さんを見てたら言いたくなってね。ふふ、もっと積極的に愛を持って触れるべきなんじゃない?」


「何でバレて……。や、やめてください……」と藍花が恥ずかしそうに俯く。


「ああ、ごめんごめん。でもさ、こういう言葉、面白いだろ? 僕ら非術地方の住民にも通じそうなことを、歴代統治者は言ってるんだ。まあ、さっきの言葉の本来の意味は知らないけどね。とにかく、これからも調べ物とかするんだったら、ほかの統治者の名言も一度調べてみるといいよ。色々あって面白いから」


「そ、そうですね」


「じゃあごめん、僕まだ仕事残ってるから、また明日。訊きたいことがあればいつでもどうぞ。気を付けて帰るんだよ」


 言うだけ言って去っていった先生。その後ろ姿を見ながら、藍花は「もう……」と少し怒ったような声を出した。藍花の態度はよく理解できなかったが、それを理解しようとする気も起こらなかった。それよりも僕は、先生が言った言葉について、ずっと考えていた。


『記憶を一年だけきれいに消して、今まで思い出させないなんて器用で強力すぎる。そんな術だと、トワ様レベルの能力を持っていないとできないと、僕は思うよ』


 もし本当に、この記憶喪失の原因が術なのであれば……。僕の記憶喪失を調べるということは、至極強くて恐ろしい人を敵に回すことになるのではないか。何だかそんな気がした。僕は急にひるんでしまった。


 でも、だとしたら、何のために? そしてその人とは、一体誰……。


 ポリタンクとライターの写っている炎の画像が、目の端にちらついている感覚がする。


 記憶の消失……もしかしてそれは、僕に対する罰なのか。やはり僕は過去に何かを犯していて、それに対する制裁なのか。


 考えたくない。僕はそれを振り払うように首を振った。


 そのうちに瞬が駆け足で戻ってきた。


「悪いな、待たせた」


「いや全然待ってないよ」


 僕は自分の気持ちを隠すように少し大きな声で言った。そして二人の顔を交互に見る。


「じゃあ瞬も来たことだし帰ろっか」


「あれ、伊杷川先生は? どこ行ったんだ?」


「仕事残ってるから戻るって」


「あ、そうなんだ」


 瞬の返事を聞きながら僕はゆっくり歩きだした。二人も僕に続いて足を動かし始める。


「でさ、これからどうする?」


 瞬が言った。その意味を理解しかねて僕は首を傾ける。


「えっと、これからって……?」


「明日とかさ、俺、放課後は大抵部活あるから無理だけど、昼休みなら調べられるし」


「ああ、そういうことか」


 言ってから、僕は少し目を伏せて瞬と藍花に視線を流した。「ん、登どうした?」と瞬が尋ねてくる。


「いや、今更だけど、こんなに協力してもらうの、悪いなぁ……って思って」


 調べるのにどのくらいの時間がかかるのか分からないのだ。それに、ゴールも見えない。そんなものに付き合わせるのは、改めて考えると申し訳ない。これからの調査は自分だけでもいいかもしれない、と思った。


 すると、「違うよ」と瞬が首を振った。はっきりした声だった。


「俺が純粋に調べたいんだ。こんな中途半端に終わらせられるかよ。それに、図書館にいたさっきの時間、普通に楽しかったから」


「瞬……」


「仮に登が『やっぱり調べるのやめる』って言って抜けても、俺は梨橋と調べ続けるから。……あ、梨橋は? これからも続けたい?」


「もちろん!」


 条件反射のように言った藍花は、すぐにハッとしたように目を開き、手を左右に振った。


「ほら、みんなで調べるのが楽しかったからね、みんなで。だから、登も一緒に調べていこうよ。これは登のことなんだし、それに、もしも、久保木くんとだけとかなったら、私……」


 最後の方は聞こえないくらい消えゆく声だ。僕は「何?」と尋ねる。


「……もー、登のばか。そんなこと聞かないでよ」


 藍花はプイとそっぽを向く。僕は藍花が拗ねた意味が分からず少し困惑した。藍花はしばらくするとこちらを向き直し「で、ほら、結局登はどうするの」と僕に訊いた。


「やるよ。僕だって自分のことを知りたい」――半ば衝動的な、咄嗟の言葉だった。


「決まりだな」


 瞬が嬉しそうに頷いた。どうやら今日一緒に調べたのが本当に楽しかったようだ。すると藍花が「ねえ登」と僕の目を見た。


「何?」


「やっぱり玲未に登の過去のこと知ってほしいな。私、普段はいつも玲未といるから、昼休みとか玲未に黙って行動とかしたくないし」


「そうだね……」


 僕は頷いた。まあ仕方のないことだ。これで蝦宇さんが僕のことを気味悪く思っても、人の気持ちなんだからどうしようもない。もしそうなってしまったら、僕が黙って蝦宇さんから離れればいいのだ。


 僕は「じゃあ」と口を開く。


「伝えるんだったら藍花から言ってくれたら助かるかも。僕が蝦宇さんに直接言うってなると緊張して、僕が言ってる内容が全く理解されないと思うから」


「了解、任せて」


 藍花が了承すると、瞬が僕を「かわいいやつめ」と小突いた。


 二人と話していると、心のもやもやが薄れる気がする。僕はほんの少しだけ微笑むと、足早に歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る