3 対峙

 真っ暗な闇の中、巨大テレビのような青白い画面がぼうっと浮かび上がっている。カタカタという音とともに、その画面に赤色の文字と数字が次々に打ち込まれていった。


 女性の、サングラスの奥の真っ青な目には、その様子が怪しく映っている。


 彼女は画面だけを見て、黙々とキーボードを押し続ける。そして文字と数字が画面いっぱいに埋まると、彼女はふう、と息をついて画面にタッチした。画面はバチッと激しい音を立てて火花を散らし、やがて色を失った。そして女性の足元にあった小さな引き出しが音もなく開いた。


 屈みこんだ女性は、引き出しの中から緑色の大粒の宝石を取り出した。彼女は立ち上がりながらその輝きを自分の瞳に映した。その女性の頭には黒いもやのらしきものが張り付いていて、その靄には悪魔の顔のような、吊り上がった黄色い瞳、裂けた口がついていた。


「そこまでだ」


 その時、辺りに充満していた闇が、スッとどこかに吸い込まれていくように取り払われていった。そして部屋中の電気がつく。女性はゆっくり声のした方向を振り向いた。


 一人の男性が立っていた。目を引くほどの赤い髪、赤い右目。左目は頭に巻かれた布で隠されている。首にも頭に巻いてあるのと同じような布がかかっており、手に茶色い手袋をはめていた。そしてその手は頭の横で握りしめられていて、本当にそこに闇――黒い煤のようなものが吸い込まれていた。


「宝石をもとの位置に戻せ。そして手を挙げておとなしくしろ」


 赤髪の男性が低い声で言う。女性は一瞬口を開いたが、すぐにニヤリと笑みを怪しい浮かべた。


「ふふ、お久しぶりね」


 そして宝石を持ったまま「可哀そうに」と続ける。


「何だと?」


「可哀そうだって言ったのよ。ずっと思ってたわ。普通なら、こういう犯罪者はトワが仕留めておしまいなのに、なぜかトワはあたしに手が出せない。だからトワの使者のあんたが駆り出される。可哀そうを通り越して、惨めね。トワの使者なんてさっさとやめちゃえばいいのに」


 そう言うと女性は腰の辺りのポケットに宝石をしまった。男性は表情を変えずに息を吐いた。


「惨めで結構。やめられるものじゃないんでね」


「このビルを管理するのもあんたの仕事? 歴代統治者の体の一部から生成されたと言われている宝石の数々……そんなものが無造作に置かれている建物を管理するなんて、あんたも大変そうね」


 女性の煽りに対し、男性は無言だった。しばしの静寂を共有した後、女性は相手の顔をじっとを見つめながら「ねえ、訊きたいことがあるんだけど」と二の腕まである長い黒手袋を掲げ、ぎゅっと拳をつくった。


「あんたもあたしのこと、捕まえられないの? それともあたしを馬鹿にしてるだけ?」


 その問いに、男性はフンと鼻で笑った。


「どうだかな。ただ、俺には俺のやり方があるのさ」


「そんなんでトワには怒られないのかしら。全くいいご身分ね……」


 女性が言葉を言い終わる前に、男性は右手を突き出した。目にもとまらぬ速さで蔦のようなものが手から伸びていき、彼女に向かっていった。蔦が体に辿り着く直前、女性は高くジャンプしてそれをかわした。長い瑠璃色の髪がサアッとなびく。部屋の中の机や椅子を蹴散らしながら走っていく。


 男性は再び手を突き出し、赤い光線のようなものを発出した。それに対し女性はひらりと身をかわすと、どこからか取り出した銃で窓ガラスを撃ち抜いた。そして、左手を一振りするだけで風を巻き起こし、部屋中の物を吹っ飛ばした。


 女性は割れた窓から外に飛び出し、隣のビルの屋上にひらりと着地した。半ば憂いがかった瞳をして、ゆっくりと息を吐く。


「いきなり攻撃してこないでよ。あたしは、別にあんたと戦いたかったわけじゃない。話がしたかったのよ」


「ほう」


 直後に男性も同じビルの屋上に着地する。目にもとまらぬ俊敏な速度だ。頭に巻いている布をなびかせ、夜の暗い辺りの中で真っ赤な瞳を光らせている。


「一体どんな話なのか、興味はある」


「でしょ。ま、話って言うかお願いなんだけどね。宝石を返してあげるから、その代わりに今から言うあたしの望み、叶えて……って、さすがに無理?」


「無理だな。もうその宝石は俺の手にあるから」


 その低い声に、女性はハッとした表情をした。風を受けながら徐に近づいてくる赤髪の男性の手には、さっき女性が奪ったはずの宝石が乗っていた。彼女は慌ててポケットの中を確認する。


 そのポケットの中身は、丸くて白い、小石のようなものだった。女性が盗んだものではない。それを確かめた彼女は大きな音でため息をついた。そして、いつの間に、と声に出さず口を動かす。しかしその後、どういう意味があるのか含み笑いの表情を見せた。


「……そっか。あんたはトワの使いだものね。本当に可哀そうな人」


「悪いけど、これが俺に与えられた役職なんでね。抗うことは許されないのさ。代わりと言ってはなんだが、三代目統治者ラビト様の宝石に交換しておいた。見た目は地味で非常に小さいが、一定のあいだ精神浮遊ができるという……」


「うるさいわね。そんな、あんたがプレゼントしてくれるほどの、古くて交換条件にならないものなんていらないわよ。あんたの煽り本当にうざい」


「それはよかった。ところで」


 すると男性は、進めていた歩みをぴたりと止め、瑠璃色の髪の女性を見据えた。屋上特有の強い風が、二人の間を駆け巡っていく。


「お願いとは、どんな?」


 女性は呆れたようにクスッと笑った。拳銃を持ったままの手を顎につけ、サングラス越しの瞳から光を消す。


「だってどうせ叶えてくれないでしょ? 宝石との交換という条件があっても叶えてくれるか分かんなかったのに、お土産もないままその話をするわけないじゃない」


「さあな。俺は案外優しいかもしれんぞ。試しに言ってみたらどうだ」


「いいえ。もう結構よ」


 最後の言葉は、突き刺すような棘のある声だった。少し汚れた頬を手の甲で擦った女性は、顔を天に向ける。同時に、拳銃を持っている手も上に挙げた。銃口が空を向く。


「あたしは悪、あんたは正義。それでいいのよ。あたしはね、もう目指すことが決まってんの。……あたしはそこに進むしかない。誰にも邪魔させない」


 引き金に掛かっている指が動いた。破裂音とともに、眩しすぎる光の膜が、彼女の姿全体を覆う。月の光が霞むほどの、圧倒的な威力だった。それは数秒後に溶けるように消え、まるでさっきのことが幻だったかのように静寂の夜を再生させた。


 女性の姿は、もうなかった。


 男性は、ずっと同じ場所で立ち尽くしてその様子を眺めていた。女性を一切追おうとはせず、ただひたすらに直立していた。頭に巻いている布の左側を少し引っ張り、元から隠れていた左目をさらに隠す。


 しばらくすると、男性の姿も、闇の中に溶けて見えなくなっていった。

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