第30話 悲劇の天才病弱少年ウルトス



(まったく……なんという少年なんだ……)


 娘のジークを落ち着かせながら、外に出る。

 城からの帰り道、『英雄』と称される男、レインは舌を巻いていた。


 ――先ほどまで一緒にいた少年の、あまりに真っ直ぐな瞳に。


「まさか、彼が覚悟がそこまでとは……」


 真剣な表情で、小さくつぶやく。

 おそらくウルトスが聞いていたら、「なにが?」と聞き返していたことだろう。


 が、レインの思考は止まらない。


(まさか、この国の貴族にもまだ、あんなにも賢明で気高い少年がいたとはな……)


 そう。

 先ほどのウルトスと娘のやり取りを見て、レインの脳内では、ありえないほどに高潔で気高い貴族の少年「ウルトス」という像が出来上がりつつあった。







 レインは、リヨンの騎士団長である。

 Sランク難度の任務をいくつもこなし、王国内外からも最強の騎士として名高く、その名前は轟いている。


 しかし、そもそも平民出身レインは、貴族が苦手だった。

 長年、権力を蓄えるとろくなことにはならない。そうやって腐っていった貴族を何人も見たことがある。


 が、しかし。

 件の少年、ウルトスはそんな貴族とは打って変わった人物だった。


 あの謙虚な物腰、気さくな人柄。

 しかもレインに向かって、「ジークのためになら命を懸けられる」と言い、見事、有言実行して見せた。


 自らを犠牲にして、愛する人を守る。

 なんという覚悟なのか。


(……ウルトス君。君の覚悟、しかと受け取ったよ)


 レインの中では元々割と高かったウルトスの好感度は、もはや完全に上限を突破しようとしていた。


 娘を実際に救ってみせ、なおかつ貴族の驕りもない。 

 これで好感度が上がらないわけがない。


 レインは拳を握る。それに、


「ウルトス君は強いな。あの子は、のに」

「……え」


 横にいたジークが息を呑む。

 絶句。もしこの場にいたら、きっとウルトスも同じく絶句していたことだろう。


「それってどういう……」

「彼には少し良くない噂があってね。それもあって最初に会った時から少し注意していたんだ……そして何度か彼が頭を抱えている場面を見かけたんだ……おそらくあまり身体の強い方じゃない」

「そ、そんな……!」


 悲痛なジークの声。

 もはや、レインの中では、ウルトスに謎の病弱設定までもが付け加えられていた。


(身体が弱いのに、娘のために我が身を犠牲にするとは……)


 そう。

 そもそもウルトスのよくない評判を聞いていたレインは、初対面から、それなりにウルトスに注意を払っていた。


 だからこそ、たびたび頭を抱えているウルトスを見てレインは思ってしまった。

 ああ、彼は病弱なのだ、と。


 そう考えれば、何となくウルトスの貴族にあるまじき謙虚な態度も、納得できるような気がしてきた。


(病弱だが、心優しい少年……というわけか)


 ――実際はジークが一向に仲良くしてくれそうにないことに悩んだウルトスが「頭が痛い……」と自業自得で苦しんでいただけだが、密かにそれを観察していたレインの眼には完全に、

 

「ウルトス=病弱な貴族の少年」という、とんでもない間違いが定着してしまっていたのである。




 病弱ながらも命を投げ出し、自らの誓いのために強敵に立ち向かう。

 なんという気高さ、なんという心の強さ。

 

 おそらく、実践経験もないのだろう。


 口ではなんだって言えるが、実際にこれをできる人間が一体どれほどいるというのか。

 しかもレインは、少年を取り巻く状況にも気が付いていた。


「おとうさん、その良くない噂っていうのは……」

「いや、気にすることはない。絶対に単なる嘘だ」


 ジークに向かってきっぱりと答える。


 最初に聞いていたランドール公爵家の息子に関する悪い噂。

 曰く、変態だの、バカ息子だの。


 だが、実物を見てしまったレインは確信していた。これは、と。


「で、でもなんで良くない噂が……だって、ウルトスは……!」

「分かっている……!」


 娘の悲痛な声。

 レインだった娘の言いたいことはわかっていた。

 が、


「きっと彼もそれだけ難しい立場なんだ」

「だからって……! 言われっぱなしで!」

「貴族社会のパワーバランスは難しいと聞く。彼は優秀だ。きっと言われっぱなしでもいいと、彼はそう思ったんだろう」


 ぎり、とレインは拳を握りしめた。


(思えば、ウルトス君は相当に頭の切れる子だ。たしかに腐った貴族には厄介な存在としか映らない。そういう輩が次期公爵家の跡取りを愚かだと風潮して足を引っ張っているのか……!)


 怒り。

 レインは確信していた。


 おそらく自己保身しか興味のない腐った貴族の連中が、足を引っ張っているのだろう。

 あれほど優しい少年を、あんなに純粋な少年をそこまで貶めようとする貴族社会の闇。


(何がビキニアーマーだ……!! 絶対に、彼はそんな子ではない……!!)


 もちろん、その辺の腐った貴族よりもはるかに自己保身に余念のないクズがウルトスであったが、一度ウルトスの境遇を思うと、あらゆる事実が符合しはじめてしまう。


 ――気付けばレインの中では、すっかり、噂を流して貶めようとする腐った貴族たちと、貴族社会のパワーバランス(笑)のために、噂を否定しない悲劇の天才病弱少年ウルトスの像ができてしまっていた。







 一方、父からウルトスの境遇を聞かされたジークは、呆然としていた。



「ボ、ボクは……」


 力なく、ジークはつぶやいた。 

 ずっと拒絶していた相手がまさか自分よりもはるかに難しい立場にいたのである。


 そして、ウルトスが病弱だという事実。

 たしかに、そう考えればすべてのつじつまが合う。


『ちゃんとレインさんには前もって話しておいたから。この場合は、あくまでもジーク君が最優先。別にこっちは後回しで良いし。だから全く気にしないでいいから、この話は終わりにして――』


 どう考えても普通の貴族なら言いそうにない、自分の蔑ろにするような口ぶり。


 だが、ウルトスが病弱だと考えればどうだろう。

 小さいころから病弱で自分の死と向きあってきた少年だからこそ、そうやって自分を後回しにしてしまうのかもしれない。


(そんな相手に対して……なんてことを……!)


 ぐっと、血が滲みそうなほどに拳を握りしめる。

 先ほどウルトスに抱きしめられたときに感じた、胸が引き攣れるような想い。

 今やそこに罪悪感が加わり、何倍にも膨れ上がってジークを苛さいなんだ。


 自分がどれほど甘ったれてただけなのか。


「ジーク。謝ろうとするのはよせ」

「え?」

「彼が望んでいるのは謝罪か?」


 レインが遠くを見つめながら言う。


「で、でも!」

「過ぎてしまったことは仕方ない。彼と仲良くしてあげるんだ」

「……でも、ボク何をすればいいか」

「大丈夫さ。ウルトス君の心は俺には痛いほどよくわかる」

「……お父さん?」

「俺もかつてはウルトス君のように一途だったのさ」


 ジークが見上げると、レインが真剣な表情で言い放った。


「――大丈夫だ。お父さんに任せなさい。





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悲劇の(嘘)天才(嘘)病弱(嘘)少年ウルトス

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