第23話 絶対に、戻ってくるから side:ジーク



 寒気を感じる。

 突如として現れた魔物はまさに、『死』そのものだった。


 もちろん、ジークはこれまで魔物を狩ったことはある。

 このエラステアに来る途中だって、街道で襲ってきた魔物を父・レインと返り討ちにした時だって、決して自分はひるんでいなかった。


 が、しかし。


「そんな……」


 圧倒的な恐怖。

 アンデッドというのは、魔物の中でも特に危険視される魔物である。


 アンデッド系の特徴は、その対処の面倒さにある。


 飲食は不要。毒や病気を受け付けず、睡眠も必要としない。

 どれほどのダメージを負ったとしても、その動きは鈍らない。偽りの生命で動き続ける。

 そして、倒れた人間もアンデットになるという連鎖。


 基本的に都市部に出てくることは無いが、ひとたび対処を誤ればおびただしい数の死傷者が出る。


(こんなの勝てるわけがない)


 死者の魔法使いリッチ


 しかも、そんなジークに追い打ちをかけるように、リッチの言葉が響いた。


『……人族の子よ、おびえているのか可哀想に……』


 口調は丁寧。だが、その声色からは一切の優しさを感じられない。

 抵抗できないこちらを値踏みするような、まるで手のひらで踊る獲物をなぶるような口調。


「人語を理解するアンデッド……!?」


 ――それはすなわち、知性の証。

 危険度は通常種を遙かに上回るだろう。


 あの父ですらアンデッド系は苦手だと言っていた。腕のいい神官プリーストなどがいなければ仕事をしたくない、と。

 危険度は低く見積もっても、Bの上位、いやAランクはあるかもしれない。


(こんなの……もうダメ……)


 絶対に勝てない化け物。


 思考が靄に覆われていく。

 死、恐怖。終焉。


 ――その時、ごそりと後方で誰かが動く気配がした。


(あぁ……そうだった。彼もいたんだっけ)


 どうやら彼は動けるらしい。

 ただ、ジークは思っていた。ウルトスは逃げるだろう、と。


(仕方ない……よね) 


 別にそれが悪いとも思わない。

 先ほどまでのジークだったら、「敵に背を向けるなんて!」と怒ったかもしれない。


 が。


(こんなの……仕方ないよ)


 放たれるリッチの重圧。

 呼吸が苦しくなるほどの、圧倒的な差。

 邪悪なる魔力の化身。


 誰だって逃げる。

 しかも、ジークは散々ウルトスにひどい態度を取っていたのだ。自分と一緒に闘う義理もないだろう。


 置いて行かれてもしかたない。

 眼を閉じる。


 ――まだまだ、弱いな。未来の英雄よ。


 最後に脳裏に浮かんだのは、意識の薄れゆく中で聞こえた憎き敵・ジェネシスの声だった。











 が、しかし。

 いつまで待っても魔法の詠唱は聞こえない。


(え……?)


 違和感を感じ、眼を開ける。

 ジークの前には、信じられない光景が広がっていた。


 ――


 自分がこれまで散々拒否してきたはずの少年が、ジークの前でリッチと対峙するように立っている。

 まるで、ジークを守るとでもいうように。


 そして、ウルトスが口を開いた。


「ジーク君。あいつの言うとおりだ。僕が囮になる――」

「えっ」


(な、なにを言っているの……?)


 思わず恐怖も忘れて、ジークは少年の背中を見ていた。

 少年がふと横顔を見せる。


 その顔にはいつもと同じく、屈託のない笑みが浮かんでいた。


「――ジーク君だけでも、逃げて」




 ◆


 ジークが何も言えずにいると、ウルトスが自身の胸からネックレスを外した。

 ネックレスは高級そうな飾りが幾重にもついている。


「はい」


 次の瞬間。

 意味が分からず呆然としているジークに対し、ウルトスがネックレスを首に巻いてきた。


 なぜこんな状況でネックレスが自分の首にかかっているのか。 

 一瞬で、頬に赤みがさす。


「な、何を……!」


 思わず、ウルトスの行為に叫ぶ……が、ジークは気が付いた。

 先ほどまでよりも、はるかに息がしやすい。プレッシャーも心なしか弱まったように思える。


「どう? たぶん、少し楽になれるはずだと思うけど」

「……あ、ありがとう」


 思ったより顔が近くにあったので、小さくジークはお礼を言った。

 何らかの効果のあるネックレスなのかもしれない。


 ――いやでも、まずい。

 ジークはすぐに思い出した。、と。


 強大な魔物。そして2人っきりという状況。

 しかも、ウルトスは自分を置いて行けという。

 

「そ、そんなのできるわけないよ!」


 ジークは無我夢中で叫んだ。

 

「あれはリッチ!! 君も感じるでしょ? あの――」

「いや、僕が囮になるのが一番効率がいい」

「えっ」


 真っ直ぐに、こちらを見てくるウルトスの眼差し。

 その目を見て、ジークは我知らず息を呑んだ。


 彼は今、全く動じていない。あくまでも自然体、あくまでも普段通り。

 穏やかにウルトスは語る。


「たぶんあのリッチ、相当悪辣だよ。性格が悪い。おそらく力の差があるからこそ、獲物をいたぶって嗜虐心を感じるタイプ」

「だ、だからこそ、君だけじゃ……」

「いや。こうする方が一番安全だよ。僕は魔法を扱えるから耐性があるし、ある程度対処もできるかもしれない。それにジーク君1人の方が足は速いでしょ」

「そうだけど……」

「それに、相手が遊んでくれるなら好都合だよ。助けが来るまでの時間稼ぎもしやすいかもしれないしね」

「で、でも」


 たしかにウルトスの発言はもっともだった。

 リッチは魔法詠唱者スペルキャスター。魔法を一切使えない自分は足手まといだろう。であれば、足の速い自分の方が助けを呼びに行った方がいい。


 でも。


「どうして……そこまで……」


 そこまでしてくれるのか。

 ジークは聞きたかった。ウルトスをずっと傷つけてきたのは自分なのに。


「これはどうしても必要なことなんだ」

「そんな……」

「ごめん、僕もジーク君と仲良くなりたかったんだけど……。色々上手くいかなかったみたいで」


 違う。悪いのは自分だ。

 ジーク君は必死に謝ろうとする自分を抑えた。


 思い返せば、いつも話しかけてきてくれたのは、ウルトスのほうだった。

 自分がどれだけつまらなさそうな反応をしてもウルトスは笑ってくれていた。


 ――


 この状況で。

 要するに、この少年はそこまで覚悟をしていたのだ。


 その時、ふとジークが思い出したのは父の一言だった。


 ――よ。彼には、大切なものを守る強さがある。


 本当にそうだった。

 父の言った通り、強さをはき違え、何もわかっていなかったのは自分の方だった。


「それに、心配しなくてもいいよ。もしかしたら、なんとかなるかもしれないし」

「……ッ!!」


 屈託なくウルトスが笑う。

 何か声をかけようとして、ジークは言葉を吞み込んだ。


 できるわけがない。

 あの街道での反応を見ても、おそらくウルトスに実践経験はない。


 そんな初心者がAランクの魔物を打ち倒す。

 無理に決まっている。こんなことを言わせてしまっている自分が情けない。


 気が付けば、悔しさで手には血がにじんでいた。


 でも、無謀だ無茶だ、とウルトスの正気を疑うのは無意味だろう。

 あの邪悪なる魔物を前にして、あの強大な化け物を相手にして、まるで勝てるつもりでいるかのように不敵な笑みを浮かべてみせるこの少年に正気があるなど、いったい誰が言えるというのか。


「ウルトス……」

「初めて名前、呼んでくれたね」


 少年が笑う。

 ジークには痛いほど少年の覚悟が伝わった。


 もう何も言わない。

 でも、絶対に戻ってくる。


「行って!! 早く!!!」


 急かすようなウルトスの声。

 同時に、ジークははじかれたように走り出した。


 リッチが動き出す気配はない。

 ウルトスの予測通り、ウルトスをもてあそぶことに決めたようだった。


 無我夢中で速度を上げた。すぐに心臓が悲鳴をあげる。

 が、もうどうなっても構わない。


(ごめん……!!)


 これだけダメだった自分を、ずっと間違えていた自分を最後まで信じてくれた少年。

 だからその信頼に、答えなくては。


「……絶対に戻ってくるから!!!」


 そう叫んで、ジークはさらに速度を上げた。




 ――先ほどまで響いていた、ジェネシスの声はもう聞こえなくなっていた。




――――――――――――――――――――――――――――――――――


ウルトス→理想()の主人公

ジーク→詐欺師に騙されかけている。

リッチ→「相当悪辣だよ。性格が悪い」と評されたが、それよりもう一段階くらい悪辣で性格の悪いやつがたぶん近くにいる。



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