第26話 強大な狩人 side:ギース
待てよ、とギースは思った。
心臓がバクバクと鳴る。
――エンリケ。
冒険者ギルドにおいて、その名を知らぬものはいないだろう。
怪物。
冒険者ギルドの門を叩いて、たった数年で、Sランクにまで到達したという真の化け物。
「ヒッ………!!」
ギースは眼の前の男の圧力に、呼吸ができなかった。
文字通り、自分とは位階が違う。
Sランク――それは人外の領域。
一般的な冒険者が目指すのは、Aランクまでだ、と言われている。なぜなら、S以上は、人間を逸脱した者の集まりだから。
そう。
Sランクは目指すものではない。そもそも、なろうとしてなれるものではないから。
Sランクは狂っている。
それは、冒険者の共通認識だった。
しかも、
(あの、エンリケ、だと????)
ギースは震えが止まらなかった。
エンリケ。
狂っている人間が多い、と言われるSランクの中でも、エンリケほど狂っている人間はいない、と聞いたことがある。
噂では、依頼人の貴族の態度が悪いかったからと言う理由で、とある貴族と対立し、その貴族の私兵を根こそぎ倒して帰ってきたらしい。
メンツを潰された冒険者ギルドは、もちろん激怒。追放を決定したギルドは、SランクやAランクの強者を追手に差し向けるが、それでもエンリケを捕まえることはかなわなかった、と聞く。
Sランクと言う強さがありながら、ギルドを追放された。
すなわち、それは、あのギルドですら持て余したという事実。
ギースが何度手合わせをしても、一太刀も入れられなかった元Sランク冒険者のリヨンのギルド支部長でさえ、「エンリケ」と言う名前を出すと、苦々しくつぶやいた。
――あれは人じゃない、と。
興味を惹かれたギースは、支部長に尋ねてみたことがある。
何がそんなに強いのか、と。
特別な武器でも持っているのか?
「いいや」と支部長は首を振った。
なにか、特別な魔法を使えるのか? それか、剣術に秀でている、とか?
「いいや」とまたしても、支部長は首を振った。
では、なにが凄いんだ??
アンタみたいに頭がいいとかか?
「シンプルなんだ」と支部長――かつて、【軍神】として名を馳せた支部長は語った。
「シンプル?」
「そう、単純。別に剣が上手いわけでも、特殊な魔法が使えるとか、そういうわけじゃない。使えるのは、魔力による身体強化のみ。それだって、そう難易度は高くないし――私みたいに戦略が好きと言うわけでもないだろう」
「聞くだけだと、とても強いとは思えないんだがな」
「やっていることが極めて単純なのさ。自身の膂力、桁外れの力ですべてをなぎ倒す。技巧もへったくれもない、純然たる暴力の嵐。それが【鬼人】エンリケの強さの秘密」
本当にそんな奴がいるのか? と怪訝な顔をしたギースに、支部長は困ったように笑った。
――会ったらわかる。あの化け物じみた強さを見れば、ね。
ふと、ギースはそんな会話を思い出していた。
今だからこそ、わかる。
対峙してみてやっとわかる。
目の前にいる男から、立ち昇ってくる理不尽なほどの、強さの臭い。
――が、しかし一方で、ギースは混乱していた。
(どういうことだ???? なぜこの男が???? こんなドラ息子と一緒に????)
そう。
一方で、ギースはこうも聞いていた。
エンリケは、極めて傲慢。どこまでも不遜。
特に筋金の貴族嫌い。
決して他人に従うような男ではない、と。
だが、そんなギースの目の前では、理解不能な光景が流れていた。
「おいおい、エンリケ。全然ダメじゃないか。普通に見張りの人がいるし」
「いやあ、坊ちゃん。本当、それは面目ねえ。てっきり俺は全部やったかと……」
「あのねえ。強そうなことを言うなら、ちゃんとやってから言ってくれよ」
「わ、悪かったって、坊ちゃん………許してくれって! な??」
あのエンリケが、誰にも従わないはずの狂人が、慌てて言い訳している。
もちろん、この間も、ギースだって必死にもがいている。
だが、エンリケの左手はびくともしない。
それなのに、まるで2人はこれから散歩にでも行くかのような気軽さで話をしている。
「というか、坊ちゃん、なんでそんな嬉しそうなんですか?」
「いや、嬉しいだろ。俺のことを『何の変哲もないガキ』って誉めてくれたんだぞ。最大級の賛辞だろ」
「………それ褒められてないって思うんだがな」
やっぱ坊ちゃんの感性はよくわからん、とため息をつくエンリケ。
そのうち、後ろにいた美人なメイドも会話に入り、
「いやいや! ウルトス様のそういう寛容なところも素敵ですよ!」となどと言い始める始末。
「ありがとうねリエラ。でも、『あ~ん』のポーズをするのやめてくれないかな。あの、今結構急いでるから」
目の前で繰り広げられる、信じられないほど、ほのぼのとした会話。
敵の陣地のど真ん中でする会話がこれか!?!?
(く、狂ってるやがる………)
「で、どうします? こいつ」
思い出したかのように、エンリケが口に出した。
「もういいんじゃない。せっかく褒めてくれたんだし、ゆっくり寝ててもらおうよ。ほら、こっちも時間ないし」
目の前の平凡な少年に、了解です、とうなづくエンリケ。
あのエンリケが、まるで借りてきた猫のように言うことを聞いている。
「………あぁ………!!」
ここに来て、やっとギースは理解した。
――あぁ、逆だったんだ、と。
そう。すべては逆だった。
本当に注意すべきは、この少年だったのだ。
だいたい、そもそも自分はいつから自分が強者側だ、と錯覚していたのか。
本当は、逆だったのでは????
自分たちが狩人、強者側にいると思い込んでいただけで、自分たちは、ここに何か良くないもの、もっと強大な狩人を呼び寄せてしまったのではないか。
思えば、そうだ。
おかしな点はいくらでもあった。
なぜこの少年は、頻繫に廊下に出てきた???
トイレに1人でいけないから???
違う――それは、この建物の構造を調べるためでは?
なぜこの少年は、メイドに『あ~~ん』をさせていた?
女遊びをするバカ息子だから???
違う――こっちの食べ物に最初から、不信感を抱いていたのでは???
なぜこの少年は、この場で酒を飲まなかった?
高級な酒の価値もわからないから????
違う――最初から、こうやって動く気だったのでは????
「…………ッ!!!」
吊り上げられたギースは、改めて少年を見た。
多少顔は整っているが、それ以外は何の変哲もない貴族の子息。
先ほどまでは完全に侮っていた。バカな貴族の放蕩息子だと。
だが、今は、それが。
その平凡な様子が、何よりも恐ろしい。
その穏やかな、普通の態度が、分かりやすい強さを纏うエンリケよりも、はるかに狂っているように感じる。
「ま。ってことで、坊ちゃんの命令だ。お勤めご苦労さん」
エンリケがそう言った瞬間、ギースの巨体が、一気に吹き飛ばされた。
「グハッ!!!」
そのまま壁に叩きつけられた。肺の中の空気が吐き出される。
「さあて、お祭りと行きますか、坊ちゃん」
「………こいつ、また病を発症してるな………」
と、微妙な表情で、床に伏したギースの前を通っていく少年。
そして、薄れゆく意識の中、ギースは衝撃的な一言を聞いてしまった。
ギースの横を通った少年が、
「……おいおい。エンリケ程度にこれって……この時期のグレゴリオ陣営って、こんな人材不足だったのかな」と、困ったようにこぼす。
おいおい、はこっちのセリフだった。
いかれてやがる。
(あのエンリケを、その扱いかよ……)
とりあえず、ギースは思ってしまった。
もう変なことは辞めよう、と。
真面目に働こう、と。そもそも、違法な闇の世界に踏み入れてしまったのが自分の間違いなのだ。
勘違いしていた。自分は思い違いをしていた。
もう、こんな強者がうごめく世界はまっぴらごめんだ。
(そうだな……久しぶりに村に戻るか………実家の農家でも継いで………今度は真面目に………)
そう考えながら、ギースは眼を閉じた。
こんなやつらにもう関わらなくて済む、という安堵と共に。
――こうして。実家に帰ることにした元Cランク冒険者ギースが、冒険者時代に培った筋力を使って、農作業にクソ真面目に取り組んだ結果、王国でも屈指の農家になり、「人間の領域を超えたSランク農家」と称賛されるのは、そう遠くない未来である。
――――――――――――――――――――
こんな強さを誇る元Sランク冒険者を、街の劇団に加入させようとしていた公爵家嫡男様がいるらしいですね。
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