2章 うごめく強者(モブ)

第16話 普通の『あ~ん』にしてください


「ウルトス様ぁ……」


 耳元で囁かれ、肌に体温を感じた。こちらの鼻腔をかすめる甘い匂い。

 右腕のあたりには、しっとりとした柔らかさ。


「リエラ」と軽く注意するが、そんな言葉を意にも帰さず、リエラはさらに近寄ってきた。


「……リエラ」


 もう一度リピートする。


「何ですかぁ」と言いながら、甘い声でしなだれかかってくるメイドに対し、俺は真顔で質問した。


「ここ、どこだかわかってる?」

「もちろんです!」


 自信満々といった表情ではにかむリエラ。

 なるほど、超が付くほどの美人である。


「そっか。じゃあ――」


 リエラと目を合わせる。それから、赤く潤んだ瞳に対して、きっぱりと言い切った。

 

「馬車の中で急に近寄ってくるのはやめようか」

「えぇ~」


 えぇ~、じゃない。






 ――俺が、エンリケは本格的に演劇の道に進んだ方がいいんじゃないか、と思い始めてから数日が経った。


 現在、俺たち一行は馬車で、屋敷からリヨンへと移動していた。

 今回の旅に着いてくる主なメンバーは、俺、エンリケ、そして側に仕えるメイド――リエラの2人である。


「それにしても、ウルトス様は結構、荷物をお持ちなんですね」

「ああ、あっちで使うかと思って」


 嘘ではない。


 イベント対策を練り始めてからというもの、俺は持っていく荷物にも細心の注意を払っていた。

 そのせいでだいぶ重くなってしまったような気もするが……。


 多分、これで問題がないはず。

 全部丸っと収まり、晴れて俺は晴れ舞台から遠ざかることができる、はず……である。


 うん、おそらく。




 ちなみに、現状俺の師匠枠であるカルラさんには、黙って何も言わずに出発した。


 たしかに、彼女は強力だ。

 多分、魔法に限って言えば、現在の俺よりは格段に上だろう。


 が、しかし、である。

 彼女は役に立たないな、と俺は思っていた。


 なぜなら――


 カルラさんは、おそらく何か勘違いをしているからである。


 例えば、俺はこの前、魔法の訓練を行っていた。


 ちなみに域外魔法持ちでも、主要属性の魔法を練習すれば扱えるようになる。

 なので、俺は楽しく練習をしていたのだが…………。


 が。

 熱中した俺を待っていたのは、カルラさんの熱烈なハグだった。


「もういいんだ、もういいんだ」と言いながら年下に抱き着き始める痴女。


「いや違うんです。これは僕がやりたくて……」と反論しても、


「うぅ……なんて不憫な……!!」と涙ぐみ始めるのである。


 ただの魔法の練習でさえこの調子だ。


 リヨンで、これから俺のしでかそうとしていることを知られたら、100%止められるだろう。

 最悪の場合、あの豊かな胸に抱きしめられすぎて、窒息死する、という間抜けな未来もありうる。


 というわけで俺はあの暴走系痴女には一言も告げずに出発した。


 まあ。バレなければなんとかなるだろう。

 むしろ、作中の主人公ジーク君は、よくあんな感じのカルラさんを操れたものだ。


 どう見ても、あんな腹芸のできない美女をよく政治の場に引っ張り出して、クズトスをざまあできたな……と思わずにはいられない。


 さすが原作主人公。あの爆弾をいとも簡単に従えるとは。

 俺はジーク君への尊敬の念を新たにした。



♢♢♢♢♢♢♢♢♢



「それにしても、嬢ちゃん。その……」とエンリケが困ったような顔で口を開いた


「随分と楽しそうだな」


「えっへっへ。わかります?」とリエラがにこやかに答えた。


 そして、何を隠そう。

 今回の道中で、一番テンションが上がっているのがリエラだった。

 

 鼻歌を歌う彼女は、もともと整った顔をでれっでれにしていた。


「た、楽しそうでよかったよ…………うん、リエラ」


 俺は彼女が上機嫌な理由を知っていた。

 なぜなら――


「だってウルトス様……! ウルトス様が仰ってくれたんですよ。リヨンに着いたら、好きなだけ『あ~ん』をしてもかまわないって!」


 心底楽しそうに言う彼女。


 うん。

 いや、確かに言った。

 俺は数日前に、リエラにそう告げた覚えがある。


 が、しかし。


 それはあくまでもイベント通りに事を進めるためである。

 一芝居を打つためだ。


 お付きのメイドに『あ~ん』をさせている貴族のバカ息子を演出するためである。


「り、リエラ。わかっていると思うけど、その……あれだよ??? あくまでも演技だからね、演技」


 一応くぎを刺しておく。

 が、リエラはそんな俺の発言すらも上機嫌過ぎて聞こえなかったらしい。


「実は私、ウルトス様が最近、全然『あ~ん』をさせてくれなくって…………メイドとして、女性として自信を失っていたんです」

「女性として………?????」

「はい。素敵な男性に『あ~ん』してもらえないって、とても傷つくのですよ」

「………………」


 あ~んってそんな価値があるのだろうか。

 この子は『あ~ん』教の教祖様か何かだろうか、と俺は思った。


「ウルトス様…………」


 リエラが、凛とした表情でつぶやく。


「――私、きっと『あ~ん』をするために生まれてきたと思うんです」


 言っていることが最高にいかれていることを除けば、とても仕事のできそうなメイドに見える。


 ちなみに、眼でエンリケに、


「この辺には『あ~ん』を尊ぶ文化があるのか?」とアイコンタクトをしたところ、


「知らん知らん」と若干おびえたような眼で首を振ってきた。




 もうそろそろ怖くなってきたので、


「いいから話を変えろや」と眼でエンリケに指令を出す。


 すると、


「な、なるほどなあ……! 一芝居うつって寸法かあ!!!」


 急にエンリケが声を張り上げた。強引に話を変えようとしているのだろう。


 いいぞ……!!


 俺は、この時ほどエンリケに感謝したことはなかった。


 今までさんざん演技の道に進め、とか、進路を変えろ、とか散々なことを言って、本当に申し訳なかった。


 エンリケ。君は優秀な男だ。


「そ、そうだ。そうだよエンリケ。これは演技なんだよ。はっはっはっ」


 いけ。もっとだ。

 このままだと俺は、『あ~ん』教に入信させられそうになってしまう。


「つまり、あれだろ?」

「???」


 が、しかし。

 俺はエンリケを舐めていた。


「坊ちゃんが前にやった――」


 エンリケがしてやったり、見たいな顔で笑った。


「ビキニアーマーと同じってことだなぁ!!!!」


 さすがは坊ちゃん、と手を叩いてテンションを上げるエンリケ。


「「……………………」」

 

 無言になる車内。

 

 俺は久しく感じない恐怖を今、感じていた。


 いけない。

 それはいけない。


 エンリケ。お前だって、それは――



 俺はゆっくりと右横を見た。恐る恐る、リエラの方を見つめる。


 そして。俺の目線の先には、


「えっ、そんなビキニアーマーと、『あ~ん』………私はどっちにすればいいの???? 

 いやむしろ、ビキニアーマーを着て『あ~~ん』ができるチャンス???? そんな禁断の行為が許されるの???」


 ぶつぶつ高速で独り言をいうメイドがいた。



 やめてくれよ、と俺は無言で願った。

 

 俺はあくまでも、大きな街で、イキがっているその辺の貴族のバカ息子のふりをしたいのである。

 そうやって、気配を隠しつつイベントを見守りたいのだ。



 それが……ビキニアーマーを着せたまま、『あ~ん』をさせる????


 もうそれは完全に狂人である。


 『イキがっているその辺の貴族のバカ息子』ではなく、ただの『異常性癖坊ちゃん』だ。


 どう見てもやべーやつである。目立つに決まっている。モブから程遠すぎる。




「………リエラさん」


 俺は意を決して呼びかけた。



 ――こうして俺は、リヨンに着くまでの間、


「ビキニアーマーだったらどのようなビキニアーマーがお好きですか???」とやる気満々のリエラに対して、


 頼むからそれだけはやめてくれ、頼むから普通の『あ~ん』をしてくれ、と、なぜかリエラに普通の『あ~ん』を求めて、拝み倒すことになったのである。

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