来訪者:バイク事故――②

 長い廊下をついていくと、やがてひとつのドアの前で立ち止まった。ドアには窓があって、すりガラスになっている。男はドアを慣れたように開け放った。

「おい、シラユキ。客が起きたぞ」

 誰かの名を呼びながら中に入っていく。

 その背中から覗きこむと、明るい室内には落ち着いた色彩と、洒落た珈琲の香りがした。

 入ってすぐ見えたのは、右手側にあった焦げ茶色のカウンターだった。その向こう側には小さな調理台と、壁に設置されたマス目状の家具にはカップや調味料といったものが陳列されている。開けっぱなしの扉がひとつあり、向こうには更に大きめのキッチンが見えた。

 そのカウンターの中には少女がひとり。日本人ではなかった。銀色に、一部分だけ青いメッシュの入った髪に、これまた青い目の可愛らしい少女が顔をあげたところだった。青いふわふわとしたワンピースに白いエプロンをして、給仕というより外国物の物語の表紙から飛び出てきたような恰好をしている。

 しかし最初に声をあげたのは少女ではなかった。

「あっ、その人、目が醒めたのか!?」

 勢いよく立ち上がったのは、いかにも日本人の青年だった。

 カウンターの椅子に座っていた彼は、黒いライダースジャケットを羽織った下に白いTシャツを着込み、ジーンズを履いている。同じバイク乗りのようだったが、体型は少しひょろひょろで、いかにも優男というタイプだ。だが、おそらく恰好からして同じバイク乗りだ。そのうえ、同じ日本人。この意味不明な場所で会うには自分の予想以上に親近感と感謝の念が湧いて出た。

 彼は敏雄の前までやってきて、まじまじと姿を見た。

「良かった! 本当に……」

 ただそれは向こうも一緒だったのだろう。

 優男の反応は初対面にしてはずいぶんと手厚く、いまにも泣きそうな声で、絞りだしたようだった。無理もない。こんな屋敷に同じ日本人はおそらく二人きりなのだ。敏雄は少しだけ面食らったが、すぐににやりと笑ってやった。

「おいおい、人を勝手に殺すなよ。さては俺に会いたがってたのはお前だな?」

「あ、ああ。そうだよ」

「お前が助けてくれたんだな。俺は松下敏雄。お前は?」

「松下敏雄……」

 優男は少しだけ感慨深そうに名前を反芻した。

「どこかで会ったか?」

「僕、松下正太郎っていうんだ」

「へえ! お前、苗字が一緒か!」

 それはもう親近感どころではなかった。

 敏雄からしてみれば、この妙ちきりんな屋敷に、無愛想な外人男、おまけにもうひとりは小学校さえ出ているか怪しい――これまた外人の娘っこ一人なんて、落ち着くはずもなかった。いや、まだもうひとり、修理を請け負っている奴がいるらしいが、そいつはまだ影も形もない。

 外人男は外人の娘と何事か話したあと、踵を返してどこかへと行ってしまった。相変わらず無愛想な男だ。

「うんうん、元気そうで良かったのだわ」

 少女は頷いた。

「いま聞いたけど、私はシラユキ。たぶん名乗ってないだろうから、いまの男の人はウィル君。いまはあなたのバイクの調子を聞きに行ってもらってるところ。バイクは、いまカナちゃん……カナリアって子が直してるから、心配しないで」

 少なくともウィルという男よりは話が通じそうだ。

「お二人とも、なにか飲む?」と言った。

 二人でコーヒーを注文すると、彼女は動き出した。

 敏雄と正太郎は隅の席へと移って腰を下ろした

「ところで、この屋敷はいったいなんなんだ。お前は何か知ってるか?」

「いや、僕も助けられただけで、そう詳しい事は知らないかな。あのウィルって人が、この館の主人だろうと思うけど」

 正太郎が言うと、カウンターの向こうでコーヒーを作っていたシラユキが思わずといったように噴き出した。

「へえ、それじゃお前はどうやってここに?」

「多分、……ええと、……敏雄と同じだよ。昨日、このあたりで事故っちゃってね。バイクの単独事故だよ。下まで滑り落ちたところで、貴方を見つけたんだ。それで、どうしようかと思っていたらここにたどり着いて……」

「へえ。同じ日に事故ったのか」

「そうみたいだ」

「ははっ! そりゃあまったく、なんて偶然だ」

 同じ日に、同じ苗字の人間が、同じくバイクで事故って、そして偶然この屋敷の人間に助け出されてここにいる。なんという偶然だ。

「先輩の言う通り、遠出するときだけはヘルメットしてて助かったな」

「えっ、もしかして、普段ノーヘル?」

「街中走るぶんにゃあ要らんだろ。お前も長距離の時はかぶるタイプか?」

「……へえ。僕はいつもかぶってるよ」

 正太郎は何故かにやにやと笑いながら言った。

「なんだそりゃ、真面目だなあ。しかしよ、俺たちゃ一蓮托生ってわけだ。こりゃ無事に帰れたら一杯飲むしかねぇな。おい正太郎、お前、酒は?」

「飲めるよ。僕もそうしたいと思ってたところだ」

「そりゃいい! おいお前、バイクはどこのやつに乗ってるんだ?」

 敏雄は――というより正太郎もだんだん慣れてきたのか、二人とも気を良くして互いにバイクの話になった。

 同じバイク乗りというだけあって、話は弾む。

「へえ、お前、聞いたことのないやつ乗ってるんだな。もしかして海外のか?」

「まさか! 中古で買ったんだよ。敏雄は?」

 酒など無くても、妙に気が合った。

 コーヒーが運ばれてくると、すぐそばでいい匂いが漂う。

「二人とも、お腹は空いてるかしら? 簡単なものだったら作れるけれど」

「じゃあ、頼んだ」

 同じ境遇の人間がいるというのは心強い。

 敏雄は少しずつこの環境に慣れつつあった。

 後でわかったことは、どうやら正太郎の方はバイクに乗り始めたばかりだったらしい。そのおかげで流行を知らない事に気付くと、敏雄はますます気分良く話し続けた。正太郎も更にその話に乗っかってきたせいか、サンドイッチが虚しく残るばかりになった。

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