第3話 猫とモップ

 最果ての迷宮館の中には、常に何匹かの猫が居座っている。

 猫たちは気まぐれだ。

 廊下の片隅で双子の片割れに捕まって大人しくしているかと思えば、リビングにある暖炉の前のソファを陣取って眠っている。気が向いた時にはウィルの膝に乗って撫でろと催促してくるくせに、すぐに機嫌を損ねたように立ち去っていく。

 それどころか下手をすれば朝っぱらから部屋の中で追いかけっこをしていき、人の寝ているところへダイブしながら走り去っていく有様である。

 良くも悪くも自由だ。

 猫たちはそれ以上でも以下でもない。


 といってもいつも見る猫はせいぜい二、三匹だけで、あとはまるで通りすがりのようにいつの間にか居てはいつの間にかいずこかへ立ち去っていく。猫たちは世界を自由に行き来する事ができるため、この館はある種、通り道のようになっているらしい。

 もしかすると自分が元いた世界からやってきた猫もいるのではないか、とウィルは猫に聞いてもみたが、猫が答えてくれるはずはない。答えられたとしても、見知らぬ人間がやってきた場所など知るよしもないというのが答えかもしれなかった。

 そういうわけでウィルは猫たちに期待するのはとうにやめ、単なる通りすがりの客人たちとしてしか見ていなかった。


「……とはいえこいつら、ノミとかどうしてるんだ」


 喫茶室のカウンターで堂々と丸くなっている猫を半目で見ながら、ウィルはコーヒーを啜った。

 たまに首輪をつけた猫が入り込んでくる事はあるものの、ほとんどは気まぐれにやってくる野良ばかり。時々泥まみれでやってくた猫を、カナリアが狙いすませたように捕まえて風呂場につれていくのを見たことがある程度で、基本的には放置されている。

 戯れに指先を毛の中へと埋めても、猫は特にこれといった反応を示さない。


「ノミはカナちゃんがたまに取ってたり」


 カウンターの向こうの双子の片割れである青い方――シラユキは事もなげに言った。


「ああ……、やっぱあいつか。そんなことよくやるもんだ」

「あら。世界なんてたくさんあるんだから、猫のノミ取りが趣味の人だっているわよ」

「そうか!?」


 しかし、いないとも言い切れないのが実情だ。


「でも、最近はモップ君がいるから」

「モップ君?」


 そんな人間はこの館にいただろうか。


「たまに廊下に居るの。猫より一回り大きいくらいで、モップみたいに毛がふっさふさだからモップ君。どこかの扉から来てるのだと思うのだけど、見たことない?」

「まだ見てないな。そいつも猫のノミ取りが趣味なのか?」

「ううん。モップ君は、ノミを食べる方」

「……主食?」


 ますますわけがわからなくなったウィルの指先から、猫がするりと抜け出してカウンターの下へと降り立った。そういうわけで館の猫にはなにがしか対処がされているらしいという事だけはわかった。対処されているというか、結果的にそうなっているというべきか。


 果たしてウィルがそのモップのような生きものを見つけるまでにはそれほど時間は掛からなかった。あるときウィルが廊下を歩いていると、そいつは廊下の端でわさわさと蠢いていた。確かに猫より一回りほど大きなモップのような毛の塊が、猫を捕まえてもぞもぞと何かをしていた。

 その近くではカナリアが座り込んで観察している。


「あー……。確かにモップ、だな?」


 見た途端に理解した。

 モップとやらは毛の塊といわれればそれまでだ。色はどことなく薄汚くそれもモップを彷彿とさせる。しかし毛の間からはモグラのような小さな前足が見えている。その爪のような指先で猫の毛を慎重にかきわけ、プチプチと飲みを取り払っては自身の毛の間に運んでいる。その部分には口があるのか、モジャモジャと少しだけ毛が別れて動いている。猿の毛繕いwも彷彿とさせる手つきも手伝い。毛の長い猿のようでもある。とはいえほとんど顔も毛に覆われていて見えない。


「おうウィル、お前もノミ取り観察しに来たのか?」

「そんな趣味はない。……だが、なんだこいつは?」

「わかんねぇ!」

「わかんないものを館に入れるな!」

「でも入ってくるし、猫のノミ取りしてるだけで害は無いからなぁ」


 もはや勝手知ったるなんとやら。あるいはもう、最適な餌場として認識されているのかもしれない。思えば次々と猫はどこかしらから入ってくるし、猫からしても最適なノミ取り場くらいの認識をされている可能性はある。のんきなものだ。


「だいたい、どっから来てるんだこいつは」

「さあ? あらかた取りきるとまた帰ってくからなあ」

「自分から帰るのか……」


 もぞもぞと猫を手放すと、器用に次の猫を捕まえる。ニャーンと抗議の声をあげる猫をあるのかわからない膝の上に乗せると、また毛をかきわけてプチプチとノミを取り払っていく。


「たまにこっちにさ、獣人みたいな奴が迷い込んでくること、あるだろ」

「あるな」

「そういう奴にも取り憑いて食ってる事はある」

「……それは、うん……」


 それはそれで当人にはショックじゃなかろうか。

 しかし本当に主食はノミで間違いなさそうだ。ノミを食べてるだけならそれほど害も無く見える。しかも食い終われば勝手に帰るというのであれば、ますます放っておいても良さそうだ。双子が放置しているのもそれが要因だろう。


 ――まあ、放っておいても良さそうか。


 まじまじとその食事風景を眺める。見れば見るほど猿の毛繕いに似ている。確かに退屈はしなさそうだ。ノミ取りが終わって解放された猫が、どこかへと去っていく。


「ウィルもやってみるか、猫のノミ取り」

「いや俺はいい……」


 言いかけたその時だった。

 天井に突然出現した扉が、凄まじい音を立てながら開いた。

 というより、向こう側から凄まじい勢いで開けられた。


「は?」


 あまりのことで天井を見上げるまでがスローモーションに感じたほどだった。視線の先、天井に出現した扉がこちら側に開いて、ぶらんと垂れ下がっている。その向こうには異界が、というか、異界があるはずだった。異界の景色の代わりに、扉におさまりきらないくらいの、巨大な猫の顔が覗いていた。髭と鼻が一緒にひくひくと動き、真っ白い毛が扉の向こうで揺れている。遠近感が狂ってしまったように見える猫は、何度か扉の中を覗き込んでからちょいちょいと前足で探るような動作をする。


「なんだこいつ!?」

「でっけー!!」


 慌てるウィルに対して、目を輝かせるカナリア。


「すげーぞウィル! 猫ドラゴン!!」

「ドラ……いや暢気に言ってる場合か! こんなもん入ってきたら館が壊れるぞ!」


 その間にも巨大な猫は前足をぐいっと穴から乗り込ませ。床につきそうなほどに入ってくる。


「くそっ、どうにか……!」


 追い返さなければ。

 指先に魔力をこめると、パキッという氷の音が耳に届いた。それが形になるかならないかというとき、とうとう床にトンと降りてきた前足に、モップがぴょいと張り付いた。


「あっ、おい!?」


 モップはわさわさと巨大な猫の足を器用に登りはじめ、まるで掃除でもするかのようにひょいひょいと登っていく。ウィルが呆気にとられたまま見ていると、モップはやがて天井に到達し、そこから猫のいる扉の向こうへと飛び込んでいった。

 向こう側からナォー、という小さな猫の声が響く。館に突っ込んだ前足だけがぶらぶらと揺れている。

 猫の足の進撃は止まり、大人しくなっていた。

 呆気にとられたウィルの隣では、カナリアが左右に揺れながら成り行きを見ていた。しばらくすると、モップがまたするすると前足を伝って降りてきた。


「お帰りー」


 モップは答えなかった。

 にゃーん、と向こう側から猫の声が響いて、静かに、しなやかに前足が扉の向こうへと消えていった。それからちょいと猫の目が覗き込む。ウィルは思わず身構えたが、猫の目はふいっと顔をあげると、大きなあくびをしてからきびすを返した。その巨体が扉の向こうで動き、最後に長いシッポがゆらんと揺らめいていった。青空が見える。

 足元ではモップが、ケプッと小さく声をあげていた。


「……ここ、ノミ取り専用部屋みたいにされてないか?」

「それはありえるな!」


 足元を見下ろすと、今日は店じまいとばかりに、モップがするすると廊下を移動していく。猫たちはノミ食いの生物が立ち去ってしまうのを一度見届けてから、再び自由にやりはじめた。まるで何事も無かったかのように。あれだけ巨大な同類が出てきたのに、まったく気にしていない。

 ウィルは肩の力が抜けそうになりながら、もう一度天井を見た。


「……天井の扉って、どうやって閉じるんだ」

「長い棒があるから、一回行けねぇかな」

「それはやめろ」

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