第2話 秘密の薔薇園

「そちらに、うちの不肖の弟子がお邪魔していないかしら」


 上品な老婆はウィルにそう尋ねた。


「少なくとも俺は見てねぇな」


 薔薇の紅茶には一枚だけ薔薇の花びらが乗せられている。

 ちらりと見てからウィルは飲んだ。


「そう、困ったわねえ」


 まったく困ったようなそぶりのないまま老婆は言った。


 ウィルと老婆がいるのは薔薇園「ウィッチ・ローズ」の中心にあるガゼボの中。

 英国風の白いガーデンテーブルを囲んで、ガーデンチェアに腰掛けていた。


 老婆は七十代くらいの背筋のぴんと伸びた女性で、白髪交じりではあるもののタイトスカートがよく似合っていた。ただの老婆というよりは「素敵なおばあさま」という風体だ。

 彼女はとある世界の東側にある、薔薇園の管理者だった。

 薔薇園という名のとおり、世界中の薔薇がここに在る。

 ぐるっと庭を一周せずとも、このガゼボの周囲だけでも色とりどりの薔薇に囲まれている。それぞれ名前がつけられた花がどれでも見られるようになっていてね。赤や黄色、白は当然のこと、二つの色が交互に織り交ぜられた花や、花の形が違うとか、咲き方が違うとか――中には限りなくまぼろしの花に近い色の薔薇もある。

 そしてここは、最果ての迷宮に繋がる扉が定期的に繋がる、数少ない場所だ。


「それより、今日は客はいないのか」

「今日はお休みなの。だから気にしなくていいわ。でなきゃ、こんなことを聞かないもの」

「だろうな」


 薔薇園は「魔女の家とその庭」というのがコンセプトで、家の方は古い貴族の別荘だかをそのまま使っているらしい。魔女の薔薇園という言葉とその雰囲気で、休みの時期になると男女問わず盛況になる。それでなくとも月に数度、薔薇園に併設したビニールハウスの中で講座を開いていて、薔薇の育成方法や、花束の作り方、あるいは棘の安全な取り方。薔薇について学べる場所である。薔薇を育てたい、学びたいという人にとっては基本のような場所だ。その教本の方も庭いじりをする魔女をイメージした絵柄で、細かいところまで拘りがある。

 もちろん観光客向けにショップもあり、魔女の絵柄のついた薔薇水から香水といった化粧品や、他にもジャムやハーブティーなどを扱っている。こうして庭を見ながらアフターヌーンティーができるカフェもあるが、ガゼボで飲んでいるのは老婆とウィルの二人だけだ。


「もし見かけたらでいいんだけどね。できれば、ブックマーカーだけは取り戻してほしくてね」

「ブックマーカーを? どうしてだ?」


 老婆はガーデンテーブルの上に置かれた教科書を撫でる。

 そこには薔薇の飾りが付けられたブックマーカーが置かれていた。

 ブックマーカーといっても紙のタイプではなく、金属製のフックになっているものだ。おしゃれで可愛らしい作りは女性人気が強い。このブックマーカーは本来、講座に出席した生徒が記念に貰えるものだ。薔薇の育て方が書かれた冊子と共に。まだ教本が必要な生徒のためのもの、ということだ。特別な手段は必要ない。

 老婆はにこやかにブックマーカーを手にとり、ウィルへ差し出す。

 ブックマーカーを見つめたウィルは、途端に眉間に皺を寄せた。受け取ると、そこに付けられた薔薇がただの石の装飾でないことに気付いた。


「こいつは、……魔石か?」

「ええ。あなただったらきっとわかると思ったわ。魔術師のウィルさん」


 老婆はにこやかに笑って、紅茶を少しだけ飲んだ。


「これが他の世界に渡るだけならまだいいのよ。だけどね」


 老婆は立ち上がり、ガゼボの横にあるレンガ造りの壁に触れた。

 途端に、壁に掘られた薔薇の彫刻が光る。


「この秘密の薔薇園のことが知られたら大変よ。特にこの世界ではね」


 レンガががらがらと音を立ててひっくり返っていく。ウィルは驚かなかった。

 なにしろそこにはこの世界では存在しないと言われる青々とした色の薔薇だったり、意思を持つようにわさわさと動いている薔薇の塊であったり、中には牙を有した吸血薔薇が栽培されていたのだから。

 つまり、薔薇の魔女は本当の意味でも薔薇の魔女なのだ。

 薔薇の扱いに長け、人智を超えた薔薇をも手懐ける、薔薇の魔女。

 この世界で彼女たちの秘密に迫ろうと思うのならば、まずはそれに耐えうる精神が必要だろう。吸血薔薇なんて可愛いものだ。

 彼女らは一人から数人単位で見習いを教育し、密やかに代替わりをしてきた。

 目の前の彼女はいったい何代目だったか、少なくとも二桁はゆうに越えている。ひょっとしたらもう三桁に届くかもしれない。


 ウィルはおもむろに、薔薇のクッキーの山に手を伸ばした。口の中に入れると、さくりと音がする。この魔女がこの世界でどんな扱いをされているのかはよくわからないが、そういう世界もあるのだろうと受け止めている。


「魔法があるのにわざわざそれを隠さなければいけないんなんて、難儀な世界だ」

「ええそうね。でも、そういう世界もあるのよ。あなたも気をつけた方がいいわよ、魔術師」

「肝に銘じておこう」


 まあともあれ魔女見習いのブックマーカーは本来こうして魔石を使っているものなのだろう。表向きの講座の生徒たちが手にするブックマーカーは、精巧な模造品といったところだろう。


「だから逃げ出した弟子はともかく、魔女の証明である本物のブックマーカーだけは、見かけたら回収しておいてくれると助かるわ」

「わかった」

「そうそう、今日はハーブティーを取りに来たのよね。シラユキさんにもよろしく言っておいてもらえるかしら。魔女見習いになりたくなったらいつでも来てねって言っておいて」

「おう。……いや、どうかな」

「ところでウィルさんの魔力を使ったら、氷の薔薇が出来るかなと思っているのだけど。今度どうかしら」

「……」


 ちゃっかりしている。

 これが魔女という生きものか、とウィルは思った。


 まあつまるところ。

 こうして魔女が生きているのに、世界的には魔法は存在しないことになっている世界もあるのだ。ウィルは魔法の使い方について少しだけ慎重になる必要性を感じながら、ハーブティーが持ち込まれるまで待ったのである。

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