第2話 「大いなる」カリュリス
「軍属は、お前の美を損ねるものとばかり思っていたが」
カリュリスの親指が、ハーゲルの鎖骨をなぞった。熱さと冷たさがない交ぜとなるような、押し寄せる心地良い感触に声を上げそうになった。
「嬉しい誤算だ。若獅子となったお前には、今や以前とは比べものにならぬ生気が満ち溢れている」
「光栄です、閣下」
白金の波毛、その下の青い瞳が嬉しそうに細まった。しなやかで強靱な腕がハーゲルを力強く抱き寄せる。
「しかし、この掌だけは悲しまずにおれんな。尊い対価と呼ぶべきであろうが」
繋がり合う手の感触からは、以前ほどの明瞭さが失われていた。武器を取り、振るうのだ。当然マメも出来、皮も厚くなる。
「醜くなる自分を、それでもお受け入れ下さいました。閣下には、幾らの感謝でも足りません」
「何を言う、ハーゲル、我が蜜よ。我が元に侍るべきは強く、気高くあらねばならぬ。お前は、私の期待を遙かに上回ってくれているよ」
唇が重なると、逞しいその身体に熱がこもったのが分かった。全身の力を抜く。すべてを、カリュリスへと捧げる。
恵みを賜る。いつしかハーゲルは、カリュリスとの時間をそう呼び習わすようになった。
表現の仕方を変えただけで、予想以上に容易くこの境遇に順化ができた。自分の性愛指向などを介在させる余地もない。それは定められたことであり、ただ求めに応じるのが己に課せられた使命なのだ。
とはいえ、元よりカリュリスは偉大な存在である。どのような形であれ、その近くに侍ることが許されるのは、それだけ己を高めたいと願う動機にも十分に繋がってきた。
「今は弓矢の鍛錬が特に充実しております」
「そうさな、武芸一般は修めるべきこと――しかしながら、許されるのであれば、剣槍の類いには接しないでいて欲しいものだ」
我が儘じみた諧謔には、どう返したものかで毎回迷う。どのようなことを言ったところでカリュリスの秀麗な眉目が曇ることはないだろう。しかし、どうせならば、その整った相貌を崩したい。笑いで、大きく。
「これは忠誠心なのかな。それとも懸想なのか」
独りごちてみるも、容易く答えが出るはずもない。何度同じ問いを繰り返してきたことか。そして、回数を重ねれば重ねただけ、その二者から全く埒の外れた陰の存在に気付いてしまうのだ。正体は分からない。ただ、それは凶暴な膂力をもって「それがお前の見出した前途か?」と詰問してくる。
そうだ。
これが自分に定められた道だ。
正しき道だ。辿ることの何が悪い。
だが、断ずる語気を鋭くすればするほど、その空々しさは募る。風穴は広がり、ひび割れはいや増す。
それは逃避か、あるいは昇華行為なのか。
いつの頃からか、共にあったバイオリンにすがるようになっていた。
誰に聴かせるわけでもない狂奏である。当初それは悲鳴、奇声でしかなかった。だが、音と付き合ううち、その中に歌が現れた。
歌はささやかで、儚く、脆かった。少しハーゲルが気を緩めれば、たちまち元の嬌声と化す。それを歌へと戻すための尽力を、自分でも驚くぐらいの濃度で行うようになった。
元来、感情の狂奔をぶつけんがための手段だった。だが、バイオリンが歌うとき、己の感情が、闇雲に弦を掻き毟る時よりも遙かに広く解き放たれることに気付いた。
精度と放逸。演奏と呼ばれる行為においては対極と思っていた二者がない交ぜとなり、感情極大の一助を担う。幾許かの戸惑いはあったが、己が欲望に即した結果をもたらすのであれば、抗う意味はない。
「アンタ、気持ちいい弾きっぷりだな!」
豪放磊落を絵に描いたようなその男に声をかけられたのは、どこの裏路地だったか。これまでになくバイオリンが歌ってくれていた折のことだった。大いに興を削がれ、思わず非難の目で男をにらみ付けてしまった。
「おいおい、物騒な目つきだな」
男がおどけて肩をすくめて見せる。ハーゲルもはた、と我に返った。
「いや、」
弓をレイピア代わりにしようとしたことに気付き、腕の緊張をほどく。
相手には驚くほど殺気がない。邪気もない。
それでいて、瞬時に悟らされる。
相手がその気になれば、こちらには為す術がない。
「済まない。誰の耳にも留まるようなところで弾いていたのは己だ。アンタは何も悪くなかったな」
素直に頭を下げる。目が合えば、そこには音にも聞こえんばかりの破顔があった。
「いい音出す、それでいて気っ風もいい! 気持ちいいな、おめぇさん!」
瞬く間に距離を潰してきた、と思えば肩を組んできた。荒々しい所作だが、しかし不思議と悪い気はしない。男の持つ雰囲気ゆえだろうか。
「おめぇさんのバイオリンで歌ってみてぇな! ちょっと、付き合ってくんねぇか!」
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