第6話

 湊と交わり、濡れた服のまま自宅に帰ったあの日から、絵空が日の当たる場所に出なくなってもう二日になる。所謂引きこもり。微かに残っていた死に対する恐怖心よりも、鬱屈に支配された精神が身体を蝕み、あと一つきっかけさえあれば、自死を選択するであろう瀬戸際にいた。

 

 ピンポーン

 

 ソファに座りながら茫然自失で壁を見つめていた時、インターフォンが鳴った。来客とは珍しいが恐らく友里さんだろうと、絵空はロクに確認もせずにドアを開ける。

 

「こんちわ」

 

 居たのは華奢で病的なまでに肌が白く、首元にタトゥが入った一人の少女だった。

 

「……夏子ちゃん」


「絵空ちゃん元気? 浮世先生に手ぇ合わせに来たっス」

 

 ダウナーファッションに身を包み微笑する膳所夏子ぜぜなつこは絵空の母の元患者だった。

 

 合掌を済ませ、近所のファミリーレストランで二人は昼食を摂ることにした。平日の昼間なので客入りはまばら。絶食に近い暮らしが続いており、食事は絵空にとって久しぶりであるが、食欲はほぼない。

 

「最近忙しくて葬式行けなかったんスわ。さーせんね」

 

 そう言い夏子は服の上から鎖骨を指で掻く。彼女と絵空は母親を通じて面識があった。年齢は夏子の方が一つ下なので、友達よりも後輩の方が関係性としては正しい。ただ、特別仲が良いというわけでもない。

 

「夏子ちゃんも高校生だもんね」


「んなトコ行ってませんよ。今は身体売って稼いでます」


「か、身体⁉︎」

 

 どん底にいる絵空も流石に仰天し、大きな声を上げた。

 

「総亜同連つう半グレがやってる店に雇われてて。私、結構人気あるんス」

 

 全身から血の気が引く。総亜同連。その言葉は二度と聴きたくはなかったからだ。

 

「だ、だって夏子ちゃん十六とかでしょ? 捕まったり危ない目に遭ったりするんじゃ。それに総亜って……」


「ああ、この前のレイプ事件のとこっスね」

 

 絵空のトラウマが蘇る。動悸が激しくなり、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。

 

「ごめん。もう帰る」

 

 絵空は顔を伏せ吐き捨てた。

 

「まだ何にも頼んでないっスけど」


「元々お腹空いてなかったし。誘ってもらってあれだけど……」

 

 夏子は絵空を凝視した。暫くして鼻を鳴らすと、座椅子に深く腰掛ける。

 

「絵空ちゃん。死のうとしてるっしょ?」

 

 意表をつかれた絵空は咄嗟に顔を上げた。

 

「うちの店、死ぬ前に一発ヤリたいってお客が結構いまして。サラリーマンだったり、ニートだったり弁護士もいたっスかね。その人らと同じ目してるから」

 

 再び鎖骨辺りを掻いて夏子は続ける。

 

「思うに自殺ってのは死に損っス。色々言われますが、この国の制度って上手く出来てて、どこぞに相談すれば餓死はしませんし」


「でも、辛い事からは逃げられるじゃない」


「現実で逃げれば良いじゃないっスか。学校だって気持ちが落ち着くまで休めばいい。人生ってのは、大概は逃げていいんスから」

 

 夏子の言葉に絵空の心が少し和らいだような気がした。

 

「夏子ちゃんって大人だね」


「浮世先生の受け売りですけど。兎に角、なんか食わないともっと鬱りますからね」

 

 とは言え腹に物が入りそうにないので、ドリンクバーだけ絵空は注文した。

 


「時に、絵空ちゃんって処女っスか?」

 

 意味のない会話のラリーを何度かした後、コーヒーを呷る絵空に、平らげたペペロンチーノの皿を隅に追いやった夏子が、爪楊枝を咥えながら尋ねてくる。

 

「それ、答えなきゃ駄目?」

 

 じつは最近、自暴自棄になって生娘を辞めた事を、そこまで親しくない夏子に話すか絵空は憚られる。

 

「ノーコメントでお願い」

「えー」

 

 夏子は無邪気に口角を上げた。

 

「いいですよセックス。男が喜んでくれりゃ嬉しいし、人肌に触れてたらそれなりに幸せだって思える。バイブ突っ込むより、誰かに抱かれるから脳汁ピューピュー出るんスよ。惚れた男なら尚更ね」


「その手の話、あんまり好きじゃないかな」

 

 露骨に顔に出す絵空を夏子は笑う。

 

「ははさーせん。私なりの鬱に効くアドバイスだったんスが。馬鹿なんで、あと薬キメる事しか思い付かないっス」

 

 

 屈託のないその表情に絵空は何も言えなかった。その後「一応、社会人なんで」と食事代は夏子が払い、二人は店の前で解散する事になった。

 

「たまには遊びに来ます。だから死なないで下さいね」


「うん。まあ……約束は出来ないかも」

 

 タバコを吹かしながら、横断歩道を渡る夏子を絵空は見送った。他人と喋ったからか、胸の暗い重みが少し軽くなった気がする。

 

ピロン♪

 

 丁度携帯に通知が来る。今度こそ友里さんかと思ったが、また予想が外れてしまった。

 

『今すぐに桜谷駅に来い』

 

 短く簡潔な文章。


(ああ、そうか)


鼎湊に脅迫されていた事を忘れていた絵空は、現在地から距離のある駅に向かい歩みを進めた。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る