第5話

 その夜は大荒れだった。空から慟哭のように降る雨。アスファルトに水が溜まり、側溝では激流が下水道に向かっている。前方から車のベッドライトが見え、すれ違いざまの運転手が得も言えぬ表情で絵空を一瞥した。何も不思議ではない。傘も差さないずぶ濡れの女が虚な表情で歩いているのだから。

 

(……ああ)

 

 最愛の母が死に、二人の親友も絵空の前から姿を消した。身体が鈍く、心臓が歪な鼓動を鳴らし今にも止まってしまいそうな気がする。不満も不安もあるけれど、笑って過ごせた日々が愛しく思えてならない。

 

「もう……いい」

 

 死にたい。アテもなく彷徨い歩く。痛い視線も感じるが、もうどうだっていい。お母さん。こんな娘でごめんなさい。最後まで迷惑掛けっぱなしで、親孝行出来なかったね。知里、蓮。あの日、皆んなでカラオケに行ってたら、こんな事にはならなかったのかも知れない。だから私の所為なんだよ全部。本当にごめんなさい。


「……う、うう」

 

 一日中泣いて枯れたと思っていたのに。雨と涙でぐちゃぐちゃになった顔を手で覆い、思わず彼女はその場にへたり込んでしまう。

 

 

 




「なにしてんだ?」

 

 

 

 突然の声に絵空は首をすくめた。徐に振り向き、顔を上げさらに驚く。あの男、鼎湊が傘を差して突っ立っていたのだ。

 

「あんた、なんで……」


「ここ俺の地元だし。コンビニ帰りにクラスの奴が地べたでへたばってたら、普通に気になるだろ」

 

 そう言った湊は絵空に傘を翳した。どうやら知らぬ間に隣町まで来てしまったみたいだ。

 

「んで、なにしてんだよ」

 

 侮蔑を込めた湊の目に彼女は自嘲した。総亜同連の関係者。絵空がこの世で一番憎む相手と出会い最悪な姿を晒してしまったのだから。しかし刹那、知里の顔が絵空の脳裏を掠める。目の前の男は親友を犯した人間らと同類。ならば、これは贖罪の機会ではないだろうか。

 

「ねぇ。総亜って……あんた達って強姦魔の集まりなんでしょ?」


「はあ? だから、俺は元だって前に……」


「だったらさ」


 絵空はゆらゆらと立ち上がり、相好を崩しながら言った。

 

「私の事も犯してよ」

 

 

 




 黄ばんだ天井のシミ。それがデカいミッキーマウスに見える。絵空は河川敷近くのラブホテルのベッドに全裸で横たわり、なんとなくそんなどうでもいい事を考えていた。

  

「イカれてんの?」

 

 理由も聞かず、少し間を置いた湊の返答はシンプルだった。しかし絵空を一心に見つめていた彼が、急に納得したような表現になる。


「分かった」


てっきり、その場でやられるものだと絵空は勝手に想像していたが、さすがの強姦魔でも土砂降りのシュチュエーションは嫌なのかと湯船で暖を取りながら思った。

 

「お前、処女はじめて?」

 

 絵空に覆い被さった湊が呟く。

 

「それとも、こんな感じで男と遊んでんの?」


「最初で最後。さっさとして」


 絵空は瞳を閉じた。ああ、これで知里と同じになれる。同じ傷を、痛みを共感できる。紛れもなく贖罪だ。そして終わればこの身を投げ出そう。お母さんとまたあっちで一緒に暮らそう。それが叶わないとしても、もう辛いこととか、苦しいことを感じない世界に行けたら、それ以外はもう何も望まない。

 

「……力、抜けよ」

 

 絵空は湊の吐息を感じた。そして、うなじに柔らかい熱が触れる。最低最悪なはずなのに、下腹部がピクリとむず痒くなった事に彼女は呆れた。

 

 初めての性交渉は幾分肩透かしではあった。挿入の痛気持ち良さは多少感じたが異物感の方が強く、女は体勢を変えるしか特にやる事がないので、湊が果てると

 

(え、もう終わり?)

 

 と絵空は声に出しそうになる。

 

「痛かったか?」

 

 いつの間にか着替えを済ませている湊。絵空が上体を起こすと、シーツに赤い点々が附着していた。

 

「べ、別に」

「俺バイトで疲れてっからもう帰るわ。お前もシャワー浴びたら適当に出ろよ」

 

 あと、と言って湊は財布から名刺サイズの紙を取り出してベッドに投げる。

 

「俺の連絡先。ここ総亜の御用達で脅迫部屋つってさ。至るとこカメラとか盗聴器仕込んでんだ。世間に素っ裸晒されたくなかったら、またやらせてろ」

 

 そう言い残し去り行く背中を、絵空は呆然と見送るしかなかった。

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