第5話 眩しすぎた優しさ

「あなたの、はなし、きかせてください」

 それは初めてのお願いでした。

いつも何かを決めつけられ、彼の思いや、意見を尋ねようなんて、誰もしようとしなかったから、当然と言えば、当然なのかもしれません。

彼は、何からどう話せばいいのか悩みました。

自分が千二百年生きた木であることを彼女に伝えたとしても、本当に信じてもらえるのかもわかりません。

 でも、誰かに聞いてもらいたい。そんな二つの気持ちを抱いた彼は、ほんの少しだけ、自分の話をすることにしました。

「大したことじゃないよ。友達を失ったんだ」

「おともだち」

「うん。ずっと一緒だったんだ。でも、それもいなくなって、ずいぶん長いこと、一人だったから。なんというか。うん。生きてる意味が、わからなくなった」

「……………………そう、なんですか」

 彼女も言葉を選んでいるのか、しばらく間を置いた後そう相槌を打ちます。

「そっちは、どうして、歌とか、音楽を?」

 彼が尋ねると、彼女はにこりと笑って言いました。

「とどけるため、です」

 彼女は立ち上がり、また彼に手を差し伸べます。彼女と手をつなぐことに、彼自身も、少しずつ慣れてきたようで、自然と手は伸びました。

「まだ、じかん、ありますか?」


 彼女の手に引かれるまま、彼は再び島を上っていました。彼自身、彼女の料理を食べたためか、少しだけ元気が出てきたようで、足取りは格段に軽く、疲れはあまり感じません。道中、彼女はまた歌を口ずさみ始めます。今度は、初めての曲ではなく、どこかで聴いたことのあるものでした。

「その歌は、どこで?」

「しまにいる、おばあちゃんからきいたんです。むかしのおまつりの、うただったみたい。ぜんぶでひゃくばんくらいあるらしいんですけど、さすがにぜんぶはおぼえきれませんでした」

 聞き覚えがあると思ったら、そういうことかと彼は納得しました。

 そして、いつしか二人は、島の頂上にある開けた場所にたどり着きました。

 一面には白や赤など、綺麗なお花が咲き乱れています。森の中がすべてだった彼からすれば、木の生えていないお花畑は、まるでこの世の場所とは思えませんでした。

「このしまには、すてきなところ、いっぱいあります」

 言葉を失っている彼に向けて、彼女はまた喋り始めました。

「うみも、はなも、しまのひとも、みんなすきです。よるには、きれいなおつきさまが、のぼって。いきものたちも、たのしそうにくらしていて。わたしも、ここでくらすの、たのしいです」

 彼女の言葉は、いつもあたたかな陽だまりのようでした。その陽だまりはずっと、彼自身、求めていたものだったかもしれません。

 彼女は、彼の手を引きます。花畑の中を、スキップをしながら駆け抜けていきます。気が遠くなるほど昔、彼の体の周りを、子どもたちが駆け回っていたことを思い出しました。自分も、一緒に走れたらな。そう感じていた彼の望みが、その日初めて叶いました。

 彼の頭から、命を終えたいという考えはすっかり消えてしまい、明日も明後日も、彼女の歌が聴けたらなと。そして、また人の体になって、彼女と手をつないで遊ぶことができたら、どれだけ幸せだろう。そんな未来を夢見ていました。

 それでも、彼の心に、また声が響きます。

「彼女もまた、いなくなる。また孤独な時間が待っている」

「どれだけ幸せな時間があったとしても、それはやがて終わってしまう。身の丈以上の幸せを、望む権利なんて、お前にはない」

胸の奥からそんな声が彼を飲み込んできます。

 だからでしょうか。

手放しで笑う彼女の笑顔を見るのが、どんどん辛くなってきました。

繋いでいた手の力を、彼は抜きました。つながっていた指はほどけ、彼はうつむき、拳を握り締めます。

「どうか、しましたか?」

 不安そうに、彼女は言います。そんな彼女を優しく諭して、楽しい毎日を送ることだって、できたはずです。

 けれども、彼は未来を見据えていたのです。だから、彼はこういうことしかできませんでした。

「やっぱり帰った方がいいよ」

 風が、びゅうと吹きました。その風に乗って花たちは揺らめきます。もしかしたら、彼に花たちは何かを伝えているのかもしれません。しかし、彼にその言葉は届きませんし、もしかしたら届いたとしても、彼は耳を貸さなかったかもしれません。

「どんなに素敵なものでも、どんどん変わっていくんだよ。君は知らないでしょ? だからさ、もう」

 その言葉の先を紡ごうとしたとき、彼は彼女の顔を見ることができませんでした。彼女が傷つくかもしれないのは、考えればわかるはずなのに、その現実を見たくなかったのかもしれません。

 だから、彼は彼女に背を向けました。

「ごはん、ありがとう。おいしかったよ」

 だから、これ以上の幸せを自分なんかに与えないでほしい。彼はそう願いながら、彼女に背を向けて歩き出します。

「わかりました」

 彼女はそう言いました。少しだけさみしそうな声色に、彼の心はざわつきます。けれども、弁解をしてしまえば、彼女が大切な存在になってしまえば、とてつもない苦しみが待っている。その辛さは、もう二度と味わいたくないものでした。

「かえります、ね」

 それでも少しだけ、彼は彼女の顔を見たいと思ってしまいます。だから、彼は振り返りました。

 彼女は、その時も変わらず、優しく、無垢な瞳で微笑んでいました。

 そんな彼女の笑顔が眩しすぎて、今にも自分が消えてしまいそうな気持ちになった彼は走って森の奥へと向かいました。

 息を切らしながら、島の中心へと向かいます。途中で何度も転びそうになりながら、彼は自身の大きな体と対峙しました。そして、人の形から、大楠の木に気持ちをゆだねます。形作られた仮初の肉体は消えてしまい、意識は元の木の中へと戻りました。

 これでいいんだ。そう自分に言い聞かせました。


その日の夜、彼は眠ることができませんでした。

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